誇りと人間の器は異なる
翌日のリュカ様たちとの休憩中に、ヘルンさんが来た。今日の彼女は、城内なのに白衣を着ていない。
「こんにちは!」
「プルーシェル博士、どうしましたか」
「ちょっとお茶がてら報告に来ました! イリス、私にもコーヒーお願い」
「はーい」
ヘルンさんがにこにこと座り、イリスがコーヒーを淹れている間も「いつになったらリュカ様もヘルンと呼んでくれるんですか」などと喋っている。人見知りのリュカ様も、以前よりずっと自然に対応しているので、彼女にだいぶ慣れたのが分かる。
ヘルンさんにミルクコーヒーを置いてイリスも座ると、隣の彼女から非常に何とも言い難い匂いがした。
花でも魚でもスパイス類でもない、本当に何なのか分からない匂いだが、突っ込むのも気が引ける。男性陣も気づいているらしく、二人ともイリスに小さく頷いてきた。
コーヒーをぐびぐびと飲んだヘルンさんは、ぷはぁと息をついた。
「人を集めるほどじゃないので、主要な人に直接言って回ってるんですけどね。怪物が、匂いで人間を認識していることが分かりました。そこで、研究所の方ではそこに対策を打つ物を作ります」
「匂いですか……人間側を完全に無臭にはできないですが、誤魔化すような香り物とかですか?」
「それが、あいつら鼻が良くて。香り物があろうが、シャワー後であろうが、認識してくるんですよ。なので怪物の感覚を鈍らせる物を作るつもりです」
「怪物を鈍らせられれば、部隊の人たちが戦う時も、いくらか有利にできますね」
「そういうことです!」
なるほど、と皆で頷いた。
イリスが怪物と戦った時も、相手は突然、扉から顔を出していたリッタさんに攻撃を仕掛けていた。おそらく洞窟の通路に風が通って、少し距離のあった彼の匂いも運んだのだろうと納得した。
「ふふ。テオが『怪物の鼻ってどこ?』って顔してる。正確には、幹が鼻の役割をしてるんだよ」
「あ、なるほど。そういうことですね」
「クッソ香りの強い物とかで誤魔化せないか、いろいろ試したんだけど、まぁ研究所が異臭騒ぎになって終わったよね。所員全員の鼻が死んだよ」
「だからヘルン様から、不思議な匂いがするのですね」
「そうさ! そしてさっき、異臭が一番濃く移った白衣をベルガのところに持っていったら『くせぇ!』って怒られたわ。まぁそのまま置いてきたけど」
「え。私、もうすぐあっちに戻るのですが」
「はっは! イリス、ごめんて!」
「ねぇー、ヘルン! 白衣くっさかったから、宰相のところに置いてきたよ!」
とてもちょうど良いタイミングでダイさんも来た。一応ノックはあったが、今日は返事をする前に入室してきた彼は、大股でずんずんとこちらに近づいて来た。リュカ様はそのことに突っ込むこともなく、もう疲れた顔をしている。
「ダイさん、それだと宰相室が臭くなるのですが!?」
「宰相が本当にすんげぇ顔してたな。まぁミモザちゃんには悪いと思ってるわ。後でヘルンが来ると思うって伝えておいたから、白衣はそのまま持っておくだろうな!」
「さすが、ダイ。この後、宰相室に行くつもりだったよ! 気が利くね!」
「いや、宰相室は大丈夫なのですか……!?」
ヘルンさんとダイさんがハイタッチを交わし、テオの顔はとても愉快なことになっている。イリスはとりあえずベルガ殿下の執務室が無事なら良いかと、自分のコーヒーを飲んだ。
「イリスってわりと宰相に遠慮がないですよね」
「リュカ様。そいつは昨晩の訓練後も、ダイさんのことは宰相様に託して、自分はベルガ殿下とさらっと部屋に戻っていった奴ですよっ!」
「ふふ、でも楽しかったんでしょ? 部屋に戻ってきたダイさん、ご機嫌だったよ」
