第3章 ウェルド ・ 第5話 二つのヤマト ③
俺達は竜宮城に着いた。
乙姫さまは不在の竜宮城だった。
竜宮城、それは海神を祀る奴國の統治者・嶋子の居館。奴の内海を見下ろすように都市がなだらかな傾斜を持つ。
俺達は八雲の身の一族なのに裏門から入る。
公式の訪問ではなく、極秘の依頼を受けた、黒き『カラス』として。
俺達は奴國の兵士に前後左右を挟まれ、裏庭を通って嶋子の居館に通された。
嶋子の居館は今まで見た御屋と少し違う。伊勢の内宮みたいな独立棟持ち柱の建物で、掘立柱の直径が太かった。切妻の大屋根が高い。
俺達はその同じ区画にある、秘密の打ち合わせをする為の建物に入った。
雅な音楽も美女の舞もない。今宵の歓迎は食事だけ。土器の形状は八雲と大きく違う。
嶋子が遅れて護衛と共に入ってきて、剣・三野の護衛達は回廊に移った。
厚い木製扉が閉められ、部屋の中には俺達と嶋子と、嶋子の護衛二人だけになった。嶋子の護衛が俺達に酒のお酌をした。
灯りの炎が揺らぎ、薄暗い癒しの空間を演出した。
俺は海鮮と美酒を味わいながら、剣と嶋子でヒソヒソと交わされる話を聞いた。
眉間に深い皺を刻み、物憂い雰囲気の嶋子が切り出した。
「剣…。あれから五十年経つ…。倭の國の覇権をめぐり、我が父と鬼御子が最後の最後まで…血で血を洗う争いをした……」
嶋子は六十歳くらい。既に総白髪の老人。低い嗄れ声で話す。
鬼御子は西のヤマトの盟主で、倭の國の王。かなりの老女らしい。
嶋子は病気なのか、頬がこけて痩せ細っていた。薄くなった髪を一つの髷に結い、絹のゆったりした着物をまとう。
そう言えば、魏志倭人伝には美豆良の記述が全く無い。倭人の男はマゲを露わにして、布で頭をくくっていると書いてある。ターバンのことかな。
もし、倭人が左右に髷を作る美豆良の髪型をしていたら、魏志倭人伝に書いてないわけがない。中国から見て、左右の髷は特異なことだから。
人物埴輪に美豆良が見られることから、美豆良が倭人に普及するのは古墳時代後期(6世紀)と言える。
5世紀の人物画土器を見ると、まだ畿内で美豆良は一般的じゃなかったことがわかる。髷は一つだけ。
何百年も同じ髪型をしていたとは思えないが。
弥生時代の、左右に髪を束ねている頭皮・頭髪が確認されたのは筑後の吉野ケ里遺跡だけだ。
嶋子は足が弱っていて、一人だけ椅子に座った。
剣と嶋子は旧知の間柄で親しいのか、互いを名で呼び合った。
剣はなみなみと注がれた酒坏を掲げ、
「嶋子、元気そうで何より」
元気そうに見えないのに、そう祝って一口飲んだ。
「嶋子。長い争いだったと聞く。鬼御子はそろそろ、在位五十年になるんだな」
剣が思い出語りに付き合い、嶋子は溜息をついて遠くを見るようだった。
嶋子は息苦しそうに、ゆっくりと刻むように話した。
「…剣。鬼御子は伊都國伝説の王の末裔…。かつて倭の國が大いに乱れていた頃、クニグニは同盟と決裂を繰り返した…。その結果、伝説の王の血は周辺国の身にも受け継がれ……更には、有力氏族の通婚によって…遠き地にも広まった…。…血縁。まさにそれが、どれだけ文化に違いがあろうとも『倭』という共同意識をもたらし、我等は共に倭人という、アイデンティティーをもたらした……」
振り返れば、筑紫には二人の伝説の王が存在した。
伊都國の三雲南小路遺跡の被葬者と、奴國の須玖岡本遺跡・D号甕棺墓の被葬者だ。
他の先進地域でも、その頃からクニの世襲をするような勢力が台頭した。最初は小さなクニだった。以来、歴代の王墓を築いてきた。
「剣。かの偉大な王二人はほぼ同じ年代を生きた…。奴國と伊都國は近接するから、子孫の血が混じり合う。同盟婚だ…。……後に奴國の身と火國の身の娘が、倭の國の覇権を懸けて壮絶な争いをすることとなった…。戦、陰謀、裏切り、暗殺、呪い、毒……」
