それぞれの色
夜、ひと仕事を終えてベルガ殿下のもとに戻ると、殿下は最近たまに見るようになった、黒い訓練着姿になっていた。
「対樹部隊の訓練に行くぞ。応接室でこれに着替えろ」
「はい」
執務室の隣の、滅多に使われない応接室で、渡された訓練着に手早く着替える。
シャツのサイズは合っているのに、上着は手の甲とお尻を隠す大きさだった。
そのことに懐かしい気持ちになりつつ、袖を折り、髪も簡単に結んで、部屋から出た。
「上着、覚えてくれていたのですね」
「お前は今もそうしねぇと、訓練にならねぇだろ」
「ふふ、ありがとうございます」
「行くぞ」
小訓練場に入ると、広い円状の、天井の高い空間が広がっていた。入り口から中央の練習場までは段差がある。練習場の周りを囲うように簡易的な椅子が置かれていた。
入り口から少し距離がある中央では、ダイさんが手を振ってくれていた。その横には、同じく訓練着のテオもいる。手を振り返しつつ、そちらに向かって殿下と階段を降りる。
「椅子がやたら多いですが、休憩用ですか?」
「休憩と、見学用だ。暗殺部隊内での試合とかで使う」
「なるほどです」
「それより、何であいつがいる?」
「テオは今日、『俺が死ぬ時はイリスと一緒』と言って、宰相様の許可を取って部隊に入りました」
「は……? 話は分かるが、変な奴だな」
「意外とそういうところがあったみたいです」
中央に降りると、朝と変わらず元気そうなダイさんが笑顔で「待ってたぜ!」と出迎えてくれた。
「他の奴はもう訓練は終わって戻ったから、後は俺らだけだな」
「よろしくお願いします!」
「お願いします。……テオ、ここに参加するまで早かったね」
「さっきダイさんが宰相室に来てくれて、『お前も今日から参加な!』って」
「早いに越したことないし、イリスと一緒に説明した方が効率的じゃん? それに今晩のメンバーは前世組って決まってたから、ちょうど良いだろ!」
このメンバーなら前世の経験なども気兼ねなく話せる。頷くイリスたちに、ダイさんは「よし!」と膝を叩いて気合を入れた。
「まずはストレッチな。騎士や暗殺部隊の奴らはもともと自分のところで基礎訓練はしてるけど、俺らはその習慣はないからな。俺の真似して動け」
イリスたちの前で見本を見せてくれるダイさんの真似をしながら体を動かしていく。
「イリス、体柔らかっ!」
「こういうのは得意な方です」
「開脚しながらそんな地面にべったりいける? 左右の男たちとの違いすごくね?」
「おい、背中押せ」
「任せろよ! イリスもテオのこと押してやって!」
「はい! いくよー」
「おう。……ぐっ、痛たたっ! 脚がぁ!」
テオの限界までゆっくりと背中を押し続ける。
隣ではダイさんたちも同じことをしているが、殿下が顔を顰めるばかりで、先ほどとあまり変わらない。
「押しすぎだ」
「かってーな、お前は本当に! 最近はほぼ毎日やってるのによ。日中は座ってばっかりだから凝ってるのもあるだろ」
「テオも肩と背中すごい凝ってるよ。つぼ押してあげる」
「……お? めっちゃ良い感じ。イリス上手くね?」
「ふふん。お爺さんにやらされ……教わってたからね」
「言い方的に家族ではないんだろうな……お前の過去、謎なんだよなぁ」
いろんな国の医療を学ぶドルバさん仕込みのつぼ押しでテオを少し柔らかくしたり、隣のケンカを聞いたりしつつ、ストレッチは平和に終わった。
「次は十キロ走り込みな!」
絶対やると思ったが、これは体力のないイリスには苦手分野だった。でも、だからこそやった方が良いのも理解している。
「はあっ、……ぜぇ、はぁ」
「おぉ。イリスがめっちゃ息切れしながらも速度は落とさない辺り、元隊長の意地を感じるぜ。つーか、怪物と戦った時こんなもんじゃなかっただろ」
「実践は……っはぁ、また、違うのです……!」
