黒体病
全員の笑いが収まり、恋バナを喋り通してご飯を食べる手が止まっていたダイさんのお皿も空になった。
「リュカ様、この後どうすんの?」
「図書室に寄ってから執務室に戻ります」
「一緒に行こうぜ。本なら俺らが運んでやるよ」
「……ではお願いします」
リュカ殿下は一瞬イリスたちの顔を見てためらったが、頷いた。ダイさんの言葉の後にすぐ「大丈夫ですよー」という顔をしておいて良かった。
食堂を出て、再びリュカ殿下を先頭に図書室へ向かう。ダイさんの「第二食堂はすげぇ茶色いメニューが多くて俺はそっちにも行ってるんだぜ」などという話を聞きながら歩いた。
しばらく歩いていたら、廊下一面の白い壁が続いた。何かと思っていたがこれが図書室だったらしく、扉から本を抱えた人が出入りしていた。
そのまま中に入るのかと思いきや、殿下は少し扉から避けたところの壁際に立ち止まって、こちらを向いた。イリスたちも殿下の近くに寄り、輪のような状態になった。廊下は広いし、この辺りは人通りも多くないので、イリスたちだけ密な感じになっている。
「図書室内であまり喋るのも他の人に迷惑になるのでここで。私は今、黒体病について調べています」
「あ、リュカ様も調べ出したの?」
「えぇ。"あの件"はまだ解決しなさそうですし、個人的にも気になるので」
声を潜めた殿下に、ダイさんは「あれなー」とひげを掻いている。二人は何か知っているようだが、イリスは首を傾げた。テオは大事そうな話にきゅっと顔を引き締めて「何のことですか」と顔に書いてある。本当に分かりやすい人だ。
イリスたちの顔を見た殿下は説明が必要と理解したらしく、そっと口を開いた。
「知っているかもしれませんが、黒体病は数百年以上前に流行した、体が黒く変色して死に至る病気です。ここ数カ月でまた二人、その症状で死んだ人がいます」
怜悧な顔で話すリュカ殿下の言葉に驚いた。医療に詳しくない人間でも覚えやすいその特徴を持つ病気は、大昔の話として扱われていた。イリスが最後にその単語を聞いたのは歴史の授業だ。
「え? あれって何とかの樹が原因で、その樹をすべて燃やして解決したんじゃなかったでしたっけ」
「えぇ。ラシュハの樹にできるタダの実を食べるとその症状が出るのが分かって、当時その樹はすべて燃やしました。なので今はその樹はないはずなのですが、どこからか、また育っているようなのです」
「しかもなぁ、その樹がまだ見つかんねぇんだよ。死んだ二人はどっちもエシェカの森に行ってたらしくて、ヘルンのところでその森は結構探してるんだけどな。まぁ広いからなぁ」
植物研究所の方ですでに動いているのか。エシェカの森は城からも近い、広大な森だ。城は丘の上にあるので窓からその一面の緑が見える。グレイさんとの任務でも行ったが、本当に広かったし、その樹を探すのは大変そうだ。テオもなるほど、と納得していた。
「昔流行したのは、タダの実はブドウによく似ているので、誤って食べる人が多かったからです。樹を見つけ次第また燃やすことになると思うのですが、私としてはこの病気自体が解明されていないのが気になっています」
「昔とりあえず樹を燃やして解決したけど、結局どういう病気なのかは分からず終わってるんだよな」
「えぇ。優先度が下がって謎の病気のまま終わっています。専門とする医者も研究者もいません。ですが、また同じことがあるかもしれませんし、どれほど有益か分かりませんが、調べてみたいのです」
話は理解できた。黒体病で亡くなったのは直近ではまだ二人だが、樹を探すのに難航している以上、今後も増えることを視野に入れて対策を考えておきたいということだ。
イリスとテオも頷き、殿下は「では行きましょう」と図書室に入った。
重厚なドアを開けて中に入ると、ずらりと本棚が並んでいる光景が目に飛び込んだ。広い室内には圧巻の本の量が納まっていて、紙の匂いが強く鼻に入る。
入ってすぐ右手にはカウンターがあり、司書たちが茶色のエプロンを付けて本の貸し出しをしていた。
リュカ殿下が慣れたように足を進める先に着いていくが、これはイリスでなくても室内で迷うのではないかというほどの図書の量だ。ほぼ同じ光景がずっと続いている。
しばらく歩き、『医療』のプレートが着いた棚の前で殿下は足を止めた。医療と簡単に書いてあるが、ぱっと見でも本棚いくつ分もの大量の本が並んでいる。
