第3章 ウェルド ・ 第6話 鬼道、死者をよみがえらせ操る ③
今回の目的地は、鬼御子の鬼術でよみがえった屍の鬼の巣窟だ。
巣窟…。聞いただけでゾッとする。
「大体の場所は聞いたんだが。確認出来たらすぐ、昼のうちに焼いて浄めたい」
剣もこの仕事が困難だとわかっている。
奴國の退魔師はこの浄化に失敗して、案内を務める者も残っていない。
焼き浄めると言ったって、火炎放射器があるわけじゃなし、ガソリンとかライターも無い。
途中、街道沿いの寂れた集落を通った。
鬼の集団が出る為に、近隣の集落から殆どの人が逃げ出してしまった。
耕す人が亡くなった農地が荒れ、集落が荒廃していた。
道端に見捨てられたような老人が、孫の遺した赤ん坊をあやしながら、
「あんた達、どこに行く? まさか、退魔師じゃないだろうな。鬼を狩るなんてとんでもない。生きちゃ帰れんよ…」
俺達を止めた。
先刻、剣が小型の壺に入った丹を水で溶いて、俺達全員の顔に魔除けの赤い印を付けた。
それは葬儀や神事に用いる丹。粉にして墓壙に撒く他、祭祀土器の表に塗って焼くなど頻繁に使う。
丹には有毒の辰砂(水銀朱)と、毒のない弁柄(酸化鉄)の二種類がある。
昔、丹を溶いて顔に塗ったことは、古墳の人物埴輪でも知られている。
剣は野球選手が光の反射を避ける為に目の下に貼る黒いシールみたいな形で、俺達の頬に丹を塗った。
老人は俺達の決死の化粧を見て、退魔師だと知ったのだ。
「まだ若いのに、気の毒じゃ…」
老人は俺達が死ぬと決めつけ、もう涙ぐんだ。
正午頃、とある廃村に辿り着いた。ここが鬼の巣窟らしい。
結構人口の多い、都市国家的な大規模集落だったと思われる。
先を尖らせた丸太の高い塀がぐるりと、環濠集落を囲んでいたようだ。
今はその塀が倒れ、破壊された櫓の残骸があった。櫓も塀も燃やされた痕跡があった。
ここはその昔、ヤマトとの戦に敗れたクニの一つ。
泥土に埋まった環濠を踏み越え、廃村に入った辺りから急に霧が濃くなった。
俺は鳥肌を立ててブルッと震えた。冷気と言うより、霊気が立ち込めていた。
俺達は白く霞む世界へ分け入った。
「離れるな。お互いを見失うな…」
剣が注意し、俺も淡由岐が勝手に行かないよう気を配った。
「グァルルルル…」
時々、淡由岐が前方に向けて唸り声を発した。
鬼か?
