灰と橙
「グレイ、今お前に頼んでいる外の仕事、全部イリスも連れて行け」
「了解です。イリス、行きましょうか」
ベルガ殿下は余計な話はせず、さっそく仕事を振ってきたので、数分ぶりにまた外に出た。
まずは城から馬車で森に行き、人食いグマを倒した。最近こいつらが大暴れして死者が多く出ているらしい。この国で「凶暴」の代名詞でもある人食いグマはざっと三十匹はいた。勤務初日からの殿下の容赦ない指示に、懐かしさを感じた。
そして意外だったのは、グレイさんの剣の強さだ。やや細身ともいえる体なのに、四方から向かってくる人食いグマを一瞬で斬り倒していた。
この仕事を任されるくらいだから強いのは分かっていたが、素早い剣捌きは圧巻だった。
敵の動きを的確に捉え、素早く剣を振るグレイさんは、どう見ても戦闘慣れしている人だ。戦闘力はイリスと同レベルくらいある気がする。しかもイリスは筋肉がある方ではないので、単純な武力ならグレイさんの方が上だ。
「グレイさんってすごくお強いのですね。動きが速すぎてびっくりしました……」
「イリスがそれを言うのですか? 旅先でも剣を振っているのは把握してましたが、予想以上です。全部僕が片付けようと思っていたのに、躊躇いなく向かっていくし余裕で半分片付けてますし」
グレイさんが剣を収めながら、あり得ないみたいな顔で見てくるが、返り血すらつけずにビュンビュン剣を振っていた人のセリフだろうか。
血の匂いの濃いここは他の動物を寄せ付ける。お互いに「何者……?」という顔を向け合いながら次の任務へと向かった。
「次は王立図書館に潜入して、禁書の盗人を捕まえます」
連れてこられた立派な王立図書館で、イリスは一階の入り口で警備のふりをしながら、来館者から"悪人"を見抜いた。その人が来たら、吹き抜けの二階、閉架になっている禁書エリアとは逆側のスロープに待機するグレイさんに合図を送る。
すぐさま外に出て、対象が降りた馬車から身元を確認し、イリスも二階に駆け上がる。その人が禁書を自身の上着に隠した現場をグレイさんが押さえているところに合流した。
「何ですの、あなたたち! 少し触っただけですのに」
「オーギュイ子爵夫人ですね。家まで連れて行っていただけますか?」
「国の職員だか知りませんけど無礼ですわ。あなたたち、やりなさい」
夫人の合図で彼女の護衛二人が飛びかってきたがそれはグレイさんが倒した。倒すといってもさすがに殺しはしないが。
引き攣った顔の夫人を外に連れ出し、御者に圧をかけつつ子爵家の馬車で彼女の家に押し入った。
オーギュイ子爵の屋敷内でも護衛たちが挑んできたのでそれも倒した。邪魔がなくなったところで、イリスは怯える夫人に顔を近づけ、半泣きの瞳をじっと見た。
「夫人、盗んだ禁書はどちらに隠しましたか?」
「知らないわッ!」
「私室? ……私室はどこにありますか? 右側? ……左側? 二階ですか? ……グレイさん、二階の左手の夫人の私室です」
「了解です」
夫人の私室から盗まれた禁書を発見した。十冊以上あるそれらは、すべて過去の権力者たちのゴシップ的な本らしい。本は回収し、夫人は地下牢へと送った。
「イリスに嘘はつけないですね……」
「相手の瞳をよく見ないと分からないですけどね。日常でいちいちそんなことしませんし、警戒しないでください」
「警戒ではありません。頼もしいと思っています」
ふわりと灰色の瞳を細めて微笑むグレイさんはやはり穏やかな空気を纏っている。近くの料理屋で昼食を奢ってもらい、しっかりエネルギーを補充して、午後も駆け抜けまくった。
そんな調子の任務を繰り返し、一週間が経った。
「連続での何十件目かの任務ですけど、ベルガ殿下はグレイさんに仕事を任せすぎでは?」
「今はイリスに一通りの仕事を教えるために少し詰まっていますが、普段は基本的に毎日帰城しますよ。僕は普通についてこれるイリスの方に驚いています。ずっと新人の動きではないのですが」
