ふたりの青 3
定期テストも順当に終わった。5教科一科目あたり100点満点。彼と出会ってからは放課後毎日一緒に図書館に行っていた。彼が横で本を読んでいる間、俺は家帰ってやる予定だったのを終わらすようにしていた。彼と過ごしたおかげでテストによってすり減ったメンタルも回復していた。
「ランキングって出るの?この学校での初めてのテストだからあんまり仕組みがわからなくて」
「個人情報だからって公開はされないことになってるよ。気になるんだったら先生に聞けば?」
「いや、いいや。40人しかいないんだから知ったところでそんなに意味ないでしょ」
「それもそうだ」
俺もランキングの公開は反対派だ。自分のことが公開されるのは恥ずかしいし、色眼鏡で見られるのが好きじゃないから。でも個別に得点バトルするのは嫌いじゃない。
帰りのホームルームで5教科分の解答用紙と得点が全部乗っている成績表を渡された。終わった後俺たちはいつものように図書室に行きほぼ特等席になっている入り口から一番遠い机に座った。
「点数どうだった?僕は368点だった。まあ十分でしょ」
そういいながら成績表を見せてきた。本だけ読んでいるからかほかの4教科よりも国語だけ頭一つ抜けていた。
「意外と高いな。勉強している姿なんか一回も見てないからもっと低いと思っていたよ。俺は411点」
「おーすごいね。結構勉強しているなあと思ったもん。おめでとう。志乃は頭がいいね」
純粋な誉め言葉をそのままありがたく受け取りたいが偏屈な返しをしてしまう。
「いいや、頭はよくないよ。ただ勉強が平均以上にできるだけ」
「学校じゃそれが強みとして活きるじゃん」
「学校でしか活きないよ」
少し前から考えていたことを口に出した。勉強ばっかしている俺と本ばっか読んでいる透花を比べたときに出てきた考え方だった。
「俺は『頭がいい』と『勉強ができる』は別ものだと思ってるから」
「志乃の中ではどう違うの?」
「『勉強ができる』は学校で学んだことを得て、テストで高得点という形でリターンできること。『頭がいい』はテストで高い点数じゃなくてもいろいろと自分で考えてそれに従って生きて行けることだと思ってる。その点で言うと透花は『頭がいい』だと俺は思うよ」
「なんで?」
「前に本を読む理由教えてくれたじゃん。その時に自分なりの答えを出していたから」
「あれは勉強したくない言い訳なだけだよ。志乃ほど考えてないよ」
わずかな沈黙の後
「でも今みたいに志乃はいろいろ考えているからやっぱり『頭がいい』だと思うけどなあ」
と言った。
確かに、一本取られた。
テストの話とは別に今日、ずっといつ言おうかタイミングをうかがっていたことがある。クラスにいる時ではないことはわかっていた。いつもの場所、俺たちの場所ならおそらく言えるだろう、そんな気がした。
「テストも終わったし今週末の夏祭り行かない?」
「いいよ。日曜?」
「いや、土曜日」
「わかった」
あっさりと誘うことに成功した。
夏祭りは毎年、弟たちと回っていた。母さんたちは祭りの運営に直接かかわりはしないがあいさつ回りやちょっとしたお手伝いをしに行く。運営用テントの組み立てや規制線を張ったりする。毎年大体夜まで帰って来ない。その間俺や兄が下の子の面倒を見ることになっていた。
ちびっ子たちがどっか変なところに行って迷子にならないように管理するのは大変だ。野生動物のように帰巣本能があるわけではないし、犬のように鼻がよくないから自力で見つけ出すのも難しいだろう。人ごみに加えてちびたちにはきらきらと輝く屋台がとても魅力的に見えるそう。橙色に輝く金魚や子供用の小さいビニールプールに浮かぶヨーヨーすくい、割りばしに刺さったチョコバナナなどを見た彼らの目はキラキラと輝いている。それにとらわれると走りたくなる気持ちが湧いてくるようだがそれに手綱をつけるのが俺たちの役目だった。
今年は二番目の兄が帰ってきていて、その時に俺が友達と回りたいと言ったら快く世話を引き受けてくれた。兄も俺に長い間友達がいなかったこと知っていたので、珍しいことを切り出した俺を自由にしてくれたのだろう。かく言うおれも友達と回るのは初めてだから楽しみではある。
祭りの当日、朝、透花から電話があった。
「もしもし、志乃?」
「もしもし、どうしたの?」
「急にごめんね。母さんが浴衣見つけたから僕に着せたいって言ってるんだけど」
「いいじゃん。着ていきなよ」
