恋バナ
すっきりと晴れた朝、出勤のため坂を登っていたら、前方にグレイさんの後ろ姿が見えた。
三日間ぶりに見た彼に追いつこうと歩く速度を上げたが、あまり距離が縮まらない。上り坂を走るのも大変なので声を掛けるのは諦めようとしたら、急にこちらを振り向かれた。
イリスに気づいた彼は少し後ろに戻ってきてくれたので、穏やかに挨拶を交わした。
「視線を感じると思ったら、イリスでしたか」
「グレイさん……そういえば視線に鋭い人でしたね」
先ほどまで歩くのが早かった彼は、今はしっかりと右隣に並んでいる。ちょうど後ろから他の男性がイリスたちを追い越していて、この速度は男性の足には遅めなのかもしれないと気づいた。
「いつもは私の速度に合わせてくださっていたのですね。グレイさんに合わせるので、先ほどの歩き方で大丈夫ですよ」
「あ、いえ。今日は早く仕事に戻りたくて、少し早足になっていただけですよ」
「仕事人間……いや、お気遣いありがとうございます。元気になられたのなら良かったです」
「はい、おかげで回復しました……」
「……まだお疲れですか? 声とかにまったく覇気がないのですが」
「いや、何と言いますか……休んでいると、本当は僕なんて必要ないんじゃないかとか考えてしまって。体は元気なのですが、気持ちが落ち着かなかったのです」
「は……?」
どことなく落ち込んでいる様子だった彼は、あり得ない言葉を言いながら視線が落ちていて、本気でそう思っていたのが窺えた。
「いや、間違いなく必要ですよ。ベルガ殿下も、これからもグレイさんに元気で側にいてほしいからお休みさせたのですよ。絶対にそうです!」
「そう、ですかね……それなら良かったです」
力を込めて伝えると、本当に安堵したというような微笑みを向けてくれた。グレイさんが必要ないなんて訳ないのに、三日の休みでこうも考えすぎるとは、仕事人間にも程がある。もっと定期的に休んだ方が良いと思う。
殿下にそう伝えるべきか迷っていると、急にグレイさんが真顔になった。
「……ところでイリス。僕がいない間に、誰かに何か教わったりしました?」
「え? えぇと、ラミーさんに城の地下牢の場所と、殿下に地下牢に直結するパイプの存在を教えてもらいました」
「なるほど。パイプはともかく……すみませんが、殿下の執務室に行く前に、少し付き合ってもらえますか?」
「分かりました」
笑顔なのに微妙に目が笑っていないのは気になったが、大人しく頷いた。
道中、「そういえば結局、話せていなかったのですが」と、マリッサさんがダイさんに特別な好意があるというのは誤解だと教えてくれ、イリスの心配ごとは一つ消えた。
坂を登り切り、城の門を通ってついて行った先は、地下牢の入り口だった。
「ここが地下牢です。少し入り組んだ場所にありますので、あの旗と門番を目印にしてください。覚えられなければ、また僕に聞いてください」
「はい、ありがとうございます……?」
地下牢の場所は先ほどラミーさんに教わったと伝えたはずだし、もう道を忘れたという訳でもない。謎な状況にグレイさんの顔を見上げると、何だかスンとした顔でまっすぐに前を見ていた。
らしくない様子だが、その顔を見ながらわざわざ教え直してくれた理由を考えていたら、一つの可能性に思い当たった。
「あ……ふふっ、もしかして、グレイさんが教えたかった、ということですか?」
「……はい。そうです」
「んははっ!」
これまで何かとイリスの面倒を見てきたグレイさんは、もはや教えることを他の人に任せるのが面白くなかったらしい。
予想以上の先輩意識の高さに思わず笑うと、彼は困ったような、拗ねたようなな顔をした。
「ラミーもしっかり教えているのは分かっています。ただ少し……三日分、溜まっていまして。面倒な性格ですみません。僕の自己満足です」
「んふふっ、いえ、面白いとは思ってますけど。ありがとうございます。……くふ、あははっ」
「ふふ、ツボに入りましたか」
休みの間に先輩力を持て余してしまったらしい。
その後、ついでにと、シャワー室も案内し直してくれて、また笑ってしまった。
肩を震わせるイリスにグレイさんもつられて笑っていて、ようやく彼の気持ちも明るくなったようで安心した。
リュカ様たちとの昼休憩の直前、ダイさんが元気に執務室に入ってきた。
「よっす! そろそろ昼休憩でしょ? 俺も一緒に行くわ」
「ダイ、ちょうど食堂に行こうとしたタイミングで来ましたね」
「ふふん、俺は野生の勘があるからな」
ダイさんが言うと不思議と説得力しかないその言葉に、イリスたちは頷くしかできなかった。
皆で食堂に向かいながら、これはミモザ様たちに任された、ダイさんとマルちゃんという方の進捗を聞くのに良い機会だなと思った。個人的な興味はないが、ミモザ様のため何とかやる気を出した。
普通に四人で話しながら食事をして、ある程度食べ進めた頃合いで、正面に座るダイさんの顔を見据えた。
「ダイさん。今の恋の進捗を聞かせてください」
イリスの質問に、皆の動きが一気に固まった。
数秒の後、ダイさんとテオはひどく目をパチパチとさせてこちらを見た。リュカ様に至っては何だか禍々しいオーラを纏い始めていて、圧がすごい。
思った以上に皆の反応が大きくて、少し気まずさを感じる。
「……え、イリス、俺の恋バナに興味あるの? ずっと聞き流してたのに?」
「はい、興味あります。マルちゃんという方の、どこに惹かれたのですか? 今の関係は?」
「イリス、俺のこと好きになったの!?」
「いや違いますけど」
「クソっ、違うんかい!!」
ダイさんは全力で机に突っ伏した。何で他の女性に気を向けながら悔しがるのかまったく分からない。モテたいだけなのか?
