第3章 ウェルド ・ 第7話 呪詛祓、知られたくない顔 ③
「クソッ…。なんで…」
俺は力んで、久斯の胸元に食い込んだ大刀『沸』を引こうとした。
だが、抜けなかった。
久斯は鬼になった姉を救う為に姉の心臓を突いたはずだ。何故か、自分が護衛として従う主人・三野に致命傷を与えてしまった。いつも冷静な久斯も青褪めた。
三野は剣を守ろうとしたところで敵が入れ替わり、いつの間にか剣本人を突いてしまった。三野の頭が混乱した。
剣は鬼を斬ったつもりが大事な弟分の多伎を傷付け、さすがに愕然とした。
俺は剣に本物の多伎じゃないと気付かれる幻覚に陥った。俺の恐怖、弱点がそこで曝け出された。俺は剣を救おうとボス鬼を突いたはずなのに、いつの間にか、親友の久斯を刺していた。
俺達は相討ちの状態で最初に血がちょっと飛んで、後は血も噴き上がらなかった。
刀剣を抜いた瞬間に血がドッと噴き出しそうな感じで、動くことが出来ない。
「あそこだ! 見ろ…!」
俺が上空を指した。
暗雲が渦巻く中心に黒い穴があった。鬼御子が呪術で俺達の様子を覗いていた。
こちら側からその老女の顔は視えなかった。
倭の女王・鬼御子は鬼術の鏡を使い、遠隔地から鬼をけしかけたり、幻覚を見せたりした。
この地から遥か遠い場所。西のヤマトの御屋、神御衣を織る為の神聖な建物に一人閉じ籠っていた。
機織りの正面に、大型の方格規矩鏡が吊るされていた。
この鏡の背面の模様は宇宙を表している。
鬼御子は薄くなった白髪を結い上げ、ガラス勾玉が三個並ぶ首飾りと、瑪瑙製の腕飾りを付け、中国の魏から贈られた刺繍入りの絹の極上の着物を着ていた。
若い頃は妖艶な美人だったが、老いて皺だらけになり、前歯も抜けた。
美貌が損なわれてからは余り人前に出なくなった。
弟に言葉を託して、倭の國の政治に関わり続けた。
最近では知る人も少ないと言う鬼御子の素顔。
深い皺が波打ち、シミだらけで、落ち窪んだ目は弛んだ皮膚に埋もれそうで、その黒眼は蒼っぽく色褪せた。色褪せた眼が、執念で燃えるガス炎のようだった。
鼻は魔女のように長く、歯が抜けた為に頬と口元が皺寄って窄んだ。眉も薄くなり、表情は判然とせず、最早妖怪じみてきた。
何年か前、鬼御子は鬼道で若返りを果たした。
美容整形もサプリメントも無い世界だが、若く美しい奴婢を集め、その生血で若返った。
本当にただの皺くちゃの老婆から、小綺麗な熟女くらいまで若返った。
しかし、それも満足のいく結果じゃなかった。
その外見を保ち続け、もっと若返る為に、少年少女の生血を継続的に必要とした。
鬼御子はもう自分の顔を人に見られることも、自分で見ることも嫌になった。鏡に映る自分を拒絶したいくらい。
だから、魔鏡に映して視るのは自分自身ではなく、専ら呪いの相手。
俺は暗雲の渦を睨んだ。
鬼御子まで声が届くかどうか知らない。
けど、この最強の敵に語りかけた。
「鬼御子。恐ろしい悪夢を見せてくれたな。俺もお前に見せたいものがある…。…弥栄流退魔道、呪詛祓…!」
俺は左手で着物の合わせを開いた。
俺の胸に緒で吊られた倭製小型鏡。手のひらサイズの小さな鏡、径8センチ。鏡の裏面は擦り減って、柄も文様もわかりはしない。
魔の視線から隠す為、鏡に丹を塗っていた。その丹が汗で半分流れていた。
この小型鏡に剣の長剣がビシッと突き刺さっていた。
「しっかり拝め、独裁者! 死者を弄んでんじゃねぇ‼」
俺が左掌で丹を拭き取った。
祝の辰姥にもらった倭製小型鏡だった。
このタイミングで、剣の長剣が中心を砕いた小型鏡が三つに割れた。
俺の呪詛祓が発動する。
俺が受けるはずだったダメージが反射され、鬼御子が食らう。
鬼御子は光の反射を受け、暗雲の彼方で眩しそうに目を閉じた。
「呪術戦だぞ。俺達が何も備えていないとでも思ったか?」
剣も左手で着物の前を引っ張った。久斯も懐をはだけた。
「そりゃ、侮りすぎだろ?」
三野も丸首の襟元を開いた。
剣と三野は青銅製破砕鏡で作ったペンダントをしていて、これが相手の剣先を受けた。
久斯は碧玉の首飾りの緒が切れて玉が飛び散ったが、怪我はなかった。
其々がカッと光を放ち、仕掛けられた呪いを撥ね返した。
その瞬間、妖怪じみた鬼御子の顔が、俺の割れた小型鏡に映し出された。
「グアアアアッ…! 視るなァー!」
鬼御子の呻き声がはっきりと俺達の耳まで届いた。
俺達は鬼御子の顔を視た。
鬼御子が人に知られたくないその顔を。
白い煙が噴き出し、若返ったはずの鬼御子の顔面が弛んだ。再び皺くちゃの老婆へ変わっていく。
俺の小型鏡に映る鬼御子が大きくのけ反り、血を吐いた。胸中央を押さえ、強烈な心臓の痛みから逃れようとした。
同時に俺達は自由になり、刀剣を握り締めていた右手が軽くなった。
淡由岐が俺達の無事を喜んで、周囲を駆け回った。
「死者を解放しろ! 死者は俺達が鎮魂する。あの世に行かせてやるんだ!」
鬼御子は醜い顔と心を両手で隠し、嗄れ声を絞り出した。
「鬼のことなど、どうでもいい。どこの馬の骨やら知らないが…、お前達に大きな禍をくれてやる。のたうち回って苦しむがいい…。大方、奴國の嶋子の依頼を受けた退魔師どもであろう。嶋子共々…、身の程を…思い知らせてやるぞ……!」
鬼御子が言い終わり、鏡の秘法を切った。
暗雲の渦が消え、鬼御子の声も聞こえなくなった。
俺達は鬼御子を本気で怒らせてしまった。
霧がやや薄くなった。時刻は既に日暮れ時だった。
気が付けば、俺達は廃村の最奥の山麓へ追い込まれていた。
そこへ、山上の墓域の方向から桁外れの霊気が流れ降りてきた。山がメキメキと音を立てた。
地震か⁉
…違う!