「とにかく情報を集めたいので、黒体病の記載のある本を探してもらえますか?」
『了解です』
元軍人が三人して完全に声を揃えたので、殿下はちょっとびっくりした顔をしていた。ダイさんの敬語の方に驚いたのかもしれない。まぁいいか、と近くの本棚を見ていく。
目の前の本棚には「病気の歴史」や「病気と民話」といった伝承系の本が大量に並んでいる。年季の入ってそうな一冊を手に取ってぱらぱらと開いていると、体が真っ黒に塗りつぶされた人間の図が見えた。
その本には黒体病がはじめて認知されたときから流行、終息までが年表とともに書かれており、まさに歴史だ。
黒体病の記載のあったその本は腕に抱えて、他の本も手に取って中を見ていった。
「イリス、この辺の棚では結構見つかると思いますが、腕に持てる分だけで良いです。私は向こうの『歴史』コーナーも少し見てきます」
本に集中していたら、いつの間にかリュカ殿下が横にいた。突然声を掛けられて心臓が跳ねたが、態度に出さないように努めた。落ち着いた声で「分かりました」と答えた。
『医療』ではなく『歴史』コーナーにも情報はあるかもしれないということだろう。殿下は足を動かしかけて、止まった。どうしたのかと見ていると、気遣わしげな顔でイリスの見ているページに視線をやった。
「ちなみに今開いているページは、普通は怖がられるようなものですが、大丈夫ですか」
「まぁ……大丈夫ですね」
黒体病の記載があるかを確認するために、ぱらぱらとめくっていたページには、人間の体に大量のぶつぶつが発生している図が載っている。この症状は悪人に対する神の罰なので懺悔と司祭の祈祷ですべて体内から吐き出させている図らしい。本物を見て描いたのか知らないが、やたら本格的なその図はそれなりに刺激が強い。
だがイリスはこういったものには慣れているので普通に見ることはできる。殿下は「そうですか」と言うと、歴史コーナーへと向かっていった。
医療系の本にこういった図はつきものだが、気分が悪くなる人もいる。リュカ殿下はそれを心配してくれたのだろうか。ダイさんの頭を診たり、こうした心配をしてくれたり……
「なんだ。優しい人だ」
肩の力が抜けた気がした。そもそもイリスが見たところ、リュカ殿下は普通に"良い人"だ。
横を見ると、少し離れたところでダイさんとテオも本棚をじっくり見たり、ぱらぱらと本をめくっている。イリスも再び、本に向き合った。
何冊か黒体病の記載のある本を見つけ、四人分の探した本を貸し出しカウンターに持っていった。
カウンターに置いた本は、冊数も多く、かつ一冊一冊が分厚いためかなりの重さになった。
この図書室、本当に資料が豊富だ。イリスは歴史や民話あたりに絞っていたが、これでも到底見切れてはいない。
貸し出して貰った本をダイさんとテオと分担して持った。
「結構な量だなぁ」
「重いでしょう。イリス、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
三人いるし、ほとんどダイさんたちが持ってくれているので余裕だが、リュカ殿下は気遣ってくれた。
数冊しか持ってないので本当に大丈夫だ。安心させるべく、にこりと笑いかけておいた。
「それも俺が持ってやろうか?」
「いや、テオこそだよ。何でそんな余裕そうなの」
テオの腕にはずっしりと本が重なっている。絶対重いのに表情は変わらない。ダイさんみたいに分かりやすく筋肉あるタイプではないのに、なかなかの腕力だ。
「ふっ、宰相様のところで大量の書類を運んでるからな」
「テオ、腕相撲しようぜ」
「あ、やめておきます。腕の骨折れるので」
ダイさんはケタケタ笑っている。片腕でテオと同じくらいの本を持ってこの余裕。イリスからすれば理解不能な力持ちだ。
三人とも大丈夫そうと分かったのか、殿下が歩き始め、それについていく。
というかこの量を殿下は一人で読むのだろうか。そっちの方が大変そうだ。
一人で前を歩く殿下の背中を見ていると、少しやるせない気持ちになった。
リュカ殿下の執務室に入ると、一面に本が並べられ、職員用の執務机は少なかった。奥の方にリュカ殿下のらしい執務机と、その真横に大きめの作業机があるが、そこにも本が積まれている。机の右手には扉があって隣室と行き来できるらしい。他に人がいないこの部屋はすごく静かだ。
