ふたりの青 2
五月のはじめ、となりのさらにとなりの県から三人家族がうちの村に避難してきた。構成は父、母そして男の子。その子は俺と同じ年だった。健康診断で165㎝の俺よりも小さく推定160㎝あるかないかくらいの背の低い男の子。髪がホワイトブロンド色をして短髪というには少し長い髪をした男の子。人によっては最初女の子に見える、美形でしゃんとした顔立ちをしている。
こんな過疎地域に来て、しかも同い年の子となると仲良くなりたいと思うのが普通だろう。ただ普通の手順を踏まないで生きてきた俺には友達が少ない。作り方がわからない。
うちは兄弟が多い。上にはもう自立して家を出て行ったのが4人、下には未就学児から小学生まで5人ほど。個人的には彼らがいるから友達を作る必要がないと思っていた。大体好きなことは似通っているし、彼らと遊んでいるほうが楽しかったから。
だから学校にも友達と呼べるような人はいない。ほんの少し話はするがお互いにうわべだけの関係を作って終了する。今まで避けてきたことの付けがこんな形で帰ってきてしまった。
そろそろ定期テストがやってくる。六月の頭に待ち構えている。勉強は得意だがテストは苦手だ。制限時間内で監視のある中、問題を解くなんて集中できない。図書館で勉強もできない。同じ理由で周りに人がいて集中できないから。その人たちは俺を見ているわけではないことはわかっている。けれど構えてすらない彼らの射線が私の背中を刺す、いわば俺の被害妄想的なあの感覚が苦手で行く気にはならない。だから数年前、兄貴が大学へ行くために近所の図書館で勉強していたがよくもあんな場所で何時間も集中できるなあと思ったことがある。
おおむねこの時期になると家で勉強していること、テストに対する不安、いろいろ合い重なって精神的にしんどくなる。登校中にも心が重くなる。向かうたびにテストまでの日が一日ずつ消化されていくのがさらに不安を投げつけてくる。受け取らなければいい話だがそこまで鈍感になれない。朝起きるのもしんどくなる。
そうは言っても休んではいられないので、体を起こし、学校へ向かう。途中、うちの町で一番大きい川を横切るようにかかる橋の上でめまいがした。足は地面についている感覚があるのに地面が近くに迫ってくる。背中が宙に上がり前に滑っていく感覚がした。さすがに危ないの足をまげて座り込んだ。赤とも黒とも言えない色が俺を襲った。
色が薄くなってきたあたりで後ろから声をかけられた。
「大丈夫?立てる?」
ぼやけた視界が晴れた先には声の主が立っていた。引っ越してきた彼だった。成長期の男子にしては濁りのないすっと響く声をしている。
「なんとか大丈夫。ありがとう」
「心配だから学校まで一緒に行くよ」
横並びで橋の上を歩く。身長の低い彼は歩幅が俺より小さい。いつもなら一人でずんずんと進むのだが、彼と一緒にいるのにそれはよくないと思った。いつもより歩幅を狭くして彼のスピードに合わせた。気温のせいか二人きりでいる緊張なのか、首筋から汗がにじむのが分かった
こういう時の会話に慣れていないのでどう切り出せばいいのかわからなかった。めまいの後味よりも緊張のほうが勝って、そっちが原因で倒れるんじゃないかと思た。
「そういえば、名前、聞いてなかったね」
「僕は鈴宮透花。君は?」
「俺は浅木志乃」
真を開けずに彼は聞いてきた。
「よくあんな感じで座り込んじゃうの?」
「まあ、特に最近は」
「休んだほうがいいよ。何かあったら遅いし」
「いや、休みたくはない。行かなきゃいけないから」
彼は怪訝な顔をした。帰らせることはむりだと判断した彼はしばらく考えたあと名案を一つ思いついた顔をした。
「じゃあ、僕が近くにいてあげる。そしたらいつそうなったとしても安心でしょ」
願ってもないことが起きた。彼から距離を詰めてくれるなら、詰め方がわからない俺にはとても助かる。
「ありがとう。お願いするよ」
この学校には1クラスしかない。大体30人ほど。まだ親しい友達らしい人がいない彼は宣言通りずっと俺につきっきりになっていた。初めて母親を見つけてその後をずっと追っているカモの赤ちゃんのように俺についてきた。俺がトイレに行くときも、次の授業の準備をするときも、朝から学校の門を出る時まで。
別に鬱陶しいとかはなかった。弟たちを愛でる時に出てくる庇護欲が彼に対しても出てきた。
玄関から正面に見える階段を上がると左手側に職員室がある。その横を抜ける廊下を進むと俺たち3年生の教室がある。さらにその奥へ進むと図書館がある、彼の住処である。今が5月の半ばだからおおよそ2週間は通っているらしい。
床はプラスチックの畳が敷き詰められているので、入り口で靴を脱がないとその聖域に入ることは許されない。ただひとたび入ってしまえば壁一面に棚で座している本が出迎えてくれる。靴下の上からでも伝わるつるつるの畳のまとまった繊維の感触が変に気持ちいい。入口の引き戸のすぐお隣には司書さんのカウンターがあるのだがちょうど留守だった。