大木が倒れ、他の木を押し倒した。岩石が崖の上から転がり落ちてきた。
「何か来るぞ…」
山を揺さぶり、森を破壊しながら怒涛の土石流のように現れた巨大な怪物。
鬼火で輪郭が青白く光っているけど、鬼じゃない。
大半の肉が腐って落ち、胴体に白骨が覗き、骨の部分は大型恐竜の標本のよう。人間としての原形も記憶も失くし、デタラメに骨格が再構築されていた。
複数の人面がランダムに付いているが、本来ある位置でもない。
それは邪霊の最終段階。
無数の怨念と怨念が引き寄せ合った結果の集合体と言えばいいのか。
黒い瘴気が怪物の周囲で渦巻く。
「何だよ、あれは⁉」
その瘴気が禍々しすぎる。
俺達は見た瞬間に頭痛に襲われた。
地響きを起こしながら、太い四肢が樹木を踏み潰して俺達に迫る。
山のような巨体の上部に、椰子の木のように長い首が八本生えてユッサユッサと揺れ、それらの頭部にタテガミと二本ずつ角があった。
「ギャアオオオァアー……ギャアオオオアーッ‼」
肉食恐竜のような雄叫びの八重奏を轟かせた。
全長30メートル、高さ20メートルくらい。太い尾が生え、不気味と言うよりグロテスク。部分的にブクブク膨らんだり、縮んだり変形したり、絶えず変化し続ける黄泉のバケモノ。
怨念の総量が限界を超え、邪龍変化を起こしていた。
俺達は理解出来なくて唖然とした。あんなの、どうやって倒す⁉
もし、この邪龍と遭遇したのがゲームだったら、俺は大喜びする。
俺は元の世界でゲームが大好きだった。頻繁に徹夜でゲームをやっていた。
もし、この戦いで負傷したら、この世界には病院がない、回復魔法もない。痛みは激痛。ゲームとは違う。
これがゲームなら、「続きはまた明日」と笑って言えるのに。
邪龍の雄叫びに淡由岐が怯え、俺の後ろに隠れた。
邪龍の八本の首が別々の生き物みたいに意思を持ってうねった。人間からかけ離れ、鼻が迫り出して口が耳まで裂けている。
霊圧がビリビリきた。
既に俺達は鬼との戦闘で霊力と体力の両方を激しく消耗した。足はふらつき、木の根に躓くほど弱った。
それだけじゃない、全身に浴びた鬼の黒い血が悪臭を放ち、ベトベトした。
「この血は浴びない方がいいんだよな…」
「そうだ。早く洗い流さないと、膿んで壊死が起きる」
剣は脇腹を斬られ、腕にも傷を負っている。
俺より鬼の血の穢れが深刻な状態。
俺達は精神的にも追い込まれていった。
「多伎、知ってるだろ。退魔師の宿命を……。皮膚がマダラに黒く染まって、邪悪な怨念が体内に溜まっていき、狂い死ぬ…」
剣はそれも本望だと言いそうな勢いで、長剣を掲げ、邪龍に突進しようとする。
「剣、待てよ!」
俺は雲の身に剣のことを頼まれた。剣は強いが、命知らず過ぎる。
久斯も戦闘で矢が尽きている。
「剣! ここは一旦引いた方がいい…!」
久斯が剣にタックルし、引き止めた。
三野も疲労で戦意を失いかけていた。
「…剣、退却しようぜ! 俺達、今回はアレを持ってきてねーんだから!」
アレとは、何?
三野も剣も久斯も、ここまでランクの邪龍と遭遇したのは初めてだった。
瘴気による頭痛で思考力が低下した。
剣は唇を噛み、前方を睨んでいる。
黒い瘴気の旋風が落ち葉を巻き上げ、俺達の着物もパタパタと音を立てて揺れた。