「何故かイリスはベルガと茶の飲み比べをしてたな! こっちは恋バナが盛り上がったんだよな、テオ!」
「男三人で、廊下で、恋バナしてる絵面、謎すぎてやたら視線集めてましたよ! まぁ話は楽しかったですけど!」
「んはは! 皆、何やってんの? 面白っ!」
すこぶる楽しそうなヘルンさんとダイさんが再びハイタッチをした。この二人とテオが揃うと場が明るい。大人しいリュカ様も、頬杖をつきながら何だかんだその様子を楽しそうに見ていた。
夜は昨晩より早めの時間に、グレイさんと訓練場に向かった。
「イリス。その服、少し大きくないですか?」
「ベルガ殿下のおさがりなのです。訓練に集中できるように貰いました」
「あ、ベルガ殿下のでしたか。それは変な男を避けられますね」
穏やかな笑みを浮かべたグレイさんと、昨日の訓練の話などをしながら歩いた。
訓練場では、すでにテオがダイさんとストレッチを始めていたので、イリスたちも挨拶をして合流した。今日は他にも数名、走っている人などもいる。
「ダイさん、いってぇです!」
「昨日イリスにつぼ押しされてたんだから、ちょっとは柔らかくなってるだろ!」
「いやそっちもですが、打ち傷がぁ!」
「……つぼ押し、ですか?」
「グレイさんもやります? この辺とか、ぎゅーっと」
「あ、これ良いですね。ありがとうございます」
「っかー! 隣でほのぼのしやがって! あいつ尻尾が見える気がするわ。な、テオ!」
「背中をぐいぐい押されすぎて地面しか見えないんですけど!」
テオの悲鳴を聞いたり、グレイさんにペースを合わせてもらって走り込みをして、筋トレまで終わった。
「ぜぇ……はぁ……」
「イリス、俯いてしまいましたが、大丈夫ですか?」
「あ。そいつのそれは色気対策だから、そのままにしてやってください」
「あ、はい……」
「……ん? 体動かして暑かったのに、うっすら冷えてきたか?」
「テオ。隣、ありがとうね」
「いいぜ」
筋トレ中、テオは昨日よりしっかり隣にいてくれた。他の男性の視線を避けてくれたことに気づき、少しだけ顔を向けてお礼を言ったら、相変わらず爽やかに返してくれた。
反対側ではグレイさんが待っててくれているので、可能な限り早く息を整えた。
潰した剣を持ち、ダイさんに見てもらいながら、グレイさんとの打ち合いが始まった。
優しい彼は最初こそ遠慮があったが、こちらが容赦なく打ち込むことで、積極的に仕掛けてくれるようになった。
「おし、その辺にしとくか! お前らほぼ互角だから、良い練習相手だな!」
「ふぅ……二本取って、一本取られました。知ってはいましたが、グレイさんの動きが速すぎるので、もう必死でした。最初の遠慮がなければ、逆だったかもですね」
「いや、そうでもないと思います。イリスの剣を躱すの、かなり大変でした……」
お互いに息切れしながら、見ていたダイさんからも助言をもらい、水を飲んだ。ちゃんと彼を守れるようになるには、まだ鍛錬が必要だ。
息を整えていたら、少し離れた所で自主練をしていた騎士隊長が近づいて来た。
「イリス・シュパール。私は騎士隊長、エハルド・ギーツだ。紫の実の怪物を倒した君に、一つ手合わせを願いたい」
「おー、グレイの時といい、イリスにも疲れているところに来るとはなぁ。まぁイリスの体力づくりには良いけどさ」
「いや、ダイ隊長。タイミングを窺っていただけで、本当に嫌な意味ではない。ただ、及ばないとは分かっているが、自分の実力を試させてほしいんだ」
「だってさ、イリス。どうする?」
「大丈夫ですよ。三本勝負で良いですか?」
「あぁ。よろしく頼む」
再び剣を持ち、目の前の、いつも精悍な顔をさらに引き締めた騎士隊長に集中した。鋭くこちらを見据える彼に、こちらも本気で挑まなくては。
