就職
イリス・シュパールは、前世では軍人だった。
女性にしては腕は強いが、組織の中では平凡だった。
十九歳のある時、敵国への大規模な特攻作戦が行われることになった。
――ここで殉職するんだ
作戦の日、そう覚悟を決めたイリスは、土煙と人が揉み合う視界の悪い中を走っていた。主戦力部隊が敵に到達までの囮役だった。
作戦通り敵を引き付けて応戦しているとき、突然、飛んできた何かがイリスの頭に勢いよくぶつかり、意識を失った。
目が覚めた時には、あたりに大量の死体が転がっていた。この作戦で大勢いた仲間たちは皆死んだ。
「お前は今日から隊長だ。しっかりやれ」
二十歳にもなっていないイリスは、なるのに十年以上はかかると言われる隊長に、異例の飛び級で就任した。上司からは次々と無茶な任務を任され、部下たちからは年齢が近い上司として何でも相談された。
だが、すでに守るべき人がいなくなったイリスに生きる気力はなかった。「"自分で"死んではいけない」だけを胸に、目の前の仕事をこなす日々であった。
ある大規模な戦争で、爆風に飛ばされて満身創痍だったところに、新しい爆弾を運んでいる敵国の軍人と会った。
互いにすぐさま剣を抜いた。二人の呼吸と剣の音だけが響いていた。イリスは相手に胸を斬られたが、その直後にイリスが相手の首を斬ったことで結果は相打ちとなり、仲間も知らないうちに、二十一歳という若さで人生に幕を下ろした。
そんなイリスは今、かつての上司たちの前に立っていた。
「よぉ、イリス。旅行を楽しんだようだな。俺らのことは覚えているか?」
「イリスー! 前世ぶり! 相変わらずほんっとうに方向音痴だねぇ。どこに行くのかと思ったよ」
「……お久しぶりです、ベルガ総隊長、ヘルン司令官。ちゃんと覚えていますよ」
イリスは生まれ変わった。五歳の時に突然、前世の記憶を思い出した。異世界に転生したという事実に混乱したものの、前世の時点で"来世"という概念は持っていたため、何とか受け入れた。
そこから右目の視力をなくしたり母親と絶縁したり"クソジジイ"に雇われたりといろいろあったが、十八歳で人並みに学校を卒業した。しかし卒業後、就職するべきだったものの、彼女はやりたい仕事がなかった。
ならばと、まずは唯一、人生で叶えたいと思っていた、遠く離れた極寒の国でしか見られないオーロラを見に行った。一カ月あれば余裕で帰ってこれるので、仕事は帰ってから考えるつもりで。
しかしイリスは凄まじい方向音痴であった。かつ交通の便も行き先が変わって知らない場所に着いたりして、「ここ、どこ?」を軽く百回以上は繰り返していた。結果的に帰ってこれたのは、学校卒業から一年と二ヶ月が経った今日だった。
想定外の世界旅行から帰国し、やっと帰ってこれたと検問を通ったところで、国の職員に腕をしっかりと掴まれた。
「ベルガ殿下と、ヘルン・プルーシェル博士がお待ちです」
そう言われて、流れるように馬車に乗せられて連れてこられたのが、かつて上司だったベルガ殿下の執務室。正しくはその横の応接室だった。
部屋に入ると、前世で毎日会っていたベルガとヘルンが悠々とソファに座って待っていた。ベルガは無表情で腕を組み、ヘルンはイリスの方向音痴ぶりにケラケラと笑いながらイリスを迎えた。
イリスをここまで連れてきた職員は「それでは」と颯爽と去っていき、部屋は三人きりになった。
前世では国最強の総隊長だったベルガは、今世ではここ、サンダリア国の第一王子となっていた。ヘルンは指揮官を務めていたが、今は王城付きの植物博士をしている。
ベルガに「まぁ座れ」と言われ、イリスは二人の対面のソファに腰掛けた。彼女の左腰に付いている銀色の細剣が小さく音を鳴らした。
