到着ミックは声を聞く
飛ぶよう二二人の乗っていた小舟は進んでいった。下になにかの生き物の存在を感じながらも、ミックは船がひっくり返らなければそれでいい、とにかく無事に村に着いてくれと祈っていた。
人間、自分の理解を超えた出来事が起きると、祈ったりするくらいしか行動に移せないのである。何も行動に移せずに、呆然とするという話もよくあることだろう。きっとそうだ。
ミックは両手を組んで一生懸命に祈っていた。自分の気の所為なのだろうか、この、祈るという仕草は妙に体や感覚に馴染んでいるような気がする。
失われた記憶の中の自分は、祈りを何者かに捧げ続けていたのだろうか。
それはこんな事になっても、一切合切の記憶を取り戻せないミックにはわからない。
ただ、それを思い出すことをもう願わない方が良い、というのだけはなんとなくわかっていた。
自分は口に出すのもおぞましい暴力を受け続けていた身の上らしいので。
ミックは徐々に徐々に近づいてくる漁村の、砂浜の方を見ていた。穏やかな環境の漁村なのか、ひなびた村なのか、子供達が楽しげに浜辺で遊んでいる。
海にというものに親しむ環境だからなのか、水を怖がるという態度は子供達の中にはない。
その、ころころと転げ回って楽しそうに遊んでいる子供達を見ている時だった。
また、頭のどこかが痛んだのだ。何かが、抑え込まれている何処かに触れたように。
ずきずきと痛みだしたから、きっと疲れが出ているんだとミックは都合良く思い込むことにして、船の下に居たなにか達が、そろそろと離れていったのを感じ取りつつ、小舟が来たことで目をまんまるにしている子供達の前で、小舟から飛び降り、綱を引っ張って砂浜に船を乗り上げさせた。
と、そこでキッドが目を開く。怪訝な顔をして、周りを見回してからミックに問いかけてきた。
「お前の見た村はこんなに近かったのか? 俺の体感として、もっと時間がかかるだろうと思っていたんだが。皆お前にやらせて悪かったな」
「あー、なんかわけのわからないことが色々いっぱい起きてたから、大丈夫」
「理由のわからないって、お前が言うんだから相当だな」
キッドは言いつつ船から飛び降りる。二人の異邦人を見て、子供達が好奇心と不安を隠しもしない眼差しを向けてくる。
「こんにちは、俺達の言葉がちゃんと通じるか?」
キッドが両手を広げて、武器も持っていないし、敵意もありませんという態度を見せて、子供達に問いかけた。この、手に何も握らず、手を広げて、武器もありません、敵意もありませんというのは、結構広く伝わっている共通の仕草でもある。
だが、それも通じない地域があるそうなので、そこのところがキッドには気になっていたに違いない。
しかし子供達はキッドを見上げて、それからミックを見つめて、頷いた。
「あんちゃん達、外からの人なんでしょ。言葉もわかるよ」
「あんちゃん達、この村に何をしに来たの? この村は、普通の人は来られないのに」
キッドと思わずミックは顔を見合わせた。普通の人は来られない、それはどういう意味を持っているのだろう。
この疑問を問いかけようとした時だった。
「おやおや、こんなひなびた何も面白みのない村に、ようこそお越しくださいましたな」
穏やかな声の、老年の女性がゆっくりとした歩幅で、村の中にあるたった一つだけ両開きの扉を持っている建物から出てきたのだ。
その女性の衣類は、子供達のものと趣が違う気がする。
「どうも、行き違いから乗っていた船を降りることになってしまいまして、一番近い人が暮らしている集落を探して、ここに流れ着いたものです。俺はキッド、こっちはミックと呼んでください」
「ご丁寧にどうもありがとう。おやおや、これは珍しい目をお持ちの女の子ですね」
ミックは老女の言葉に目を丸くした。というのも、喋らなければ自分の性別は誰も気づかないはずだったからだ。
それなのに、老女は一瞬で性別を看破した。侮れない女性だ。
「まあまあ、驚いたという顔をしていらっしゃいますけれど、見ればわかりますとも。骨格が違うのですからね」
「裸で骨格がちがうというならわかるんだが、これだけ着込んでいるのに」
キッドがそう言うと、老女はくすくすと笑った。
