勤務初日
城内で散々迷い、通りがかったメイドに道を教えてもらった。
「あの、馬車乗り場は真逆です……」と申し訳なさそうに言われたときは、こちらが申し訳なかった。その人は親切にも馬車の場所まで連れて行ってくれて、ヘルンさんの、プルーシェル家の馬車まで一緒に探してくれた。
「本当にすみません。私、明日から城で働くことになりましたので、後日お礼をさせてください」
「お礼はお気になさらず。どちらで勤務されるのですか?」
「ベルガ殿下の補佐です」
「まぁ! 凄い方ですのね!」
「いえ、まったくそんなことはないのですが……」
「ベルガ殿下の補佐様と言えば、皆さま剣がとてもお強かったり、潜入調査が出来る方でしたり、素晴らしい方ばかりですもの!」
これまでベルガ殿下の情報に特に関心を向けていなかったので知らなかったが、殿下の補佐というのは一芸があるものらしい。イリスは前世が軍人だったので、剣を期待されているのだろうなと思う。
「私、応援しています! 頑張ってくださいませ!」
メイドの目はキラキラと輝いていた。とても親切な良い人だ。その人と無事にプルーシェル家の馬車を見つけ、お礼を言ってそこで別れた。
御者に待たせたことを謝ると、「大丈夫ですよ」と朗らかに返してくれた。その優しい御者の手を貸りてマーガレットの紋章が入った馬車に乗り込み、ようやく一息ついた。
「今朝までは外国にいて、帰国した直後に前世の上司に会って、仕事が決まって、今から新しい家か。忙しいな……」
目まぐるしい一日だ。さすがに体は疲れていて、馬車内の椅子と完全に一体化している。眠くなって、うとうとと瞼を閉じる。
だが、そう時間を置かずに馬車が止まり、御者に「着きましたよ」と声を掛けられた。
まだ椅子とくっついていたいお尻を上げて、再び御者の手を貸りてゆっくり馬車を降りると、赤茶色の外壁の一軒家の前に着いていた。
オレンジ色の夕日が差し掛かり、一層赤っぽく見えるこの家は、よくあるような平民の一軒家だ。
「おぉ……」
「こちらは先代の当主が、平民出身の奥様のために作られた別荘です」
御者は簡単に説明し、「ではこちらで」と帰っていった。
ヘルンさんから貰った鍵で中に入ると、部屋の中は木を基調とした、シンプルながら温かみがある空間が広がっている。広くはない石畳の玄関のすぐ近くに木のハンガーポールが置かれていたので、さっそく上着を掛けて、剣もそこに置いて中に入る。
リビングに入ると右側にはソファ席とテーブル席のどちらもあり、左側にはリビングから見える形でキッチンが繋がっている。
ベッドルーム、バスルームなども見ていくが、荒れているところがなく、家具も備え付けられていて本当にこのまま住める状態だった。
この家は外観の通り、完全に平民の家の造りだった。広すぎず、でも一人暮らしにはゆとりのあるこの家は、二人で住むくらいがちょうど良いのだろう。
御者の言っていた先代の当主の奥様は、きっと旦那様やメイドとここで過ごしたのだろうと想像できる。
ひとまず最低限の荷物だけが詰まった鞄を片付けてから、シャワー、洗濯とこなし、少しずつこの家と自分を馴染ませていく。ずっと宿生活だったので、久しぶりの自分の家に胸が躍った。
しかし石鹸などは自分の鞄に入れていたものを使ったが、食材はないことに気付いた。
キッチンを見るも、さすがに食材は置かれていない。キッチンの窓から見える外はとっぷりと暗いので、もう店は閉まっているだろう。まぁ、お腹は空いてるけど食べなくてもいいか。そう思ったタイミングで玄関のベルが鳴った。
「イリスー! ごめん、馬車の場所分かんなかったよね?」
「通りがかったメイドに教えていただきましたよ」
「なら良かった。馬車が当たり前すぎてそこは盲点だったよ。夕食まだだよね? 買ってきたから一緒に食べようぜ」
「ありがとうございます、ちょうどお腹空いてました」
見計らったようなタイミングで現れたヘルンさんが、いい匂いのする紙袋を持って来てくれた。すっかり食欲を刺激されて、いそいそとテーブルに広げると「すごくお腹空いてたんだね」とヘルンさんは楽しそうに笑っている。買ってきてくれたのはパンとミートボール、きのこのクリームスープ、オニオンサラダ。まだほんのりと温かい。
