彼らなりの優しさ
夕方の仕事が終わり、ひと休憩した後。ベルガ殿下の執務室に戻ると、グレイさんとダイさんがソファに向かい合って座っていた。殿下の他に、ラミーさんとマリッサさんも奥の方にいる。
背もたれにどっしりと体重を預けているダイさんは、すぐにイリスに気づき、笑顔で手を上げた。
「よぉーっす、イリス! 俺らめっちゃ頑張ったでしょ?」
「お疲れ様です、ダイさん、グレイさん。ご無事で本当に良かったです。怪物を捕らえてくるとは思っていませんでした」
「いや、本当に人生で一番頑張ったかも知れんわ。頭撫でていいよ!」
「だそうですよ、ラミーさん」
「俺!? えっと、では……」
「え、野郎に頭撫でられるの、嬉しくなっ!」
たまたま隣を通ったラミーさんに振ったら、彼は本当にダイさんの頭を撫でた。マリッサさんにいつも頭を触られているから、何も抵抗がなかったのかもしれない。
ダイさんの不満の声に、ラミーさんも「理不尽!」と叫んでいる。
賑やかな二人を前にグレイさんが静かだなと思ったら、彼は何だかぼんやりとしていた。その様子に心配になり、近くに寄って顔を覗き込んだ。
「グレイさん、大丈夫ですか?」
「あっ、すみません。大丈夫です。少し疲れただけですよ」
グレイさんは優しく微笑んだが、いつもより弱々しく感じた。朝からしばらく休んでいたはずだが、まだ疲れが残るほど大変だったらしい。
「グレイ、せめてソファに背中預けちゃえよ。これだけでも体が楽だぞ」
「いえ。僕がそうするのは失礼になりますし、今はそれも……あまり動ける体力が戻ってなくて……」
「そんなことで誰も文句言いませんよ。動けないなら
引っ張りますね。せーの、よいしょ!」
「えっ、わ!」
「うわっ、イリス、俺も!」
「ダイさんはすでに完全にソファに寄り掛かってるじゃないですか」
「くそっ、俺が堂々としているばかりに!」
イリスは、疲れてるときまで姿勢を伸ばして座っていたグレイさんの後ろに立ち、背もたれ越しに彼の脇の下に腕を通して、ぐっと深く座らせた。
すぐに体は離したが、グレイさんはぽかんとしている。
「……目が覚めました」
「すみません。変なところは触ってないと思ったのですが、セクハラでしたか……?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「ねぇ、イリス! 俺も!」
「ラミーさん、出番ですよ」
「また!?」
わざわざ浅く座り直したダイさんは、ラミーさんによって深く座らされていた。どちらにせよイリスの力では体格の良いダイさんを動かすのは無理だが、ラミーさんはさすがに難なく背もたれに寄せた。
だが、せっかく寄せてくれたラミーさんに、「野郎とこの距離、嫌!」と文句を言ったため、彼はくるくるの髪の毛を揺らして「畜生!」と嘆いている。
その様子を見ていたグレイさんがクスクスと笑っている。ダイさんとラミーさん、さすがだ。
「イリス。やるわね」
「マリッサさん、何がですか?」
何故かマリッサさんがイリスに近寄ってきて、良い笑顔でグーサインを向けてくれた。理由は教えてくれなかったが、良いことをしていたらしい。
マリッサさんはそのままソファにいる彼らに向かって、腕を組みながら「頭撫でてほしい人?」と聞いた。
すかさずダイさんが手を挙げ、ようやく彼は女性に頭を撫でられて満足気だった。時に素直さは勝つ。
「グレイさんとラミーさんは良いのですか?」
「はい。僕は大丈夫です」
「俺はいつも髪触られてるし。そのうちハゲそう……」
「二人も撫でてあげるねぇ」
マリッサさんは、くるりとこちらを向いて二人の頭も撫でた。ラミーさんの方は撫でるというより、お気に入りのくるくるの髪の毛を摘んで遊んでいる。
