脱走ミックは船を漕ぐ
孤島で夜を明かすために、火を起こしていたキッドを見つけるのは容易かった。
そして、小舟が近づいてきたと気付き、立ち上がった彼が、ミックという女の子が一人っきりで、なんとか船を動かして来ていると知った時の、損顔と来たら、一生忘れたくないものだったかもしれない。
「おまえ、おまえ……ミック!」
キッドはばしゃばしゃと浅瀬を走って近づいてきて、ミックの方は一人で船を動かすのに手間取りながらも、一生懸命にキッドに手を振ったのだ。
「キッド! だって、だって、俺の命の恩人はあんたなんだ! さっさと船から降りろっていう視線を向けてきていた、ジャスティとか、他の船員じゃなくて、あんたなんだ! あんたを島で一人死なせるなんて運命、お断りに決まってんだろ!!」
手を振ってミックは船をひっくり返しそうになったものの、その船をキッドが掴み、安定させて、そのまま砂浜まで船にくくりつけてあった縄をつかて引っ張っていく。
「これで馬鹿だのなんだのと言えない俺は相当だ。お前なあ、楽な道を選ぶんだったら、船長になったジャスティのオンナになった方が簡単な道だっただろうに」
「俺はそういうのやだ。……そういう暴力じみたことは二度とごめんだ。あんなのを繰り返すなら、海に落ちて溺れ死ぬほうが健全だ」
「お前、もしかして自分の記憶を取り戻しているのか?」
「いいや、取り戻してない。でも、感覚だけ思い出したことがあるんだ。ひどい感覚。足の間に血まみれになる暴力を受けたっていう感覚な。本当に思い出したくない感覚だぜ」
ミックは平気そうな顔をしてそういったものの、キッドは顔をしかめた。
「そんなものがあるなら、男ばっかりの船に乗り続けたくなかっただろうに」
「何を言うんだ、キッド。あんたがいる場所が俺のいる場所だから、俺は自分の居場所に戻っただけだろう」
ミックが心底そうであるという声で言い切ると、キッドはミックを抱きしめた。
キッドがなんだかんだと、ミックのことを腕の中に入れるのは珍しくない。
だが正面に向かい合って抱きしめることは、過去一度もなく、いつも隣で肩を抱くように腕の中にしまっていたことを、この場でミックは思い出した。
正面から向かい合うと、キッドの心臓の音が耳の位置にあってよく聞こえる。温かな血液が巡っている音は、命の音で、安心できる気がするのはどうしてだろう。
「そんな可愛いこというなよ。お前みたいな凄腕の狙撃手なら、女でも船に乗せたいっていう利益重視の船は多いはずだったんだだから」
「キッドが居ないのにその船に乗るわけがないだろう。そんな簡単なこともキッドはわからないのか」
「そうかよ」
抱きしめてくるキッドの背中に腕を回す。抱きしめ返す形をするのは初めてでぎこちなくて、うまい感情が見つからないけれども、とくとくと自分の心臓の鼓動が感じられる気がして、ああ、いやじゃないなとミックは思った。
「夜が明けたら、水を確保できるか調べて、この孤島を出るぞ。ジャスティは間違いなく、ここに戻って来るに違いないからな」
「今から戻っては来ないのか」
「この暗闇で、まともに視界が効かないのに方向転換できるわけがない。そんな真似をしようとして、一歩間違えれば船が転覆するからな」
さすが、キッドは船の構造にも詳しい。だからミックは安心して、小舟を流されない位置まで浜辺に乗せて、キッドが焚いていた焚き火のところに座り込んだ。
「ここはあんまりにも小さい島だから、肉食獣が居ないな。安心して横になれるぜ」
「集落も人も居ないのか」
「人間の痕跡がないからな」
「そっか」
「お前も心配なら、その目で見てみればいいだろう。どういう条件で、いきなりお前がその目を操れるようになったか疑問だがな」
「いきなり使えるようになった。条件とかいうのはわからない」
言いながらミックは片目に意識を持っていく。キッドの判断は事実で、人の痕跡というものが本当にない小さな島だった。
明け方早々に、とりあえずキッドが追放の後の最後の食事として持たされていた、一つのパンを二人で分け合った。それを咀嚼しながら、大急ぎで小舟を動かして、ジャスティ達に見つかるその前に、キッドと一緒にミックは孤島を後にした。
船を漕ぐのは交代だ。ただし、まともな行き先を見つけるために、ミックは先に櫂を持った。
「何か、小さくても人間の暮らしている場所で近いのは」
「ここから東に行くと、魚とりの網とかが干してある小さな、建物の集まった場所がある」
「漁村か、悪くないな。とにかくそこをまずは目指そう」
「うん。キッドは先に休んでてほしい。昨日の夜、あんまり寝てないだろう」
「気づかれるとは俺もヘマをしたもんだ」
「なんかわかった」
「お前は鈍感ってことだったんだけどなあ」
キッドは笑いながら小舟の片側により掛かり目を閉じる。さてここからは責任重大だ。
目的の場所をそれないように、櫂を動かさなければ。
そんな大事なことを十分に気をつけながら、ミックはとにかくずっと、海を漕ぎ続けた。
キッドを後にしたのは、村に到着した際に、自分ではまともな説明ができる自信が皆無だったのも大きい。
海からこんな小舟がいかにも訳ありの調子で流れてきたら、警戒する可能性が高いことは、海賊船に乗っていた時にもう学習済みだったし、そもそも言葉も各地の方言の結果、自分では理解できないかもしれないのだ。
対してキッドはかなりの地方の方言や言い回しに詳しくて、口もうまくて、人を納得させる技術が自分と比べたら天と地ほどの差があるほどすばらしい。
そのためミックの提案は、二人にとって最善だった。
「……」
ミックは眠くならないように、ぴゅうと口笛を鳴らして、ぎこちないながらも旋律を奏でだした。ずいぶんと長い間口笛で意思疎通していたから、あまり上手ではなくても、ある程度の旋律は奏でられるのだ。
海賊たちのお決まりの曲をいくつか。できるだけゆっくり、忘れないように鳴らしていた時のことだ。
「……え?」
ミックは、いきなり小舟がぐいぐいと勢いよく進みだしたので、慌てて水面の方を見た。
船の下に、何かが群れをなしている。
「え、え、え」
櫂を動かす手が止まったのに小舟は動く。気づいた時には、小舟の先端に繋いでいた縄が海の下の何者かに引っ張られて、一直線に何処かに進んでいた。
「……俺達が目指す村の方だ」
これは一体何を示しているのか。わからない。わからないけれども、早く到着できるなら何よりだ。
世間知らずが災いしたのか、ミックはその事実が、極めつけの異常事態だとわからず、時折櫂を動かしながら、快速線よりもずっと早く進む小舟が目指してくれる漁村の方を、見続けていたのだった。




