晴れ、時々くもり
冷えるようになってきた昼。食堂を出てまっすぐ伸びる廊下を歩いていたら、ダイさんが大股で外の方に向かっているのが見えた。彼はすぐにこちらに気付き、足を止めて片手を挙げた。
「ちょうど良いところで会ったな! テオ、黄色五体だ。お前も行くぞ!」
「え、はいっ!」
「お前も実戦が少ねぇし、暴れる怪物も見せておきたいからな! 他の奴も呼んでるし、イリスはリュカ様を頼むぞ。あ、洞窟の話もあったな。そっちも行ってくるわ!」
「了解です。気を付けてくださいね!」
「無事に戻って来てください」
「おうよ!」
「はい! 行ってきます!」
緊張を滲ませたテオが、部隊に入ってから腰に身に着けるようになった剣の音を立てながら、慌ただしくダイさんに駆け寄って、二人は足早に外に出て行った。
テオは今世では初めての実戦になるはず。無数の枝を振り回す怪物の攻撃を避け続けるのは、なかなか大変なものだ。一番弱い黄色の実の怪物とは言え、いきなり五体というのも不安だった。
「……こういうのは、見送る方が落ち着かないですね。自分が行くならこんなに緊張しません」
「私は戦いに出る人間ではありませんが、気持ちは分かるつもりですよ。いつも見送る側の私は、何度でも心配しています」
リュカ様が言葉通り心配そうに、それでいて気遣わしげにこちらを見た。こういう時こそ、年上としてしっかりしないといけないのに、逆に気にさせてしまった。
「すみません。ダイさんもいますし、今回は大丈夫だと思います。 ……ちなみに今、目の前を走り抜けた人も対樹部隊のメンバーで、結構強いですよ」
「猛スピードでしたね。『俺に戦わせろ!』みたいなことも言っていました」
「私の先輩のお兄さんでもあるのですが、ちょっと戦闘狂なところがある人でして……」
マリッサさんの兄であるロイゼさんが絶好調だった。あの本気の走りは、絶対に戦いたいという強い意思を感じた。
「あ、騎士隊長様と他の騎士も走ってます。今回は本当にいろんな人に実物の怪物に会わせたいのですね」
「対樹部隊が動き出してから、イリスの時以降は怪物の動きがなかったですからね。昼で明るいのは初戦としては良いのかもしれませんね」
部隊の人たちを見送り、執務室に戻る前にリュカ様と図書室に向かった。
膨大な量の本が収まっている『植物』の棚から、黒体病の予防薬に使う材料の場所が書かれた本を探した。
棚を眺めていると、目線より上に、それらしい本を見つけた。踵を上げて手を伸ばしたが、僅かに指が届かない。
跳べば取れそうだが、その拍子に他の本を落とすかもしれない。面倒でも足台を持ってくるべきかと考えていたら、後ろから手が伸びてきた。
ほんの一瞬、その真後ろにいる人と重なった腕と肩が温かくなった。
「取れました」
「ありがとうございます……」
その人がリュカ様だったことは、想定内のはずなのに、驚いた。
「リュカ様……私より背が高くなってますね」
「やっと追い越せました」
まだとても近い距離にいるリュカ様の目を見るのに、自分の顔が上がっている。少し前まで逆だったのに、いつの間に。
「嬉しそうですね? ちょっと見たことない顔ですよ」
「ずっとイリスより背が高くなりたいと思っていましたから。とは言え、まだほとんど同じくらいですし、もっと伸ばしたいですけどね」
自然に口角の上がったリュカ様は、取ってくれた本をそのまま腕に抱え、再び棚を眺め出した。
成長期の彼の背が伸びるのは普通のことなのに、まだ衝撃が消えない。けれど、ひとまず仕事をしなければと、何とか意識を本に戻した。
借りた数冊の本を持とうとしたら、リュカ様が「貸してください」と半分以上を持ってくれた。
「これくらいなら全部私が持てますよ?」