「ねえさん、俺がハゲたらどうしてくれるんですか」
「この毛量ならハゲるのは当分先よ」
「グレイさんが無表情なのですが……」
「ふふっ、イリスも撫でてみたら?」
「先輩にそんなことはできませんよ」
「ねぇー! イリス、俺にも構って! 今日グレイばっかりじゃん!」
「ダイさんは見るからに元気なので。安心です」
「っかー! 良い笑顔だな!」
ダイさんの、無理のない元気さは安心感を与えてくれる。にこにこするイリスに、彼も「しょうがねぇな!」と笑顔を向けてくれた。
「イリスのことも撫でたいけど、女の子の髪は迂闊に触れないからねぇ。まぁアナタも座りなさいよ。この後、宰相様や植物研究所の人たちも来たら、怪物の話をするらしいから」
「あ、そうなんですね」
なるほど、そのために集まっていたのか。そろそろダイさんにも優しくしておくかと彼の隣へと足を動かすと、すぐにマリッサさんが「イリスは今日はこっち」と肩を掴んでグレイさんの横に座らせてきた。
そして彼女はダイさんの隣に、小柄な体をすとんと収めた。
これは……マリッサさんがダイさんの隣に座りたかった、ということか? 気づかなかったが、好意があるということなのか。ダイさんは、何とかちゃんという女性との恋がどうとか言ってた気がするが、どちらを応援すれば良いんだ。
「イリス? こっちを見てすごく困った顔をしてるけど、何か誤解してるわね?」
「マリッサさんの応援はしたいのですが、ちょっと、この件は落ち着いて考えさせてください」
「ぶふぉ! なるほど、そっちの考えに行くのか!」
「ねえさんが振り回されてるの、珍しいっすね!」
「グレイ、責任持ってイリスの誤解を解いてね」
「僕ですか……えぇと、イリス」
何故か指名されたグレイさんに声を掛けられたが、先ほど深く座らせた彼の顔は、後ろに首を捻らないと見えにくい。
この後の話の際もグレイさんたちだけこの体勢というのも気まずいだろうし、イリスも同じようにした。
「はい。グレイさん、何でしょう?」
「あ、それいいね。ねえさん、俺らも」
「もうやってるわ」
目の前では、マリッサさんたちも深く座って背もたれを使っている。三人揃って楽しそうに腕も組んでいて、その様子は何だか面白い。
「戻りました!」
そんなことをしていたら、今日も堂々としたラーナス様と、その後ろで小さめの声で「戻りましたぁ」と言うリッタさんが戻ってきた。彼らはこちらに気がつくと、すぐに寄ってきた。
「何ですか、これは。僕もやります」
「ラーナス、お前のそういうところ本当に良いと思うぜ。ほら、リッタも」
「はぁい……」
よく分かってないだろうに、彼らも参加してくれた。
この体勢が似合うラーナス様の隣で、リッタさんは、栗色のふわふわした髪を揺らして落ち着かなそうにしているけど。いつも猫背の彼にとっては違和感があるのだろう。
でも皆がこうすることで、グレイさんが悪目立ちすることはないので、ここは付き合ってもらおう。
ノックの音と共に、ヘルンさんとチャーミーさん、以前も会った騎士隊長、それともう一人、質の良さそうなスーツを着こなした眼鏡の男性が入室してきた。
眼鏡の人が宰相様なのだろう。その男性は、緑がかった金髪をしていて、年齢は四十歳くらいに見える。すらりとした長身で、イリスたちのこの状況に不思議そうな顔をしていた。
「何か今日の皆、腰深くね? まぁいいか!」
ヘルンさんはこの様子にカラッと笑いつつ、イリスの隣に座ってきた。チャーミーさんたちも、「自分たちもそう座るべきなのか?」みたいな様子で、それぞれ心なしか深めに腰を掛けた。