イリスは軍人時代に過酷な環境下で上司に無茶ぶりされまくって、それに応えるしかないのでかなり頑張った。その経験があるので、これくらいは普通に対応できる。
逆にそういった環境でもないはずなのに、あらゆる任務に的確な対応ができるグレイさんが優秀すぎるのではないかと思った。
今朝、教会の見回りもしてすべての任務が完了し、グレイさんと一週間ぶりベルガ殿下の執務室に戻った。
部屋には殿下の他には二人しか職員がいなかった。初日に見た時はもっと人数がいたが、今は出払っているらしい。
イリスたちが一週間外に出っぱなしだったように、他の人たちも外に行っているのかもしれない。
グレイさんとベルガ殿下の机の前まで行き、任務の報告をした。
「ご苦労だった。グレイ、次はラミーとグーヌ川に行ってこい。詳細はラミーに聞け」
「了解です」
グレイさんは指示を聞くと、ラミーと呼ばれた、髪がとてもくるくるした人に声を掛けて部屋を出た。
今の執務室にはベルガ殿下とイリス、そしてもう一人の男だけが残った。その男は分かりやすく瞳に好奇心を宿してこちらに近づいてきた。
「ねー、ベルガ。その子が噂の新入り?」
「あぁ。こいつはイリス・シュパール」
「へぇ……ん? シュパール?」
「イリス、こいつはダイ・ダーン」
その男は背が高く、がっちりとした体格から相当な筋肉があるのが制服の上からでも分かる。
無造作なオレンジ色の強い茶髪と、同じ色の太い眉毛とひげもあいまって野性的な印象を受けた。男くさい男という感じだ。
この人も帯剣している。年齢はベルガ殿下よりも少し年上くらいだろうか。
こんな目立つ人は初日の挨拶のときにいなかったと思うが、彼の口ぶりからしても不在だったのだろう。
それにしても、この大きな体とオレンジがかった髪には見覚えがある。ダイ・ダーンの名前にも聞き覚えがあった。妙に覚えやすいこの名前は……
「ウラース国の総隊長……でしたか?」
「あ、そうだよ、こいつお前らの国の隊長じゃん!」
前世の敵国、ウラース国の総隊長。現場で指揮を取りつつ自身も大剣を振り回してこちらを削っていた強者だった。ウラース国とは再三やり合ったので、この顔は何度も見た。イリスの最期の日も戦場で会った男だ。いや、というか。
「爆弾、痛かったんですけど!」
「うおっ、パンチされたけど力弱っ!」
「クソがぁ!」
「いや叩かれても力弱いって! 本当に隊長だった奴か!? ってかお前こそ、うちの奴めっちゃくちゃ殺してきてたじゃん! 一人で何十人殺るんだよ! ちょっとベルガ、この子に何とか言ってやってよ!」
「イリス、お前ちゃんと怒れるようになったのか。成長したな」
「えへへ」
「何で今褒めるの!? いやイリスも素直だな!」
ベルガ殿下が素直に感心したというような顔で褒めてくれてつい口が緩む。ダイは「えぇ〜……何こいつら」とドン引きしている。
ダイは前世で首を狙っていた男だ。爆弾のせいで彼まで辿り着けなかったが。殺し合い自体はお互い様だと思っているのだが、爆弾だけはだいぶ痛すぎたのでちょっと許していない。
「えぇ? 間近で見ると本当にただの女の子なんだけど、本当に隊長だったイリス・シュパール?」
「前世ではお世話になりましたね、ダーン総隊長」
「あ、このクソ冷たい灰色の瞳はあの隊長だわ。銀髪もそうか。うわー、ベルガと二大最優先で殺す対象だったシュパール隊長かぁ。可愛すぎて分からなかったぜ」
「ナンパ野郎なのですか?」
「おいおい、いよいよその瞳が氷のように冷たいぜ。今世では仲間じゃん。仲良くしようよ」
そう言ってダイは手を差し出して握手を求めてきた。睨み合っていた昔とは違い、すっかり親しげだ。まぁ、まだこの人のことは好きではないが、爆弾以外はもうあまり恨みはない。爆弾も……いつまでも前世のことを引っ張っても仕方ないので追々許そう。
