イリスの過去④
マカロンをあげた翌日、アリーシア嬢たちから何か言われることもなく普段通り過ごした。婚約破棄の噂は昨日よりは落ち着いていたが、まだそこかしこで話題にしている人は多くいた。
その日の授業が終わった直後、教科書を片付けるよりも早く、アリーシア嬢がイリスの席に来た。
「イリス。今日の放課後の予定は?」
「勉強です」
「学期末テストまではまだ時間ありますし、今日はわたくしとお茶しませんこと?」
「え……」
「勉強したいならうちでも出来ますし、よろしいわね?」
返事をするより先にアリーシア嬢は教科書を片付けに行き、鞄を持って「行きますわよ」と帰り準備を促して来た。
ローズベリー家の馬車内ではテスト勉強の進捗など他愛もないことを話す程度で、本題は家に着いてから話しがあるのだろうと身構えた。
馬車が止まり、スーツを隙なく着こなした御者の手を借りて降りると、クリーム色の大きな屋敷が見えた。
敷地の広いこの家は、門から屋敷までは距離があり、その道は色とりどりの花が道を飾っていた。たっぷりの緑が屋敷を囲い、美しい花のアーチなども見えた。
「大豪邸ですね」
「まぁ、名門と言われる侯爵家ですもの。あちらの奥は果樹園なのですが、ローズベリーの名前の通り、ベリーが豊富に実りますの。あちら側は庭で、こちらも名前の通り、暖かくなってくるとバラが咲き誇りますのよ」
いろんな人を相手に百回はしてそうな説明も、億劫がる様子を見せずに丁寧に話してくれた。華やかで上品なこの家は、まさに彼女の印象に合っていた。
中に入るとますます豪華としか言いようのない煌びやかな内装に、大勢の使用人が出迎えた。
自分の場違い感が強くて早くも帰りたかったが、アリーシア嬢は使用人に荷物を預けると、「こっちですわ」と先導してくれた。
案内されたのは、金色の額縁に囲われた花の絵や大きなバイオリンのような楽器がセンス良く飾られた一室。促されるままに、ふかふかの赤いソファに腰を掛けた。
向かい側に彼女も座り、数名のメイドたちが手際良く紅茶とお菓子を用意し、イリスたちの後ろに控えた。
決して慌ただしくはない、けれど見事な動きだった。
金縁のティーカップに淹れてもらった紅茶を飲んで、ほぼ同時にカップから口を離した彼女の言葉を待った。
「昨日はありがとう。マカロン、とても美味しかったわ」
「それなら良かったです」
いつも堂々としている彼女にしては珍しく、伏し目で静かな言い方だった。無理をしている様子もないので、これも彼女の一面なのだろう。
「昨日のもありますけれど、前々からあなたと仲良くなりたいと思っていましたの。いつもさっさと帰ってしまいますし、一度ゆっくりお話ししたいと思っていましたわ」
仲良くなりたいと言われてもどうしたら良いのか分からず、返事に困った。だが、アリーシア嬢は落ち着いていた。
「いつも昼休憩は一人でどこかへ行ってらっしゃいますけど、どちらで過ごしているの?」
「図書館とか中庭で、昼寝をしたり本読んだりしています」
「昼食は摂らないの?」
「はい。あまりお腹空かないので」
昼食を食べない理由は面倒くささと節約のためだが、そこまで話すと親の話にも遡りそうで、端的に答えた。アリーシア嬢は不思議そうにしているが、それ以上は深く聞かなかった。
「家庭科で少しは仲良くなれたと思っていたけれど、さすが『人形姫』ね。ガードが固いわ」
「人形姫って何ですか?」
「知らないの? あなた一年生の頃からそう呼ばれてるのよ。美人だけどいつも一人で、隙がないからって」
ハードルが上がりすぎている。そんな柄ではない。多くの令嬢がいる中で姫は分不相応だし、ナンパと酔っぱらい以外だと、美人なんて今初めて言われた。
アリーシア嬢の瞳がよく見えないが、これはお世辞だろう。裁縫に限らず苦手なことが多いのも、自分ではよく知っている。
