第3章 ウェルド ・ 第8話 八千矛の祓 ③
夜、俺達は川で鬼の穢れた血を洗い流した。
冷たい水が傷口に滲みて激痛が起きた。
「咬まれた時より痛ぇー!」
俺達は生き残った。
興奮気味に仲間と抱き合い、飛び跳ねて笑い合った。
野宿で焚火をして、ボロボロになった着物を乾かした。乾くまでの間、裸で互いの傷の程度を確認した。
三野の怪我は久斯の応急手当で何とかなりそうだ。暫くは船で漕がず、安静が必要。
剣は元退魔師の鬼に脇腹を斬られ重傷で、立っているのもやっとの状態だった。
彼は焚火の側で意識を失うように深く眠り込んでしまった。
俺や三野が喋りかけても目を覚まさなかった。
「剣はあのバケモノの長い牙に引っかけられて、空高く放り上げられただろ? なんで胴体がちぎれなかったの?」
俺は疑問に思っていた。
あの瞬間、久斯も剣が死んだかと思った。
「多伎。私も終わったと思ったよ。結局、剣はこれに助けられた…」
邪龍の長い牙に引っかかったのは、舶来の装飾付き革製ベルトだった。
「何だよ。心配させんじゃねーよ。俺のせいで、剣が致命傷を負ったと思っただろ!」
剣はギリギリ、一命を取り留めた。
俺の肩と脇腹の、邪龍の咬み傷はすぐ癒えた。歯型が付いただけだった。
たぶん、弥栄流退魔道の呪詛祓が効いたと思われる。
「多伎こそ、不死身かよ。あんなバケモノ倒すなんて、お前、人間じゃないな。邪神になりかけてないか?」
三野が引いていた。久斯も驚いていた。
「三野の言う事は一理ある。多伎、邪神にならないように気を付けろよ。その翼はもう使わない方がいい…」
「平気だよ」
俺は強がりを言った。
そういう忠告はやめてほしい。本当は俺が一番怖がりだから……。
翌朝。『滄溟の鳥』の操舵士の真具呂・志毘親子、漕手の奈目と合流した。
真具呂が仕入れた荷を届けに来た。
真具呂は街道沿いの寂れた村の入口で、満身創痍の俺達を眺めた。
「おや…、剣さま…」
俺達は風吹き渡る中、裸の上半身に破れた黒い着物を羽織り、血の痕が付いた袴パンツを履き、腕組みをして立っていた。
「…相当、激しい戦闘だったと見えますな」
不愛想な真具呂が感想を言い終えた。
真具呂は仕入れた物の数々を、志毘と奈目と三人だけで背負ってきた。その重そうな荷を地面に降ろした。
「よくやってくれた。真具呂、間に合ったよ」
剣は満足そうに秘密の荷を開いて確認した。
「剣さま。よくご無事で…。若さまも…」
真具呂は淡々と話す。俺や久斯のことは眼中に無い。
息子の志毘がおどけた。
「いやァ、剣さま。もし再会出来なかったら、三野方でこの荷をどう売ろうか、話してたとこなんで。儲かったら酒代にするつもりだった…」
「俺達が帰らなかった時は、それでいいさ」
剣は笑って返す。
志毘はいつものように多伎を呼び捨て、
「ヨォ。多伎よ。お前はやっぱり生きてたか。しぶといなぁ…」
残念そうに言う。
二年前、多伎がこの旅に加わった時、『滄溟の鳥』の乗組員の中で最年少、十三歳のクソ餓鬼だった。志毘にとっては、今後も俺がそのクソ餓鬼なのだろう。
ツインテールの漕手・奈目の様子が変だった。
何か思い詰めたように、涙ぐんだ眸で俺を見詰めていた。
「多伎…、多伎…。…生きてたんだ……」
「…たりめーだろ?」
俺は戸惑った。
ほろっと泣き出しそうになった奈目が、赤い鼻でズズッと啜った。
俺は顔面から手足まで擦り傷だらけで、肩と脇腹に咬み傷がある。
その傷を奈目がジッと見詰め、俺を抱き締めたい衝動を抑え込んだ。
奈目は照れ隠しに、急に俺を指差して大笑いした。
「多伎! 何だよ、その大きな歯型は。何カ所も噛まれて。お前、何と戦ったんだ?」
「あァ⁉」
俺はイラッとした。
奈目が爆笑して、笑いすぎたみたいに涙を零した。
「多伎。次はこれに隠れたらいいよ!」
珍しく、奈目が俺に何かくれた。
土器のタコ壺だった。
「俺はタコじゃねーって言ってんだろうが!」
本気で苛々した。
「奈目。ちょっと顔が可愛いからって…調子に乗り過ぎだぞ!」
奈目が婚約者だと知らない俺は、乙女心にも気付かない……。
俺達は真具呂達が持ってきた食糧を貪った。とにかく体力が回復してから、手分けして重い荷を運ぶ。
高台から奴津に続く街道を見下ろす。遠くに海が見晴らせ、俺達の背後は深い森が続く。
河が何本かうねっている。奴津の方は建物がびっしりと、狭い扇状地を埋めている。
ここは国境。奴國、伊都國、火國へ繋がる道の分岐点。
大樹が葉を落とし、赤茶色の絨毯のように落葉が斜面を覆う。
その柔らかな湿った土を、奈目と志毘がシャベルみたいな鋤で掘り返す。
剣が仕入れさせた荷物とは。
三野が戦闘中に口走った、
「俺達、今回はアレを持ってきてねーんだから!」
のアレ。