「待ち合わせの時間に間に合わないかもしれない。というか絶対間に合わない」
「じゃあ16時に変更する?」
「うん。お願い」
「上の鳥居の下ね」
そう言って電話を切った。
俺も浴衣の方がいいか。俺だけ私服だと二人並んだ時浮くだろう。
母さんに電話したら箪笥の中にあったかも、とのこと。俺の隣の物置部屋に大きい箪笥が1つある。5段あるタンスの中を1段ずつ探っていく。ちょうど3段目に来たところでそれらしい種類の服が何枚か収納されていた。小さく暗い緑色をした甚兵衛を見たとき、絶対にこの段にあると確信した。箪笥の奥の方を探していくと黒の布にアクセントで白の縦線が刻まれている浴衣を発見した。そのすぐ隣にグレーの帯がいた。
着付けなんかしたことがなかったが見様見真似でやるしかなかった。待ち合わせの時間まではかなり余裕があったのだが、「浴衣を着る」というミッションのせいでそこまで時間がないことに気が付いた。俺の身長よりも長い身丈なのでその調整や長い帯を体に巻き付けるのにだいぶ苦労した。
1個目の鳥居をくぐり長い石の階段を上がると2個目の鳥居が現れる。そこが町で唯一の神社の入り口になる。正面に本堂とお賽銭箱があり、右側に手水舎、左側にはお守りやおみくじを売っている小さな小屋がある。この神社はそこそこ広く、俺たちの中学校ほどに広い。
毎年、神社は人でごった返していた。いつも広く感じる神社が屋台と人で埋め尽くされるので狭く感じるほどだった。入口左にはやぐらが組まれ太鼓やつづみの音がとんとことんとこと子気味よく鳴り響いていた。やや日が落ちた夕方の祭りはそこまで暑くなく、装飾の提灯の明かりが少しずつ見えるようになってきていた。
鳥居の下に浴衣を着た子が1人。女の子にしか見えなかったので本当に透花か確認してから話しかけようとしたが、あっちが俺を見つけるのが先だった。
「ごめん。待たせた」
「ううん。今来たとこ」
透花は浴衣の袖をもって全体を俺に見せてくれた。
「これ、女の子用らしいけど変じゃない?」
「全然、むしろ似合ってるよ」
「よかった」
白い布に青の菊の花が一面にちりばめられている浴衣とそれを引き締める紺色の帯に彼は身を包んでいた。靴はいつものスニーカーだった。下駄よりも圧倒的に動きやすいからだろう。
「志乃も似合ってるよ。かっこいい」
自分で何とかした着付けだったから誉められたのがうれしかった。素直に人をほめることができるのが彼のいいところだ。
「どこか行きたい場所ある?」
「とりあえずチョコバナナ」
入口すぐにある屋台が目に入ったからだろう。
「奥の方にもチョコバナナの屋台があるけど、値段は同じ?」
「うん。食べ物の場合同じものを売っていたら値段は統一されてる」
「そうなんだ。なんでだろうね」
「どっかひとつが安くしちゃったらそこにしか客が集まらないからじゃない?」
「確かに」
透花が二人分買ってくるといったので300円を渡した。
「すいません。2本ください」
「はいよ。600円ね」
台に刺さっているチョコバナナを透花が二本持ってこっちに戻ってきた。子供らしくかわいい姿をみて思わず
「ちょっと待って。写真撮りたい」
と言った。
「いいよ。一緒に?」
「いや、透花だけ」
図書館での失敗を起こさないように今日はカメラを持ってきた。2本のチョコバナナを持った浴衣姿の彼はやっぱり絵になる。ほんとに女の子にしか見えない。でもさすがに透花だけ撮りたいといったのはさすがにキモかったかもしれない。
人の少ないところに行った。石レンガの上に二人で座った。
てっぺんにくっついている小さな円形のチョコビスケットを最初に食べる。するとコーティングチョコのうえにカラースプレーが散らばったつるんとしたフォルムが現れる。上から順に食べ進めるが変に進めると割りばしに刺さったバナナが下がり落ちてくるのでうまいこと重心をとりながら食べる。
隣を見ると透花のチョコバナナは割りばしを滑って自分が持っているところまでバナナが移動していた。
「食べるの下手すぎだろ」
「食べるの難しくない?」
「全然」
もはや手で食べたほうが早いのではと思ったが透花は何とか割りばしに引っ付いたバナナを焼き鳥を食べるように横からスライドさせていた。
バナナのいなくなった割りばしを持ちながら透花が
「なんか余計におなか減っちゃった」
と言った。
「何食べたい?」
「たこ焼きがいい。でも全部はいらないかも」
「半分こする?」