「すごく美味しいです!」
「これ城の食堂の料理だよ。誰でも使える場所だから、イリスも行ってみな」
疲れ身に染みる美味しさに感動した。しかも久しぶりの母国の味だ。舌もお腹もすごく喜んでいる。気分がギュンっと上がり、自分はこういうご飯が食べたかったのだと自覚させられる。今の自分は輝いてると思う。
料理を味わうイリスに、ヘルンさんはカラカラと笑っている。
「夕食も家も、ありがとうございます」
「ふふ、いいよ。この家はね、お祖母様の別荘。よく遊びに来てたんだけど、お祖母様が亡くなったから私が貰ったの」
「ヘルンさんの別荘にするつもりだったなら、私に貸して良かったのですか?」
「いいの! 代わりにたまに泊めてよ」
「了解です」
「その返事、変わらないねぇ」
いたずらっ子のようなヘルンさんの笑顔は、からっととしたものだ。
「これが制服ね。サイズ大丈夫だと思うけど着てみて」
「ありがとうございます」
ヘルンさんはマイペースだが気が利く人だ。食事が終わると、明日から必要になる制服を渡してくれた。一応彼女の目の前は悪いかと思い、ベッドルームに移動して着替えた。
受け取ったのは、詰襟のジャケット、ズボン、ショートブーツ、フードのついたローブ。全て黒一色だ。着てみると、サイズはぴったりだった。体に沿うような長いローブは動くたびに緩く揺れた。
ヘルンさんの元に戻ると、彼女はソファで寛いでいた。女性としては背が高めで脚が長く、中性的な雰囲気のヘルンさんは、座って肘をついているだけでも様になっている。
制服を着たイリスを見るなり、彼女は楽しそうに笑う。
「うん、サイズは大丈夫だね。イリスの銀髪は黒に映えるねぇ。というかさっきから思ってたけど、髪長いのすごい似合ってるね! 昔は短かったもんねぇ」
「軍人に長い髪は邪魔でしたからね。この世界では女性は髪は長いのが当たり前なので伸ばしていますが」
「うんうん、髪はおろしたままの方が良いよ。女の子らしいの似合うよ」
「ふふっ、ありがとうございます。もし髪を切りたくなったら、またヘルンさんが切ってくれますか?」
「良いよぉ。懐かしいね」
前世で、髪はヘルンさんに切ってもらっていた。上司にそんなことさせるべきではなかったが、存外楽しんで切ってくれるヘルンさんにありがたく甘えていた。
ベルガ殿下やヘルンさんが転生しているのは二人の立場上、名前が有名なので知っていたが、イリスはただの平民なので会う機会はなかった。会う必要もないと思っていた。
過去は過去、今世ではすでにそれぞれ違う人生を歩んでいるから。
だがこうして実際会ってみると、前世を知っている人に会えるというのは、心の拠り所を得た気持ちになった。自然と自分の肩の力が抜けているのは自覚していた。
ベッドルームは二部屋あったのでヘルンさんに好きな方を選んで貰い、もう一部屋の方でイリスは寝ることにした。淡い青地にピンクの花模様の描かれた壁紙が可愛らしく、この部屋を気に入った。
今後はこの部屋を私室として、ヘルンさんが使っている方はゲストルームにしよう。「朝食はカフェに食べに行こうね」と約束し、きっちり整えられたベッドで寝た。
翌朝、雲一つないよく晴れた空の下、貰ったばかりの黒い制服を着て、ヘルンさんと朝食のため家のすぐ近くの朝からやっているカフェに入った。ヘルンさん今日も髪は頭の後ろでざっくりと丸めている。白衣はさすがに外では着ないため、くるくると丸めて脇に挟んでいた。
パンを齧った状態で寝るヘルンさんを起こしつつ、美味しいクロワッサンを味わう。そんな様子を女性店員たちが微笑ましそうに見ていて、やや気恥ずかしかった。
カフェから出て、ようやくちゃんと目が覚めたヘルンさんは軽く足を伸ばした。
「運動不足だし、たまには城まで歩くかぁ」
「馬車ですぐの距離でしたね。結構ここから近いのですね」
「うちの領は城と近いからね! 領地の中でもあの家は特に城寄りだし、イリス向きでしょ」
「すごく助かります」