違った。
最初に出没したのは狸だった。ねぐらにしていた廃墟から走り去った。
最近、淡由岐が邪霊を探知したら、ご褒美に鳥肉の干物をあげることにした。淡由岐は少しずつ退魔犬らしくなってきた。
俺達は雑草が生い茂って石積みが崩れた道を進む。
人が通っている形跡が全くなかった。
住居跡も雑草が高く茂っていた。栗の木や果樹が立ち枯れていた。
この無人の集落跡で、ある竪穴住居は焼け落ちて炭になったままだ。またある竪穴住居は時間の経過によって崩壊し、茅葺き屋根に雨漏りする大穴が開いていた。
異様に静かだ。
井戸が壊れ、溝に大量の土器が廃棄され、農具が壊れて散らばっている。
俺は想像した。おそらく農民達は何もかも捨てて、慌てて逃げた。
侵略した兵士達がそれを追いかけ、後ろから矢を射て農民達を殺した。
人々はバタバタと倒れた。
この世界には農民と兵士の区別が無い。戦が起きたら男は全員兵士。
その為、降伏しない限り皆殺しにされる。
生き残っても奴婢にされてしまう。
激しい戦闘があったことが伺えた。折れた柱、矢傷が付いた盾、木甲の欠片があった。
人の死んだ痕跡が至るところにあった。建物の表に矢が突き立ち、その矢がとうに朽ちていた。
しかし、野晒しにされたはずの遺骸が全く見当たらない。掃いて片付けたみたいに。
それが異様な感じもする。
ここでは大半が死んでしまって、生き残った者は逃げたと言う。
だから、本来は弔われなかった人々の白骨が今も遺っているはずだった。
俺達は竪穴住居の内部を一つ一つ確認した。
昼間は土中で眠ると言われる鬼を探す。焼け跡に倒れ込んだ柱を持ち上げてみる。
屍の鬼特有の腐敗臭がした。
表面が黒く焼け焦げた穀物倉庫の内部に米一粒も鼠一匹も無く、ただ蜘蛛の巣が張って、砂埃が吹き込んでいた。
「居たか…?」
剣は鬼が掘り返したようなデコボコが地面にないか、丁寧に見て回った。
彼は集落に落ちていた鋤で、土の凹みを鋭く抉ってみた。
突然、ボコボコと土が沸き立った。
「ぐおおっ‼」
屍の鬼が両手を突き出し、土中から飛び出した。
そいつは既に人間の原形を忘れていた。口が耳まで裂け、紫色の腐肉がマダラな、巨大ヒキガエルみたいな鬼に変わり果てていた。
剣は刹那に抜刀し、屍の鬼を袈裟斬りにぶった斬った。
「ぶ…ぎゃあっ‼」
鬼の精気が一気に抜け出て、銀色の光の筋が飛び散った。
『粛殺』の剣の一閃。シュワッと音を立てて白煙が巻き上がった。
一瞬で鬼が萎びて、冬枯れの野のように枯れていった。
異臭が周辺に漂った。
次の瞬間、俺の背後の地面が割れ、鬼が飛び出してきた。
例えようがないほど異質な獣に変じた、黒い腐肉の鬼。
…黒いと思ったのは虫だった。気味悪い虫がたかっていた。
蠢く虫がボトボトと鬼から落ちた。
「ビヘエエエエエエエ‼」
鬼が奇声を上げ、俺に向かって鉄鎌を振り上げた。
俺は抜刀から一直線に逆袈裟で斬り上げた。
手の内で刀を持ち替え、斜め一直線で斬り下ろす。逆袈裟からの袈裟斬り。
俺の大刀『沸』に焼かれ、鬼の全身が瞬く間に沸騰する。
ドロドロに溶けていって骨が空中に散った。
剣が舌打ちした。
「チッ。…巣窟とか言う割に、鬼の数が少ねぇな…」
そうかも知れない。
「…集落の奥に誘い込むつもりかな。そろそろ、火を放つか…」
剣は風上に立ち、一軒の住居の茅葺き屋根に火を放とうとした。
その時だ。俺は背後の空に穴が開くような、不気味な気配を感じて振り返った。
まるで見えない穴から誰かが覗いているような、強烈な視線を感じた。
久斯も同じように感じ、空を仰いだ。
「…鬼御子が呪いの鏡を使って…、俺達を覗き見ているような気がする…」
俺は寒気を感じ、動物的な本能でブルッと震えた。
淡由岐が怯え、俺の足元に擦り寄ってきた。
三野が霧の中に浮かぶ集落の焼け跡を指差した。
「おい。あの建物の前、さっきも通っただろ。俺達、たぶん、堂々巡りしてる。一度、この霧の中から出た方がいい!」
三野が、霧が晴れる『風』のマジナイを唱えた。
一陣の風が吹き、俺達の周囲の霧が薄くなった。
普段ならこのマジナイで周辺一帯が晴れるはずなのに、僅か一分ほどで効果がなくなった。
俺達はまた霧に閉ざされた。
「本当だ…。さっき通ったところだな…」
剣が手を顎に置き、考え込んだ。
このまま火を放つと、俺達は延焼に巻き込まれて死んでしまう。
霊的な霧が邪魔して方向感覚が鈍る。俺達は退路を見失った。
俺達を囲む建物の影で、地面がボコボコと音を立て始めた。
無数の鬼が這い出て来ようとしている…。
ボコッ。ボコボコッ…。
土中から鬼の手が伸びて、何かを掴もうとするようにもがく。肉が落ちた、ほぼ骨だけの状態の手。
ガバッと頭蓋骨が土を撒き散らし、地上に這い出た。
かなり白骨化が進んで脆くなった骨で、軟骨も無い。頭蓋骨から下顎がカパッと外れた…。
また別の場所からも屍の鬼が躍り出た。いきなり俺の足首を掴んだ!