「うん」
少し奥にあるたこ焼きの屋台に向かった。人が並んでいなかったのでそのまま買えた。
また透花が先陣を切っていった。
「すいません。たこ焼き一つください」
「まいど、500円ね。箸は2本?」
「はい」
屋台のおじさんがちょうど焼き立てをケースに入れてくれた。普通なら8個のところ明らかに9個入れているところが見えた。数え間違いかと思ったがおじさんが
「お嬢さん。かわいいから一つサービスしといたよ」
と言った。
透花はちょっとどぎまぎして訂正しようかしないか悩んでいた様子だったが結局
「ありがとうございます」
とそのまま受け取っていた。
遊戯系の屋台にも行った。1人6発の射的で小さい熊のぬいぐるみを二人で落とそうとした。12発あったが落ちるまであと少しという状態で終わってしまった。屋台の人が気を利かせておまけの一発をもらったときにも透花は「坊や」ではなく「お嬢さん」と呼ばれていた。その時はもうすんなりと受け入れていた。結局熊は落ちなかった。
いろいろと回っていたら日は完全に落ちて、時刻は19時になっていた。
祭りの締めは毎年花火をする。戦争が始まる前は夏に花火が大きく空に咲くってじいちゃんが言っていた。じいちゃんの昔話を聞いているとつくづく昔に生きてみたかったなと思う。今の時代にそんなことしたら敵に自らここにいますよと申告しているようなものだ。蚊ですら人間の皮膚に止まって血を吸うときにここにいると羽をばたつかせたり液体を飛ばしたりなどのアピールはしない。大体気づかないうちに攻撃を仕掛けられている。わざわざ死ぬ可能性が上がることをしないのは人間も蚊も一緒である。
空へ打ち上げない代わりに花火は手持ちの線香花火を用いる。派手さには欠けるが風情があっていいとじいちゃんが言っていた。俺みたいな若者は比較ができないからどういう味わいの違いがあるのかはわからない。
弟たちはまだ小さく火の扱いが怖いので、俺がいっしょに持って花火を楽しんでいた。純水に花火を楽しむことよりも弟たちがいかに怪我無く終われるかに神経を使うのでそこまでしっかりと花火を見た記憶がない。
一緒に運営テントへ向かって行ったときに後ろから突然声が飛んできた。
「お、志乃」
やたらでかい声は響かせたのは近所の大沼さん。所有している大きな畑で毎年キュウリやなすなどいろいろと野菜をくれる気前のいいおじさんだ。畑仕事をしているのだから引き締まった体をしていてもおかしくないはずだが、どういうわけかおなかが出ていて小太り気味である。毎年夏祭りの運営係をしている。
「係の人がお酒飲んじゃっていいの?」
「いいんだよ。おっちゃんたちはみんな飲むために集まってるようなもんだからよ」
毎年、俺が連れている弟たちがおらず、代わりに後ろの方で待っている透花の方を見ながら大沼さんが
「なんだ、今年はちびたちと一緒じゃないのか。彼女とデートとは、成長したな」
と言った。
「いや彼女じゃないし、友達だし。というかあの子男の子だよ」
俺がいろいろと否定すると、大沼さんが目を丸くしていった。
「えー、えらいべっぴんさんじゃないか」
「うん、俺もそう思う」
今日、透花は何回女の子に間違われたのだろう。覚えてはいないけれど結構な回数になってるだろう。少なくとも大沼さんと俺で2回か。
「花火をもらいに来たんだろ?二人分でいいのかい?」
「うん、お願いします」
大沼さんが運営本部の方へ向かって行った。
今日を過ごしている間、透花は女の子に間違われたことはあっても俺の彼女と間違われたことはなかった。いや、もしかしたら誰も何も言わなかっただけで俺たちはカップルとして見られていたのかもしれない。
そんなことを考えていたら大沼さんが戻ってきた。
「はい。バケツとライターと花火」
1人2本の線香花火のはずだが4本の中に異彩を放つ、特段長い花火も渡された。持ち手の部分にシールが貼ってありそこにはススキと書かれていた。
「大沼さん、一本多くない?」
「持ってけ。サービスだよ。二人で楽しんできな」
バケツのなかにすべてを入れて持ち運びやすいようにした。線香花火はバケツの中に収まっていたがススキ花火だけは飛び出していて、ねぎを買って帰ってくるときの母みたいになった。
少し離れた場所で待っていた透花の方に歩いて行った。一人でいる時の透花はどこか危なっかしい気がした。それは弟たちの興奮が爆発してどっかへ行ってしまい見失う可能性がある、というようなものとは違い一人にしたら見失うどころか存在そのものが消えてしまうような感じだった。