「テオは少し先くらいだけど、ベルガなんかもう走り終わってるし。あいつはあいつで毎度早すぎね?」
「ダイさん……っ、置いてって、良いですよっ」
「一緒に走るぜ! ほらあと少し、頑張れ!」
「っはい!」
余裕でしかないダイさんの笑顔を向けられ、イリスも頑張った。
とっくに走り終わって涼しい顔をしているベルガ殿下と、息切れはしつつも爽やかなテオのもとに、へたりと倒れ込んだ。
「はぁっ、はぁっ」
「中盤からキツそうだったのに、良くやり切ったよ! でもこれから筋トレだぜ」
「ぜぇ……はい……やります……」
「へろっへろだけど、中身は骨がある奴だな、お前は!」
再びダイさんの見本を見ながら腹筋などの筋トレを数十種類こなし、イリスは疲れ果てた。
「……はぁっ、はぁ」
「イリス、大丈夫か?」
「俯いちゃったけど。おーい」
「そいつには極力、筋トレ直後の顔を人に見せないように言ってある」
「は? 何で?」
「無駄に色気を撒き散らすから、男共が変な気を起こす」
殿下、こっちも覚えてくれていたのか。習慣でこうしてしまったが、このメンバーなら普通にしてても大丈夫だろうと今さら気づいた。
「あー……なるほど。お前らも苦労してんねぇ。ってか、イリスの上着がちょっと大きいと思ってたけど、もしかしてお前のおさがりとかなの?」
「あぁ。それも男避けだ」
「"総隊長"ないし、"王子"の服なんて着てちゃあ迂闊なことはできねぇな。昔からそうしてたんだな。ちゃんと守ってやってんじゃん! テオ、こいつら意外とこういうところあるわ」
「ですね。良かったな、イリス」
感動している二人に、俯いたまま頷く。殿下自身は色気なんて毛ほども気にしなくても、前世の訓練で何度もセクハラにあったイリスにとって必要なことだと理解してくれている。上司がこの人で本当に良かった。
そこそこ息が整った頃合いで、訓練用の潰した剣を握り、ベルガ殿下との打ち合いをした。
「おー、すげぇ! 俺、地味にイリスが剣使うの今世では初めて見るけど、やるなぁ! イリスー、いいぞー!」
「二人とも本当にすげぇ……! すげぇぇ!」
ダイさんたちの声が聞こえるが、もちろん返事をしたりする余裕はない。目の前の殿下が容赦なく凄まじい速度であちらこちらから剣を打ち込んでくるので、その対応で精一杯だ。
隙はないが、こちらからも打ち込まないと殿下の訓練にならない。手を動かすのと同時に殿下の次の動きを予測して、反射の悪そうなところに剣を滑り込ませる。
だがそれは躱され、すかさず最小限の動きで別の方向から剣を突き入れるが、それもいなされる。その直後に、また殿下の猛攻が始まる。
殿下は、昔よりさらに強くなっている。イリスは強くなれているだろうか。
「……こんなもんか」
「っふぅ、ありがとうございました。三本取られました」
「防いだ方ではあったな。だが、全部防げるようになれ。俺への打ち込みが変則的で厄介なのは良いが、数がまだ少ない。余裕を作れるようになれ」
「了解です」
殿下の指示は大ざっぱだが、これでイリスが勝手に何とかするのも理解してくれている。
少し離れたところにいたダイさんたちが、こちらに近寄ってきた。
「お疲れ! イリスはいなしたり、相手の力を上手く使ったり、力押しじゃない繊細な動きがすごく達者なんだな。観察力と、体の柔らかさも利いてるんだろうな」
「あぁ。だから下手な筋肉はかえって邪魔だろ。そもそも筋トレをしても、あまり体につかない奴だ」
「そうだなぁ。技術面や精神面は相当あるし、一番鍛えるべきはやっぱり体力か。怪物と戦った時も、体力が一番きつかったって言ってたもんな」
「筋トレもやらせるが、走り込みと俺らとの打ち合いで体力をつけさせるぞ」
「現状、俺らの相手ができるのがお互いとグレイしかいなかったし、ちょうど良いな。慣れてきたら複数対一とかもやろうな」
「はい!」
