第5章 シルト ・ 第4話 見ず知らずの男 ②
一方、『滄溟の鳥』は無事に三野方へ入港していた。
二艘の船の修理には時間が要った。欠員も補わなければならなかった。
三十一名の乗組員のうち、俺を含め六人が海に落ちて行方不明になった。痛ましい出来事だった。
操舵士で、漕手の確保も任されている真具呂は、三野方の若い船乗りと八雲系移民から新しい漕手を雇った。信用出来る者が選ばれた。
俺が海のタタリ神に沈められ、七日経った。
あのシケが嘘みたいに思えてくる、見事な秋晴れの朝のこと。
三野方の御屋の敷地内に、俺達『滄溟の鳥』乗組員の為の宿舎がある。そこへ、宿泊者でない地元民の真具呂が、船の修理が終わったことを知らせに来た。
剣は宿舎に近い、櫓のような高殿の上から三野方の水門と海を見晴らしていた。
「剣さま、出航の用意が整いました」
真具呂が高殿に上がり、剣の背後で手を二つ叩き、手指の内側を会わせるお辞儀をした。
剣は微動だにせず、海を眺めていた。
「剣さま、…お気持ちはわかります。…でも、我等は急ぎ旅なもんで。ご病気の弥の御身をお待たせしてるんで…。…今日の追い風なら、予定の一つ先の水門まで行けまさぁ…」
真具呂がいつもより遠慮がちに言った。
剣の護衛の八木も渋い顔をした。
「真具呂。それはそうなんだが…。もしかしたら、多伎さまが戻ってくるかも知れないだろ。剣さまは多伎さまを待っているんだ」
八木が剣の胸の内を思って、代わりに答えた。
剣の側近の奥津と蓼が周辺の集落を回り、どこかの海岸に漂着者がないかどうか確認しに行っている。
俺を含めた六人の捜索に全力を尽くしていた。
真具呂は重々承知だった。
「八木。…そんなことはわかってるさ。俺だって辛いんだよ。…でも……多伎はきっと、自ら人柱になって嵐を鎮めたんだろう。たぶん、もう帰ってこない…」
真具呂は出航したそうだった。
八木は剣を気遣い、真具呂を睨んだ。
「おい、真具呂。奥津と蓼が行方不明者を見つけて戻るかも知れないだろ。もう少しだけ待てないか?」
真具呂は大袈裟な身振りで頭を振った。
「…八木。もう七日だ。生きてたら、とっくに三野方に着いてるだろう。弥の御身のご病気だって、いつどんなことになるか…。間に合わなくなったらどうする?」
大男の真具呂が威嚇するような低音濁声になる。
黒豹を思わせる迫力の真具呂。
聞こえているはずの剣は無表情だ。危篤の実兄と可愛がってきた義理の弟を天秤にかけるような、この状況。
剣が目を伏せた。
確かにこれ以上待ち続けるわけに行かない。剣の胸が痛んだ。
「…潮時だな。この時季は天候が変わりやすい。今日みたいな日に出航しなくちゃならんよな」
剣は溜息をつき、自分に言い聞かせた。
毅然と前を睨む。
「真具呂、少し待っててくれ。お世話になった三野方の大身に挨拶してくる」
剣が高殿の階段を駆け下りた。
屋根があって壁が無く、朝日が燦燦と差し込む休憩所。漕手達が集う休憩所に、ツインテールの長い髪の奈目の姿があった。
奈目は俺を心配して夜も眠れず、瞼を赤く泣き腫らしていた。
それを見て、スパイの海狭児が驚いたように繰り返し呟いている。
「奈目が……三野方の姫だったなんて。まさかなぁ……。多伎さまの婚約者だったなんて…そんなことなぁ……。女の子だとは気付いてたけど」
それで志毘が慌てていた。
「奈目があんまり騒ぐんで…皆にばれちまった……」
仲間もヒソヒソと噂し合っている。
「この話、剣さまもご存知なかったらしいぞ」
「三野さまと真具呂が勝手にやったことだ。俺達の可愛い弟・奈目は……実は女の子で、三野方のお姫さまだった…!」
男達が囁き合う。
志毘が海狭児に言った。
「だからよぅ、海狭児。お前と奈目じゃ、身分違いなんだよォ…!」
「お前だって身分違いじゃねーの、志毘?」
海狭児が言い返し、二人は喧嘩になった。
取っ組み合う二人を周囲は無視。
奈目は悲嘆に暮れている。
「多伎が…多伎が死ぬはずないよ。そんなはずないよ…。だって…、多伎は最強なんだもん」
また涙が込み上がってきて、奈目はしゃくり上げた。
その場に久斯も居ない。
久斯も俺を探して、海岸沿いの集落を聞き回っている。
「船の修理は終わってる。今日は天気がいいから、真具呂が剣さまに会いに行った」
「出航か?」
漕手達が話す。
「出航⁉ 多伎がまだ戻ってないのに⁉」
奈目が驚いて飛び上がった。
「う…ん、だってよ、奈目。剣さまが奴の津を出る時に、『帰路は全力で漕ぎまくれ。この先の水門は行きの一つ飛ばしだ』…って、言ってたんだぜ…」
志毘が奈目の迫力に押され、しどろもどろ。
地元民の比良と波知も、
「昨夜、真具呂が船出の用意をしとけ、って言ってたぞ。だから俺も今朝、オヤジに行ってくると挨拶を済ませた」
「そうそう」
船の旅は生きて戻れる保証がないから、船乗り達は毎度、別れの挨拶をして家を出てくる。
奈目の眸に涙が盛り上がってくる。
