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八咫烏 ―YATAGARASU― ~邪神と巫が入れ替わる~  作者: 柴犬ジョニー


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第3章 ウェルド ・ 第3話 スパイ… ④

 志芸(シギ)の悪事は露見した。

 志芸は『滄溟(ウナハラ)(トリ)』から逃げるか、しらばっくれて居座るか、腹を決めなければならなくなった。

 志芸と海狭児(ミサゴ)は西国に続く山道を走って逃げた。夜明けが近付き、背後の空が薄明るくなり始める頃、どちらともなく立ち止まった。

 海狭児はヘラヘラ笑いながら、

「どうする? やっぱり戻った方がよくねぇ? どうせ、証拠なんか無いんだし…」

 戻りたそうに険しい峠道を振り返った。片側の崖から海が望めた。

 ここが分岐点だった。

 志芸は考えをめぐらせた。後々不安を残すよりは、ここで海狭児の口を封じてしまった方がいい…。

 海狭児もわかっている。志芸と逃げたって、どこかで自分は殺される。

 その時、海狭児は海側の岩場に人影を見た。

 その人影、丈の長い黒の着物を着て、大刀を佩いた男だ。

「あれ、久斯じゃねーの? なんでこんなとこに…」

 久斯は気分でも悪いのか、嘔吐しそうなのか、今にも倒れそうなフラフラした歩き方だ。

 これは好都合。

 志芸と海狭児は顔を見合わせた。

「あいつを殺して、全部、真具呂のせいにしよう…」

 悪い相談は簡単にまとまるらしい。

 志芸と海狭児は二手に分かれて斜面を降り、久斯に近付いていった。

 前後を挟み込もうと、海狭児は先回りして岩場に潜んだ。

 志芸は久斯の前に飛び出て、匕首(あいくち)くらいの長さの片手刀を抜いた。

「久斯。どうせ死刑になるんだろ…。俺が楽にしてやるよ…」

 刀を逆手に持ち、志芸が久斯に飛びかかった。

 刀を持つ志芸の手を、斜め後方から誰かが掴んだ。

 奥津だった。

「あっ」

 志芸は奥津の登場で全て察した。これは罠だ。

 久斯だと思っていた相手が振り向いたら本物じゃなくて、背格好だけよく似た八木だった。

 八木は剣の護衛の一人だ。志芸は囮に引っかかった。

「志芸、終わりだ!」

 八木が大刀を抜き、志芸の鼻先3センチに切先を突き付けた。

「よう、志芸。誰を楽にしてやるって?」

 奥津がとぼけて聞いた。

 わらわらと人が湧き出し、岩場を取り囲んだ。

 剣の護衛・奥津、蓼、阿佐、八木、宇夜の五人。

 三野の護衛・荒木、津久、岡の三人。

 別の岩陰に潜んでいた海狭児(ミサゴ)も、岩の上から顔を覗かせた漕手達に囲まれていた。

「志芸、海狭児。お前らにいいことを教えてやろう。真具呂の死刑は中止になったぞ。お前ら以外の、『滄溟の鳥』の全員の嘆願によって……な!」

 蓼が短剣の平地をペシペシと自分の掌に叩きつけながら、志芸と海狭児を絶望の淵へ落とした。

 真具呂の死刑中止の発表を受け、『滄溟の鳥』の乗組員が歓声を上げて飛び跳ねた。

 志毘は思わず脱力して崩れ、地面に膝を着いた。



 この少し前のことだ。

 剣が真具呂の死刑を宣告して宿に戻った後、こっそりと剣を訪ねてくる者があった。

 それは日頃、真具呂に怒鳴りつけられ、こき使われている漕手達だった。

「剣さま。真具呂が田嶋を襲わせたなんて、何かの間違いです。志芸あたりはそういうことをやりそうだけど、真具呂はそんな卑怯な人じゃないんだ…」

 真具呂の子分の比良と波知がしょぼんとしていた。

 真具呂は典型的なパワハラ上司と思われていたが、そうじゃなかった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、経験豊富なベテランに従うことの重要さがわかっていたので、真具呂の粗暴さはある程度許容されていたと言える。