「でも家庭科で近くにいて、そうでもないと思いました。面倒見が良くて、意外と抜けていて、ただの天然な良い人な気がしているわ」
「そうですね。抜けています」
クラスの女子たちはもう知っている通り、ミシンを壊しすぎて一人だけ手刺繍とかやっていたのだ。どう見てもただの間抜けである。
「そんなあなたが、昨日みたいなことをしてくれるのだもの。人として好きにもなりますわ」
「あれは、たまたまですけどね。ミシンの罰で残っていただけなのです」
「それでも、あれは、間違いなくあなたなりの優しさだったわ」
ふわりと笑うアリーシア嬢にそれ以上言えることはなかった。好意的な雰囲気が伝わってきて戸惑った。
「ねぇ。わたくしとお友だちになってちょうだい」
料理以外は何でも器用にこなす人気者の彼女が、僅かに緊張を滲ませた瞳を真っ直ぐに向けて言ってきた。
思えば、前世でも今世でも、友だちがいたことがなかった。教会の孤児たちも軍人時代の同期も、友だちとは違う。自分とは縁遠い「友だち」に、どう返答していいか分からず固まった。
「……」
「嘘でしょう。ここで断られることあるの?」
「あ、いえ。……友だちができたことがなかったので、戸惑っていました」
「あら、そうなの? ではわたくしが初めてのお友だちね!」
得意そうに笑う彼女を前に、イリスはまだ現実味がなかった。友だちって何……?
「友だちって何するのですか?」
「敬語は不要よ。敬称も。お友だちはお話したり、遊んだりするの。くだらない話をして、時には悩みを相談したり、助けたりするのよ」
「なるほど……」
たしかに周りの人たちは皆、友人たちとそんな感じのことをしていた。でも、あれを自分がやると考えると想像ができなくて、思わず首を傾げた。
「そんなに難しく考えないで。あなたって真面目ね」
アリーシア嬢はにこにことしているが、イリスは何だか気恥ずかしくなって、目線を外して紅茶を飲んだ。無駄に脚がそわそわと動いてしまい、行儀が良くない気がして必死に止めた。
「……普段すごく落ち着いている子がそんな可愛い反応をしてると、何だかこう……」
「お嬢様。気持ちはすごく分かりますが、落ち着いてくださいませ。イリス様が逃げてしまいます」
「分かっているわ」
アリーシア嬢と後ろに控えていたメイドの小声での会話がイリスにも聞こえてしまい、ますます落ち着かない。
「昨日まではかなり婚約破棄に落ち込んでいたのですが、今はわりとどうでも良い気持ちになってきましたわ」
「良かったですね……?」
「あ、ほら敬語になってるわ。うちの学校は『貴族と平民が完全に平等』が売りなんだから、平民でももっと普通にしたら良いのよ」
彼女も敬語だったり、そうでなかったりする。だがそれを指摘するには、敬称なしで名前を呼ばないといけないので言わなかった。
でも、次は友だちらしく、敬語を外そうと密かに決意した。
「とは言え、婚約の件は家同士で話はついていますが、やられっぱなしは癪なのよね。あの自惚れた元婚約者に、個人的にも何か一発食らわせてやりたいわ……」
「……それなら、学生らしくテストで見返すのは? あの人は成績がトップなのを自慢にしているから、そこを折れれば悔しがりそう。正攻法だし、いつも成績上位のアリーシアならできそうじゃない?」
「それ良いわね。ふふ、イリスも手伝ってちょうだい。わたくしたち二人で成績トップを独占して、あの人の鼻を折るわよ」
「良いよ。頑張ろうね」
ギラリと目に光の入ったアリーシアと、さっそく教科書を開いた。「友だち」を泣かせたのだからと、イリスも本気を出した。
二週間後、学期末テストの成績上位者が廊下に張り出された。それを見たアリーシアが、ぱぁっと喜びに顔を輝かせた。
「やったわ! わたくしたち全教科であの人より上よ!」