「女性だけに運ばせるのは悪いですし、私も持ちます。この状況なら自然なことです」
王子に物を持たせたとイリスが咎められることはないから気にするなと言ってくれている。さり気なく、その腕にこの中で一番厚くて重い本を抱えている。
これが大したことではないのは分かっている。
それでも、リュカ様が少年から、男の人になっていくのを感じた。
執務室で仕事を再開して、もう少ししたら休憩という頃。テオが戻って来た。
「戻りました! 全員無事です!」
「おかえり、テオ!」
「おかえりなさい。無事で本当に良かったです」
意外と早く、怪我もなく戻って来てくれて、自然と笑顔になった。
まだ戦闘の興奮が残っているらしく、大股で近づいてくるテオは全身から達成感が溢れている。その手には、土のついた硬そうな布袋を持っていた。
「洞窟でマリゼンバナも採ってきました! まだ咲いてて良かったです」
「ありがとうございます」
リュカ様が受け取った袋の口を開けるのを一緒に覗き込むと、数本の赤いラッパの形をしたマリゼンバナが、たっぷりの土ごと収められていた。
「毒は噴射されていませんね?」
「大丈夫です。解毒薬は使いませんでした!」
元気にグーサインを向けるテオに、リュカ様が安心したように息をついた。
「花は枯れる前に毒を採取したいので、すぐに病院の研究室の方に送ります。テオも疲れたでしょうし、そろそろ休憩にしましょうか」
視線をもらったので頷き、コーヒーを淹れるため立ち上がった。動き回ったテオには先に水を渡すと、「ありがとな」とぐびぐびと喉を潤していた。
リュカ様はその間に、マリゼンバナを送る手配をしたり、テオの手や顔に傷がないかしっかり確認したりしていた。
皆で温かいコーヒーで息をつき、興奮はだいぶ落ち着いた様子のテオの方に向いた。
「テオも怪物は倒したのですか?」
「はい、俺も一体は倒しました! イリスたちからも聞いてましたけど、本当に殺気がないので、構えていても初撃をかわすのが大変でした。黄色と言っても枝は何十本もあるし、絶え間なく向かってくるので、結構頑張りましたね」
「葉っぱで枝の攻撃が読みにくいし、全方位から襲われるから、かなり集中力がいるよね。核を狙うタイミングの見極めもすごく重要だし。他にも仲間がいたのは良かったよね」
「そうなんだよな。今回はダイさんが早々に一体倒して他のメンバーも助けてくれていたけどさ。怪物が初めてだったのもあるだろうけど、騎士隊長様でも余裕とまではいかない感じだったもんな」
「ロイゼさんも行ってたみたいだけど、あの人でも苦戦気味だったの?」
「あの人はちゃんと一人で一体倒して、他の人の手伝いもしてたみたいだぜ。葉っぱの音に混じって楽しそうな声が聞こえてたわ」
そうだろうなと納得した。あの人に関しては、もう「戦えて良かったですね」という気持ちでしかない。少し前に送り出した、あの元地下街の少年は彼について行けてるだろうか。
まぁでも、黄色の実の怪物の強さはだいたい掴めた。
「黄色は人食いグマ三体くらいかな……」
「それなら結構強いはずなのですが……イリスなので、淡々と受け止めていますね」
「宰相様から聞きましたが、こいつは補佐になって一番最初の仕事で、人食いグマ十五体とかを余裕で倒したらしいですからね。ベルガ殿下の補佐はつくづく別格なので、騎士隊長様が複雑そうにしています」
「でも騎士隊長様、前は補佐に負けることに悔しそうにしてたけど、任務で一緒に地下街に一緒に行って以降は雰囲気が大人しくなった気がする。それは良いんだけど……」
「すげぇお前らのこと見てるよな。側にいる俺まで視線を感じるぜ。ベルガ殿下なんか『視線がうるせぇ』って鬱陶しそうにしていたけど、あれ何なんだろうな?」