俺が苦手な図書室は彼にとっては心地がいいようだ。俺みたいな過剰に、ある意味病的に他人の目を気にしたことがないのだろう。それが普通だと思うが。
しかし苦手な図書室も彼と一緒にいると何も気にならなくなる。誰かと一緒にいると気が大きくなるやつだ。「赤信号みんなで渡れば怖くない」とはまた少し違うけれど、本質はこれと同じだ。図書室内に俺と彼を除いて数人しかいなかったのも功を奏していたかもしれない。
「なんで図書室に入り浸っているの?」
「本に囲まれた空間ってなんか落ち着くんだよね。あと単純に本が好き」
「ふーん。俺あんま本読まないからわかんないや」
「読まないなんてもったいないよ」
「なんでよ。別に読まなくたって生きて行けるじゃん」
「昔の人が何を考えて、何を思って、どんなことを伝えたくて文章を創ったのかが直接わかる媒体なんだから読まないと損だよ。絵や音楽と同じでその時代を語ってくれる承認だしさ」
「でもテスト勉強しないで本を読むのはどうかと思うけれど」
「別に成績なんか気にしてないし、転入してすぐなんだから先生も多めに見てくれるでしょ。というか授業聞いてたら変な点数は取らないし。本読んでるほうが得だよ」
ここにきてよかったと思った。彼が好きなもの、彼の性格が知れたのだから。顔に似合わず度胸があり大胆で、それでもって自分なりに意義をもって行動してる。およそ俺とは真反対な生き方をしている人だ。だから彼に惹かれたのかもしれない。人は自分に足りない要素を持っている人を好きになるものよ、と母も言っていた。俺が彼のことを恋愛的に好きかどうかは置いておいて。
いつも最終下校時刻まで何かしら本を読んでいるという彼に合わせて俺も一緒にいることにした。いつも授業が終わったらすぐに帰宅をしていたので、久しぶりにこの学校で新鮮な気持ちを味わう機会を得た。勉強してもよかったがせっかくなので俺も本を読んでみることにした。
俺は前述の通り本を読まないのでお気に入りの作家とかいるのかといわれても困る。けれど国語の授業中の暇なときに便覧をパラパラとめくるのでいくらか知っている作家の本があった。今が大体2080年だから、夏目漱石とか森鴎外とかいう約200年前の人の作品を読めるのは確かに彼に一理ある。
俺は夏目漱石の夢十夜を手に取った。短編の小説が連なった形だったので俺でも読みやすいかなと思って選んだ。彼は少しづつ読み進めていたという本を手にした。便覧では見たことのない作家の本だった。借りて帰ればいいのにとは思ったがここで読むことが彼にとっては大きな意味をもたらすのかもしれない。
昔、母が父を好きになった理由を聞いたことがある。その時に一目惚れだったとか言っていたような。「好きという気持ちはだれにも邪魔されてはいけない大切な感情だよ」と言われたことがある。彼にとって本と図書室は好きでつながる大切なものなのだろう。彼の大切を感じてみたかったから本を読むことにした。
「こんな夢を見た。」から始まる第一夜は「自分」とまもなく死んだ女との話だった。女の言っていたことを忠実に守る「自分」がけなげに思えた。
夢って大体こんな感じだよなと思った。人間が出てきて、声や肌の感触とかは現実に近いのに唐突に突拍子もない設定が入っているがそれに特別な疑問を持たないで過ごしていく感覚。夢を文章に持ってくるだけでも難しいのにおもしろい文章になるなと思った。
第六夜を読んでいる最中に横に目をやると、彼は本を机の上に伏せて手を前に組み伸びをして
「ちょっと眠くなってきちゃった。下校時刻になったら起こして」
と言った。人もいないし迷惑にならないから構わないだろう。
「わかった」
と返した。
俺のほうに頭を向けて、机に平行になるように体を動かして寝始めた。自分の着ていたブレザーを丸めて枕の代わりにし、体を丸めて寝た。少し肌寒い図書室で、ワイシャツ一枚ではさすがに寒いだろうから俺のブレザーを毛布のように彼にかけた。行き場を失っていた彼の両手が俺のブレザーを握った。弟たちを寝かしつけているときのことを思い出した。やつらもそんな感じで寝るから。
彼は本当にきれいな横顔をしている。長くいとおしい横髪の隙間から除く大きな目、長いまつげ。小さくかわいらしい口と少し肉付きのいい頬。絵が上手かったらこっそりスケッチして部屋に飾るのに。
彼は一体どんな夢を見るのだろう。俺が出てきたりしてないかな。もしくはここにやってくる前に受けたことがトラウマとして夢に出てきたりするのだろうか。彼のとても深いところにはいったい何がいるのかはわからないがもしそこに俺がいるならちょっとうれしい。
本を読む気も起きなくなり、自分も眠くなってしまった。5分だけ、と思い机に突っ伏していると逆らえない何かが俺を包みそれにに負けてパワーナップでは済まなくなってしまった。ふたりして夢の世界へ向かった。