「ふふ、やったね! アリーシア、凄まじい気迫で頑張ってたもんね」
「今回は全力でしたもの! でもイリスも相当真剣だったわよ。わたくしのために、ありがとう」
「良いんだよ。私もあの人には怒ってたから、自分のためでもあるよ」
「それは結局わたくしのためでしょうに。……あら、あの人もこの結果に気付いたわね。すごく変な顔をしていますわ」
小声で言われて彼女の視線を辿ると、同じくテストの結果を見に来た元婚約者の男の顔が、ものの見事に引き攣っている。
彼の腕には恋人の男爵令嬢がくっついており、その周りを友だちも囲っているが、全員とても気まずそうだった。
他の人たちもこの状況に気付き、女子生徒を中心に冷ややかな視線を彼に浴びせていた。
「あの方、自信満々に恋人まで連れて来ちゃって。なんて情けない顔なのかしら」
「ずっと成績トップだったのに、浮気なんかするからよ。アリーシア様たちがトップを取られて、わたくしまで気持ちが良いですわ!」
「あ、逃げましたわ。良い気味ね。一生顔見せるんじゃないわよ!」
アリーシアを慕う女子たちの方が、本人よりよっぽど辛辣だった。あの男が逆ギレでもしてきたら面倒だったが、いそいそと逃げる様子を見ていると、それはない気がした。
「ふぅ、これでこの件はすっきりしたわね。もう恋愛は当分いいわ。いろいろとやりたいことがあるし、今後しばらくはそっちに時間を使うわ」
笑顔が戻ったアリーシアは、ますます美しく輝いていた。
アリーシアと友だちになってから約一カ月後、二年生が終わった。
昼休みなどの過ごし方は前と変わりないが、授業の合間や、放課後のアルバイトがない日はアリーシアと話すことが増えた。
「来年も絶対にイリスと同じクラスになりたいわ……」
「私もアリーシアと一緒が良い」
「本当に、わたくしにはよく笑ってくれるようになったわよね」
話せば話すほど真っ直ぐで優しいアリーシアの人間性が好きになっていた。中身が二十一歳なのに、十七歳の子に懐くのは自分でどうかと思ったが、話してるとつい素直になった。
「イリス・シュパール。俺と今度……」
「今はわたくしがイリスと話してますの。男性はお呼びでないわ」
「何か用ですか?」
「イリス、あれはナンパよ。無視で良いわ。それよりも今度わたくしの家に泊まりにいらっしゃい。家族も使用人たちも待ってるわ。良いわね?」
アリーシアの家に泊まり、ご家族とも会ったがとても良い人たちだった。使用人の人たちもみんな優しくて、幸せな家だと感じた。
「私、今日が人生で一番甘やかされてるよ。この家は温かい人ばかりで、アリーシアの性格が良い理由が分かる気がする」
「むしろあなたは、その家庭環境でよくこんなに良い人になりましたわね。わたくしと喋るようになってからそれが表面化してきて、余計な虫が湧き始めたのは困りものですけれど」
この目は人の善悪を見抜けるが、自分自身のだけは分からない。けど、この人にそう言われるなら、イリスも善人でいられているのだろうと思えた。
「くっ、わたくしかイリスのどちらかが男なら、何が何でも絶対に結婚してましたのに……っ!」
「無理だねぇ」
「この国は結構好きですが、同性婚が不可なのは気に入りませんわ! イリス、せめてわたくしの従兄と結婚しませんこと?」
「遠慮しておきます」
従兄がどんな人が知らないが普通に遠慮した。アリーシアは心底悔しそうにしていた。
三年生になり、アリーシアとまた同じクラスになれて一緒に過ごす機会はより増えた。
そして、皆の憧れであるアリーシアと一緒にいると、イリスも目立つ。他のクラスメイトから話しかけられる機会も増え、気がついたら友だちが増えた。
「アリーシア様、イリス! お待ちください!」
「くっ、女共が湧いてきましたわ!」
「すごい言い草だけどクラスメイトだよ」
