眩しさに一歩ずつ
夕方、イリスはラミーさんと再び王立病院に行き、ハイター院長を捕まえた。
いきなりラミーさんに取り押さえられた院長は、最初はシラを切っていたが、イリスが引き出しから例の本と書類を取り出して見せると、顔を真っ赤にした。
「クソがっ! 何でお前ごときにこんなことができる! たかが小娘のくせに、リュカ殿下の側にいるからって――」
「うるさいおっさんだねぇ」
「ラミーさん、大丈夫ですから。殺しちゃ駄目ですよ」
「殺さないけど、しばらく口は閉ざさせよう」
そう言ってラミーさんは、院長に絞め技を使って意識を落とさせた。
病院にいた護衛たちは、イリスたちが国の職員であるため特に抵抗はして来ず、総じて院長に軽蔑の視線を送っていた。もともとあまり人望もなかったのかもしれない。
院長の家にも寄って、戸惑う家族や使用人たちに最低限の事情を説明し、人身売買の受領書も押さえて帰城した。
「イリス、地下牢はここが入り口だからね。少し隠れた場所にあるけど、あの旗を目印にするんだよ」
「はい、ありがとうございます!」
ラミーさんは城の地下牢の場所をしっかりと教えてくれてから、院長を引きずって行った。イリスは本と書類を持って先にベルガ殿下のもとへと戻った。
「この書類は預かる。本はヘルンのところに届けろ。その後は地下牢で院長の聴取に同席。ついでに別の奴の聴取も難航しているのがあるから手伝ってこい」
「了解です」
若干道に迷いつつも何とか植物研究所に辿り着くと、爛々とした目のヘルンさんが出迎えた。一連の話をすると、院長に対して「ほんっとうに、どうしようもないクソだね!」と罵りつつ、本はすごく興味深そうに受け取った。
「うおー! うおぉ!」
「ヘルン様、落ち着いてください!」
「チャーミー、これぞ欲しかったやつだよ! アガるねぇぇ!」
「本持って暴れないでください。研究室は物が多いんですから。あっ、書類が舞ってますって!」
「さっそく読まないと!」
ヘルンさんは手近な椅子に座り、すぐに本に没頭し始めた。チャーミーさんが困った顔で「もう!」と言いながらランプを用意してあげている。
「慣れてますね」
「ヘルン様は研究のことになると、こうなので」
チャーミーさんは苦笑気味だが、嫌々という感じでもない。彼がついていれば、あの調子のヘルンさんも大丈夫だろう。お互いに労い合って、イリスは研究室を後にした。
日が暮れてきた頃、先ほど教わった城の地下牢へと向かう。点々と灯るオレンジ色のランプを頼りに暗く長い階段を下り、地下一階にある部屋に着いた。
殿下から先触れがあったようで、階段の下で聴取係の男性が待っていた。色白の、少し長めの髪を綺麗に切り揃えた彼は、イリスに気づくと、黒い帽子を摘んで一礼してくれた。
「イリスさんは嘘を見抜ける方と聞いています。院長はまだ興奮状態ですので、先に別件の、嘘の達者な人物の聴取の手伝いをお願いします」
「了解です」
聴取係の男性について行き、ランプに照らされた鉄格子の中へ入っていく。薄暗い部屋で座っていたのは、地下街の身軽そうな少年だった。
聴取の間、少年は後ろに倒れそうなほど椅子で船漕ぎをしていた。イリスが瞳をじっと見ても好戦的に見つめ返してくるので、近づかなくても真偽が分かりやすかった。
「質問の、五つ目から九つ目までの回答が嘘ですね。人に預けていないのであれば……海にある、洞窟で受け渡しをしているのではないですか?」
「……は?」
「あなたは運動神経が良さそうですし、足場の悪い洞窟でも行けるのでしょう。それを岩陰にでも隠して海賊に受け取らせているのでは?」
「なっ! 違うっ!」
「図星のようですね。さすがです」
違法な物を海賊に売っている少年の聴取を片付け、院長のいる部屋へと向かった。
聴取係の彼はイリスの目をしっかりと信頼してくれたらしく、一緒に歩きながら、「もし殿下の補佐から外れることがあったら、ぜひ聴取係に来てください」と微笑みながら誘ってくれた。声色は優しかったが、目が本気だった。
院長のいる鉄格子の中に入ると、白衣を脱いだ彼は両手に黒い手錠をはめ、足元には鎖を溜めて、簡素な椅子に座っていた。
目の前に座ったイリスのことを鋭く睨みつけてきている。最初に見た穏和そうな笑みなど一切ない、まさに悪人面だった。
「では、聴取を始めます」
落ち着いたその一声で、聴取が始まった。淡々と進められるやり取りを聞きながら、イリスは院長の瞳だけを見る。彼は不機嫌だが、ずっと嘘はついていなかった。