リュカ様の凄まじいオーラは消えたが、今はすごく冷ややかな視線をダイさんに浴びせている。
「それで、ダイさん。どうなのですか?」
「くぁー、でも何か良い予感はする! マルちゃんには一目惚れだよ。見た目も笑顔も可愛いからな! 関係は、まぁアプローチ中だな」
「どんな見た目が好きなのですか? 好みのタイプは?」
「おいおいおい。本当に聞いてくるじゃん! 恋バナっつーか聴取みたいな顔だけど! 見た目は大人の綺麗な色っぽいお姉さんって感じが好きだぜ。年下だと尚良し!」
ダイさんは嬉しそうに話してくれる。大人のお姉さん……ミモザ様の年齢は知らないが、見た目は可愛い系の方なので、好みからは外れていそうだ。
「くぅ、イリスが俺の恋バナを真剣に聞いてくれてる……感慨深いぜ」
「イリス、本当にどうした? ずっと恋バナの聞き役は完全に俺任せだったじゃん」
「ちょっと、思うところがあって?」
「いや、俺はイリスみたいにド天然じゃないから分かるぜ。もしかしなくても俺、誰かにモテてるよね?」
「……はい。そうですね」
「っしゃあ!」
いきなりド天然呼ばわりされたが、それは今はいい。それよりも、ミモザ様の恋の可能性を先にもう少し探りたかったのだが。テオが「えっ、そんなことあるのか?」と正直な反応をしていたので頷いて見せると、口を開けてぽかんとしていた。
「喜んでいますが、あなた意中の女性がいると話してませんでしたか?」
「おぉ、リュカ様も興味持ってくれたよ。いや、そうなんだけどさ。それはそうと、やっぱりモテたら嬉しいじゃん?」
「よく分かりませんね……」
「ちなみにダイさん。一目惚れではなく、内面とかで徐々に好きになった人はいますか?」
「そりゃいるよ! つうか、やっぱり笑顔だよ。どんな子でも、笑った顔を見せてくれると一気に好きになっちゃうんだよ!」
「どんな子でも……そうですか」
「イリス、違うから。浮気性とかじゃないから。そんな冷ややかな目しないでっ」
軟派な発言に、リュカ様とテオもダイさんに冷ややかな視線を送っている。彼の周りの温度が低すぎて、いい加減に凍えると思う。
いや、でも裏を返せばダイさんがミモザ様の笑顔を見たら、気が変わるかもしれないということだ。彼女の笑顔はとても可愛らしいので、可能性は充分にあるはずだ。
「……ダイさん。マルちゃんもいますし、無理にくっつけようとは思っていませんが。その方と会ってみませんか?」
「モテるのはめっちゃ嬉しいし会いたいけどさ。その子の笑顔を見れても、好きにならないかもよ? ほら、一目惚れした相手のことは一生好きとも言うじゃん」
「それならそれで良いんですよ。ダイさんの気持ちも大事です。会わない方が良いと思うなら、私から伝えます」
「……イリスは何だかんだ俺にも優しいよな。リュカ様、見た? 今のイリス、すごい包容力ある優しいお姉さんだったな?」
ダイさんは、何故か話の途中から再び動きが固まったリュカ様の肩を叩いて絡み始めた。
ミモザ様に会うかどうかはっきりしないが、珍しく即答しないということは彼にも考える時間が必要ということだろう。
回答を待ちつつ食事を再開すると、ことの成り行きを見守っていたテオも、ハッとしたようにフォークを動かした。
少し目を離した隙にリュカ様の肩をバシバシ叩いて鬱陶しがられたダイさんは、ひげを掻きながらイリスに向き直った。
「イリス。俺、本当にその子のこと振っちゃうかもだけど、会っても良いのかなぁ」
「会ってみないと分かりませんし、そこは何とも答えにくいですが。もし振っても、その方のことをフォローしてくれる人は決まっていますよ」
「体制が手厚っ。それなら、まぁ会ってみたいな」
「分かりました。テオ、協力してね」
「何で俺!?」
「その女性、宰相室のメイドの、ミモザ様だから」
「え、ミモザ!?」
テオがものすごく目を見開いている。言うタイミングが掴めず今になったのは申し訳ないが、相変わらずテオのこの顔は面白い。
笑うのをこらえていると、後ろの席の椅子が鳴る音がした。
「イリスさん、頑張りましたね!」
「あれ、ライラス様。聞いてたのですか?」
