第3章 ウェルド ・ 第3話 スパイ… ③
三野の泊まる側の宿で、田嶋を刺した犯人捜しがヒートアップしていた。
そこへ剣と奥津と蓼が訪れた。
三人がその場の中央に入っていく。『滄溟の鳥』の乗組員が剣を囲んで座った。
それまではガヤガヤと煩かったのに、急にしんと静まった。
「聞いてくれ」
剣の声が竪穴建物の隅々まで響いた。
真具呂と三野がそこに居ないまま、事件の結末が語られようとしていた。
「俺はこの旅でスパイが紛れているという情報を掴み、奥津と蓼に調べさせていた…」
剣が乗組員に事情を説明し始めた。
「剣さま。スパイは久斯だったんだろ?」
志毘が結論を急ぐ。
「そうだ。残念ながら、スパイは久斯だった。俺も迂闊だった。皆には申し訳ない」
剣が断言して詫びた。
奥津と蓼はすまして、剣の左右で胡坐をかいている。
剣は一つ咳払いした。
「久斯は奴國のスパイだった。奴國は八雲の友好国だから、そこは大した問題じゃない。…が、久斯は石城國の重臣を知っていて斬ったので、明晩死刑になる」
その瞬間、一堂にざわめきが起きた。
ざわめきの中から志芸が第一声を上げた。
「ああ、久斯は自業自得ですよ。人を大勢殺して逃げてきたクズ野郎ですからね!」
すると、同僚の荒木が泣いて怒った。
「やめろよ! 俺達は久斯と二年、旅を共にしてきたんだぞ!」
荒木に突っかかるように、海狭児がせせら笑う。
「してきたけどな、それがどうかしたか? あいつ、ウゼェ!」
「お前もウゼェんだよ、海狭児!」
志毘と海狭児が揉め始める。
他でも言い合いが始まった。これだけ人数がいると収拾が付かなそうだ。
「静かに!」
剣が一喝して黙らせた。
今日一番、静まり返った瞬間だった。
剣の凛々しい目が宿の隅から隅まで見回し、炯々と光った。
「久斯はスパイで人殺しに間違いないが、俺達の仲間だ。荒木は何も間違っていない。…仲間でないのは、仲間殺しをやらかす奴だ。それがここに紛れている。殺人が未遂であっても、俺の『滄溟の鳥』の秩序を乱す奴だ。俺が許さない…」
外で鳴く秋の虫が聞こえるほど静かになり、隣の者が唾を飲み込む音まで聞こえた。
「…剣さま。それは誰なんですか…?」
皆が剣の言葉を待った。
「久斯だったんでしょう⁉」
志芸が予想を言う。
志毘は震えていた。彼は三野と多伎に父親を告発した。オヤジの真具呂が主犯だと言った。
「田嶋の命を狙ったのは……真具呂だ」
剣の声が静けさを破った。
志毘は思わず立ち上がった。今度は反対のことを言った。
「そ、そ、それは違う…。オヤジじゃねぇ……。オヤジはろくでなしだけど…田嶋を誰かに命じて襲わせたりしねぇ…」
刀傷の痕だらけのいかつい顔を崩し、涙を零した。
志芸は嘲笑いながら志毘の泣き顔を見ていた。
いつも志毘に喧嘩を売られる海狭児も冷笑していた。
剣はこう言った。
「いや、志毘。お前には悪いんだが、真具呂が全部仕切っていた。真具呂が人を雇い、田嶋を襲わせたことが判明した。真具呂を死刑にする」
宿の空気が凍り付き、時間が停止した。
志毘は絶句、もう誰も何も言わなかった。
三野と真具呂は浜辺に並んで座っていた。
二人は夜空と真っ黒の海を眺め、語らっていた。
「真具呂。志毘がお前のことを誤解していた。息子なのにヤツコで買われたって。…お尋ね者になって、逃げ回ってた志毘を助けてやったんだろ?」
三野が尋ねた。
真具呂は面白そうに笑った。
「いやいや、その通りなんで。ちょうど漕手の補充がしたくて、ほどよい安値だから買っただけで…」
三野は呆れた。
「志毘は誤解してるぞ。父親らしいことをしてくれたことがないって、恨んでたぞ」
三野はストレートに言う。
真具呂はそれを嫌味がないと受け止める。
「まさにその通りなんで。何もしてやったことはありませんな。今も息子だなんて思ってないし、ほったらかしそのものです。喋ることもない。会話なんて、全くしてないんでね」
真具呂は久々にさばさばした気分で、正直に三野に答えていた。
「親子なんだから、会話しろよォ。真具呂、俺んちはもっと大変なんだぞ。父親は一人だが、義理の母親が五十人居る。義理の兄が二人、弟が二十人も居るんだぞ…」
三野は大雑把に王族の苦労を嘆いた。
ヒャハハ…、と真具呂は楽しそうに笑った。
「若さま。大御身の一族の苦労なんて、俺達平民にゃわかりませんよ。俺の息子は志毘だけです。娘もいたが、生きているのかどうかも知らねぇ」
「その大事な一人息子の志毘を…泣かすんじゃねぇ」
三野がポコッと一発、真具呂を軽く殴った。
「すみません、若さま」
あの強面の真具呂が素直に謝った。
「俺はわからないんですよ。志毘をどう構ったらいいのか。ただ、一緒に酒を飲みたくなった。だから、あいつを買ったんです。それだけですよ」
一緒に酒を飲みたくなった。
大人になった息子と酒を飲み交わすのが、ずっと真具呂の夢だった。
真具呂は夢を白状した。