二人に明日からの訓練内容を考えてもらい、同じく体力面を鍛えているグレイさんともできるだけ時間を合わせることで話がまとまった。
続いてダイさんとテオの打ち合いも始まった。
「ほらテオ、隙だらけだぞ? こことか」
「いっ!」
「ここも。こっちと、ここも!」
「ぐ、う、うっ!」
「……ダイさん、加減はしていると思いますけど、普通に痛そうですね」
「あいつ、明日は痣まみれになるな」
敵だったこの二人の訓練を見るのは、新鮮で興味深い。だがダイさんの動きが圧倒的に速いので、テオが全身打たれまくっていて、見ているだけで痛い。
ダイさんは力が強いし、速さも技術も加減しているだろうに、やはり文句なしの強さが窺える。
端から見てこれだけすごい人でも紫の実の怪物を相手に苦戦したのなら、黒い実の怪物はどれだけ強いのだろうと、まだ見ぬ敵に鳥肌が立った。
テオが息切れするにつれて反応が鈍くなってきた頃合いで、「ここまでにしとくか」とダイさんの手が止まった。
「テオ。お前は別に弱くはないが、怪物と戦うにはまだまだ全体の底上げが必要だ。集中力とかも含めてな。今だとちゃんと相手できるのは黄色一体くらいだな。体が壊れない程度に訓練していくしかないな」
「はい!」
顔の汗を拭う手が止まらないテオのことは、彼のことを一番よく知っているダイさんが基本的に鍛えていくことになった。
二人が水を飲んでいる間に殿下が地面で胡座をかいたので、イリスたちも輪になるように座った。殿下と対面に座っているテオが、どことなく緊張している気がする。
「ダイ。部隊のやり方を話せ」
「はいよ。会議でも話はあったけど、怪物が出たら森の見張り番がそいつの実の色の煙を、敵の数だけ撃つ。それだけだと俺らは気付けないから、それを見た城にいる見張り番が、うちの執務室に報告に来るようになってる」
「隊長のダイさんがよく外に出ているので、不在でもベルガ殿下が報告を聞けるようにということですね」
「そう! イリス賢いね。報告があったらネル、サンダ、騎士が部隊のメンバーにも報告に行って、呼ばれた奴は森まで向かう」
煙については、敵国から襲撃があった時などでも同じような動きをするらしいので問題ないと思う。だが、所属の違うメンバーを上手く呼び出すのは少し難しい気がした。
「呼びにいった人がいない場合もありますよね」
「そこなんだよ。俺らも誰が行けるか都度把握するのは現実的じゃないからさ、最初からできるだけ余裕を持った人数を呼ぶとかで対策することになる。本当は誰が行くのかお互いきちんと知っておくべきなんだけどなぁ」
「大まかに『騎士も向かってる』とかの認識で動くイメージですね。到着した時に、他の仲間が来てない場合もありますね」
「そうなるな。もちろん俺がいれば最優先で動くし、最近は任務でも遠くには行かないようにベルガが調整してるけどさ。それこそ、ほぼ確実に半日は城内にいるイリスとテオは呼ばれやすいぞ」
「そうですね。……特に、実績のある私ですね」
殿下とダイさんが頷いた。何色の怪物でも、呼ばれる覚悟はしておくしかない。その度にリュカ様に心配をかけてしまうのだけが気がかりだ。
黙っていた聞いていたテオが、「あの……」と小さく手を挙げた。
「怪物がいるのは森のどの辺とかまで特定できるのですか?」
「森の見張り番は色んな方向にいて、怪物に一番近い奴が煙を撃つから、それを目印にする。煙は長時間持つタイプだから、それが見えないというのはないはずだな」
「相手も動きますし、こちらも大まかな方向で動く感じですね」
「そうそう。あいつら殺気がないけど、方向が分かれば警戒はできるからマシにはなるだろ。けど、イリスの時みたいに洞窟内で気付かなかったパターンもあるんだわ」
「森にはいくつか洞窟があるらしいですし、それは都度、警戒するしかないですね」
