昇って潜って
お茶会が平和に終わった後、イリスはドレスを脱ぎ、夜に溶ける黒い制服に戻った。
いつもの赤いピアスを揺らし、ローブのフードを深く被る。同じような格好をしたベルガ殿下と、五名の騎士と共に夜の街に出た。
地下牢で預かっている、嘘の得意な地下街の少年を聴取係と共に地道に手懐け、地下街の連中のことや地図などを教えてもらった。
その情報をもとに分かったのは、騎士を襲っていたのは、地下街の灰色区画を拠点とするチームだった。彼らは奪った制服を身に着けて騎士になりすまし、一般の人を油断させたところで襲い、その身や金銭などを強奪している。
孤児やならず者が多い地下には戦闘慣れしている者が多く、強い一体感も持っている。一般人が入ったら最後、一生地下から出られないというのが通説だった。
道に慣れている騎士の後をついて、深夜の人気のない道を無言で進み、城下町の外れにある、地下街の入り口に近づいた。
一本道をずらせば大通りに出れるここは、角を曲がれば地下街へ繋がる狭い階段が見える。
これまで何度か騎士が襲われた場所であるこの辺りは、すでに店も閉まり、暗く静まり返っている。イリスたちは立ち並ぶ店の一つの陰に隠れた。
「では、行ってきます」
『騎士を囮に連中に攫わせる。俺とイリスでその後を追い、奴らの根城で連中全員を一気にねじ伏せる』
その作戦通り、囮役の若い騎士は緊張を滲ませ、大通りに向かった。
一人で迷いなく歩く彼の背中は、帰宅中の騎士にしか見えない。だが、連中が釣れるかどうかは運次第だ。
腕を組む殿下の横に並び、音を立てないように注意を払って耳を済ませる。同行した騎士の一人であるエハルド騎士隊長は、生真面目な彼らしい鋭い眼光で空を睨み、息を潜めている。
囮役の騎士の足音と剣の音は遠ざかり、完全に聞こえなくなった。ベルガ殿下が顎で合図し、次の囮役が大通りへと出る。一定のテンポで大柄の彼が鳴らす音が響く。
足音が、不自然に止まった。
その直後に鈍い音が続き、一分とかからないうちに、それは人が引き摺られる音に変わった。
ベルガ殿下と目を合わせる。一緒にいた騎士たちに「作戦通り、攫われたあの人が呼びに来るまでここで待機するように」と目で合図を送り、彼らが頷くのを見て、腰の剣を手で抑え、殿下と地下街の階段に向かった。
気配を消して階段を降りていく。ベルガ殿下越しに遠目に見えたのは、三人の華奢な若者に大柄の騎士が後ろ襟を掴まれて引き摺られている姿。
制服が欲しいなら襲ったその場で剥げば良いのに、彼らはわざわざ自分の拠点に連れて行って、集団で徹底的に痛めつけて抵抗力をなくしてからその騎士を地下街の人間に売る。
いつしかグレイさんと襲われた騎士を助けに行った時、その騎士は泣いていた。
階段を降りた先に門番役の男が二人、土で汚れたズボンのポケットに手を突っ込んで気怠げに立っていた。彼らはイリスの制服を見て、身を固くした。
前回、騎士を助けた時と同じ格好の人間が来たことに、彼らはすでに警戒している。
「邪魔しないでくださいね」
彼らはコクコクと頷いた。イリスたちが門番を通り過ぎて狭く暗い道に出ると同時に、背中側で彼らは何か合図をしたようで、その辺にいた人たちが一斉に散った。
あちらこちらから視線と警戒心は感じるが人の姿は見えない道を、少年の教えてくれた地図を頭に入れた殿下の後について歩く。
入り組んだ道の先に広場があり、そこを囲うように灰色のアパートメントが密に建てられている。周辺は黄色いランプがいくつも灯されており、視界が良くなった。ここが少年の言う"中央広場"なのだろう。四方に狭い通路が繋がっている。
門番の合図が届かなかったらしいこの辺には、煙草や酒を手にその辺に人が座っている。彼らはイリスの制服に警戒し、こちらを観察してくるが動きはしない。
騎士を引き摺った若者たちは、広場から狭い通路を進み、アパートメントの一階にある、扉の一つをくぐった。そのすぐ反対側には向かい合うように別のアパートメントがあり、扉同士がぶつかりそうなほど家同士の距離が近い。
「行くぞ」
「はい」
剣を抜いた殿下が迷いなく扉を開けた。