「真具呂。志毘の夢も聞いてやれ。あいつの夢は…たぶん、同じようなもんだ」
志毘はオヤジの背中を見て船乗りになった。本当はそれをオヤジに伝えたかった。
突然、三野が真顔になった。
「誰がスパイか、知ってるよな、真具呂?」
真具呂の横顔を見詰めた。
真具呂は俯いた。
「スパイは……久斯じゃありません。俺も本人に確認したわけじゃないが、本当のスパイは……恐らく…」
その頃、石城の身の御屋の中庭では。
『…百百多良利多良利良…多良利阿我利良良利百…。百百多良利多良利良…多良利阿我利良良利百…』
俺の口の中で繰り返される呪文。俺が弥栄流退魔道の召喚法を行った。
やけくそになって邪神でも悪霊でも何でも来いと思った。
そのくらい、剣と久斯に絶望していた。
俺の中には何も入って来なかった。俺の中に残っていた多伎の思念が強すぎて、どんな神も邪霊も侵入出来なかった。
逆にその多伎の残留思念が解放され、俺の口から言葉を吐き出した。
「久斯ィ…。刀を抜いてるのか。面白ぇ…」
俺の中の多伎が甦り、ガラリと声が変わった。
突風が吹き、俺の黒い翼がバサバサ鳴った。
「…多伎…⁉」
久斯は邪神・多伎と初めて対峙する。久斯が知っていた十五歳の多伎じゃない。
俺の中に残っていた多伎の思念は、全く別のものだ。
俺から黒い瘴気が流れ出す。
「多伎…、どうなって……⁉」
久斯は俺の邪悪さ、禍々しさに恐れを抱いた。
石城の身の前に、その弟が正座の膝を擦って進み出た。
「兄上、聞いて下さい…。弥の藤木の身が久斯と多伎を差し出す代わりに、こんな酷い条件を付けてきました…」
弟が焦っていた。
石城の身は何事かと思って、
「何だ、それは? 内通者の志芸によると、私の側近を殺害したのは久斯と多伎で間違いないはずだが?」
最初は余裕を見せて弟の報告を聞いていたが、やがてすっかり青くなった。
「だ、誰か、久斯と多伎の勝負を停めろ…!」
勝負を見物していた石城の身が椅子から立った。
「兄上! どうやってあんなのを停めるんですか⁉」
弟が困惑した。
俺の中の多伎が復活した瞬間、その爆発的なエネルギーが屋根を吹き飛ばした。
久斯も吹っ飛ばされて板壁に叩き付けられ、木造の床に落ちた。
俺の意識は多伎の内側に入り、ぼんやりと映画を観るように眺めている。
そうか。神霊は降りず、多伎が解放されたんだな。
俺も何となく自覚していた。
俺の意思とは関係なく多伎が動いた。
多伎は大刀を鞘に納めた。ターバンを引きちぎり、前髪を掻き乱して、怪鳥のような奇声を上げた。
「ギャオオッ‼」
自分の中の獣を開放する多伎。
多伎は久斯を捕まえ、襟元を両手で持って宙に吊り上げた。
「ふざけるなァ、久斯ィ!」
多伎は歯を食い縛ったまま、思念で叫んだ。
「久斯ィ! なんで、一人で罪を全部被って死のうとしている⁉ 俺がどんなに悲しいか、わかるかァ…⁉」
多伎が魂で咽び泣いた。
その迸る怒りが獣の咆哮になる。
「ギャオオオーッ‼」
黒い翼を羽ばたかせて上昇し、屋根に穿った穴から夜空へ飛び出した。
多伎は久斯を伴い、龍蛇が天に昇るように回転しながら昇った。
「多伎、やめろ! その黒い力を使うな!」
久斯は足をバタつかせながら多伎を案じた。
彼は振り落とされないよう、必死に多伎に掴まった。
多伎は雲を突き抜けて上昇し、急下降して地上すれすれでまた舞い上がった。コークスクリューのように捻り旋回し、高速で空を飛び続けた。
久斯は雲の高さから地上を見た。鳥よりよりも高い視線で海や山を見下ろした。
水平線の辺りは藍色がやや薄く、この世の果てがあった。
「久斯。お前が志芸を庇って死んだって、あいつは感謝なんかしない…」
俺が叫び、空と大地と海を見下ろしながら回転した。
俺達は突風となって尾根の上を吹き抜けた。
「多伎、志芸なんか関係ない。私は…これを石城の身に分けてもらった。とても貴重な薬草だ。これで田嶋の命を救うことが出来る…」
久斯は嬉しそうに懐を叩いた。自分の命と引き換えに得た薬草の包みを、俺に渡そうとした。
「自分で田嶋に渡せ! 馬鹿が!」
俺は久斯に怒鳴った。
いや、俺が言ったんじゃない、多伎が言ったんだ。俺もすっきりした。
剣は石城の身の使者に俺を差し出す時、ツンとした表情でこう言ったらしい。
「私が義兄弟と思う男を二人差し出すのですから、その男二人分の対価を貰い受けます。騒動の発端となった、東の石城國と西の呉國の国境にある水門を、今より先、永久に、弥の水門として使わせてもらいますのでご承知おき下さい」
その伝言を聞いて、石城の身は青くなった。
俺は剣に裏切られていなかった。
石城の身は弥に文句を付け、中立的な立場を崩さない八雲から何とか支援を取り付ける算段だったのに、相手を間違えて悪手になった。
「男二人の命と国境の水門を交換するのは、割に合わない。久斯と多伎の勝負を停めろッ!」
石城の身が従者達に命じた。
弟が申し上げた。
「兄上。もうどこかへ飛んで行ってしまいました…」




