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そして鐘が鳴る  作者: 美空 侑李
第一章

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お願い

 宰相様の執務室の前で、テオと「健闘を祈る!」と声を掛け合って別れた。ベルガ殿下の執務室に入るのにこんなに緊張したことはない。扉の前で深呼吸を三回してから、部屋に戻った。


「戻りました」

「あぁ」


執務室にはベルガ殿下とダイさんしかいなかった。二人とも机に向かって書き物をしている。他の人がいないなら話をするのにちょうど良い。


「ベルガ殿下。リュカ殿下なのですが、熱を出されていましたので医務室に連れて行きました。なので書類は渡しましたが、目を通すのは少し時間がかかると思います」

「熱?」


まずは必要な報告をした。ベルガ殿下は藍色の目を大きく開いた。近くの机にいたダイさんも勢い良くこちらに視線を向けたのを感じる。


「はい、高熱で。たまたまテオと一緒だったので、彼に運んでもらいました」

「そうか……。朝に会ったが気付かなかった」

「気付かなくても無理ないほど、顔に出ていませんでした。……落ち込まないでください」

「うお、本当だ。ベルガ、ちょっとへこんでんじゃん」


一見いつもの無表情。だけど視線は落とされ、眉毛は僅かに寄せられている。ベルガ殿下のこの表情は結構珍しい。ひょいと覗き込んできたダイさんも、からかいはしなかった。


「リュカ様の熱に気付いたのはイリスなの?」

「はい。何となく顔が青白かったですし、リュカ殿下の周りの温度が高かったので」

「いや、それよく分かったな?」


「温度て」とダイさんはちょっと引いた顔を向けてきた。まぁ我ながらよく分かった方である。


ベルガ殿下はまだ黙っているが、言うなら今だ。ぐっと手を握り、「いくぞ」と心の中で合図を掛ける。


「それでベルガ殿下。お願いがあるのですが、私にリュカ殿下の手伝いをさせていただけないでしょうか」

「おっ」

「…………」


沈黙だ。向けられたベルガ殿下の顔は、むすっと不満そうだ。こうしたお願いは前世でもしたことがなかったと思う。イリスとしても、これは心臓の音が速くなった。

ダイさんの視線を感じるが、ベルガ殿下から目を離さない。しばらくの沈黙の後に殿下は口を開いた。


「こっちも忙しい。お前にやらせる仕事はたんまりある」

「短時間で出来るのはありますか。面倒でも危険でも良いので」

「何故あいつを手伝おうと思った?」

「一人にしたくないからです」

「あいつが人を寄せないのは知ってるだろ」

「でも、カップを増やしてくれました」

「は?」

「おぉっ! やったなイリス!」


先日、執務室にカップを増やしておいてよ、とダイさんがリュカ殿下にお願いした。さっき窓が閉まっているか確認したときに、カップボードの中身が二つ、増えているのが見えた。

これはイリスとテオを受け入れてくれるということだと思うのだ。

リュカ殿下としてはお茶だけのつもりかもしれないが、そこは今は伏せておこう。


先ほどこの話をテオにしたら、分かりやすく顔が明るくなっていた。口では「ふぅん」という感じだったけど、あれは絶対すごく喜んでいた。テオは本当に分かりやすくて、思い出すと少し笑ってしまう。


目の前では、いよいよ立ち上がったダイさんが、興奮気味にベルガ殿下にカップの説明をしている。

カップはダイさんがお願いしたことだったが、望み薄だったのだろうか。


「……リュカがお前らを受け入れるつもりなのは分かった。だが、あいつだって必要なら普通に人は呼ぶ。さっきも言ったが、こっちも忙しいのにわざわざお前を行かせられない」

