第3章 ウェルド ・ 第7話 呪詛祓、知られたくない顔 ②
三野は俺と一緒だった。彼は手傷を負い、血を流していた。
「大丈夫か、三野」
「多伎に心配されたくねーな」
三野は反発し、荒い呼吸をしていた。
焼け跡の集落の土器片を蹴飛ばし、その反動でよろけて床に片膝を着いた。
三野が長い吐息をついた。
「……畜生。多伎。俺は…二年前に言われたことを忘れてねーからな」
頭に来ることを思い出したらしい。
かつて、三野と多伎の間に何か衝突があった。
俺は知らないから、
「執念深いったらねぇな。こっちは覚えてねーよ」
と言ったら、三野は本気で怒り出した。
「覚えてない⁉ あの事を覚えてないって言うのか。こいつ、どんだけ記憶喪失の振りを続ける気なんだよ。いいか、多伎!」
怒鳴りながら立ち上がろうとして、傷が開いた。ピュッと血が飛んだ。
痛みに三野が顔をしかめ、その場にしゃがんだ。
彼は遠い眼差しになって、過去を振り返った。
「…お前が言ったんだぞ、多伎。次の世代の八雲は、剣と弥の御身と…雲と鷹で仕切る。三野は不要だって……。ムカつく…!」
うーん、知らないからな。
俺はしらばっくれた。
「そうだっけ?」
「言ったよ‼」
三野は途中で怒りが冷め、
「…でも、その通りだ」
急に素直になって、多伎の発言を認めた。
三野の脳裏に甦る多伎の二年前の姿は、今より背が低く、躰の線が細く、目つきばかり悪くて生意気なクソ餓鬼だった。
三野は自嘲した。
「多伎の言う通りだ。俺は八雲の大御身の器じゃない。俺と多伎は…八雲を支えて、剣や弥の御身や…兄さん達を守る…『盾』でなきゃならない…」
三野は決意を固めていた。
「多伎。俺達は『盾』だ…。お前がそう言ったんだ…。多伎は…いつでも剣の為に死ねると言った…。俺だって…、オヤジ殿や兄さん達の為なら、いつだって死ねる…」
気力で立ち上がり、血を点々と落として歩いた。
三野が俺を数歩先から振り返った。
「多伎…。例え俺達がここに散っても…剣を八雲に生きて返すぞ…。いいな…」
本気の眸で俺を睨み付けた。
剣は思った。
(もうダメだ。ここで死んでしまいそうだ…)
それほどのダメージを食らった。
元退魔師の鬼が思いの他強く、さすがの『粛殺』の剣も無傷ではなかった。
剣は脇腹を押さえた指の間から流れていく血を見詰めた。
自分のことより、故郷から遠く離れた地で病の床にある兄を思った。
死にゆく兄をその妃達と子供達が取り囲み、号泣している場面を想像した。
その場には妹の宇加と佐香も居て、ひたすら泣きじゃくっているだろう。剣と長兄を失い、妹達も心細くて仕方ないだろう。
剣の到着を待っていた雲の身が口惜しく顔を伏せる仕草が思い浮かんだ。
弥の行く末も先細りしていくことが想像出来た。後は叔父達に任せるしかないが…、強力なリーダーシップは不在だ。
出来ることなら、死にゆく兄を一言、元気付けたかった。
「後の事は任せろ」
そう言って安心させてやりたかった。
「剣兄さまの馬鹿! 馬鹿!」
宇加と佐香が泣き、自分を罵っている姿を想像した。
それらはまだ起きてもいないことなのに、とても生々しかった。
「多伎。…お前に頼むしかない。ごめんな」
剣は本当の弟に謝るように多伎のことを思った。
宇加と佐香のことを頼む。弥のことを頼む。
自分の代わりに八雲の大御身を支えてくれ。始祖以来の八雲の國を守ってくれ…!