「この机に置いていただけますか」
「リュカ様、俺らまた来るからカップ増やしといてよ」
「え!? ちょ、ダイさん……! そんな、図々しいですよっ」
テオが止めるも、ダイさんは「よろ!」とリュカ殿下にウインクしている。とりあえずイリスは言われた通り、作業机の方に本を置いた。
机のさらに奥に、小さめの手洗い場と、カップボードが見える。マグカップが三つ入ったカップボード上にはコーヒーが置かれていた。
四人でお茶するならカップは足りないが、そもそもまた来ていいのか分からない。
ダイさんのお願いに乗るのも、いや私の分は不要ですというのも、どちらも失礼な気がして何とも言えない。
リュカ殿下からの返答もない。困らせるだけなので殿下に挨拶して、もうダイさんを連れて戻ろう。そう思ってカップボードから目を離し殿下の方を見ると、ぱちりと目が合った。そしてすぐに逸らされた。
……もしかしてイリスの反応待ちだった?
黙ってしまっていたが、何か言うべきだったのか。え、何言えばいい?
「ふっ、今日は戻るけどまた来るわ。リザちゃんとの恋は終わったけど、マルちゃんとの恋が始まりかけてるからなっ!」
「その話は不要なのですが」
「進展があったら絶対話すわ」
返す反応がまとまらないうちに、ダイさんが別の話を始めていた。カップの話は終わったようなので、イリスはこっそり安堵した。
ダイさんは真顔で「絶対ね」と念押ししてるが、何故そんなにリュカ殿下に恋バナを聞かせたいのか分からない。多分、このメンバーなら一番その話を聞いてくれるのはテオだと思う。そのテオは、王子に対して無遠慮すぎるダイさんを「本当にこの人は、もうっ!」と真面目に諌めている。
しかしダイさんの恋バナはともかく、結果的にリュカ殿下に雑談できる人がいるというのは良い気がする。王子とはいえまだかなり若いのに、もう仕事漬けというのもいささか味気ないし息が詰まるだろう。
「イリスは何に頷いてんの? ダイさん回収するの手伝ってくんない!?」
「あ、ごめ……ふふっ、テオ、何か変な格好になってるよ」
「ダイさんがてこでも動かないんだって!」
少し目を離した隙に、姿勢を伸ばして一心に殿下に話し掛けるダイさんと、ダイさんの腕を全力で引っ張りすぎて今にも走り出しそうな姿勢になっているテオがいた。片足で全身に力を込めて、真剣なのは分かるが、室内では間抜けな格好になっている。顔も凄いことになっている。
「んっははは!」
「イリスぅ! 笑ってんなよ!」
「あなたたちは何をやっているのですか……」
「ねぇリュカ様、聞いてる? 俺の話ちゃんと聞いて」
結局、テオが奮闘してダイさんと、何故かイリスの腕も掴んで、ずるずる引っ張られるようにリュカ殿下の執務室を出た。「ありがとうございました」と見送る殿下の顔は何とも言えないものだった。
「めっちゃ疲れた……」
「頑張ってたね」
「何かお前老けた?」
「もうやだこの人たち!」
「俺の心臓がもたないんですけど!」と二人してテオに文句を言われつつ、殿下たちの執務室の真ん中に位置する宰相室の前で彼とは解散した。
ダイさんとベルガ殿下の執務室に戻った。ベルガ殿下は相変わらず机に向かっていた。
「戻りました」
「遅かったな」
「リュカ様と楽しく過ごしちゃってさ!」
ベルガ殿下のこの無表情は、怒っていない無表情だ。ダイさんは「てへっ」みたいな顔で殿下にウインクをしているが、殿下はそれを無視してイリスを見てきた。
「……楽しく過ごしたのか」
「はい、皆で楽しく昼食を食べました。その後は図書室に寄って来ました」
「はっは! イリスがリュカ様を笑わせたんだぜ!」
「……」
殿下は無言でびっくりしていた。無駄に圧のある表情だが、これがベルガ殿下のびっくり顔なのは知っている。イリスをガン見してくる、いつもより大きく開かれた目は「お前凄いな」みたいなことだ。多分リュカ殿下の笑顔が珍しいのだと思うが、そんなになのか。
「そうか。俺はあいつの笑った顔を見たことがない」
「はっ! 俺らは見ちゃったもんね!」
ぷいと目を逸らされた。自分は兄なのに、ということだろうが、多分ベルガ殿下こそ笑った顔を見せてないのではないかと思う。イリスは前世からベルガ殿下の笑顔は一度も見たことがない。この人、何なら笑うんだ?