イリスは馬車を持っていないので、通勤先が近いのは本当に助かる。
カフェを出て角を曲がったらすぐに城が見えてきた。建物として大きく、天辺には鐘も付いている城の存在感は方向音痴に優しい。さすがにこれなら見失わない。
城までの緩やかな坂をヘルンさんとのんびり登る。
家を出る前に「イリスは剣持ってた方が良いと思うよ」と言われて、今日も左腰に愛用の細剣をさしてきている。ローブの下に付けているため意外と目立たないが、歩くたびに僅かな音を鳴らした。
上司はベルガ殿下なので、たしかに初日から剣を振る可能性は大いにある。
「はー、坂なんて滅多に登らないから息切れするよ!」
「大丈夫ですか? 手繋ぎますか?」
「うん、引っ張って」
「何で丘に城を建てたんだよ!」と怒るヘルンさんの手を引いて歩く。ヘルンさんはまだ若いはずなのにイリスの腕にしっかり体重を掛けてくるあたり、本当に運動不足らしい。今は研究職を頑張っているのだと分かる。
通りすがりの同じく徒歩で通勤している人たちが「プルーシェル博士が歩いてる……?」「あの銀髪の子は誰?」と、ちらちら見ている。ヘルンさんって本当に有名なんだなと思いつつ、その人たちに盛大に抜かされながら城を目指した。
城に着くと、紺色の制服の門番の近くに、イリスと同じ黒い制服を着た、白い髪の若い男性が立っていた。
「あ、グレイ。おはよ! ベルガの御遣い?」
「おはようございます。イリスさんの迎えに来ました」
グレイと言われたその人は、背が高めで、清潔感のある穏やかで落ち着いた雰囲気の人だった。帯剣していて、ローブの裾の形が左右でやや違っている。イリスと同じ灰色の瞳と少し親近感を抱いた。
「了解。それじゃ私はここで! イリス、頑張ってねー!」
ヘルンさんはグレイさんにイリスを預けると、こちらに手を振って城内に入っていった。グレイさんはそれを見送り、こちらに優しい笑みを向けてきた。
「僕はベルガ殿下の補佐、グレイと申します」
「イリス・シュパールと申します。よろしくお願いします」
先輩になる人に、しっかりと挨拶をした。グレイさんはイリスの挨拶を穏やな瞳で受け止め「ベルガ殿下の執務室へ行きましょう」と歩き出した。
門から広々とした芝生を歩き、城に入った。外壁が白い城は内部も白を基調とした清潔感のある道幅の広い廊下が続く。一階の廊下は直接外と繋がっていて、横を見ると先ほども見た芝生がすぐ近くに見える。太い支柱以外に外と遮るものはない、開放的な造りだった。
メイドや騎士などの職員が慌ただしく行き交い、足音や話し声があちらこちらから聞こえる。
その廊下をグレイさんの一歩後ろをついて歩く。
彼はおそらくイリスより年上とはいえ、まだだいぶ若い男性だ。だが二度目の人生のイリスより落ち着いた包容力がある気がする。会って間もないのに、すでに頼もしさを感じている。
「……そんなに見られると穴が空いてしまいます」
「あ、すみません」
包容力に感心していたら、じっと見てしまっていた。少しだけ照れたような顔で振り向かれて、視線を外した。見ていたのは一歩前を歩くグレイさんの背中だったので、視線に敏感な人なのかもしれない。彼はさり気なくイリスの横に移動した。
「イリスさんは、ベルガ殿下とプルーシェル博士とはお知り合いなのですか?」
「え? えぇ、まぁ少々」
「そうでしたか。殿下たちが随分熱心にイリスさんのことを探してらっしゃいましたので、気になっていたのです」
「そうだったのですね」
グレイさんに不思議そうに言われ、内心慌てた。完全に無名であるイリスを探していたら、それは気になるだろう。前世の話はできないので、その辺は誤魔化すしかない。
「それにしても、学校を卒業されてすぐに声を掛けるつもりだったのですが、急に外国に行かれてて驚きました。見つけたと思ったら見失うので、足取りを追うのは苦戦しました」
「……ん? 私を見つけ出したのはグレイさんなのですか?」
「はい。ベルガ殿下のご命令で、もう二年以上は探していました」
とても穏やかに言われた言葉に驚いた。呆気に取られたイリスに、グレイさんは申し訳なさそうな顔をしつつふわりと微笑む。その様子に一切の悪気も圧もなく、むしろ好意的まであるが、この人……
