特別
夕日が落ちて、空が暗くなってきた頃。慌ただしく医務室の扉が開けられた。
ふわりとした茶髪を汗で額に貼り付けた小柄な男が、背中に長い銀髪の女性をおぶって飛び込んできた。
「イリスちゃんがっ! ラシュハの怪物と戦って、『悪魔のラッパ』の毒で倒れて!」
「こちらへ! ロイ、『悪魔のラッパ』の解毒薬を準備して。ハシュベル、リュカ殿下に報告に行って」
「はい!」
「……っヒューさん、すみません! この解毒薬に必要な物が思い出せず、えっと、ニルの葉と……」
「ロイ、分からなければ、薬草のセットごと持って来て!」
「分かりましたっ!」
医務室が騒がしくなった。
すごい速度でベッドに向かった茶髪の彼は、その上にイリスを降ろした。
瞼を閉じるイリスはぐったりと力の抜けた状態で、以前見た時も真っ白な肌だったが、今はこれ以上ないほどさらに白い。
「怪物の攻撃は受けた?」
「いえっ、僕が見ていた限りでは受けてないはずです……!」
周りに他の医師と助手が集う中、ヒューはイリスの制服の襟を緩め、脈を測る。
怪物の話はこちらも聞いていた。黒体病を心配するが、少なくとも見える部分には傷はない。どちらにせよ黒体病の方は治す方法もまだ不明。今は毒の治療に集中することを決めた。
薬草のセットがベッドサイドテーブルに置かれた。大きな箱がテーブルからはみ出ているため、ロイが押さえてくれている。
『悪魔のラッパ』こと、マリゼンバナの毒なら、解毒薬を飲ませれば助けられる。滅多に作ることがないその薬の作り方を思い出しながら、彼女の状態を診ていく。
茶髪の彼の言うとおり、マリゼンバナの毒の症状に合う状態だ。あの毒は摂取してから三時間程度で死ぬ。この状態で怪物と戦ったなら、毒が体にまわるのはより早いはずだ。一刻も早く薬を作る必要がある。
イリスの横で、用意された調合鉢を手に取った時。激しく扉が開く音が響いた。
「イリス!」
入ってきたのは、ひどく焦った様子のリュカ殿下だった。報告に行かせてから来るのが早かった。ここまで走って来たらしく、癖のない黒髪が、今は少し乱れている。
そのままこちらに向かって走り、イリスの顔を覗き込んだ。
「状態は」
短い彼の言葉に、こちらも端的に彼女の状態と、解毒薬を作るところだったことを伝えた。
「薬、私が作ります」
リュカ殿下は横にあった調合鉢を手に取った。中身がぎっしりと詰まっている箱の中から、薬に必要な十種類の薬草を一切の迷いなく取り出し、量を調整し、ものすごい早さで薬を調合していく。
乾燥した材料を棒で砕いてすり合わせ、あっという間に彼女のおよその体重に合う薬が出来上がった。
「水」
「はい」
横に用意されていた水を殿下に渡した。乾燥している薬を、水で練って飲ませやすくするのだろう。
そう思ったが、殿下はそのまま薬と水を持ってイリスに向き直った。
片手に持っていた薬を枕元に置き、イリスの頬を手で挟んで、小さく口を開けさせた。
急ぐあまり薬をそのまま飲ませる気かと思ったが、殿下は完成した薬と水を、自身の口に入れた。
まさか、と思った直後。
リュカ殿下は、イリスの口に、自身の唇を当て、薬を飲ませた。
ヒューを含め、周りの人間は体が固まった。
喉は動かしつつも少しむせたイリスに、殿下は今度はただの水を自身の口に入れて、再び彼女に口移しをした。
それを、何度目も繰り返された。
水が空になり、イリスの濡れた口元を手で拭ったリュカ殿下は、ようやくこちらに目を向けた。
「薬とこれだけの水を飲ませたので、あとは状態を見ながら、体の中で解毒されるのを待ちます。女性の方にイリスを着替えさせつつ、体に傷がついていないか確認させてください」
「分かりました。ルーシュ、お願い」
「はい!」
呼ばれたルーシュは着替えを手に取り、イリスに近寄った。
ヒューも殿下たちも、他の人間はいったんベッドから離れ、カーテンを閉めた。
少し離れたところで彼女をおぶってきた男が、ひどく心配そうにこちらの様子を窺っていた。
リュカ殿下は自身の口元も手で拭いつつ、彼の方を向いた。
「あなたがイリスを運んできたのですか?」
「はい、そうです……」
「イリスは怪物から攻撃は受けていませんでしたか? 毒を受けてからどれほど時間が経っていますか? 何故こんな状況になったのですか?」
リッタという彼は、眉を垂れさせ、半泣きで殿下の質問に回答した。ヒューたちは黙ってそれを聞いたが、聞き終わったリュカ殿下は、とても険しい表情だった。
「……つまり、紫の実の怪物相手に、イリスは一人で戦い、勝ち、あなたを庇って毒を受けたと……」
「そうです……」
「……」
俯く殿下は、とても悔しそうにしている。先ほど見た光景から、イリスが殿下にとって特別な人なのは明らかだ。
鞘に剣が収まっていないリッタは、肩を狭くしている。
「申し訳ありません……」
「あなたが謝ることではありません……兄上のところにも、今の話を伝えてください」
「は、はい! 了解です……っ!」
感情は荒れているだろうに、人に当たらず冷静なリュカ殿下は、王族としても、人としても、本当に立派だと思う。
タイミングを見計らっていたのか、リッタが足を扉に向けた直後に、カーテンの開く音がした。
「あの、イリスさんを着替えさせました。傷はありませんでした!」
その言葉に、リュカ殿下は心底安心したというように息を吐き、肩から力を抜いた。だが、その顔は依然として険しい。
リッタも頷き、足早に医務室を退室した。
リュカ殿下とヒューは、綺麗な顔で眠るイリスに近づき、再び状態を診た。
まだ薬を飲ませる前と大きな違いはないが、それでも浅かった呼吸が少し良くなっている。
この後は熱を繰り返した後に回復するだろう、と殿下と話した。
近くに彼女の剣が置いてあるが、薄緑色の服から覗くのは細い腕で、とても強いと聞く怪物と戦ったのがヒューには信じ難い。
綺麗な顔を不安に染めた殿下は、力の抜けた彼女の手を握っている。昔からいつも無表情な方だが、今日はいろんな表情を見せている。
「リュカ殿下。来ていただいてありがとうございました。殿下のおかげで早く薬を飲ませられました。後はこちらで見ます。後ほどイリスは奥の療養室に移動させますね」
「特室が空いているならそちらに。起きるまで私も様子を見に来ます。それと、朝にはイリスの状態の報告をしてください。もし異変があれば夜中であっても私に連絡してください。執事にも伝えておきますので」
「かしこまりました」
「よろしくお願いします」
リュカ殿下はイリスの手をそっとブランケットの中にしまい、願うような顔で彼女を見てから退室した。
それを見届け、ヒューはひとまず、ベッドの外にいた医務室の皆を見た。
「先ほどの殿下による口移しのことは、他言しないでね?」
『承知しております!』
とても真剣に返事してくれる彼らを頼もしく思いつつ、イリスを特室に移動させるべく、ヒューたちは動き出した。




