夢見たミックは飛び起きた
暖かくて優しい光景を見ていた気がする。そこはとても平和な世界だった。ミックはそんなことだけはぼんやりと、夢の中のことを覚えていた。
誰かたくさんの大事な人達が居たような気がした。どうして自分は今もそこに居ないのだろうと、不思議に思うくらいに、そこはとても居心地のいい場所だったのだ。
しかしそこが、決してとても裕福な世界だったかと言うと、そうでもなかったような感覚だ。
ありふれた普通の場所だったのかもしれない。
ならばどうして、自分はそんなありふれた風景から出ていってしまったんだろう。
そんなことが奇妙で仕方がなくて、その理由を思い出そうとすると、ずきずきと頭のこめかみの部分に近い場所が痛みを訴えてきた。
これも考えない方が良いことのようだった。
ミックはこめかみの周りをぐるぐると押したりもんだりしながら、周囲を見回した。たっぷりのい草が敷き詰められた清潔な部屋で、毛布をかぶっていたのだ。そこに着替えもしないし身も清めたりしないで寝ていた現実を思い出して、ミックは若干ながらも申し訳ないと思った。
この上掛けその他を、滞在中にきちんと洗ったほうがいいだろうか。こういったものの洗濯はあまり経験がないと思うのだが、洗うという行為はどんな寝具でも一緒だろう。
ミックはもぞもぞと身じろぎをした後に起き上がった。空の光が明るい、ねぼすけのように寝入ってしまっていたみたいだ。
キッドはどうだろう。ミックが周囲を見回すと、キッドの姿はそこには見つけられなかった。外で人々の話を聞いているんだろうか。
そんな事を考えていた矢先だ。
「ミカ! ミカ姉ちゃん、もう姉ちゃんまた夜中まで尼僧様のお手伝いしていたの? ミカ姉ちゃんねぼすけすぎるよ」
「ミカ……?」
自分よりいくつか年下の子供達がわらわらと入ってきて、ミックの腕を引っ張ったのだ。
「俺はミカじゃねえんだけど」
「何言ってんの、この孤児院で一番の年長のミカ姉ちゃんじゃん」
「変な夢でも見ていたの?」
「夢……?」
ミックは怪訝な顔をした。今自分の意識は個々にある。ならば今までの、過酷だったり荒っぽかったりする船旅の方が、夢だったのだろうか。
わからないながらも、とにかく状況を確認しなくてはと、経験から判断したミックは立ち上がり、そこで。
「あれ」
自分が、男物なんてありえないような、スカートを着ていたので動転しそうになった。だって船では男ではないと知られると大変だから、絶対にスカートなんて履かなかったんだから。
だと言うのに今の自分は、スカートを履いているし、上着も女物だし、何から何まで女の子の身なりをしていたのだ。これに動揺しないわけがない。
どういうことだ、これのほうが夢だとでも言うのか、ならこの現実味のある光景や、子供達の手のひらの感覚のしっかりした温度は何なのだ。
頭の中がめちゃくちゃになりそうになりながらも、ミックは子供達が手を引くままに、室内を歩く。
そこはあまり裕福ではない孤児院というものなのか、あちこちがぼろぼろで、修繕を繰り返す船の方がまだ設備がマシなのでは、と思わせる空気すら流れていた。
あちこちの屋根が雨漏りしているのだろう、雨漏りをどうにかするためなのか、いたるところに木桶などが置かれていて、天井を見上げるとそこから雨水らしき液体が滴っていた。
「尼僧様困ってた。もう雨漏りしていない部屋が一つもないって」
「今度村長様や領主様に、ここにお金をくださいって、いろんなものの見積もりを渡しに行くって」
「その時はミカ姉ちゃんも連れてくって言ってた」
「……」
ミックはそれに黙っていた。尼僧様とやらが、孤児院の最年長のミカという少女を、統治者がいるそういった場に同伴させるとなったら、ミックにとっては答えはわかりきっている。
修羅場を度々経験したわけではないのだ。
そして下世話な話を船であれこれ耳にしてきたわけなのだから、その言葉達の意味する深読みするべき場所がわかっていた。
ミカは売られる予定があったのだろう。孤児院の経営のための資金を手に入れるために。