「うわぁぁぁ…!」
この鬼は人の精気を喰らって間がないのか、皮膚が艶々していた。
鼻に皺寄せ、歯茎を剥いて威嚇する。異常に長い犬歯を露出してギュルギュルと唸った。
この鬼達こそ、この廃村の元住人だった。
人々は恐怖と絶望の中で死に、鎮魂の儀を受けられなかった為に鬼化した。
この付近の街道を行く人も鬼に襲われて死に、また新たな鬼となった。
そして数十年経った今でも鬼御子の呪いのせいで、この鬼達は常世へ行くことが出来ない。
「うっ…!」
俺は大刀の切先を心臓に向けて刺し込んだ。
ジャッ。鬼の躰が沸騰して泡を噴き上げて溶けていく。
鬼御子の鬼術は、よみがえらせた死者を自在に操るということらしい。
俺は鬼なんか怖くない。俺の方が絶対強い。
俺が本当に怖いのは、人間のエゴや身勝手さ、残酷さの方だ。
剣が周辺の鬼達を軽く片付けた。
「鬼御子は恐ろしい…。生けるタタリ神だ。八雲の民をこんな目に遭わすわけにいかない。あの鬼術師が存在する限り、この世の恐怖が終わらない…」
「キヒヒヒ…」
俺の前に立ち塞がる鬼が嗤った。
濃い霧が俺達を包んでいた。淡由岐の吠え声が響く以外は霧に遮られ、何もかもがぼやけた。おまけに夕方みたいに薄暗くなっていく。
無数の鬼の気配を近くに感じた。
屍村で俺達を取り囲む気配。
俺達が最初の鬼を狩り、次々と滅ぼしても、鬼の集団はじりじりと包囲を狭めてきた。
「ほら、多伎。どんどん集まって来るぞ…」
鬼を狩ることが生甲斐の多伎を、三野が煽った。
俺の覚悟は出来ていた。
「鬼を操る鬼術師…。許せねぇ…」
俺は歯軋りした。
鬼御子に腹が立ち、自分の血が沸き立つのがわかる。
ガサガサと物音が聞こえる。草木を掻き分け、建物の焼け跡を踏みしめる足音。
久斯が弓に最初の矢を番えた。
「多伎。ここより向うの土地は…西のヤマトが占めたんだよ。始めは通常の戦闘だった。後から鬼御子が戦死者を屍の鬼に変え、野に放った…。火國の者でさえ、鬼御子が恐ろしくて誰も逆らえないと言う…。鬼御子は倭の國の王だ。八雲も奴國も、表立って争えない相手……」
久斯が弓弦を引き絞り、退魔の矢を射った。
霧の中から、土が顔にこびりついた屍の鬼がぞろぞろと現れた。
こいつらは精気を啜り、人肉を喰らい、異形の鬼と変わり果てた。
或いは、生前の面影を残したまま腐りゆく鬼も居た。
矢が喉に突き刺さった男や、破れた着物の女、幼い子供の鬼も混じっていた。
比較的新しい鬼の一部は折れた足でギクシャクと歩き、腐った紫色の顔をして、開放骨折で骨が飛び出し、腸を地面まで引き摺り……、吐き気を催す腐敗臭と共にやって来た。
「何だ、これは…」
俺の想像を軽く超えていた。
憐れな鬼達が雑草を踏み越えて現れ、悲痛な表情で何かを訴えようとする。
「殺さないでぇ…イヤだ……殺さないでぇ…」