「何故、怪物の封印を解いたのですか?」
「……一年ほど前に参加した夜会で、ギラーチェ国のマイラスという人間から接触があった。そこで、その男から『エシェカの森の湖の近くにある、怪物の封印を解いたらこれだけの金をやる』と持ち掛けられた」
嘘ではないその発言は、予想外のものだった。ギラーチェ国は、かつてのこの国の敵対国だ。ここでその国の名前が出てくるとは思わなかった。
「私としては、怪物なんている訳がないし、それで金が貰えるなら僥倖だと思った。その男に言われた通りに、湖の東側の、大きな岩にあったその縄を解いた」
「縄を解いた後、どうなりましたか?」
「何も反応はなく、やはり怪物なんていないとしか思わなかった。だが、事が済んで金を貰おうとしたら、マイラスは連絡がつかなくなった! クソっ!」
そこで院長は再び顔を赤くして眉を釣り上げた。つまり、彼は利用されたということだ。契約書まで作っておきながら詰めが甘い。
「腹が立つから、いっそこの話は忘れようとした頃になって黒体病の人間が出てくるから、まさかと思ったら本当に怪物がいたなんて。信じられるか? そんな非現実的なこと! これは本当に俺が悪いのか!?」
「……あなたも被害者の一人です。しかし、私欲に走って怪物を解き放ち、結果的に多数の被害を出したのもあなたです」
聴取係の冷静な言葉に、院長は舌打ちをした。怪物に関して悪気はなかったようだが、やったことが大きい。
「……あの本は、どこで手に入れたのですか?」
「あ? ……あぁ、古本屋で投げ売りされてたのを、たまたま見つけたんだよ。クソっ、あの本を見ながらリュカ殿下に協力したら俺の評価も上がるはずだったんだ!」
イリスの質問に柄悪く答えた院長は、再び舌打ちをした。全体的に、自分勝手な性格としか思えなかった。
その後もマイラスの特徴や人身売買の件など、聴取係からの質問に、彼は不貞腐れつつもヤケなのか、正直に答え続けて聴取は終わった。
子どもを売った件に関しては、彼の使用人と不倫の末にできた子どもを処分したかったらしい。悪びれもしない院長に腹は立ったが、今朝のロトやリュカ様たちのことを思い出して気分を落ち着けた。
息苦しい部屋から出て一息つくと、聴取係と監視係が労いの顔を向けてくれた。イリスもこういった手合いには慣れている方だが、さすがに本職の彼らの方が余裕を保っている。
「お疲れ様でした。嘘はありましたか?」
「いいえ。院長の発言はすべて本当でした」
「分かりました。では今の話を紙にまとめて、後ほどベルガ殿下たちの方にお渡しします」
「ありがとうございます。私からもベルガ殿下に先に話しておきますね」
「よろしくお願いします」
地下牢の長い階段を昇り、息を整えた。地下よりもずっと爽やかな空気に深呼吸してからベルガ殿下のもとへ戻った。
「ったく……分かった。もうリュカは勤務終わりだが、宰相はいるはずだ。そっちにも報告して来い」
「了解です」
眉間に深いしわを寄せる殿下は、完全に「余計なことしやがって」という顔だ。
院長よりも、その後ろにギラーチェ国が絡んでいたことが厄介なのだろう。マイラスはとっくに逃げているだろうし、彼を捕まえることは難しい。
宰相室は初めて行くが、テオのおかげで場所はきちんと把握している。今日は城内のいろんなところに行くなぁ、などと考えているうちに部屋に着いた。
ノックをすると、先日も少しだけ聞いた、落ち着いた声が聞こえた。
部屋の中はベルガ殿下の執務室と似た内装で、奥の執務机に、先日も会った宰相様が座っていた。
周りには宰相様の補佐が数名と、メイドもいて、イリスにそっと一礼をしてくれていた。この時間ならテオもいるかと思ったが、今はいなかった。
「宰相様。ベルガ殿下の補佐、イリス・シュパールと申します。怪物関連でご報告があるのですが、今よろしいでしょうか?」
「あぁ。大丈夫だよ」
穏やかな顔つきの宰相様は、イリスの話を静かに相槌を打ちながら聞いてくれた。
「なるほど……ギラーチェ国か。その国とは二十年以上前に戦争が終わって、今は一応は友好関係にあるが、こそこそとちょっかい出してくるんだよな」
「そうだったのですか……知らなかったです」
「どうもうちの国力を削りたいようでね。向こうもごくたまにしか仕掛けてこないし、派手には動いてこないから、一般的にはあまり知られていないことだね。それにしても、怪物の件はやられたなぁ……」