「……お前、わりと素直だな。握り返してくれると思わなかったわ」
「今は仲間というのはそのとおりですから」
「ダイ。お前今の、本当に気持ち悪いな」
「ベルガ!? 何でそんなこと言うの! 傷つくでしょ!?」
たしかに握手したときのダイの顔は気持ち悪かった。手は速やかに離した。「誰でもこういう反応になるでしょ!」と顔も声もうるさいダイを、ベルガ殿下は腕を組みながら冷ややかに見ている。
それにしても、ベルガ殿下にとってもこの人は当然敵だったわけだが、今は仲は悪くなさそうだ。補佐にもしているし、殿下たちも切り替えてうまくやっているのだろう。
握手の件を一通り嘆いたダイさんは、「てかさ!」とパッと笑った。
「もう一人うちの国だった奴が城内で働いてんだよ。宰相の補佐のテオってやつ。ちょ、連れてくるわ!」
楽しそうなダイさんはこちらの返事を聞く前に部屋を出ていった。
どういうわけか、前世の知り合いで今世も会うことは滅多になかった。イリスが今世で再会したのはベルガ殿下たちが初めてだった。テオという名前に聞き覚えはないが、貴重な前世を知る人間に少し興味はある。
「テオ様? という人は殿下は知っているのですか?」
「いや。いつ入った奴か知らないが、ダイしか知らない人間なんだろ」
敵の上級の管理職者ならこちらも把握していたはずなので、テオはそういった役職はついてなかったのだろう。
そう時間はかからず戻ってくるだろうと、殿下としりとりをして待っていると、執務室の扉が力強く開いた。
「待たせたな! こいつは俺の部下だったテオだ」
「し、失礼します!」
戻って来たダイさんと一緒に緊張気味に入ってきたのは、イリスと同じくらいの年齢に見える青年だった。同じ黒い制服のローブをはためかせて、大股で歩くダイさんに続いてこちらに近づいた。
明るい茶髪をすっきりと整え、オレンジ色の瞳がキラキラしている彼は、元気が良さそうな印象だ。背はやや高めで、おそらくベルガ殿下に緊張して口元はぎゅっと引き締めている。
「テオ。ベルガのことは当然知ってるな。んで、こいつはイリス・シュパール」
「セシルバーグ伯爵の次男、テオです。……イリス・シュパール?」
「前世でハリア国の隊長だった奴!」
「え、あ! お前!」
テオがものすごく驚いた顔をしてイリスを指さしてきた。そのまま記憶の整理をしてるのか言葉が出ないようだが、目も口もすごく大きく開いてて何だか面白い顔になっている。
そのまましばらく固まった彼に、こちらから何か話しかけるべきかと迷っていると、テオは唐突に顔を引き締めた。
「ごめん!」
「え?」
「最後、俺がお前を殺した!」
テオが、バツの悪そうな顔で少し俯いた。ベルガ殿下がものすごく眉間にしわを寄せたのが目の端に見えた。ダイさんは「え? そうなの!?」と呆気に取られている。
イリスを殺した軍人……あのときすでに瀕死であまり敵の顔も見てなかったが、テオがそうだった? 言われてみれば、このオレンジ色の瞳には見覚えはある。
記憶の中で、このひどく素直な瞳が、イリスと鉢合わせて戸惑い、敵意を持ち、泣きそうになり、苦しんでいたのが蘇った。彼の銀色の剣に胸を深く斬られ、死を確信した時のことも思い出した。
だが、そう認識しても恨みは湧いてこない。
「それならあなたを殺したのも私だよ。ごめんね」
「う、まぁそうなんだけど」
「えぇー!」
最後の時、テオがイリスの胸を斬り、その直後にイリスがこの人の首を斬った。そして二人とも絶命した。それぞれの正義があるから。立場が違うから、恨みもない目の前の人間を殺した。それは全部お互い様なのだ。
テオはまだバツは悪そうなままだが顔を上げた。
「しょうがないです。切り替えましょう」
「っ、そうだな!」