「でもさ、この件ではまだ人つけてなかったんでしょ? リュカ様もイリスたちを呼びたかったんじゃない?」

「イリスとは茶でもすればいい。拘束時間の長い仕事の方は他の奴を呼ばせる」

「っかー! お前、分かるけど! 結構こっちも本当に忙しいけどさ、可愛い弟とイリスのお願いだぞ? 聞いてやろうぜ」


何故かダイさんも熱心に説得してくれている。この人がいる時で良かった。イリスは、最終的にベルガ殿下の指示に従う。ベルガ殿下に「駄目だ」とはっきり言われたらそこまでだ。だから、そう言われる前に説得を進めなければならない。


「ベルガ殿下、お願いです。というかさっき、リュカ殿下が倒れながらも仕事をしようとするので、もう『手伝う』って言っちゃいました」

「ほらっ! 言っちゃったって!」

「……」


呆れとも困惑ともつかない顔の殿下に、必死に「お願い!」と目で訴える。もうこれしかない。ダイさんからも突かれ、殿下は深いため息を漏らした。


「……高熱で仕事はできねぇだろ。あいつも頭が良いのか馬鹿なのか分からんな」

「仕事熱心すぎるだけだと思います……」

「リュカ様が馬鹿って言われんの新鮮じゃね? 今度教えよ」

「イリス。今さっき、今晩テロを起こす奴がいると分かった。これを未然に防いだら許可してやる」

「了解です」


テロ防止か。まぁやってみよう。さっそくベルガ殿下から詳細を聞いた。


「テロに一切怯まないあたり、めっちゃベルガのとこの子ではあるけどなぁ」

「私が死んでもテロは阻止してみせますよ」

「覚悟の決まり方すごいって」


日中の複数の仕事と、夜中のテロに備えて準備を整え、執務室を出た。



◇◇◇



 いつも通り執務室に向かわれたリュカ殿下が、朝食からそう時間を経たずして私室に戻られた。

医務室から連絡が入り、すぐに騎士と迎えに行ったが熱でぐったりとされた殿下を見て、自分が気付けなかったのを悔やんだ。


執務室に向かわれるまでの間、一番近くにいたのは、専属執事である自分だ。けれど、今朝もいつも通りに見えた。


リュカ殿下の発熱に気付いたのは、たまたま書類を届けに行った、ベルガ殿下の補佐、イリス・シュパールだったと聞いている。リュカ殿下の顔を見てすぐに違和感を持ったのだと。