「怪物が本当にいるとは思わなかったですよね。この一点だけは、院長の主張も、まぁ分かります」
「そうだね。怪物の件は、私も陛下も最初に聞いたときは本当に驚いた。しかも今まで封印されていたとは」
宰相様は眼鏡を押し上げ、顎を擦りながら難しい顔をしている。困ったように深く息をつくと、こちらを見上げた。
「ありがとう。この件は我々から陛下にも報告するよ」
「よろしくお願いいたします」
報告は終わったので退室すべく扉の方に振り返ると、部屋にいた茶髪のメイドがイリスに近づいてきた。
「あの……私のこと、覚えていますか?」
「……え。一緒に馬車を探してくださった方、ですか?」
「ふふ。はい、そうです」
花のように笑うこの優しげな女性は、イリスが初めて城に来たときに馬車乗り場の場所が分からず、道を聞いたメイドだ。改めてお礼を言おうとずっと探していたのだが、全然見つからなかった人だ。ここで会えるとは思っていなかった。
「あれからずっとお見掛けしなくて……あの時は本当にありがとうございました」
「いえいえ。実は私の方は、イリス様のことをこっそり見守っておりました。大活躍されているようですね」
「そんな大したことはしていませんが……」
「謙遜なさらず。私はこの部屋付きのメイドなのでお話は聞こえてきますが、新人なのに素晴らしい活躍をされていると、宰相様も感心していらっしゃいましたよ。リュカ殿下とも仲良くなられていて、そちらにも大層驚かれていました」
「……ごほんっ、まぁそうなのだが。目の前で言われると、少し照れるよ」
メイドのその言葉に思わず宰相様を振り返ったが、どうやら本当らしい。こんな風に褒められることはあまりないので、イリスも照れる。
「う……ありがとうございます」
「まぁ、照れたお顔も可愛らしい!」
「えぇと、あ、そうだ。馬車の件のお礼がまだでしたね! 何か私にできることはありませんか?」
イリスの反応に、黄色の瞳を輝かせてぐいっと近づいた彼女の関心を逸らしたく、一つしかない話題を蒸し返した。
「お礼なんて本当に良いのに……。あ、それでは一つ、教えてください。その……今、ダイ様に恋人はいらっしゃるのですか?」
「……多分、いないかと思います」
「本当ですか!」
メイドはパッと笑顔になった。……え、ダイさんが、こんな可愛らしい人にモテてる……?
「いや、イリス。困った顔で私の方を見ないでくれ。私だって驚いている」
「すみません。予想外すぎて動揺してしまって」
「気持ちは分かるが。ごほんっ……ミモザ。ダイのどういうところが好きなんだ?」
「えっ、それはもう、高身長ですし、筋肉もありますし、野性的なおひげも、明るく屈託ない素直な性格も、笑顔も! とても男性らしい方ですし、すべてが素敵です!」
ミモザ様は瞳を潤ませ、頬を赤らめて、完全に恋する乙女の顔だ。たしかに特徴としてはそうだが、昨晩の「構って」と駄々をこねる彼のことを思い出すと、彼女の言うような素敵な人だったか疑問だ。
「ミモザ、何か美化してないか? あいつはむさ苦しくてうるさい男だぞ」
「そんな! あれほど素敵な方はいませんわ!」
「イリス、だから私の方を見ないでくれ! 私にどうしろと言うんだ!?」
困りすぎて宰相様を見ることしかできない。昨晩のことを考えていたら、ダイさんがマルちゃんという女性の話をしていたのも思い出してしまった。
これを伝えたら絶対にがっかりさせてしまうが、言わないのも不義理な気もする。目を逸らしたくなるのを抑えて、何とか彼女の方に向き直る。
「ミモザ様……あの、ダイさんは意中の相手はいるようでして……」
「まぁ、そうなのですか……」
「うぅ……宰相様ぁ!」
「イリス、君の中で私はどの位置づけなんだ!? 何で困るたびにこっちを見るんだ……!」
「ダイさんよりも、この方の応援をしたいのですが! とはいえ公平にしないとですし、どうしたら良いんですか!」
「分からん! というか何で私を巻き込むんだ! 若い女性二人に、私が入るのはおかしいだろう!?」
とにかくミモザ様を泣かせたくない。イリスはその一心だが、そう言えばマリッサさんもダイさんに好意があるようだったし、もうどうして良いのか分からない。
こちらの取り乱し具合に、様子を窺っていた宰相様の補佐の一人が近づいてきた。
「もう、皆様、落ち着いてください。宰相様も、こういう時こそ頭を使うときですよ!」