「兄上のところと騎士の、若干微妙な関係のことは聞いていますけど……騎士隊長は歩み寄ろうとしているのでしょうか」
三人で首を傾げる。本当によく見てくるので、特に視線に鋭いグレイさんが気まずそうにするため、その視線から避けてあげているくらいだ。
まぁグレイさんにはその考えに気付かれてお互いに守り合っているので、あまり意味はないが。
こちらでは謎な人扱いになっている騎士隊長様だが、仲良くなりたいと思ってくれているのだろうか。無口で必要以上のお喋りはして来ない人なので、いまいちよく分からない。
その後、数日かけてイリスとテオで、城から近い範囲でマリゼンバナなどの予防薬の材料を集めた。
他の御使いに行っていた人たちからも材料は集まり、しばらく分の試作に必要な量は確保できた。
「結構集まりましたね。ですが、試作には相当数の材料が必要なので、今後も引き続きお願いします」
『了解です』
こちらは着実に進んでいる。皆のために未知のことでも頑張るリュカ様は、やはり優しくて行動力のある人だ。どうか報われてほしくて、イリスたちも出来ることを全力で励んだ。
◇◇◇
食堂から出て廊下を曲がったところで、柱の間から冷たい風が通り抜けた。
「うお、冷たっ!」
「食堂が暖かかったので、余計に寒く感じますね」
後ろを振り返ると、テオは寒さに肩をすくめ、イリスは伏し目がちに髪を耳にかけていた。たまに見る彼女のその仕草は、目を引きつけるものがある。
「イリスは寒くなさそうだな。熱いグラタン食ってたもんな」
「うん、まだ体は温かいよ。テオたちにももっと分けておけば良かったね」
「美味かったし、今度は俺もグラタン頼もうかな」
先ほど、グラタンを頬張るイリスも可愛くて視線を向けていたら、食べたくて見ているのだと思われたようで、少し分けてくれた。
食い意地が張っているとは思われたくないが、二人が楽しそうだったので、もう何でも良いかと、たびたびやっているように今日も三人で食事を交換し合った。
食事には興味がない方だが、この人たちが美味しそうに食べていると自分もちゃんと味わうし、美味いと感じることが増えた。
和やかな会話をしながら廊下を進んでいたら、強い風が吹き付けた。
それと同時に、とてもいい香りがした。
だが外は芝生ばかりで、花などはほとんど咲いていない。
知っている香りな気がするのに、思い出せないのがすっきりしない。
すぐに消えてしまった香りの出所が分からず辺りを見ていると、再び強風が吹き抜けて、後方から同じ香りを運んで来た。そちらには、風でなびく長い銀髪とローブを手で押さえるイリスがいた。
「…………」
「リュカ様。私を見て急に固まりましたが、どうしましたか?」
「いえ……早く戻りましょう」
不思議そうにする彼女を見て、そうだったと思い出した。
これは、熱で倒れて抱きとめてもらった時に鼻をくすぐった、あの香りだ。
これは他の男は知らなくて良い。
早くイリスを自分の執務室に隠したい。
「イリスさん!」
歩く速度を上げかけた時、後ろからイリスが呼ばれ、つられてそちらを見た。痩せ型の補佐の男が笑顔でこちらへ寄って来ていた。かなり興奮しているらしく、瞳を輝かせて結構な速度で走っている。
「ソクート様。どうなさいましたか?」
「イリスさん! やりました!」
「え、わっ!」
ソクートと呼ばれた男は、イリスの前まで来るなり、彼女の脇腹を掴んで高く持ち上げた。
子どもか猫でも持ち上げるような状態だ。予想してなかった動きに驚いたが、それよりイリスに触ったことに腹が立つ。馴れ馴れしすぎる。
その男は、睨む自分にも、この状況に困惑しているテオにも構うことなく、イリスを持ち上げたまま、くるくると回りだした。二人の黒いローブが弧を描いている。
「やりました、イリスさん! 例の話!」