「つまり、グレイさんはストーカーでしたか……」
「待ってください、否定もできないのですが、その認識は不本意です!」
「二年ということは外国でも探していたのですか?」
「ずっとではないですが、そうです。旅行は良いのですが、他で就職されたり定住されては困るので、たびたび様子を見に行っていました。でも仕事なので!」
「気配消すの上手いですね。本当に気が付かなかったです」
「ストーカーと思った上で、つけられてたことはあまり気にしてないのですか……? 危機管理能力どうなってます?」
今度はグレイさんが呆気に取られていた。信じられない、みたいな顔でイリスの顔を見ている。
イリスは殺意には敏感に気づくが、人の気配そのものには鋭くはない。そうだったのかとすんなりその事実を受け入れた。
通りがかった人たちは「ストーカー」という単語に、こぞってこちらを振り向いていたけれど。
「見られていたのは、何か恥ずかしいですね」
「……プライバシーにはもちろん配慮してますよ」
「大丈夫です。グレイさんは良い人です」
「出会ってこんなすぐ信頼してはいけませんよ。仕事とはいえ、男につけられたということを警戒してください」
「私、人を見る目にはかなり自信があるのです。グレイさんは"良い人"ですよ」
にこりと自信を持って言った。どういうわけか、イリスは"人の善悪"と"嘘"を見抜くのが得意だ。前世ではこんな特技はなかったはずだが、今世ではほぼ確実に見抜ける。おかげで変な人を避けて生きてこられた。
そんなイリスをグレイさんは不思議そうに見ていた。
「僕も人を見る目は自信がある方なのですが、たしかにイリスさんはどこでも変な人は避けてましたね」
「でしょう?」
グレイさんのお墨付きをもらって、誇らしい気持ちで微笑むと、彼も微笑みを見せてくれた。
「そう言えば、私の方が後輩なので敬称も敬語も不要ですよ。ご存知でしょうが、平民でもありますので」
「あ、はい。……二年間『イリスさん』と呼んでいたので、今さら不思議な感じです」
「ふふっ、本当にストーカーですねぇ」
「その認識は改まってなかったのですね。これからは普通に同僚ですからね……!」
グレイさんはその後も敬語は外れず、「たしかに僕もずっと女性に付きまとって何をしてるんだとは思っていましたが……!」と苦悩していて、真面目な人だなと思った。
「あ、あとやっぱり良い人だと思っても警戒心はちゃんと持つんですよ」と注意もしてくれ、それには頷くしかできなかった。
城の二階の奥、昨日も来たベルガ殿下の執務室に着き、茶色の分厚そうな扉をグレイさんがノックして中に入る。
「おはようございます。イリスを連れてきました」
「おはようございます。失礼します」
中に入ると、部屋の奥の方にある机で書き物をしているベルガ殿下が真っ先に見えた。昨日と同様に黒い軍服のような服で、藍色の瞳を向けてきた。
広い執務室には、扉の手前の方にソファ席、その奥に部屋の左右で向かい合うように執務机がいくつか並べられ、数人の同じ制服の職員たちが座っている。こちらに気付くと、軽く微笑んで会釈してくれた。
まずは一番奥で扉に向かい合うように執務机に座るベルガ殿下の元に向かった。
「おはよう。グレイ、ご苦労だった。イリス、他の奴らに挨拶するぞ」
そう言うとベルガ殿下はすっと立ち上がり、執務机で仕事をしている人たちの方を見た。
「聞け、お前ら。こいつはイリス・シュパール。今日から俺の補佐になった。面倒見てやれ」
「よろしくお願いします」
『はい! よろしくお願いします!』
「よし、仕事に戻れ」
『はい!』
声を掛けられた人たちは、すごくキリっとした表情だった。返事も一体感がすごい。軍人時代に見た光景だ。この人たちは軍人ではなく内勤職のはずなのに、完全に仕上がっている。
ベルガ殿下は無表情、無骨、威圧感みたいな人なので、前世から部下になる人はこんな感じだったな、と懐かしい気持ちになった。側に立つグレイさんは穏やかに微笑んでいるけれど。
ベルガ殿下は「さて」と椅子に座り直した。