嶋子は自嘲するようにクック…と笑った。
同盟、連合、分裂。
血と国の熱き溶結。
嶋子の父は政争に敗れて死んだ。突然、床に倒れ、血を吐いて死んだ…。
嶋子はその時の光景を思い浮かべ、悲壮な面持ちになる。
嶋子が酒坏の酒を啜り、剣が嶋子の酒坏に酒を注いだ。
「…そうだ、嶋子。かくして倭國大乱は終わり、鬼御子は束の間の平和をもたらした」
俺と三野と久斯は無言。
嶋子の語りに鬼気迫るものがあって、俺の食事の手が停まりかける。
この痩せた老人が気を吐き、カッと目を見開いた。
「剣…。鬼御子は独立したクニグニだった山門海沿岸諸国をまとめ…、その連合を急成長させ、祖のクニである奴國・伊都國と対抗…、その領土に侵攻した。火國連合は…二十近いクニから成る、強力な軍事国家であった…。彼等は戦に強く、戦術が巧みで……鬼御子の長期の在位はこの軍事力によって支えられた…。我が奴國は領土を多く失い…焼かれた……」
嶋子がまた笑い出した。笑いが止まらなくなり、少々むせるほどだった。
俺は嶋子の表情が話の内容と違うことが気になった。
嶋子は何故か、屈辱の過去を自ら嘲笑する。
「……くぅ…っ…」
俺は奥歯を噛み合わせ、唸った。
何か、やばい話だった。これほどの大国が侵略を受ける側になるとか、有り得るのか。
この奴國が八雲の友好国、同盟国だって⁉
それで西のヤマトと、八雲の大御身が深く関わる東のヤマトが対立⁉
八雲は大丈夫なのか?
俺は段々と不安になった。
ミコと言えば、古代は『御子』『王』を指す。
シャーマンの意味の巫女は、飛鳥奈良時代は勿論、平安時代の『延喜式』に至ってもその記載がない。
シャーマンのことを古い言葉で『巫』と言う。
巫をカムノコと読む説もあるが、古くはカムナギと読むとトヨばぁに習った。
巫は男女どちらもあり、若い場合が多いが、年取って老女になるまで続くこともある。
魏志倭人伝の語る卑弥呼の時代には、巫女と言う言葉自体が無い。
断言してもいい。ヒミコの名の意味は日の巫女じゃない。
古代は女と言う字を、メと読む。ムスメ、ヲトメ、ヒメ、トメ、大ヒルメ(天照大御神)、ミツハノメ、アメノウズメ、女性を表す時はメ。
ミコは、男性首長の尊称・日子(彦)と同様、首長もしくは首長の子を指す。シャーマンを表す語と言うより、王位を表す語なんだ。
鬼御子のミコもそれだ。
俺は戸惑い、周りを見回した。
淡由岐はさっき、剣の側近の奥津に連れて行かれた。今は扉の外の回廊で吠えている。
三野と久斯は知らん振りで黙々と飲食している。
剣は渋面で酒を飲み干す。
「嶋子。そして、奴國には火守という煩い目付が常駐し、伊都國は王の一族そのものが途絶えた。事実上、鬼御子の甥が大将軍として伊都國を支配下に置いたわけだ」
「剣。もう十年前になるが……我はその大将軍の息子に…我が末娘を嫁がせ、火國連合に完全に服属した…。しかし…」
嶋子はこう嘆いた。
「父の代より現在まで、鬼御子の呪いが続いている……」
それは恐怖だった。
俺が高校生になった頃だったかな。
叔父の五百里がとある古本を持ってきた。
「なんで弥のミオヤが邪神なの?」
俺が尋ねたからだ。
誰かの手垢がついて表紙の繊維が擦り減り、紙が劣化して黄色くなっていた。
五百里は大事そうに、日本書紀のページを開いた。
「この本にそう書いてあるんだよ。邪しき神(カミ)って。日本書紀、神代下…」
俺が五百里と話すことを母方の親戚が嫌がったので、俺達は隠れて会っていた。
話題は主にゲームや漫画のことばかりだった。
その日、俺はいきなり日本書紀の漢文を見せられ、すぐウンザリした。今では使われていない旧漢字が多い。
「うひゃあ! 俺にこんな難しい本が読めるわけねーって! 俺の成績を知らねーの⁉」