まだ殿下と会って間もない彼女に救われたが、同時に個人的には不甲斐なさを覚えた。幼少の頃からリュカ殿下は熱が顔に出にくい方であることを、自分は知っていたのに。


 もうすっかり夜になった。

殿下はあれから眠り続けているが、そろそろベッドサイドの水を新しいものに交換しようと私室の扉をノックすると、返事が聞こえた。


 部屋にはベッドから半身を起こして水を飲む殿下がいた。その頬にようやく、ほんのりと赤みが出ていた。


「起きていらしたのですね。新しい水をお持ちしました。こちらのが冷たいので、すぐにお注ぎします」

「ありがとうございます……」

「医務室のヒューが診たところ、風邪だろうとのことでしたので、しばらく休めば大丈夫とのことでした」

「分かりました」


新しい水をコップに注いで、底の方を持って渡す。殿下は少しぼんやりしている様子だ。普段、起床直後でもこのような姿は見せない。


 熱を測ってもらったが、やはりまだ下がっていない。夕食の話をしようとしたとき、殿下が口を開いた。


「自己管理できていないとは、私も駄目ですね」

「いえ。最近は朝晩で気温の変化も大きいですし、無理ありません。私ももっと注意するべきでした。イリス様が気がついてくださって良かったですね」


急に、リュカ殿下の顔の赤みが強くなった。直前までこんなに赤くなかったのに、突然のことに体温計を勢い良く殿下に突き出してしまった。


「急に顔が赤くなりました。熱が上がったようです。もう一度、体温を測りましょう。医師を呼んできましょうか」

「いえ。あの、そういうのではないと思うので、大丈夫です」

「え?」


症状が悪化したのかと思ったが違うらしい。唇をぎゅっと引き締め、手もシーツを強く握っているこの様子は……照れ、だろうか。


「イリス様と何かありましたか?」

「いえ。……決してわざとではなかったですが、熱でふらついて、彼女の方に倒れてしまって悪かったなと考えていただけです」


おや、と思った。おそらく彼女が抱きとめるような形になったと想像できるが、そのことに、この殿下が一切の不快感を表していない。


赤子の頃から抱っこされるのが嫌すぎて歴代最速で歩き始めたリュカ殿下が。まだ幼かった弟殿下たちにくっつかれて子どもの顔に合わない死んだ目をしていたリュカ殿下が。


スキンシップに関しては家族でも嫌がるので、自分をはじめ、周囲の人間はリュカ殿下には極力触れないように心掛けているのだが。


「スキンシップが苦手でいらっしゃるのに、イリス様は平気だったのですね」

「それどころではなかったですし、その後はテオがおぶってくれましたし、彼女が特別どうということではありません。そもそもアレルギーとかではなく、少し苦手なだけなのはあなたも知っているでしょう」


殿下は一気に喋り、ぷいと顔を逸らしてまた水を飲んだ。言葉はその通りだろうが……

そうか、そうかと納得する。リュカ殿下の初めての反応に微笑ましいような、困るような気持ちだ。彼女は平民だ。殿下の幸せには……



 そう考えた時、部屋の扉がノックされた。入ってきたのはベルガ殿下だった。

リュカ殿下はコップを置くと、ベッドサイドに置いてあった眼鏡を掛けた。

ベッドに近づいてきたベルガ殿下に椅子を勧めるが、「すぐ出る」と辞退された。


「よぉ。具合はどうだ」

「熱は下がってません。風邪だろうとのことなので、少し休むことになります」

「そうか。不調のところ悪いが、お前、例の件でイリスを手伝わせる気はあるのか?」


またイリス様だ。ベルガ殿下はいつも用件を率直に話す方だが、その顔に感情が見えないので、話しにくさがあると自分は感じてしまう。


もしかしてイリス様は、この無表情か不機嫌顔しか見せないベルガ殿下に慣れているから、リュカ殿下の細かな変化にも気付けたのだろうか。いや、彼女は入ったばかりだからそれはないか。


「……そちらで三人も亡くなっていますし、無理でしょう」

「あいつはお前を手伝う気だが、要らないということか?」

「え……」

「それならそれで良いが。むしろ俺としてはその方が良い」


ベルガ殿下はそう言うと口を閉じた。リュカ殿下の反応を待っている。そのリュカ殿下は少し俯き、シーツを握りしめている。

おそらく遠慮があるのだろうが、その本心を、自分はもう知っている。


ここで待たせすぎると、ベルガ殿下はさっさと決めて帰ってしまうのはリュカ殿下も分かっているはずだ。

先ほどの複雑な気持ちも忘れて、リュカ殿下に早く返事をしてほしいと、自分の方が落ち着かない。


 数秒の後、リュカ殿下は顔を上げ、ベルガ殿下の目をまっすぐに捉えた。


「イリスを貸してください。お願いします」

「分かった。ただし丸一日は無理だ。半日ずつに分けるぞ。それと俺の方で緊急で呼びたいときがあったらこっち優先だ。良いな?」

「はい。ありがとうございます」


祝福。その気持ちだ。ただ仕事の手伝いが決まっただけなのに、めでたい気分だ。顔に出さないように何とか引き締める。


ベルガ殿下は表情を変えないまま、「じゃあな」と颯爽と去っていかれた。昔から本当にさっぱりとしてらっしゃる方だ。


「良かったですね、リュカ殿下」

「……はい」


ぽわぽわ、という表現が合うリュカ殿下は、紛れもなく喜んでいた。


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