そして、孤児院の子供だろうがなんだろうが、領主は初夜権というものを持っていることが多くて、乙女は最初の男が領主とかにされてしまうのだ。結婚相手が、その免除のための金額を支払えなければ。
大体の結婚相手は、その初夜権をどうにかするために金銭を領主に渡して花嫁を守るが、ミカにそんな宛はきっとないだろう。
そして尼僧様がその可能性が高いところにつれていくのだから、ミカという孤児院の女の子の運命は決まったようなものだった。
「あ、尼僧様! ミカ姉ちゃん起こしたよ!」
「ありがとう。ミカ、顔色が悪いようですね、夜遅くまで手伝わせて申し訳ありません」
「……」
尼僧様は老女だった。シワシワの顔の、とてつもない齢を重ねた女性のように見えている。その首からぶら下がるのは、聖具であろう。孤児院が掲げている印と同じそれなので、聖具というやつに違いなかった。
「領主様のご予定がなかなか決まらないそうなのです。でも、近い内に孤児院のことを相談しに行きましょうね」
いやだ、と言いかけた時だ。尼僧様が悲しそうな目をした。とてもつらそうな顔を。
その顔を見た瞬間に、ミックの喉はこう答えた。
「はい、尼僧様。あれ、また孤児院の仲間が増えていませんか?」
「ここのところ、国境沿いのこの孤児院まで逃れてくる、保護者を失った子供達が多いのですよ、だから本当にお腹いっぱいに食べさせてあげられなくて」
「尼僧様、ちゃんと畑仕事するから大丈夫だよ!」
子供達が一生懸命に尼僧様を励ますように言う。優しい目をした尼僧様が頷き、ミックはその後、本当に未知の世界であるはずの畑仕事に精を出したのだった。
体は覚えているように、畑の仕事のあれこれを行っていた。
これは自分の過去の記憶なのか? ミックが何となくそんな気がしてきた時だ。
がらがらと、この孤児院の周囲では不釣り合いなほどのきんきらきんに装飾された、しかし尼僧様の首から下げられた聖具と同じ印をいただく馬車が現れて、そこから、尼僧様と似たような身なりの男女が現れて、ミックを上から下まで見てこういった。
「君は、仲間たちをお腹いっぱいにしたくないかい?」
そりゃあ当たり前にお腹いっぱいにさせたい。だが。
ミックの勘のようなものが、これに答えてはならぬと警告する。だが、自分の喉は言うことなんて聞かずに言った。
「お腹いっぱいにさせたいし、あったかい上着だって作りたい。孤児院の屋根だって修理したい」
「ならば君に、一働きしてもらいたいんだ。君が望むことは絶対に叶うよ」
頷くな。頷いてはいけない。
ミックは必死に自分に言うのに、自分であろうミカはこういう。
「それなら早く仕事しなくちゃ!!」
二人の男女が、今のミックならすぐに、警戒して逃げ出すねっとりとした笑顔を見せてきた。この笑顔は、かもがネギ所ってやってきたという笑顔だ。この笑顔の相手の言葉を聞いてはならない。
それなのに体は示されたとおりに馬車の中に入り、馬車はそのまま急ぐようにその場を後にしていったのだった。
ばちん。
その光景を見たのを皮切りに、ミックは”すべて”を思い出した。
思い出して……狂乱し、そして。
寝台から飛び起き、寝起きに叫ぶミックを見て近づこうとしたキッドを突き飛ばし、建物を飛び出して。
建物の奥に隠されていた、ひっそりとした岩穴に駆け込み、絶叫した。
その島のあたりは急激に黒雲に覆われ出した。黒雲は不吉な紫をはらんだ雲であり、ただならぬ常ならぬ分厚い雲である。
清浄とは言い難い稲光をあちこちに走らせるその雲は、分厚さ故に雨を呼び寄せ、島に濁流のように雨が降り出した。
そしてついに。
「あああああああああああ!!!」
ミックの絶叫に呼応したかのように、ひときわ大きな稲光が、ミックの飛び込んだ岩穴のあたりを貫いた。その衝撃は相当なもので、たちまち岩穴は崩れ塞がったほどで、やっと追いついたキッドの眼の前でふさがりそうして。
岩穴の奥から、並ではない異常な力がこぼれだした。
いにしえの魔神が復活した証だった。