さして広くもなく、物が少ない部屋には、光量の強いランプが灯されていて人の顔がはっきり見えるほど明るい。騎士を囲っていた七人の男女が驚いた顔を向けたが、反応が良い彼らはすぐに手を動かした。
ナイフを手に飛び掛って来た人、銃口を向けてきた人といる中で、一人の骨ばった女は妙なリズムで手を打った。
すぐさま真後ろの扉が開いた。同じく明るい室内から八名の男が荒々しく音を立ててナイフをこちらに向けてきた。これで聞いていた通り、"第一弾"の十五名だ。
先の人たちはすでに動いている殿下に任せ、イリスは後ろの八名を相手する。道が狭すぎるので細剣を使って部屋の奥に押し込む。
今回も全員"七割殺し"にする。殺しはしないと少年と約束し、殿下とも話はまとまっている。
本当は鞭を使いたいが、狭いここでは無理だろうと、鞘に納めたままの剣で急所を打ち込んでいく。
床に落ちた時計の秒針が二周しないうちに連中は地面に転がった。動けないのを確認し、殿下の方に戻ると同じ状態だった。
唯一、先ほど手を打っていた女だけが部屋の隅で青ざめた顔でへたり込んでいる。殿下が彼女に圧を浴びせている間、イリスは足元に落ちていた銃を拾った。
「おい。何してんだ。とっとと全員呼べ」
「え……ひっ」
まだ三弾入っている安全装置の取れたそれは、ただ女に向かって構えるだけでも効果を発揮した。
「あ……やだっ、呼ぶから!」
女が先ほどと違うリズムで手を打つ。そのままもう一つ、今度は足でまた違うリズムを鳴らした。
入り口が騒がしくなった。人の姿は見えないが、開けられたままの扉から銃口はいくつも見えた。
連射されるそれは、殿下と共に弾いた。合図を出した女が、頭を抱えて丸く縮こまっているのが目の端に見える。ぱさついた茶髪が床に広がっていた。
銃の音が止んだが、人が現れない。こちらが出て来いということだ。女に近づき、くすんだピンク色のワンピースの後ろ襟を引っ張って、顔を上げさせた。
「本当にこれで全員ですか?」
「ぜんっ、全員だよ!」
「嘘ですね。次はありません。今、全員呼んでください」
「ひぃ! はぁっ」
彼女が座ったまま足で地面を叩いた。外の殺気が増えた。殺気が密に集まりすぎて、もう何人いるのか分からない。
「これで全員ですか?」
「そうだよっ!」
「今度は本当ですね」
女の頭を肘で打って床に寝かせ、ベルガ殿下の目を捉える。合図を受け取った殿下は、床に転がっていた簡素な椅子を入り口に投げた。
椅子が銃で撃たれて崩れた直後、イリスと殿下は部屋の外に出て、左右に分かれた。
膝をつくように低くした姿勢から、右側の通路を塞ぐ男の無防備な腹を突く。彼の周りから向けられていた銃口がイリスを目掛けて下がったので、突いた男の肩を足場にして高く飛ぶ。壁と、その壁に手足を突っ張らせていた男を蹴って狭い通路から抜け出た。
無人になっていた中央広場に出て、追いかけて来た連中を待ち受ける。後方の一人の男が、手で仲間に回り込むように合図を送っている。その男は、後ろから飛んできた別の男に激しく頭をぶつけられて地面に崩れた。
前方から顔を真っ赤にした三人組の男が斬り掛かってきた。後ろからも二人の殺気が間近に迫っている。大きく右に避け、後ろから来ていた男の後ろに回り込んで、五人のこめかみと腹を打つ。
上から飛び掛かってきた二人は位置をずらしてこちらも飛び、彼らの頭を掴んでその勢いのまま地面に叩き込んだ。
また新たに前方から向かって来ている七人の右端の男の頭を、その隣の男の頭にぶつける。さらに右から三人が銃を向けて来ているのが見え、剣で弾を弾き飛ばした。
勇ましく挑んでくる人、死角から狙ってくる人、しぶとく立ち上がる人。地面が人間で埋まり、立ち回りにくくなった。こちらの首を捻ろうとする男の顎を剣で打ちながら位置を変えていく。
左側の通路から、十人ほどの人たちが後ろを振り向きながらこちらに走ってきた。その視線の先には、フードを被ったベルガ殿下が剣を片手に追いかけてきていた。
向こうはほぼ片付いたらしい。こちらも残っているのは同じくらいの人数。そしてその彼らも、いよいよ逃げようとしている。
転がっていたナイフを投げ、転ばされた人で渋滞した隙に逃げ道に回り込んだ。