興奮からか何の話なのかはっきりと言わないが、されるがまま回されているイリスには伝わったらしく、肩の力を抜いていた。
「……そうですか。良かったです」
端的な言葉だが、心から言っているのが分かる、とても優しくて静かな言い方だった。
外から入る陽を浴びた銀髪を揺らして、ふわりと穏やかな微笑みを浮かべるイリスは、本物の天使のようだ。
「…………」
「リュカ様?」
テオから声を掛けられたが、イリスから目が離せない。声も出せない。初めて彼女を見た時と同じように、体が言うことを聞かない。
まさか、同じ相手に二度、一目惚れをしたのだろうか。
彼に向ける眼差しは、今まで見た中で一番温かいものだった。もうこれ以上ないくらい好きだと思っていたのに、まだ惚れさせてくるのか。
「しかしソクート様。後ろで"彼"がすごい形相で私を見ています。そろそろ降ろしてください」
ぼんやり見惚れていると、イリスは笑顔を引っ込めていた。
その言葉で、ようやく動くようになった首を回すと、外壁から半身を覗かせる騎士の男が、こちらを睨んでいた。
そのやや高めの目線は完全にイリスを捉えている。隣でテオがその男に警戒し始めたのを感じた。
「あ、ダンテ!」
イリスを持ち上げている男は回る足を止め、ますます笑顔を深めた。
「ソクート様。私、ダンテ様に嫉妬されてます。行って弁明してきてください」
「うん! じゃあまたね、お礼はまた今度! リュカ殿下、テオ様、突然申し訳ありませんでした。失礼します!」
ソクートと言う男はイリスを地面に降ろすと、自分たちにしっかりとした礼をしてから、騎士の元へと走っていった。
先ほどの嬉しそうな様子といい、騎士の男が睨んでいたことといい、嫉妬されているという言葉といい……
「彼らは恋人なのですか?」
彼の後ろ姿を見送っていたイリスが、微笑みながら、こくりと頷いた。
「実は先ほどのソクート様からは、同性の恋に悩んでいると相談を受けていまして。お相手のダンテ様の方も満更ではなさそうだったので、何だかんだで応援していたのですが、恋人になったようです」
「え、えぇ?」
イリスは平然としているが、テオは目を大きく開いて、去っていった彼らの方を見た。
同性愛へ関心がある人がまず少ない上、貴族ならばより恋愛の自由はない。今回の件はかなり珍しいので、テオの反応は当然だ。しかし、それより気になることがある。
「イリスは彼らと仲が良いのですか? なぜ彼はイリスに相談をしたのですか?」
「ソクート様とは普通に話したりするくらいの仲ですが、ダンテ様の方とはほとんど話したこともないです。私なら同性の恋愛も受け止めそうだと思ったらしいですよ」
「たしかにお前はそういうの気にしなそうだよな。ってか、いつも人の恋に巻き込まれてるな」
「何でだろうね?」
本当に不思議そうに首を傾げるイリスは、普段通りに可愛い。先ほどのとても優しい表情も非常に良かったが、いつだって目を離したくない可愛さだ。
無意識ですぐに目がイリスの方を向くから、城内の人間も、茶会で会ったコンラッドたちでも、自分の想いには気付いているだろう。
だが、何故か本人と、すぐ近くにいるテオには気付かれない。ダイに「奇跡かよ!」と笑われたこともある。
目も勘も良いイリスが、何故こうも自分に向けられる恋愛感情には鈍いのか。目で会話した時も可愛いと伝えたが、彼女は分かっていなかった。
もう、好きだと言葉に出したい。結婚したい。
誰にも取られたくない。
無責任なことはしたくないのに、未来がなくても手を伸ばしたい。
また強風が吹いた。テオが寒そうにしているし、イリスの香りが舞ってしまう。
「冷えてしまいますね。行きましょうか」
『はい!』
もどかしい思いを胸に、足を動かした。