「多伎。…お前を一人にしてしまう。ごめんな…」
剣は声に出して、その場に居ない多伎に謝った。
長剣を握り直し、敵の気配に立ち向かっていった。
俺は剣と一緒に居た。
三野と久斯とは途中ではぐれてしまった。
俺は霧の中を走って追いかけて、あの剣の飄々と歩く後ろ姿を見つけた。
「剣! やっぱり、これ以上は無理だろ⁉」
剣は脇腹から血を垂れ流して、青白い顔で振り向いた。
「大したことないさ。怪我なんて慣れてる」
強がっていたが、俺は心配だった。
「結構強敵だったな。元退魔師の鬼、やばかったな…」
俺は額の汗を拭った。
汗が引くと、急速に躰が冷えていった。この霊的な濃霧が俺達から体温と体力を奪っていく。
剣は不機嫌になった。
「あ⁉ あの程度の敵でやばいだと? 多伎、本当に腑抜けになってしまったな。戦い方もちょっと変わった…。最近のお前、ちっともお前らしくないんだが…どうして?」
剣は俺に疑惑を向けた。
「…何だよ、剣。…俺も思春期なんだよ。色々悩みもあったりしたんだよ。俺の戦い方、進歩してるだろ? な?」
俺は翼を使ってこの霧から離脱することを提案した。
前に久斯を抱えて飛んだ経験から、一人ずつなら運ぶ自信があった。
剣の返事は『ノー』だった。
「多伎。よく考えろ。俺達はここに何をしに来た? 今のとこ、雑魚を片付けただけだ。まだ魁帥(ボス鬼)が残っている。だから、霧が晴れない。最後の鬼まで残らず退治しなきゃ、兄さんのことを後回しにして駆け付けた意味がない」
確かにそうなんだ。
でも、そのボス鬼は当然、さっきの元退魔師の鬼より強いだろう。
剣はもう怪我してるし。歩くのも辛そうだ。
ここで無理をさせたら本当に死んでしまう。
「剣。死んだらもっと意味がねーよ。ここは一旦、出直すってのはどうかな?」
俺も譲らなかった。
「お前…、誰だ?」
剣は真正面から俺の眸を見た。
「…やっぱり、お前は別人だ。俺の一番恐れていたこと…。多伎が何者かに憑りつかれ、肉体を乗っ取られた……」
俺はゴクッと唾を飲んだ。
やばい。気付かれた。こんな時に。
多伎は実戦で鬼神のように強い。戦う時、黒く禍々しい瘴気を噴き出す。
その動きは野生の黒豹のようにしなやか。
動きが美しいのは強いから。多伎の軽い一撃で、相手は軽く吹っ飛ぶ。パワーじゃなくて、動きの芯が入っている。
久斯と剣はオールラウンドに技術・速度・パワーを合わせ持ち、三野はスピード特化型だ。
先刻の鬼との交戦で、多伎の戦い方に俺の技が混じった。
俺は子供の時から弥栄流退魔道で剣術を基礎から習った。
俺の技が加算された結果、十五歳の多伎は技術的なグレードが上がった。
でも、俺は時々ためらう。そこが多伎と違う。
剣は遂に見抜いてしまった。俺が本物の多伎じゃないと。
「多伎の皮を被った卑劣な死霊…」
剣が俺を呼んだ。
「待ってくれ、違うんだ。剣、それは誤解だ…」
仲間割れしている場合じゃない。いつ、ボス鬼が襲って来るかも知れないのに。
だが、剣は俺に詰め寄った。
剣の中に悲壮な絶望感が込み上げた。
「…内から多伎の魂を食ったのか? 死霊め。多伎になりすまして、何のつもりだ? 多伎を本当の弟のように思ってきたこの俺を、騙せると思うのか?」
剣は多伎を殺されたと思って、涙を滲ませた。
俺はその涙を見て、胸が締め付けられる思いがした。
「…悪かったよ。ちゃんと話さなくて…。信じてもらえないと思ってた。事情を全部話して、剣や八野凝や辰姥を悲しませたくなかったんだ…」
俺は慌てて話し始めた。
「剣。俺は確かに多伎じゃないけど、悪霊とか死霊とかじゃない。ちゃんと生きてる人間で、多伎と中身が入れ替わっただけなんだ。多伎の魂は別の世界に居る…。俺の本当の躰の中に……」
勿論、剣は信じなかった。
「下手な嘘を付くな!」
剣が黒い血が付いた長剣の先を俺に向けた。
でも、ガクッと力が抜けたようで、長剣を下げ、背を丸めて泣き出した。
「多伎を…守ってやれなかった…。どうしてこんなことに……」
剣は自分を一番責めた。涙が溢れ出て、鼻を真っ赤にして泣いた。
そうだ、俺が悪い。
俺は多伎じゃないのに、多伎の振りを続けた。俺の身勝手さが剣を傷付けた。
俺の行動は誰に対しても誠意がなかった。嘘ばっかりだ。
この世界に来て、一人でどうにも出来ないから、自分の都合で多伎の振りをしていたと思う。俺は自己嫌悪した。ちゃんと打ち明けるべきだったんだ。
俺はどうしたらいい? 俺も泣きたい気分だった。
ここまで兄貴として多伎を思っている剣に対して、俺は誠実であるべきだ。
「剣、ごめん…。多伎の振りをして…。頭を打ったから記憶が曖昧とか、俺は確かに嘘を付いた…。俺は多伎と何かの呪いで入れ替わってしまった。…多伎のしたことだ。俺だって元の躰に戻りたいけど、その方法がわからない…。多伎とは連絡が取れない……」
俺は正直に白状した。
怒り狂った剣が、猛烈な勢いで俺を一発殴った。
俺は後ろに吹っ飛んだ。
剣が鬼神のような形相で、
「多伎の口で騙るな、死霊め!」
と、叫んだ。
俺は頬を押さえ、地面に座り込んでいた。唇が切れて血が出た。頬が腫れてきた。
剣があのシャープな眼差しで、いつもより目尻を吊り上げて、俺を罵った。
「お前の嘘をこれ以上聞きたくない。反吐が出る!」
その時、俺は剣の背後に恐ろしいボス鬼の姿を見た。
「剣! 危ない‼」
俺の躰が咄嗟に動いて、鬼を撃った。
淡由岐が激しく吠えた。
その声に気付いた時、俺達は互いに仲間を刺していたんだ。
「⁉」「⁉」「⁉」「⁉」
ねっとりと濃い霧が俺達の周囲から引いた。
俺達は四人向き合って相討ちになった。
俺は久斯を刺し、久斯は三野を刺し、三野は剣を刺し、剣は俺を刺し、表情が驚きで固まった。
血飛沫が四カ所から上がった。