ベルガ殿下もこちらに来て、ダイさんとグレイさんの間のソファに宰相様と並んで座った。しっかり背もたれを使い、腕を組んでいる。
「ネルとサンダは帰った。これで今日のメンバーは揃った。……ダイ、グレイ。怪物と戦ったときの様子を話せ」
「はいよ。昨晩の見回りで、森の中央にある湖ら辺を歩いてたんだけどさ。急にガサガサって音がして、見たら樹がこっちに向かって走ってたんだよ。で、ランプを捨てて剣を抜いたけど、まぁー動きが早いのな! 初撃はかわすの本当にギリギリだったわ。そこで騎士の三人はやられた」
ダイさんは感情は込めつつも、冷静に話し始めた。
全員が静かに聞く中、騎士隊長は膝の上の拳を、強く握り込んだ。宰相様も、人の良さそうな顔を少し曇らせている。
「クッソ早い攻撃をかいくぐって枝を斬ったり折ったりしたんだけど、暗いし、枝は何本もあるし、ワサワサの葉っぱが邪魔すぎてよく見えねぇしでさぁ」
「あらゆる方向から攻撃が来るので、一瞬でも気を抜いたら枝に囲まれて死にますね、あれは。根の方も蹴り技とかしてきますし」
「そうそう。ただ、確実にこっち狙ってくるんだけど、がむしゃらに動いてる感はあったんだよな。好戦的だけど、知能が高いわけではない気はしたかな」
「ほうほう!」
ヘルンさんは興味深そうに顔を前に出した。イリスを含め、他のメンバーは黙って頷きながら聞いている。
「そんで、幹を切っても、枝と根からの攻撃が止まらないから、地道に枝を切ったんだよ。全部切れたところで、ようやく攻撃は止まったな」
「攻撃の威力は最後まで変わらなかったですね」
「だな。あと、たまたまかもだけど、タダの実が紫の奴のが圧倒的に強かったよな。黄色の方はそうでもなかったけど」
「そうですね。黄色の方はまだ動きも鈍くて結構すぐ切れました。紫のは異常でした」
「ほうほうほう!」
隣のヘルンさんがグイグイと前のめりに話す二人に顔を向けるので、彼女とグレイさんに挟まれているイリスは少し狭い。
「そんな感じかな。まぁ何つーか、本当に強かったな。この俺がだいぶ苦戦したわ。久しぶりにこんなに歯ごたえあるやつと戦ったなぁ。死ぬかと思ったぜ」
「相当、強かったですね。僕も死ぬかと思いました……」
この二人が言うなら凄まじかったのだろう。「厄介だよなー」とダイさんは頭を掻いてるし、グレイさんはその時を思い出してぐったりとしていた。
しかし、この二人をそこまで苦戦させる相手にイリスはどう戦おうか。やはり鞭は枝と相性が悪そうだし、剣で戦うにも接近戦なので、何本もある枝を避けれるか。
せめて葉っぱだけでも全部枯れてくれないかな。もしくは根腐れでもして威力が弱まって欲しい。
リュカ様の方で作っている黒体病の予防薬が完成したら、攻撃が当たっても黒体病にはならないということになる。それだけでも、かなり戦いやすくなるし、生存率も上がるだろう。
本来、薬を作るのは余裕で十年以上はかかるらしい。だがリュカ様はできるだけ早く完成させようとしている。完成がいつになるか分からないが、つい期待してしまう。
「怪物の登場は、音以外に気づくものはなかったのか? お前らなら遠くからの殺気も気づくだろ」
「そういや殺気とかなかったよな?」
「あ、そうですね。たしかに感じませんでした」
不意打ちで現れるのか。厄介すぎる。
さすがにこれには何人か額に手を当てている。皆、気持ちは一緒だ。絶望具合が伝わったのか、宰相様がかなり不安そうな顔をしている。
「分かった。怪物には、お前らレベルの戦闘力を持った数名の人間で戦う必要があるということだな」
「まぁそうだな。弱点を知らない状態だったのもあるとは思うけどな」
「宰相、騎士隊長。近く、他の部隊の隊長も入れて会議やるぞ」