残った二十人の人間を、殿下とイリスで囲んだ。
「あんたら何なんだよ! 地下の人間じゃねぇだろ! 何で俺らの動きが分かるんだ!」
「うるせぇ。散々舐めたことしやがって。殺してないだけましだろうが」
「地下にスパイでも入れたのか!? そうじゃなきゃおかしいだろ!」
もはや戦闘意欲のなさそうな男が殿下相手に喚いている間に、手近な人間をねじ伏せる。
殿下も、歯を食いしばりながら斬り掛かってくる人を容赦なく剣で打っていた。
「何でたった二人で俺らを追い込めるんだよ! 俺らは騎士にも勝てるんだぞ! あんたらは何者だ!」
口ばかり動かしている男の頭頂部に剣を落とし込んだ。静かになった辺りに残っていた、諦めの滲んだ数人の人間を殿下と剣で叩き潰し、灰色区画のチームは全員、地面に崩れた。
「聞いていた通り、六十人以上はいましたね。全員出てきて良かったです」
「こいつらチーム以外の連中に見捨てられてたことに気づいてなかったな」
囮役をしていた大柄の騎士と、待機させていた騎士たちが、何重にもなった縄を持ってこちらに近づいて来た。
騎士隊長を始め、離れた所からこちらの様子を見ていた彼らは、足の踏み場もない惨状に完全に顔が引きつっている。
「こいつら全員地下牢に連れて行け」
『了解です!』
イリスと殿下で、縄で何人かずつまとめて縛り、五人の騎士たちがその紐を持って階段を引き摺っていく。
最後の人たちを連れて皆で地上に出ると、視界は一気に明るくなった。ちょうど夜明けだったらしく、太陽光で白くぼやけて目が開かない。隣でベルガ殿下がフードを深くかぶり直していた。
連中をまとめて荷馬車で積んだ時には、地下と地上を何往復とした騎士たちは汗だくになっていた。彼らが荷馬車で地下牢に連れて行くのを見届け、今日の任務は終了した。
「殿下の護衛騎士も行っちゃいましたね」
「後はお前が護衛ってことで良いだろ」
城下町を横目に城に戻る。普段は人通りが多く賑わっているここも、今はほんの数人見かけるだけだった。鳥すらまだ鳴いてない静かな街をのんびり並んで歩いた。
前方に、よく見知った男女の背中が見えた。隣を見上げると、フードから覗く殿下の眉間にしわを寄っていた。
「飲み過ぎたよぉぉ……」
「そういう時は酸っぱいもんを食え! ほら、飴だ」
「ありがと。……ぎゃー! すっぺー!」
「ぶはは! そうだろ、これめっちゃ味が偏ってるんだよ! 絶対誰かに食べさせたかったんだわ」
静かな朝は霧散した。
朝までやってる飲み屋で呑んだくれをしていたのであろう上司たちが、すごく騒いでいる。
進行方向にいる彼らを無視することもできない。ゆっくり歩いたり立ち止まったりしている二人に、すぐに追いついた。
「……おい。おまえら、うるせぇぞ」
「ヘルンさん、ダイさん。こんな時間まで飲んでたんですか?」
「あれ? お前ら何でここにいるの? あ、例の件か!」
二人に近づくと酒の匂いがする。相当飲んだようだが、ダイさんは顔色も足取りも、普段と変わらない。
「あり得ないほどすっぺーんだけど!」
その隣ではヘルンさんが顔をしわくちゃにすぼめて天を仰いでいた。顔が中心に寄りすぎてすごいことになっている。
「ねぇ、これ二人も食べてみてよ。俺は激苦の飴を食べたけど、その後しばらく舌が終わってたぜ」
「食うわけねぇだろ」
「やめておきます」
「ヘルン、こっちは激甘な飴だ。酸っぱいのと一緒に食べたら中和されんじゃね?」
「お前がやれよ! それで平気だったら食べるよ!」
やたら色の濃いピンク色の紙に包まれた飴を差し出されたヘルンさんは、酸っぱすぎてキレながら必死に飴を噛み砕いている。ダイさんはその様子にすこぶる楽しそうに笑っている。
「じゃあこれは今度リュカ様とテオに食わせよ! 二人には内緒だぜ?」
「テオはともかくリュカ様には言いますよ」
「っかー! リュカ様にもこういう悪戯も必要だって! そんでテオは良いんかい! あ、宰相にも食わせよっと」
「お前ら徹夜したんだろ。もう帰れ」
「帰るところだけどさぁ。今、馬車に乗ったら吐くよ。ってか唾めっちゃ出るんだけど」
「ヘルンさん、危ないので手を繋いで歩きましょう」