「始め!」
ダイさんの声で、同時に剣を振った。
「イリスの三本勝ち。瞬殺だったな」
「ありがとうございました」
「……ありがとう……くっ……」
騎士隊長はものすごく悔しそうに顔を下に向けている。それでも礼は言うし、握りしめた剣はきちんと下げている辺り、真面目な人らしい。
「そちらの補佐たちの強さは何なんだ……何故こんなにも我々は及ばない?」
「騎士隊長様がご存知ない間に、鍛えてきているのです」
「私も幼少からずっと鍛錬してきている。君たちより年上だし、確実に歴は長い。騎士隊長にまでなって、年下の女性にまで、こうも敵わないものか?」
低い声を出す彼は、今にも歯ぎしりをしかねない。日頃から溜まっていたのだろう。
騎士隊長という役職は、国の最高レベルの強さを示す。それなのに、一応は内勤職である補佐に勝てないのが悔しいのは理解できる。
だが、グレイさんはともかく、イリスたちは前世から訓練している。何度も戦場に出ていたし、強くなるしかなかった。
そんな生き方をしていたから彼らより強いのだと思うが、上手く説明ができない。 困ってダイさんを見ると、彼も「どうしたもんかなー」とひげを掻いている。
「エハルド。お前の想像以上に訓練してきてるってことだ。俺やベルガみたいに子どもの頃から強い奴もいるしな。お前も鍛えるしかないぜ。誇りと悔しさをバネにしろ。主戦力として数えてるんだから、頼むぞ」
「あぁ、もちろんだ。ダイ隊長、これからもご指導を願う」
ダイさんのおかげで騎士隊長は落ち着いた。目でお礼を伝えると、グーサインを向けてくれたので、こちらも同じように返す。
騎士隊長に一礼して、側で見守っていたテオとグレイさんのところに戻った。
少しして、騎士隊長は訓練が終わって帰り、入れ替わるようにベルガ殿下が入ってきた。
テオと訓練をしていたダイさんが、「おっす!」と気さくに声を掛けている。
「今日はイリスがエハルドに挑まれてたぜ。まぁ秒殺してたけど。グレイの時も同じだったんだから、そりゃそうなるのに、かなり悔しがってたぜ」
「またか。懲りねぇ奴だな」
「エハルドは真面目で努力家だけど、それ故にちょっと扱いが難しいよなぁ。イリスたちに当たっても、こいつらは立場的に言い返しにくいのに。仲間なんだから、もうちょっと態度とかも歩み寄ってほしいんだけどな」
「あいつ、あのままじゃすぐ死ぬぞ。イリス、俺のつぼも押せ」
「テオ、グレイと打ち込みやれ。見てるから」
『了解です』
二人のやや辛辣な会話を聞きながら、殿下の凝りすぎた肩と背中をほぐす。思ったよりつぼ押しが人気なので、ドルバさんに習っておいて良かった。
そのまま殿下のストレッチを手伝い、終わる頃には、地下街の人たちに騎士の制服を奪われるという、以前あった件に話題は移っていた。
「グレイ、テオ、そこまで! ちょっと休憩してろ。……地道に情報を集めてたやつな。そろそろとっ捕まえに行くんだろ」
「あぁ。来週、俺とイリスと騎士で行ってくる」
「は? お前が出るほどの案件じゃねぇだろ」
「俺の実戦が少なすぎる。怪物と戦うのに肩慣らしはしておいた方が良いだろ。騎士たちへの喝にもなる」
「そうだけどさぁ。一応、お前王子だぞ。まぁめっちゃ余裕で帰ってきそうだけど。ジオルドたちが絡んでたからか?」
「……ふふ。それと、私と暴れたいのですよね?」
「まぁな」
「あ、何だよ、そういうことかよ! おいおい、そういうの良いと思うぜ!」
グレイさんが近くにいるので前世関連の単語は出せないが、「"久しぶりに一緒に"暴れたい」というのは伝わったようだ。
怪物より先に殿下と動く機会があるとは思っていなかった。イリスとしても、その任務はちょっと楽しみになった。