俺達は大宮の境内にある茶店で、団子を食いながら喋った。
五百里は眼鏡と鼻ピアス・片耳ピアスをして羽織袴、既に型破りな弥坂家の若当主だった。
五百里が俺の質問に頷き、
「そうか。じゃ、僕が説明するね。簡単に言えば、僕らのミオヤは皇祖になかなか従わなかった。服属せず、一度は抵抗した。だから、邪神という扱いになってしまった。皇祖に最終的に勝ったか、敗けたか…、それは是非、読んでみてくれよ」
と、本を貸してくれたんだけど、俺は読まずに返した。
いや、俺の学力では読めなかった。お恥ずかしい…。
それに俺は弥のミオヤから直接答えを伺っている。
何故、大宮祭の剣の儀の『壱』と『八』の戦いで、弥のミオヤを意味する『八』の方が敗けるのか。何故、それを祝うのか。
俺は疑問に思っていた。
大宮祭で、弥のミオヤはこうお話しになった。
「私は敗けた。その通りに再現されている」
五百里が言う部分は、いわゆる『国譲り』にある。
そして、その少し後のページに竜宮城の話がある。
天孫・火の瓊瓊杵尊が降臨し、薩摩の神吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)を娶った。
火の瓊瓊杵尊は妻が一晩で妊娠したことで、自分の子かどうか疑った。
妻はお腹の子が間違いなく瓊瓊杵尊の子であることを証明する為、神に誓い、産屋に火をかけて出産する。
確かに瓊瓊杵尊の子だったので無事に三つ子が生まれた。
この瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊と火スソリの命(隼人の祖)が兄弟喧嘩して、弟の彦火火出見尊が海神の宮に行く。
竜宮城だ。
ここではウミガメに乗って竜宮城へ行くわけじゃないけど。
この海神とは安曇氏のミオヤを指す。
その海神を祀る志賀海神社がある志賀島の農地で、『漢委奴國王』金印が発見された。
この金印を偽物とする説もあるが、多くの考古学者が本物と考えている。
彦火火出見尊は海神の娘を娶り、教えられた方法で兄・火スソリの命を懲らしめて勝つ、という話だが、ここで重要なのはその神話が面白いということの方ではなくて。
気付いてもらえただろうか? ずっと火の話になっている。
火の瓊瓊杵尊、火の産屋、三つ子の名が彦火火出見・火アカリ・火スソリ。(古事記ではホヲリとホデリ。火の字が付くのは同じ。)
実は高天原の世代から続くのだ。
天照大御神の別名が大日孁貴(ムチは敬称)。ヒルメはヒのムスメという意味。
その御子神が忍穂耳尊。オシもミミも首長の意味だから、ホの首長と読める。
その次が天孫・火の瓊瓊杵尊だから、家系にヒの音か、ホの音が必ず入っている。
そして、地上で産まれたヒコホホデミの尊が海神の娘と結婚すると、その御子の名から火が消える。ウガヤフキアヘズの尊だ。舞台も変わる。
ウガヤフキアヘズの尊がまた海神の娘と結婚し、産まれるのが初代天皇の神武。イワレヒコ・ヒコホホデミの尊。この神武天皇が畿内へ東征する。
五百里はこの記述を、
「神話として考えれば、神さまの名前として自然崇拝だが、本来はそうじゃない。祖先崇拝が倭人の宗教だった。だから、彦火火出見尊の火と火は、火國の肥前・肥後のことだよ。肥前・肥後は、元は一つの地域だった。火國生まれの王子が薩摩の姫と結婚し、その御子が筑前の海神の一族(安曇氏の祖)と同盟婚した。九州が皇祖系の首長に統一されるのは、実際には第十三代の景行天皇・大タラシヒコの時代だろう。黎明も読めばわかるよ」
と言っていたが、それは無理!
その本は読み下し文と注釈も付いていたけど、俺にはそれも難しそうに思えた。
仕方なく現代語訳の簡単な解説本を読んでみた。
そうしたら、結局、五百里の言う意味がさっぱりわからなかった。