「お二人とも、今日はわたくしの家においでくださいませ。うちの自慢の庭でお茶をしましょう」
「それよりカフェに行きませんこと? 可愛いケーキを一緒に食べましょう?」
放課後の廊下で、イリスとアリーシアは女子生徒に取り囲まれた。そしてアリーシアとの間にぐいぐいと女子が入ってきて、さっきまで隣にいたアリーシアが押しやられていた。あの人、侯爵令嬢なのに。きっと遠慮のない仲なのだろう。
「イリス、何か微笑ましそうに頷いてますけど、多分違いますわ!」
「それよりもうちでアイスクリームでも食べない? 何段でも用意するわよ」
「ねぇ、イリス。いつもアリーシア様ばかりですもの。今日はわたくしたちと遊びましょうよ」
こんなに囲まれるのは軍人時代の隊長のとき以来だった。人口密度がすごい中で何とか歩くが、もう行き先がどこなのかよく分からない状態だった。
「イリス! 友だちが増えても、あなたの親友はわたくしですから! 一番はわたくし!」
「そうだね。ねぇ、これどこに向かってるの?」
「分かりません! ちょっともう、皆でわたくしの家でお茶にしますわよ!」
アリーシアの統率の強さのおかげで、皆で平和に過ごせた。
卒業が近づいた。ミセイラ高等学校では、卒業式の後に卒業パーティーが行われる。パーティーでは学校がごちそうを用意してくれたり、ドレスを着てダンスを踊ったりと、貴族の社交パーティーのようなことをするらしい。
とは言っても平民が多く、あくまで卒業の記念としてのパーティーのため、制服で参加しても良い。
「イリス、卒業パーティーのドレスはわたくしのを貸しますから。お化粧などもうちのメイドに任せましょう。ダンスは踊れないわよね? うちで練習しましょう」
「料理食べたら帰るから制服でいいよ。ダンスも踊らないし」
「何を言ってますの、わたくしと踊りますわよ。今日からアルバイトがない日はうちに通ってね」
決定事項だった。その日の放課後からアリーシアの家に通い、アリーシアと執事にダンスの練習を付き合ってもらった。
「動きは良いのですが、リズム感がまだ慣れていませんね」
「そうね。でもすでにわたくしがフォロー出来る範囲ではありますし、当日までには仕上がりそうだわ」
「というか何でアリーシアは男性側を踊れるの?」
「イリスと踊るために練習してましたの! 女子同士で踊れる機会なんてそうないですもの!」
ふふん、と笑うアリーシアは心底楽しそうだった。彼女の好意に応えるため、必死にダンスを練習し、何とか一曲だけ踊れるようになった。
当日、アリーシアがあまり着ないという、イリスにサイズを合わせてくれたラベンダー色のドレスを着て、ローズベリー家のメイドに髪や化粧も施してもらった。
広い会場では音楽隊による楽器演奏が始まっており、中心ではすでに踊り出している人が大勢いた。
「イリス、わたくしと踊っていただけますわね?」
「もちろん!」
濃いめの紫色のドレスを着こなす彼女はいつもより一層美しく、とてもかっこよかった。差し出された手を取り、彼女に身を任せてダンスの輪に入った。
「ふふ、これは良い思い出になりますわ!」
「そうだね。ダンスはアリーシアが誘ってくれなかったら絶対やらなかったけど、この景色を一緒に見れて良かった。ありがとう」
「どういたしまして!」
心から楽しそうなアリーシアを見て、イリスも嬉しくなった。ダンスの練習を頑張って良かったし、この人と友だちになれて本当に良かった。
「アリーシア様、とてもかっこよかったですわ! わたくしとも踊ってくださいませ!」
「抜け駆けはずるいわ! ぜひ私ともお願いします!」
「イリス、次はわたくしと踊りましょう?」
「その次は私も!」
アリーシアとのダンスの後は他の女子たちとも踊り、学校生活はまったく想像できなかったほど楽しく終えられた。