「真具呂がいなきゃ、これから先の航海が厳しいって言うか…絶対無理だ…」

 比良は真具呂を師匠のように尊敬していた。

「真具呂は、躰はでかいけど気は小さい男です。仲間殺しなんてやらないと思う」

 波知は真具呂の内面を理解していた。

 三野方出身の漕手だけじゃなくて、弥の漕手達も同じようなことを口々に言った。

「真具呂が田嶋を邪魔に思うわけがない。あの二人は面白がって突っ込み合いをしていただけなんで」

「真具呂は間違ったことが嫌いなんで。うるさいけど、結構親切だったりもする」

 その後には、ツインテールの奈目も来た。

「真具呂は優しい男です。顔が怖いだけ…」

 奈目も真具呂を庇った。

 荒木は真具呂の命乞いをして泣いた。

 剣の護衛の八木、阿佐、宇夜も死刑に反対して剣を説得に来た。

「俺達、真具呂のこと、意外と好きなんだなぁと思います…」

 真具呂は人望があった。

 船乗りとしての知識や技術だけじゃなく、自分自身に対する厳しさもリスペクトされていた。

 最後の最後に志毘が来た。

 志毘はよろよろと剣の居る竪穴住居に入るなり、玄関にへたり込み、涙を流した。

「オヤジは……ああいう奴ですけど………仕事は…真面目にやってきたと思うんで……どうか、死刑だけは勘弁してやって下さい…!」

 志毘が玄関口で土下座した。

 剣はそこまで行って、志毘の肩に手を掛けた。

「志毘。お前が信じてやらないと。そうだろう?」

 温かな火が燃える炉の側で、奥津と蓼が微笑んでいた。

「これで全員来たかな」

「いや、志芸と海狭児が来なかった」



 蓼の話を聞き、志芸と海狭児は返す言葉も無い。

 彼等自身が招いた結末だ。逃亡は犯行を自供したのと同じ結果になった。

「田嶋を刺したのは、お前らだな」

 奥津が志芸の腕を捩じり上げ、志芸の刀をもぎ取った。

 恐らく志芸が画策し、海狭児が久斯に扮して田嶋を刺したんだろう。

 しかし、この時、海狭児は刃物や黒い着物を既に処分し、武器を持たずに丸腰だった。

 彼は両手を上げて降参した。

「俺は志芸に脅されてやっただけだよ。俺には野心も動機もねーわ。田嶋のことも真具呂のことも好きだよ。ま、久斯は嫌いだけどな。ちょっと久斯に嫌がらせしただけじゃねーか。仲間殺しなんて、そんな面倒臭ぇことやらねーよ…」

 ウキャウキャと笑いながら言うのだった。

 海狭児は自分だけ逃げきろうとして言い訳した。

 蓼も舌打ちした。海狭児は証拠が無い…。

 一方の志芸は岩場に這いつくばり、壊れた夢の欠片を幻視していた。

 三野の唯一絶対の側近になり、大幅に出世するはずだった。

 夜明けの光が射し込んできた岩場で、志芸だけがゴツゴツした巨岩の陰になって暗かった。剥き出しの地層、岩場を囲う周辺の大木の根が斜面をうねりながら広がっていた。

 突然、その場に剣の声が響いた。

「お前ら! 朗報だぞー! 多伎と久斯が無事戻ってきたー!」

 剣が薄暗い沢沿いの細道を登ってきた。俺と久斯も一緒だった。

 全ては剣の狙い通りになった。

 一件落着し、久斯も俺も解放され、『滄溟の鳥』の乗組員の絆が深まった。

 石城の身にもちょっとだけキャフンと言わせた。あの身はそれでも懲りないだろうけど。

 多岐の残留思念に支配されていた俺は、すっきりしたところで元の俺に戻った。

 俺と久斯を見て、皆がワアッと叫ぶ。

 俺も藪を掻き分け、急斜面を駆け上がって叫んだ。

「久斯は無事だぞー! 久斯が石城の身から薬草をもらってきたー! これで田嶋も回復するぞ!」

 その場が歓声に包まれ、俺と久斯は揉みくちゃになった。

 悪評を覆し、俺と久斯は大歓迎された。乗組員全員が喜びを爆発させた。

「久斯が…帰ってきた……多伎も…」

 志芸は絶望した。

 久斯帰還後に自らが置かれる状況を想像した。

 彼は突然喚きながら立ち上がり、囲みを突破して逃げようとした。狂ったように喚き、暴れた。

 奥津の手を擦り抜け、八木と揉み合った。

 八木が志芸を振り払い、志芸は足を滑らせて、海側の岩場から滑落した。

 低木に引っかかりながら落ち、最後に硬い岩に頭をぶつけた。

 志芸の首の骨がおかしな角度に曲がって、滑落が止まった。

「畜生。また難儀な場所で死にやがって…」

 崖の上から奥津が面倒臭そうに舌打ちした。

 潮騒が聞こえる岩場で、志芸は驚いたような表情で頭から血を流し、動きが停止していた。



 その頃、浜辺では。

 ふいに真顔になって、三野が真具呂に尋ねた。

「誰がスパイか、知ってるよな、真具呂?」

 真具呂は俯いた。

「スパイは……久斯じゃありません。俺も本人に確認したわけじゃないが、本当のスパイは……恐らく…」

 真具呂はぽつぽつと呟いた。

「…海狭児でしょう。海狭児は三野方出身と言ってるけど、そりゃ違う。浮かれた軽薄な喋り方で方言を誤魔化そうとしちゃいるが…僅かに火國(ヒのくに)訛りがあるんでね。俺に出身地で嘘をついたのは……海狭児だけです。若さま…」

 真具呂のカンに過ぎないが、三野は納得した。

「このことは剣にしか言わないから、真具呂は安心してくれていいよ」

 三野は立ち上がって手を二つ叩き、両手の指の内側を合わせた挨拶で頭を下げた。

 これが三野の感謝の気持ちだ。

 真具呂は正座に改まり、両手を浜に着いて頭を下げた。

 暗い夜が明けた。日が昇り始め、東の海の彼方がきらめいた。




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