「はい、花火もらってきたよ」
「ありがとう。どこでやるの?」
「別に指定の場所はないよ。どこがいい?」
少し考えた後、透花が言った。
「人が少ないところがいい」
周りを見回すと、辺り一帯は人で埋まっていた。
「歩きながら探そうか」
「うん」
入口の鳥居をくぐって階段へと足を運んでいく。祭りの本拠地から鳥居という別世界の境界をくぐって一歩一歩と現世へ進んでいくと、架け橋となっている階段ではだんだんと騒々しい音が遠くなっていく。屋台でまぶしかった明かりもしだいに届かなくなって、等間隔に並んだ提灯だけがほっそりと階段を照らしている。俺たち以外に階段を上がってくる人、下がってくる人はいない。じゃりっと砂を靴で踏んだ音だけが鳴る。やがてその静けさは寂しさへと変化していく。もし隣に透花がいなかったのなら俺は寂しさに支配されて、不安になって、急いで階段を駆け上がっていたと思う。彼がいたからこの階段を下ることができる。透花の隣、俺の居場所はここなのかもしれないと思った。
階段の最後の一段を降りた。ここからどう進もうか。
「海の方に行く?多分人いないから」
「いいね」
右の道路を進んでいくと途中でT字のカーブがあり、海沿いに平行な道路へとつながる。Tの3っつに分かれるただ一点に直接砂浜へとつながる階段があるのでそこに俺たちは向かった。道路には街灯のほかに提灯が神社までつながっている。途中で提灯の列は切れてしまい、完全に祭りから切り離された気がした。
祭りの方に人が吸われた砂浜にも当然人はいなく、貸し切り状態だった。雲で覆われていた月は当然見えなかったけれど雲越しにどこにいるかは教えてくれた。
月明りを頼りにして、靴が濡れないように、寄せてきた波の端っこをタイミングよく掬った。これで準備ができた。
なんとも都合よく、二人が座れるくらいの大きめの岩があった。海からだいぶ離れているので濡れる心配もない。そこに並んで腰かけた。
俺がライターをもって花火に火をつけようとしたとき、透花がこっちに手を伸ばして言った。
「ライター貸して」
「使えるの?」
「わかんない!使ったことないもん」
なんかテンションが高かった。火を使わせるのが危なっかしくて貸したくなかったが一回やらせてみた。
透花は力を入れすぎて腕がプルプル振るえていたが、片手はおろか両手の親指で押しても火はつかなかった。
ライターをこっちによこしながら
「点かない。…志乃やって」
と少し不貞腐れた。
俺は慣れているので片手で余裕につけられる。先に透花の線香花火に火をともし、少し遅れて自分のに火をつけた。
直接火をつけた一点が赤くひかり、一瞬で消えてしまう枝がその周りを描く。次第に火薬が詰まっている上の方に火が来て、勢いが増す。真ん中の一点を囲うように枝が伸びて、すぐに消える。ふたりとも何も話さずただパラパラとした音が包む。弟と一緒にやっているときには気づけなかった線香花火の姿を楽しんだ。
先に俺の花火が消えた。
少し長く伸びた透花の一本目を終えた後2本目にも火をつけた。またなにも話さず、音と光と一緒に過ごしている時間と、こっそり透花の表情を見て楽しんだ。
あっという間に2人の線香花火が無くなった。残りは一際大きいおまけの花火だ。
「最後の一本はどっちがやる?」
「透花がやってよ。なんか似合いそう」
「なにそれ」
街灯の薄明かりが遠くからあるだけの暗い空間でも彼が照れていることが、少しだけ高ぶった声色と微妙にはにかんだ表情から読み取れた。
照れ隠しだったのか、どうなのかは知らないが透花は
「座り疲れたから立ってやるね」
と言って座ったままの俺と向かい合って、花火の先端を差し出してくれた。かちりと火をつけた。
線香花火のようにおとなしく光るのではなく、火をつけたところから勢いよく一線を描いて燃える。昔、絵で見た流星の尾のように流れていく。初めて見るタイプの花火だった。
子供のように興奮が収まらなかった透花は、花火を持ったまま俺から離れて、そして花火の火を振りまいた。花火が流れていく様子と透花の浴衣の袖が流れていく様子、天からの使いが踊っているかのような美しさだった。風は吹いておらず浴衣と花火が透花の動きにだけついていった。この時はもはや花火じゃなくて透花の方を見ていたと思う。
今日、花火と一緒に舞った姫の姿をずっと忘れないだろう。