「そう! 完璧は難しいから、俺らも柔軟にやっていこうぜ。まぁ、説明はこんなところかな」
テオと説明のお礼を言ったところで、殿下がイリスの目をじっと見てきた。藍色の瞳は何かを促し、率直な殿下があえて口に出してこないこの意味は……
「……あぁ。あの、ダイさん。私は右目の視力がほぼありません。特に影響はないのですが、知っておいてください」
「は? え、そうなの?」
目を大きく開いて驚くダイさんに頷いた。そう言えばこの人にはまだ話していなかった。普通に言い忘れていたが信頼関係にも繋がることなので、促してくれた殿下に、同じく目で「ありがとうございます」と伝えた。
「っかー! それでこの強さなのか。頑張ってるな! 今日は俺が撫でてやるぜ!」
「わ! ……ふふ、ありがとうございます。今日は二回も頭を撫でてもらって、貴重な日です」
「朝ベルガにも撫でられていたもんな! ってか、さっきのベルガとの目での会話も地味にすげぇな。な、テオ!」
「俺は今、いろいろ驚いています。そう言えばイリスの髪が中庭で見た時よりふわふわしてるとは思っていましたけど……」
「ふっ、今朝は俺ら全員が撫でられたんだぜ。仲良いからな! ついでにテオも撫でてやるよ」
「うお、力強っ! 痛っ、ちょっと、イリスにはそんなんじゃなかったですよね!?」
「それ俺が朝ベルガに言ったセリフ! こんなところが似てどうすんだよ! なぁ俺らも目で会話して見せつけようぜ!」
「ダイさんとそんなこと、やったことないんですけど!」
大きな手でぐりぐりと撫でられて乱れた髪を直しながら、騒ぎ出した二人を殿下と眺める。
ダイさんが「やってみようぜ!」と何かを目でテオに伝え始めたが、彼は「はぁ!?」みたいな顔で困惑しているので多分何も伝わってない。
ただ男性二人が変な顔で見つめ合っている、意味が分からない空間になった。
「目というか、顔で会話してますね」
「こいつら全部が顔に出てるからな」
「くそ、お前らばっかかっこつけやがって! 俺らもやればできるんだよ……おいテオ、お前なんだその顔! ぶふぉ!」
「ちょっ、唾飛んだんですけど! ってか真剣に日頃の感謝を伝えてたのにそんな笑います!?」
「いやテオ、今のは本当に面白い顔だったよ。というか何でこのタイミングで感謝を伝えるの」
「こういうのこそ、口では言いにくいだろ!」
照れたテオに、何故かこれで感動したダイさんが片手で自分の額を押さえながら、もう片手で彼の額を弾いた。
「いたぁ!」
「おい、もう帰るぞ」
「よし、テオ。明日も夜に来いよ。自主練とかも良いけど、一人でがむしゃらにやるより、ちゃんと俺が見ながらやる方が良いからな! 鍛えてやるぜ!」
「〜っ! 了解です!」
情熱的な二人を置いて殿下がさっさと歩き出したので、イリスもついて行く。少し後ろではまだ何か騒ぎながらテオたちもついて来ている。
「あいつら、歩いてるだけでも何か見せつけてくるな! テオ、俺らもあんな感じのオーラ出すぞ!」
「無理ですよ! 俺らさっきからずっと間抜けなのは自覚してますよ! あの二人と真逆ですよ!」
「……テオたち、夜なのに本当に元気ですね。通りすがりの人たちが微笑ましそうにしてます」
「ダイだけでもうるさいのに、あいつも揃うと一層やかましいな」
「あ。前方の宰相様がこちらに気づいて、とんでもなく複雑そうな表情をされてますね」
「宰相はいつもあんな感じだろ」
「宰相じゃん! 何してんのー? ねぇ、俺ら、そいつらみたいなオーラ出せてる?」
たまたま廊下にいた宰相様に、後ろのダイさんも気づいて大声で話し掛け始めた。
先を歩いていたイリスたちは眉間を摘む彼に挨拶をしてそのまま歩き、ダイさんたちに立ち止まってしっかり絡まれ出した宰相様の「あの二人、ダイを回収してくれないのか……!?」と嘆く声が聞こえた気がしたが、普通に帰った。