女や子供の鬼がぶつぶつ言いながら、棒や斧を振り上げ、鋤や又鍬をゆらゆらと振った。
弱々しい鬼を前にして、俺は一瞬躊躇した。
躊躇なき久斯が射た矢が、まとめて四、五体吹き飛ばした。黒煙が上がり、鬼の骨の芯まで黒焦げになった。
『熄滅』の久斯が矢継ぎ早に射る。
久斯の黒歴史の噂通り、女だろうと子供だろうと容赦ない。
「必ず即滅させる…。どうか、安らかに……」
久斯は泣きながら矢を射た。
「久斯! あの鬼達、意識が残ってるよな⁉」
俺の先へ、剣と三野が飛び出していった。
「多伎。彼等を早く終わらせてやってくれ…。あの一部の鬼達は飢えて腐りながら、まだ人の心を失っていない…」
久斯が手の甲で涙を拭い、俺に伝えた。
淡由岐が低く唸り、鼻に皺を寄せて牙を剥いた。
淡由岐は悪魔みたいな恐ろしい表情になって、鬼に飛びかかった。鬼の延髄に噛みつき、引き倒し、鬼の片目を牙で噛み潰した。
久斯は涙を零して鼻を啜った。
「多伎。奴の身も万策尽きたらしいよ。あの鬼の集団を何とかしないと、この辺りの人々は親を失い、子を失い、土地を失い、生活の全てを失ってしまう。屍の鬼の魂を浄化してあげたいけど…こう数が多くては無理だ…。わかるね、多伎……」
久斯が矢を引いて照準を絞り、鬼をまとめて射殺した。
そいつらは黒い塵になった。
前線から剣が補足した。
「この世界は最高だ。鬼さえ居なければ。俺達はずっと、奴等と殺し合ってきた!」
剣の長剣の刃は、屍の鬼の血でどす黒く染まっていた。
「多伎、殺せ。あれが全部、お前の父親の仇だ!」
剣が長剣の先で屍の鬼を指した。
戦場で散り、弔われることもなく、人を喰う鬼としてよみがえった。
鬼御子の禁断の呪術によって操られ、腐りながら飢えて彷徨う。
俺は呪われた世界を見た。
久斯が矢を連射し、鬼の群れが燃えながら吹き飛んだ。
三野が屍の集団のど真ん中へ飛び込み、修羅場に身を投じた。
鬼から銀色に光る精気が噴水のように吹き出し、黒い血塵が巻き上がった。鬼は氷が砕けるようにバラバラに砕け散った。
剣の長剣が鬼の脳天を割った。
剣は強そうな鬼を選んで戦いを挑んだ。鬼は精気を奪われて枯草みたいに萎びた。
その最強の鬼達には、生前、奴國の退魔師だった男達が含まれていた。剣と元退魔師の鬼との壮絶な闘いが始まる。
元退魔師の鬼が口から火炎を噴いた。
接近戦が難しくなり、剣は何度も防御術『不死蔓』からのカウンターで敵を破った。
剣の長剣が青白く光り、その光が相手に絡みつく。彼の長剣が鬼を切り刻んだ。
俺は体中の血が沸き上がる興奮で何が何だかわからなくなった。
俺の中の多伎が襲いくる鬼をぶった斬って、ぶった斬って、腐った血飛沫を浴びた。
「コロセ! コロセ!」
俺は右に左に鬼を撃ち伏せ、黒い血の旋風を起こした。