「え、これ私が怒られるのか……?」
「ミモザは今時点で、ダイさんとは関わりはあるのか?」
「いいえ……遠くから見ているだけですわ」
「では、今のダイさんの恋の進捗をイリスさんに確認していただいて、まだ可能性がありそうなら、まずはミモザと接点を作るところから始めましょう」
彼は冷静にそう提案してきた。たしかに、最終的にダイさんが誰を選ぶか分からないが、まずは知り合うことからだ。普通にイリスも巻き込まれているが、ミモザ様のため、ここは大人しく引き受けておこう。
「おぉ。ライラス、頼りになるな」
「もし駄目そうなら……宰相様。ミモザのフォローは頼みますよ!」
「私が……? いや、ミモザも私にフォローされても嬉しくないだろう!?」
「いいえ。もし失恋しても、私が全幅の信頼を寄せる宰相様に慰めていただけるなら、心強いですわ」
「ありがとう、ミモザ! でもその信頼はここではないかもしれないっ」
宰相様は完全に苦悩に満ちた顔だが、他の補佐たちも皆にこにこと頷いているし、ここの皆さんも仲は良いようだ。
「くっ、最初に私を巻き込んできたイリスが、何故か微笑ましそうな顔をしている……!」
「それでは皆様、泣いても笑っても、やるだけやりましょう! えい、おー!」
『お、おぉー!』
ライラスという人の掛け声で、とりあえず団結力を高めて、部屋を退室した。
道に迷ったことから、こんな展開になるとは思わなかった。ミモザ様といい、食堂でイリスに恋の相談をしてきた人といい、皆、恋に励んでいるのだなぁと不思議な気持ちだった。
イリスにとって、恋とは、希望より不安の方が大きいことだった。
最も無条件に受けられると思われる親からの愛も、ある日突然なくなるものだ。他人なら、より簡単に捨てられるのではないかと思ってしまう。
だからこそ、彼女たちのように素直に恋する人が眩しい。どうか幸せになってほしいなと思う。
ベルガ殿下の執務室に戻ると、殿下とダイさんが自席にいた。ダイさんは今日も無造作な髪とひげだ。イリスに気づくと、のんきな顔で手を上げてきた。
「おー、イリス……何で真面目な顔でめっちゃ俺のこと見てくるの?」
この人も、恋を頑張っているのだよなぁと、しみじみと思う。数多の女性との恋をしてきたらしいし、そのたびに傷つくこともあっただろうに、それでもまた恋に飛び込める点については、素直に尊敬する。
「……見直しました」
「何が!? え、でも褒められた! イリス、俺の頭撫でる?」
「良いでしょう」
「うおー! 本当に撫でてくれんじゃんっ、よく分からんけどやったぜ! ベルガ、見てる!?」
「お前らは何やってんだ」
座っていた彼の頭は難なく手が届いたが、とてもモサっとした触り心地だった。まとまりのない茶髪を整えるように数回撫でてみた。
「ダイ。お前、その顔どうにかならないのか」
「また顔!? イリスの方から触ってきたらこういう顔になるでしょ!?」
ダイさんの顔はよく見えていなかったが、殿下が彼に冷ややかな視線を送っているので、また締まりのない顔をしているのだろう。
というか、他意はなかったが、こういうのは彼に惚れている人にとっては面白くないことかもしれない。ダイさんから離れて、殿下の側に寄った。
「殿下、宰相様への報告は終わりました。陛下の方には伝えておくと仰っていました」
「ご苦労。さっき地下牢からも聴取内容の紙は届いた。……聴取係からのメモに、お前を勧誘したいと書いてあった。お前、すぐいろんなやつ引っ掛けてくるな」
「あ、あの方、そっちも殿下にも伝えたのですね。そういえば向こうへの先触れが早かったですけど、誰か走らせたのですか?」
「俺の足元に、地下牢へ直結のパイプがある。大事な物は入れられねぇが、メモ程度ならここから送ってる」
そう言って少し椅子を動かした殿下の足元に寄ると、たしかに床に小さな蓋が付いていた。なるほど、これなら紙に重りでもつけて蓋の先のパイプに通せば、早く伝達できるのだろう。
「メモ程度でいちいち長い階段を降りるのは面倒だろ。まぁ、これもたまにしか使わねぇが」
「便利で良いですね」
「ねぇー! 二人とも、俺にも構って!」
少しベルガ殿下と話していたら、またダイさんが駄々をこね始めた。ミモザ様の言う素敵な人なのかは分からないが、素直には違いない彼と、何だかんだで無視はしない殿下と、穏やかな夜を過ごした。