思わずまじまじと殿下の顔を見てしまう。
「ひゅー!」とダイさんが殿下を両手の人差し指で指して煽り、殿下が睨んだ。これは普通に怒っている顔だ。殿下は目つきが悪いので結構怖めの顔になっているが、ダイさんはまたウインクをしている。本当に心臓が強い。
「おい」
「まぁ俺らはリュカ様と仲良しってことよ! つーか、リュカ様も例の黒体病の調査始めたらしいな。解明されてないことだから気になるんだってよ」
殿下はその話を聞くと、いつもの顔に戻した。仕事モードだ。
「そうか。まぁ医療関連はあいつに任せよう。俺らは別の仕事を進めるぞ。イリスは一週間分の報告書を書け」
久しぶりに報告書を書いたが、殿下に「お前これ……軍人仕様じゃねぇか」とツッコまれた。軍人時代にしか報告書を書いたことがないので、こういうものだと思っていたが違ったらしい。
ラミーさんとの仕事から戻ってきたグレイさんに書き方を教わった。
「ようやくイリスに先輩らしいことができました」
「グレイさんはずっと頼もしい先輩でしたよ?」
「うーん……?」
一週間、大量の任務の段取りをすべて決めてくれていたのはグレイさんだ。禁書の件もグレイさんが事前に本が盗まれている曜日を調べていたからあんなにスムーズだったし、他の件もそうだった。「次はこっちですよ」というグレイさんは安定感抜群の頼れる先輩だった。
なのでイリスとしては本当にそう思って言ったが、あまり納得はしてもらえなかった。可愛げのある後輩を期待していたのかもしれないが、まぁそれはイリスの次の後輩に任せたい。
翌朝、イリスが出勤すると、ベルガ殿下の執務室の空気が異様だった。
険しい顔をしたベルガ殿下は、いつもの席で座って、腕を組んで何かを考えている様子だ。ダイさんは殿下から近い机に寄りかかり、腕を組みながらひげを触っている。
他の職員たちは執務机に座りながら、殿下の様子を心配そうに見ていた。
普段なら皆、朝にベルガ殿下からその日の仕事を割り振られてあちこちに動くので、この部屋は人が少なくなりがちだ。しかし今日はまだそれがないのだろう。こんなにこの部屋に人がいるのは、勤務初日以来だ。
イリスの戸惑いに気づいたグレイさんが、「おいで」と軽く手招きをしてくれた。少し眉毛を下げたグレイさんに近づいて、小声で話し掛ける。
「何事ですか?」
「まだ分からないのです。皆揃ったら話があると思うのですが……」
後から出勤してきた人もイリス同様に、この空間に戸惑っていた。
しばらくの後、殿下は立ち上がった。
「あれ? まだ全員じゃないんですけどね……」
グレイさんがぼそっと呟いた。
ベルガ殿下は一つ息を吐き出し、口を開いた。
「昨晩、任務で外に出ていたジオルドとエミーとワダムが死んだ。三人とも体は黒く変色していたらしい」