『かしこまりました』
今日は解散となり、宰相様と騎士隊長は退室した。ヘルンさんとチャーミーさんは残り、あれこれと仮説を立てている。
ベルガ殿下は凝ってそうな首を回し、グレイさんを見た。
「グレイ。お前しばらく休んでなかったな。明日から三日間は休め」
「え……三日も、ですか……? 長すぎます……」
「いや普通だろ。むしろ足りないくらいじゃね? お前それだけ疲れてんだし、しっかり休めよ」
「それでも多いです……そんなに何をすれば……」
休みを言い渡されたグレイさんは呆然としている。三日くらいあっという間だと思うのだが、休み下手らしい。リュカ様といい、彼も仕事人間なのか。向かいでラミーさんたちが苦笑している。
「ベルガ、俺にも休みくれて良いんだよ?」
「お前は元気だろ。休みはまた今度やる。働け」
「っかー! 良いじゃんよぉ、全然マルちゃんに会えてないから忘れられそうなんだよ! グレイ、代わりに会って俺の話してきて!」
「それは嫌です……」
休みに途方に暮れつつも、それには小さく首を振ってるグレイさんが少し面白いのだが、笑うのは堪えた。
そんな彼を、ラーナス様が少し眉を上げて見ている。
「グレイ。あなた随分とぐったりしてますけど、食事は摂ったのですか?」
「あ……今日はずっと寝ていたので、水しか……」
「……もう食堂は閉まってる。イリス、何か作れ」
「え?」
「了解です」
「おっ、やった!」
「じゃあうちらも一緒に良い? ね、チャーミー!」
「あの、僕も手伝います。実は料理が趣味なので」
「チャーミーの料理も美味いんだよ!」
「ふんっ、僕は家での食事もあるので、いただくのは少量ですよ!」
話の展開に驚くグレイさんをよそに、一気に食事の雰囲気になった。皆が楽しそうに喋り出している中、チャーミーさんと一緒に外に出た。
彼の案内で大調理場に行き、使っていい食材を貰って、上着を脱いで、執務室の隣の小さな調理場に立った。
「チャーミーさんは食材を貰うのとかも慣れている様子でしたが、研究所の方でも料理することがあるのですか?」
「たまにですが、徹夜のときとかは僕が夜食を作ってます」
「そうなんですね。貴族で、しかも男性が料理されるのは珍しいですね」
「うちは田舎なので、普通の貴族よりも使用人との距離も近くて。僕は小さい頃から調理場に行っては料理を教わってたんです」
はにかみながら話すチャーミーさんは、まさに料理人のような包丁捌きで玉ねぎを切っている。素朴で穏やかな彼と話していると、何とも癒される気がした。
二人で手際良くトマトミートボールを作り、ソファ席でも食べやすいように、その一皿にパンも添えた。食後のオレンジも用意して、皆のもとへ運んだ。
「あちー! うめー!」
「めっちゃ美味いじゃんっ」
「なかなかやるじゃないですか! 少量に抑えるのが大変ですよっ!」
「チャーミーさんのレシピですよ。美味しいですね」
「そんな。イリスさんのおかげです」
疲労回復には、豚肉と酸味のある物だろうと選んだメニューだが、皆が美味しそうに食べてくれている。これならナイフも使わないので、疲れている人に良いだろう。
グレイさんも隣でハフハフしながら食べている。
「体力、帰り道くらいは持ちそうですか?」
「充分すぎます。ありがとうございます」
熱い料理で血色の良くなったグレイさんは、ふわりと笑った。
全員完食したところでヘルンさんたちは元気に部屋に戻った。
ダイさんとグレイさんは、ラーナス様が自分の馬車で送ると、まとめて連れて帰った。
ラミーさんたちが「後片付けは任せろ」と言ってくれたので、イリスは病院内部の地図を持って執務室を出た。