「このメンバーを見つけて、きっと切り出すんだろうなと、後ろの席を取ってこっそり聞いてました! ダイさんにミモザを会わせるのは、俺も手伝います」
「え、ライラス? お前もこの話は知ってたのか?」
「俺も首を突っ込んだ話だからね。テオも頑張ろうね。という訳でダイさん、ミモザに会うのはいつにしましょうか?」
ダイさんとライラス様がてきぱきと話を進め、今日この後に宰相室に行ってミモザ様と会うことになった。この人たちは本当に話が早い。
ひとまず食事を済ませ、ダイさんに「リュカ様も俺のこと、ちゃんと見守っててね!」と強めに念押しされたリュカ様も一緒に、皆で宰相室へと向かう。
リュカ様の後ろを四人でついて歩きながら、ライラス様とテオがダイさんにミモザ様のことを教えているのを黙って聞いていたら、前を歩くリュカ様がちらりとイリスの方を振り向いた。
手招きもしてきたので、一歩前に出てリュカ様の横に並んだ。
「先ほどダイが、『一目惚れした相手のことは一生好き』と言っていました。それが本当なら、例えその相手との成就が難しくても、一生心を囚われたままになるのですが、その場合どうすべきだと思いますか?」
小声で聞かれた、リュカ様らしくない話題に驚いた。恋バナにはあまり興味なさそうだったのに。
どうすべきと言われても、ミモザ様のことを考えると辛いが、誰かに惹かれる素直な気持ちを変えろとも言えないし、それも仕方のないことだ。一生心が離れられないなら、それはもう、いっそのこと……
「……ふふっ、その一目惚れの相手を、精々愛せば良いのではないでしょうか」
「……」
「イリス、小声ではっきり聞こえなかったけど、何か今、小悪魔なこと言わなかった!?」
「ダイさん、小悪魔なことなんて言ってませんよ」
「くそっ、今のイリスの表情も見たかった! リュカ様、どうだった!?」
「……かなり小悪魔でした」
「え? お前ってその見た目で小悪魔なの?」
「テオ、違うからね。もう、二人とも変なこと言わないでください」
「ふふっ、イリスさんも悪い人ですねぇ」
「ライラス様、違いますってば。誤解です!」
廊下で「小悪魔」を連呼され、すれ違った人にも振り向かれて気まずい思いをしたので、とりあえずダイさんにはパンチしておいた。
このメンバーで宰相室に入室すると、部屋にいた全員が驚いて動きを止めた。
扉から近いところにいたミモザ様は、ダイさんとイリスを交互に見ながら、口に手を当てて固まっている。
「ミモザ様、急ですみません。あの、ダイさんです」
「どうも! ダイ・ダーンです」
「み、ミモザ・リーフェルと申しますっ」
「ダイさん。ミモザはダイさんの見た目も素直な性格も、笑顔も好きと言ってましたよ!」
「嬉しいねぇ。ひげも好きなの? これ女の子に不評気味なんだけど」
「はい! おひげも……その、とてもっ、素敵ですわ!」
「ダイさんはひげも含めて男らしくてかっこいいですよ。ね、テオ!」
「おぉ? そうだな!」
頬を染めて見るからに緊張しているミモザ様に、すかさずライラス様がテオを連れて間に入った。
そのままライラス様は二人の会話の機会を作り、テオがそれに合わせて相槌を打ったりして場を温めている。
その様子を無表情のリュカ様と共に見ていたが、決してゴリ押しではない程度に二人を繋ぐライラス様たちが頼もしすぎて、イリスはもはやできることがない。
ここは大丈夫そうなので、まだ少し動揺が窺える奥の宰相様のもとへ向かうと、リュカ様も一緒に来た。
「宰相様。ダイさんはミモザ様を振る可能性もあると言ってました。もしものときは頼みましたよ!」
「くっ、急だな! そして本当に私がフォローするのか……!」
「フォロー役とは宰相のことだったのですか。イリスと宰相はこういった話をする仲だったのですか?」
「リュカ様、私もよく分からないのですが、目の前でミモザの恋バナが始まり、相手がダイであることに困ったイリスが私を巻き込んできたのです」
「だって、宰相様がそこにいらしたので」
それ以外に理由はないので堂々と言い切ると、宰相様はすごく苦悩に満ちた顔をした。
リュカ様はそんな彼のことはあまり気にせず、まだ不思議そうにしている。