「ベルガ殿下、検問所で待ち伏せさせるのはおやめください。周囲の視線が痛かったです」
「それは悪かったな。お前の髪は目立つわりに、すぐ見失うから確実な手段を取ったんだ」
「隠れていたつもりはないのですが……」
ベルガは癖のない黒髪に、その髪色と同じ黒い服を着ている。「武力最強の王子」と巷で呼ばれているように、軍服のようなその格好は彼によく似合っていた。
「でも、ベルガと私で権力使って探したのに、十八歳になるまで見つからなかったし! 見つけたらどっかいってるし。やっとつかまえたんだよ!?」
ヘルンは茶髪を頭の後ろでざっくりと丸くまとめて、白衣を着た、研究者らしい格好だった。今世では侯爵家の令嬢でもあるが、そうは見えないほど自然体な格好だ。
「そもそも、何故そんなに私を探されていたのですか?」
イリスはずっと疑問に思っていたことを、少しだけ顔を傾けながら聞いた。彼女の長い銀髪と、耳につけている赤いピアスが緩く揺れる。
「お前仕事決まってないだろ。うちで働け」
ベルガが無表情のまま、端的に用件を伝えた。
「国の職員ですか」
「そうそう。ベルガの補佐ね」
ベルガと対照的に、昔から明るくテンション高めなヘルンがさらりと補足を入れる。その言葉を聞いてもイリスは瞬きを一つするだけで、あまり動じない。
「殿下の補佐ですか? 結構重役ですよね。私、国家試験も受けてないのに」
「俺の推薦で問題ない。やれ」
ベルガはイリスを隊長に就任させた時と同じ顔で言った。
「了解です」
イリスも軍人の時の返事を返す。
イリスとしては特に断る理由はない。ベルガにやれと言われたら、それはやるのだ。
この二人とイリスは、彼女が隊長に就任してから一緒にいることが多くなった。
二年弱という短い時間だったが、軍のトップとして濃い時間を共に過ごし、互いを理解しているこの三人の話は早い。
帰国して一時間で就職先が決まった。イリスはベルガの補佐となり、再び昔の仲間と共に働くことになった。
ベルガは「じゃあ明日からな」と決め、さっさと仕事に戻っていった。せっかちで生真面目なのも昔と変わりない。
ヘルンはそのベルガの様子に笑いつつ、ぼんやりと彼を見送っていたイリスに向き直った。
「本当にベルガって変わらないよね。まぁ細かいことは明日から話あるでしょ。あいつ言葉少ないけど、イリスなら対応できるし」
「そうですかね。というか私、急いで家を探してこないと」
「あ、イリスの家はもう手配してるから、これ鍵ね。馬車もうちの用意してるし、行き先は伝えてあるから、行ってみな」
「え? ありがとうございます……?」
ヘルンの準備の良さにイリスは戸惑いつつも、ズボンのポケットから取り出されたその銀色の鍵を受け取る。
「……あぁ、検問所で待ち伏せされてましたね。帰国日も、家がないのもご存知だったのですね」
「ふふっ、もちろんさ」
イリスは帰国日を把握されていたことは気にしない様子で、再度、今度は明るくお礼を言ってその部屋を後にした。
部屋を出てしばらくしてから、馬車の場所が分からないことに気付き、彼女は広い城内で散々迷った。
◇◇◇
彼はいつものように図書室へ行くため、一人廊下を歩いていた。
王子という身分は廊下を歩くだけでも視線を受ける。とうに慣れているため気にする様子もなく、少しずれた眼鏡を直しながらただ歩いた。
曲がり角から、一人の女性が歩いてきた。
その瞬間、彼はその女性に目が釘付けになった。
その人は、たっぷりとした波打つ銀髪と赤いピアスを揺らし、まっすぐ前を向いて颯爽と通り過ぎた。
「…………」
通りがかった使用人に声をかけられるまで、彼はらしくもなく、その場で立ち尽くしていた。