「これだけばあさんになりますと、意外と見えないものも見えてくるものですよ。それでは、こんな小さな村ですが、旅立ちまでは教会の客室をお貸ししましょう。ここに流れ着くことができるだけでも、かなり珍しい方々でいらっしゃいますから」
「……お答えになることができればでいいんだが、ここはそれほどなにか物珍しい村なのか」
キッドが問いかけるその姿勢に、どこか警戒した色が乗っているのをミックは気付いた。たしかに子供達の言動も、老女の見えているものも、普通とは思えない。
なにかこの村にはとんでもないものが隠れているのではないか、と思ってしまってもおかしくないあれこれを感じるだろう。
「ここに流れ着くことができた方々なので、教えても問題はありませんでしょう。ここは、遥か遠い遠い黄金の時代のそのさなかに、魔神の肉体を封印した祭壇を守る者たちがほそぼそと暮らす村なのですよ」
「それはとにかく珍しい」
キッドが納得した調子で言う。意味のわからないミックは袖を引いた。
「それってどういうことなんだ」
「黄金の時代のことはほとんど記録も遺跡も残されていないんだ。だから人間の記憶から消し去られている過去だとも、伝説だとも言われている。さらに神々の倒した魔神の伝承すらまともに残されていないのが現状だ。だというのに、魔神の肉体を封じた祭壇というものを伝えているのは、とんでもなく珍しい村ということになる」
でもそれだけなら、別に、この村に人が入ってこない理由にはならないのではなかろうか。ミックが現実的に物事を考えようとした時だ。
老女がこう付け足した。
「祭壇が人よけの力を強く持つせいなのか、客人はなかなか訪れないのですよ」
「へえ」
人よけの力が発揮された結果か、それのほうがまだわかる気がした。
ミックはとりあえずの疑問をある程度脇に置くことにした。とにかく今は、この村の住人に不愉快に思われてはいけない。
大人しく行儀よく滞在しなければならない、という事実くらいは流石にわかったミックは、こくりと頷いた。
「お嬢さんは不思議な力をお持ちですね。私のように長生きをすると、そういうものもわかります」
「事情が色々あるんだ、あまり追求しないでくれないか」
老女の言葉に体を固くしたミックを後ろにかばうようにして、キッドが言う。
老女はコロコロと笑った。
「そうですか。ではここに来ることができたのも、何かしらのお導きでしょう。どうぞこちらへ」
老女がそう言ってゆっくりと歩き出す。キッドがその後に続き、ミックもそれに習おうとして……耳元を吹いた風が、何かしらの言葉を伴っているような気がして、後ろを向いた。
「ミック?」
「誰かに話しかけられたような気がしたんだ」
「空耳か潮騒の音だろうな。お前もあれだけ荒っぽい真似をしたんだ、休ませてもらってもバチは当たらないぞ」
「うん」
たしかに、人間の声と潮騒の音は似たものを持っている。潮騒のざあざあとした音の響きを聞き間違えたんだろう。
ミックはキッドの後を追った。
教会の客間は古びた施設であるが、清潔感はあり、船の寝床と比べるのも失礼なくらいだった。船の寝床の清潔感は非常に薄い。
そして寝台は三つも用意されていて、そもそもきちんとした木枠の寝台がある時点で、相当に上等な客間である。
虫よけのための布が天井から寝台に吊るされていて、これも上等な寝具にある設備だった。
そこにそのまま寝転がるには、なんだか申し訳ない思いを抱いたミックであるが、キッドの方は休める時に休むという習慣が根付いているのか、寝台の上に寝転がる。
「警戒しないのか」
「殺気がない」
「そんなもの?」
「あるのは子供の好奇心の眼差しだ。それにそもそもの物取りの集団の村なら、俺達は抵抗する前に集団を相手にして殺されている」
「その可能性もあったんだ」
「隠れた村はそういう後ろ暗い村のこともあるからな」
殺気も敵意もない村だから、体を一時的に休めるには十分ということなのだろう。
ミックは、それならとキッドの寝ていない寝台の方に寝転がった。
虫よけの香草のつんとした匂いがする。この匂いのする寝具は上等だ、と知らないはずの記憶が囁き、ミックはそのまま目を閉じた。
ああ、やっと、と何かが吐息を漏らす声がした。