酸っぱい上に酔いも治ってないらしいヘルンさんに手を差し出しかけた。だが、思いついたことがあり、その手は引っ込めた。
「ね、ベルガ殿下」
「は?」
「ヘルンさんが転びそうなった時、私では支えられないかもしれません。ダイさんも酔ってるでしょうし、ここは殿下がお願いします」
軽く見開かれた殿下の目を見て真面目に頷き、数歩先を歩いてみた。後ろを振り返ると、ダイさんがニヤリと笑ってイリスの横に来た。やはりこの人も知っていた。
「イリス、やるなぁ!」
「殿下たちにこういうの仕掛けられる人、少ないでしょう? 今ならほとんど人目に触れませんし、気づかれても言い訳はできますから」
「そういう危機管理はちゃんとしてんだよなぁ! だからこそ、あいつらも断ってこないんだよな」
すごく良い笑顔で「良いと思うぜ!」と肩をバシバシ叩いてきた。また少し先を歩いて、後ろを振り返る。
二人は立ち尽くしたまま動かない。いい大人同士だし、手を繋ぐのは逆に抵抗があるのだろうか。
戻るべきか、このままで良いか、じっと様子を窺っていると、小さくため息をついたベルガ殿下が、ヘルンさんに手を差し出した。
「ありがと」
先ほどまで「すっぺーすっぺー」と騒いでいたのが嘘のように大人しいヘルンさんがその手を取り、歩き出した。
まぁ余計なお世話なのだろう。でも、こういう機会も滅多にない。酔っているヘルンさんに配慮して、皆でゆっくりと歩く。
「今回はテオは一緒じゃなかったのですね」
「明日、つーかもう今日か。祝日で、皆休みじゃん? テオは幼馴染と朝から出掛けるって言ってたからさ。俺ら朝まで飲むし、呼ぶのも可哀想かなって」
「なるほどです。……ふふ。テオは輪に入るのが好きだから、知ったら寂しがるかもしれませんね」
「あいつ、そういうところあるよな! そこが可愛いところなんだよなぁ。次は誘ってやらないとな!」
「おっと!」
声がして振り向くと、ヘルンさんが地面に落ちていた瓶を踏み、勢いよく前方に転びそうになっていた。
そう認識した時には、ベルガ殿下が素早く繋いでいない方の手をヘルンさんの肩に回して支えた。
「あちゃー、本当に転びそうになるとは。ありがとう、ベルガ」
「あぁ」
珍しく余計なことは言わず、そのまま手を繋いで歩き続ける二人を見て、ダイさんとこっそり笑い合う。
「今はベルガがフード被ってて王子って分からないし、本当に良い機会だな。ってか護衛もいないんだけど、どこ行った?」
「地下街の方々を荷馬車で牢屋に運んでいます。今は私がベルガ殿下の護衛です」
「ぶふぉ! お前ら自由だな! 良いと思うぜ! まぁわりと厄介な地下の連中六十人とかを二人で叩きのめせる奴らだもんな。お前らだからこそ成立してるわ」
「それも半分以上は殿下が相手していましたね。私は剣での七割殺しには慣れないのですが、殿下の周りでは人が次々に吹っ飛んでました」
「くく、言ってもお前も相当やったんだろうよ。あー、この二人で暴れているところは見たかったなぁ。エハルドは見てたんだろ? 何か言ってた?」
「いえ、特には。ずっと真面目な顔をされてましたけど、何を考えていたのかは分かりません」
「今回は騎士に喝を入れるのも目的の一つだからな。騎士隊長のあいつが何か持ち帰ってくれてると良いんだけどなぁ。ねぇベルガたち無言すぎない? 手を繋ぐだけでそんなに?」
「ふふ、ヘルンさんが可愛いことになっているのですね」
「イリスって恋愛方面はポンコツかと思ってたけど、人のことならちゃんと分かってるんだな!」
いきなりポンコツ呼びされたが、ダイさんに輝く笑顔でグーサインを送られたので何も言い返せなかった。
城が近づき人目が出てきた頃、あっさりと手を離したヘルンさんは、「イリス、夜そっち行くから!」と言い残して近くの辻馬車で帰宅した。
ダイさんも殿下の肩をバシバシ叩いて帰宅し、再び殿下と二人になった。
「お前な」
てっきり文句を言われると思って待ったが、殿下は小さく息をつくだけで、その先は続かなかった。
「何も言わないのですか?」
「別に。もう眠い。とっとと報告書を終わらせるぞ」
いつもの無表情で額を弾かれたが、その指はまるで戯れのように軽かった。