「そんなの、そんなのって……」
そこに三野と護衛の久斯と荒木が戻ってきた。
莚を掛けた戸板を久斯と荒木が運んでいる。遺骸だ。
奈目の顔が蒼白になった。
「漕手の田尾らしき男が布津の浜に上がった…」
三野が葬儀の段取りの為、遺骸を乗せた戸板を一旦、休憩所に置いた。
「こいつは三野方の生まれだから、この地に葬る。死体は見ない方がいい。鰐(サメ)に食われている」
三野が急いで注意した。
三野の言い方はストレート過ぎる。皆、ぐっと込み上がるものがある。
久斯も辛そうに仲間に告げた。
「捜索に当たっている奥津と蓼も、もうすぐ戻ってくる。十倉と浜が見つかった」
その二人も生存者じゃない。
親しかった仲間が泣き崩れた。最後の望みは消え失せた。
休憩所に泣き声が起こる中、奈目は無言で立っていた。
死んだ三人とは奈目も数月、共に船を漕いできた。
彼等は不運なことに、嵐の海に落ちて溺死した。
もしかして、多伎も……という考えが、奈目の頭の中を過った。身震いが出た。
「絶好の天気だが、葬儀の為、出発を一日だけ延ばしてもらおう。剣に会ってくる」
三野が護衛を引き連れ、御屋に向かう。
奈目は海の神さまに祈った。
もう祈ることしか出来ない…。
その頃、俺は三野方と山を隔てたところに居た。
俺と三可見は峠越えの道を進んだ。途中、本当に登山としか言えないような険しい場所もあった。
夜は野宿で、廃屋から持ち出してきた甕で白湯を沸かして飲んだ。僅かな食べ物を二人で分け合った。日中はよく晴れたが、夜は厳しいほど冷え込んだ。
「酒が飲みたいな。温まるのに…」
焚火に手をかざしながら、俺は愚痴を零した。
岩の窪み、ビバークに適した場所があって、岩を背にして座る場所に小枝や落葉を敷き、少しでも暖かくして、その前に大きめの石を組んで焚火した。
酒好きじゃなかったんだが、こういう寒い夜、ましてや野宿となると酒でも欲しくなる。
「たぶん、明日には三野方に着く…。それまで我慢だ」
俺は熱っぽい三可見に言った。
三野方の大身は多伎の叔父だから、きっと三野方まで行けば何とかなる。
三可見は熱が上がり、咳がひどく、気管支炎みたいに喉がピューピューゼイゼイ言っていた。
三可見に無理させたくはないけど、俺は剣と早く合流したくて焦っている部分もあり、ジレンマに陥る。
「多伎…、もし急いでるんだったら、俺を置いていけ…。大丈夫だから」
「出来るわけねーよ。俺はそんな薄情な人間じゃない」
ムッときて言い返す。
三可見の挫いた足が今朝より腫れてきていた。
俺が布で縛って応急処置をする。俺は初歩レベルの応急処置の知識がある。
「…多伎。先に決めておこう。俺は…多伎の足手まといになりたくない。もし何かあったら、俺を捨てて先に進むこと。君の道だ。俺は君の友人でもない。見捨ててくれ…」
三可見が年上ぶったことを言ってきた。
俺は苛立った。
「ハァ⁉ それが出来る性格なら、とうにあんたを置いて行ってるよ!」
「多伎、聞いてくれ…。俺は…ここからなら、一人でも三野方へ行ける。お陰で助かった。…君はとても急いでるんじゃないか?」
三可見は俺に気を遣った。
「…多伎。正直に言おう。俺は追われている…。俺は久し振りに故郷の友人と会い、その帰りに襲われた。運悪く嵐に遭い……、君と同じく、旅の連れとはぐれてしまった…」
今更、三可見が本当のことを打ち明けた。
暗闇に照らし出される三可見の顔。口髭、そして短い顎髭。
咳込み、苦しそうな表情。
「多伎。君は若いのに、とても強そうだ。でも、俺の事情に巻き込みたくなかったんだよ…。俺の追手が通常の軍団じゃないから…。わかるかい?」
静かな夜。パチパチと爆ぜる炎。暗い森の中。
迫る追手の気配。
「聞いてくれ、多伎。俺を殺そうと追ってくるのは…死の軍団だ。よみがえった死者なんだよ!」
「へぇ、マジ?」
俺は驚かなかった。
つい最近も、鬼御子が操る鬼の軍団と戦ってきたばかりだった。
「三可見、鬼御子を怒らせたのか? そいつは鬼御子がよみがえらせた死者か?」
むしろ、俺は前のめりで話に聞き入った。
三可見の方が目を瞬かせ、少し引いたくらいだった。
「…これは……驚いた。当たらずとも遠からずかも知れない。君は鬼御子の操る死者と一戦交えたことがあるのかな? 俺は驚かなかった君に驚いたよ。君は…あの鬼御子を…恐れてないのかい?」
三可見は鬼御子が怖いのか、ブルブルと震えた。
「おう。そうだよ。怖くないね」
俺は鬼御子が大嫌いだが、怖くはない。
三可見は声を小さくして、しぶとく俺を説得した。
「恐れろよ、多伎。ここに俺を置いて、三野方に行け……」
「やだね」
俺は天邪鬼みたいに逆らった。
「…多伎。心配いらん。俺は不死身だ…。俺は何度も死後の世界から帰ってきた…」
三可見は死の軍団の近付く気配に気付き、俺に松明を手渡した。
俺も気付いていた。山の上の方から嫌な気配が漂ってくる。
次第に霧が湧き始めた。