それは何百年も前から伝統的に引き継がれてきた、筑紫の古いマツリの祭祀具。
二つの刳り貫きの木櫃を開ける。
武器形青銅器、金色の光沢が美しい矛が十本入っていた。
矛は槍に似た武器。今回は儀礼用の広矛で、持ち運びの為、矛に柄が付いていない。
この青銅器は奴國ブランド。暫く前に奴國でも生産が終了して、どこも在庫が無い。
それを真具呂が、ありったけの矛を買い集めてきた。
「剣。こんなの、何に使う?」
俺は不思議に思った。
矛先は刀剣と同じくらいの長さがある。凄く重い。
「今から『八千矛の祓』を行う」
剣が木櫃を閉じた。
『カラス』の四人は沢の水で身を浄め、清潔な白い着物に着替えた。
生成りのシンプルな着物、これは祝の神事の装束。
その昔、銅鐸は農耕のマツリで使われ、武器型青銅器は疫病や災厄を祓うマツリで使われた。
八雲では銅鐸を鳴らすマツリは完全に途絶えた。
剣はこの古い青銅器のマツリを、奴國の依頼に応じて再現しようとしている。
まず、峠道や国境の分岐する道で、退魔師は塞の神を召喚する。道祖神とも呼ばれる。
つまり、大きな石を立てて災厄の侵入を遮る。
それはイザナギの尊の黄泉脱出の物語と同じく、最後に巨岩で黄泉路を塞ぐ方法。
俺達は立石の前に土器をきれいに並べた。祭壇に並べるように器台に壺を載せ、酒坏、高坏を置き、真具呂達が用意した酒と餅などを供えた。
剣は塞の神を讃える壽詞を奏した。
剣の歌うような壽詞が朗々と流れる。
それから武神・八千矛の神を召喚し、敵の方向に矛先を向けて埋めた。
俺達は柏手を打った。邪気を祓い、神さまに感謝した。
あとは武神・八千矛の神が、鬼御子がよみがえらせる死者と災厄を切り刻んでくれる。
「これでいい…。もう、この地に屍の鬼は来ない」
剣は微笑み、…急に後ろ向きに倒れた。
「剣! 大丈夫か⁉」
俺が腕で受け止めた。
やはり、剣は相当な無理をしていた。昨日のあの出血量だ。
精魂尽きて、俺の腕に凭れて眠り込んだ。静かな寝息だった。
「…剣。俺達、やっと帰るんだよ…」
仕事が全部済んで、安心したら泣けてきた。
久斯が俺の肩を叩き、頷いた。三野も目が赤かった。
弥に帰る。そして、剣の長兄が居る多可國へ行く。
「多伎、何かあったのかよ⁉」
志毘が不思議そうだった。
俺達は修羅場を脱したばかりで、感情がまだ高ぶっていたかも知れない。
真具呂と志毘がヒソヒソと話した。
「チッ。まるで多伎じゃねーな。鬼を狩ることしか頭にない多伎はどこへ行ったんだろうな…」
「オヤジよ。多伎は頭を打っておかしくなったらしいぜ。最近、何かと頼りねぇよな。あいつは若いけど、弥の西海の身なんだろ?」
志毘がストレートに呟いた。
真具呂も志毘も俺の活躍を知らないから。
いきなり、真具呂が肩を揺らして歩いてきたかと思うと、俺の白装束の胸ぐらを掴んだ。
「多伎! そんなんじゃ誰も守れねぇ。西海を剣さまか、若さまに明け渡せ!」
真具呂はわざと乱暴に俺を突き飛ばした。
真具呂の三白眼が俺を睨み付けた。
クソ。多伎がどんな奴だったかなんて、もう俺には関係ないんだ。
「西海は俺が守る。真具呂は心配しなくていい」
俺は真具呂に言い返した。
そうだ。多伎が戻るまで、俺が守る。
「急いで奴津へ引き返すぞ、真具呂」
真具呂と志毘の間をわざと通り、俺が剣を背負って峠道を降った。
剣の右手は墨汁が付着したみたいに、マダラに黒く染まっていた。爪も三本黒かった。
邪霊の黒い血が滲み込んでしまった。
剣は優しい表情で、俺の頭をポンポンと叩いた。
「多伎…。船で吐くんじゃないぞ。帰りは潮に乗って、速いからな…」
「剣。都支兄さんのとこへ早く行こう!」
俺と剣の横を淡由岐が跳ね回った。
淡由岐の後ろ足の怪我も軽かった。よかった。
奴津で『滄溟の鳥』の乗組員が待っている。奥津や蓼、護衛も漕手も…、俺は全員の顔を思い浮かべた。
戦いは終わったが、一つだけ気になることがあった。
「…なぁ、剣。あのバケモノを倒したからさ。もしかして、鬼御子は結構なダメージを負ったんじゃねーか?」
呪術戦に敗れた鬼御子が建物の中で倒れるところを想像した。
それは現実に起きていた。
何故そう思ったかと言うと、俺の怪我が余りにも軽すぎるからだ。
「そうだろうな。鬼御子はお前の呪詛返しによって謎の外傷を負い、出血して倒れたはずだ…。今頃、瀕死の重体か…。鬼御子が死ねば、それはそれで倭の國の勢力バランスが変わる可能性もある。そして、もし、鬼御子が死ななかった場合……」
剣が顎に手を置き、考え込んだ。
久斯は黙っている。
杖をついて歩いていた三野が、剣より先に結論を言う。
「多伎が疫病神ってことだ。鬼御子は必ず復讐してくる。あの女、執念深いぞ!」
「…最悪だな」
鬼御子のことを考えたら、何だか憂欝になった。