「この子たち切り替え早っ」
同時に出した手を強く握り締め、笑顔を向け合った。何だかすごくスッキリした。頭に青空がかかったように爽やかな気持ちだ。横でダイさんは「えぇー……」とまたドン引きしているが。
「あれ? そういえばイリスはうちの爆弾で死んだと思ってたけど、テオだったの?」
「爆弾は直撃は逃れましたので、最終的にはテオ様ですね」
「いや何で逃れられるの? ベルガ、この子おかしいって」
ダイさんは納得いかないようだが、爆弾が来てるなと気づいた瞬間に全力で走っただけだ。結局、爆風で飛ばされてテオと鉢合わせたが。そのテオは何か言いたげにこちらを見ている。
「テオ様?」
「イリス。お前と上下関係を持ちたくない。敬称も敬語もなくていいぞ」
「うん、分かった」
すでにさっき思わず敬語をつけ忘れた気がするけど。正直、お互いを殺し合った彼とは身分云々の関係は凌駕していると思っていたので、ありがたい申し出だ。
テオが向けてくれる爽やかな笑みには親しみもこもっている気がする。イリスもすでにテオには、何でも言えるくらい心を開いている感覚がある。戦っていた時から彼の印象は悪くなかったので、今世では普通に仲良くなりたい。
隣では、まだ眉間のしわを解除しない殿下の肩をダイさんが揺さぶりながら「ねぇねぇ!」としつこめに話し掛けている。絶対怒られるだろうと思いながら見ていると、案の定「うるせぇ!」と殿下がダイさんの頭をはたいた。すごく痛そうだ。今度はテオがドン引きしていた。
殿下はどちらかと言うと背が低めだが、筋肉は人一倍以上ある。いつしか、本がぎっしり詰まった本棚を片手で余裕そうに移動していた殿下の記憶が蘇った。
「いってぇ! っかー、これは医者に診てもらわないとだわ! ちょっとリュカ様のところ行ってくる」
「おい、サボるな」
「治療だもん!」
「いや治療だとしても行くのは医務室ですよ! リュカ殿下のところは医務室ではないですって」
はたかれた頭を押さえたダイさんにテオが至極真面目にツッコミを入れている。
突然のリュカ殿下の名前に驚いたが、そういえば医学を学んだ王子と聞いている。
サンダリア国の第二王子、リュカ殿下は非常に頭が良く、十二歳にして世界最難関の医大学、カーミュイ大学を卒業した天才らしい。
当時、その話を聞いた昔の雇用主が、賢そうな顔をニヤリとさせながら「やるじゃねぇか」と珍しく人のことを褒めていたのを思い出した。あれから四年が経ったから、リュカ殿下は今は十六歳か。
しかしダイさんがリュカ殿下の名前を出したのはよく分からない。普通に王子のところにそんな気楽に行くものではないと思う。
テオが訝しそうな顔で口を開いた。
「というかリュカ殿下は大変な人見知りと聞いています。急に行ったらびっくりさせてしますよ」
「俺、たまにリュカ様のところに遊びに行ってるよ? 鬱陶しそうな顔されるけど」
「迷惑がられてるじゃないですか!」
「ねぇベルガ、良いでしょ? たまにはリュカ様の顔見てきても」
「てめぇはたまにでもないだろうが。働け」
「もう昼休憩だし良いじゃん! テオとイリスも一緒に行こうぜ!」
「え」
「ダイさんは何でそう心臓が強いんですか……!」
リュカ殿下の性格は知らないが、聞く限り行っても迷惑がられそうだ。反応に困りベルガ殿下の方を見ると、何か考えているようだった。
「ベルガ殿下?」
「……イリス、挨拶ついでに行ってこい」
「え?」
「あいつはもう陛下の仕事を手伝っている。仕事でたまに俺とも関わる。お前も顔見せとけ」
「あ、はい。了解です」
「よっしゃ、じゃあテオも宰相関連で関わるかもだし行くぞ」
「そうかもですけど、あ、ちょっと腕引っ張らないでくださいよ!」
「行ってきまーす」という力の抜けたダイさんの掛け声とともに、イリスとテオもリュカ殿下のところに行くことになった。