「そもそも、イリスは何故あの女性に協力することになったのですか?」
「城での勤務が始まる前日、ベルガ殿下の執務室に行った帰りに、馬車の場所が分からず迷ってまして。乗り場まで連れて行ってくださったのがミモザ様で、これはその時のお礼です」
「あぁ、なるほど……あれが……」
リュカ様はそう呟きながら、顎に手を当てて何かを考えている。
その時のことを知っている様子に首を傾げていると、数秒の後、リュカ様は眼鏡を押し上げながら顔を上げた。
「……私、その日にイリスを見かけています」
「え、そうだったのですか?」
「はい。状況的にその時のことのはずです。私が図書室へ向かって歩いていたら、イリスが目の前を通り過ぎて行きました。……よく覚えています」
変なところを見られてしまった。城内に私服の平民がいるのは滅多にないので、印象に残ってしまったのだろうが、少し気恥ずかしさがある。
「そうでしたか……ふふっ、その時はリュカ様の見た目とか知らなかったので、下手したら普通に道を聞いていたかもしれません」
「別に、聞かれても良かったですよ」
「王子に道とか聞くのは気安すぎますし、リュカ様もいきなり知らない人に声を掛けられたら驚くでしょう?」
「それでも、イリスなら良いです」
まっすぐに目を言われた言葉に、きょとんとしてしまった。
彼が王子ぶらないのは知っているが、人見知りではある。知り合った今ならともかく、まだ知らない仲だった時のイリスでも声を掛けて良かったと言ってくれる理由が分からない。
考えながらじっと見つめ合っていたら、目の端で宰相様が忙しなく頭を動かしているのが見えた。
「……ごほんっ、お二人とも! ほら、ダイたちの方は談笑してますよ!」
「え? あ、本当ですね。……ライラス様の回しと、ダイさんの無神経と、テオのツッコミが炸裂してますね。まぁミモザ様は楽しそうですけど」
「ミモザも何であの男が良いのか……『男はその場だけの恋も楽しみたいもの!』と堂々と言うような奴なのに」
「宰相、邪魔しないでください」
「目の前で事を進めようとしないでください! いろいろ耳には入っていましたが……くっ、胃が痛い……!」
「イリス。その場だけの恋がどうというのはダイ個人の意見で、男全員がそう思う訳ではありません。少なくとも私は違います。覚えておいてください」
「了解です?」
イリスたちの会話に、宰相様は片手で胃を抑え、もう片手で眉間を摘んでいる。
リュカ様はやはりそこには構わず、声も主語も大きいダイさんの恋愛観が聞こえてくるたびに、律儀に訂正してきた。
そういえば彼は最初に一緒に食堂に行った時も「リュカ様は女に詳しい」という誤解をしっかり解いてきたし、恋愛方面もかなり真面目らしい。リュカ様と恋する人は、ずっと大事にしてもらえるのだろうなぁと思った。
しばらくの後、ダイさんとミモザ様は「お友達から」ということで落ち着いた。
退室の際、ミモザ様は好きな人と話せて嬉しそうに、ライラス様はひと仕事したぜ、という様子でそれぞれ輝きを放ちながら見送ってくれた。
宰相室を出たダイさんはぐっと伸びをした。テオは妙に生き生きした顔をしている。
「っあー、あの子とどうなるか俺も分からん! この先、あんなに俺のこと好きになってくれる子もいないかもだけど、マルちゃんもまだ心にいるからなぁ」
「マルちゃん……への一目惚れってそんなに強いですか? ミモザは良い奴ですし、ダイさんの素を見ても楽しそうにしてて、良い感じに思いました。あ、もちろん無理に気を変える必要はないですけど!」
「そうなんだけどなぁ。いや、あの子に惚れちゃう可能性も全然あるんだけどさ。一目惚れって本能的なものらしいし、強烈なんだよなぁ」
「そういうものですか……俺はどっちでも応援しますよ!」
「ありがとうな、テオ。お前も優しい奴だよ。ってかリュカ様とイリスは俺のこと見守ってくれてた? 何か宰相と三人で楽しそうにしてたけど!」
『たまに見てましたよ』
「何で二人してたまになの!? ちょっ、ちゃんと見ててくれない!?」
ダイさんが主にリュカ様に向かって嘆き始めたので、イリスはツッコミとフォロー疲れのテオを労い、リュカ様が解放されるのを待った。




