ご対面
あの日、恋をした人が、自分の目の前にいた。
最初に横顔を見たときは綺麗な人だなと思ったけど、話すと性格も笑顔も可愛かった。
無条件に人の弱点を受け入れ、意外と人のことをよく見ていて、優しく寄り添ってくれる人でもあった。
見た目だけではなく、丸ごと好きになってしまった。
でも、彼女は自分の魅力にあまりに無自覚。
そして何事もないように危険に身をさらす。
目を離すと、ふわふわとどこかに消えてしまいそうだった。
掴まえたいのに、身分も、年齢も邪魔をして、手を伸ばしきれない。
どうしたら彼女は自分だけを見てくれる? ずっと自分の側にいてくれる?
◇◇◇
朝、数週間ぶりにベルガ殿下の補佐の皆が、自席で待機していた。ジオルドさんたち三人が亡くなった時以来のことに、また嫌なことが起きたのかと、思わず不安になる。
いつもの机にいるベルガ殿下がそのときほど険しい顔ではないことに、まだ安心感を得た。
イリスも自席に座る。隣の席のグレイさんがいないので、そのさらに隣のラミーさんと、「何事でしょうね?」と顔を見合わせた。
エシェカの森の見回りは、日中は騎士中心で、夜は補佐も参加するのが定番となっていた。イリスも何度か行ったが、その度にリュカ様が怪我などがないか心配してくれた。
特にダイさんはかなりの頻度で夜の森に行っている。
昨晩も、きっとグレイさんと共に森に行っていたのだろう。二人の無事を祈った。
その後すぐに他の補佐も出勤してきたところで、ベルガ殿下が立ち上がった。
「昨晩の見回りで、ダイとグレイが二体の怪物に遭遇した。怪物はどっちも八つ裂きにしたらしいが、まだ生きてると聞いている。今、その怪物は植物研究所の方で預かっている。俺らも見に行くぞ」
『……』
すごいことを言われた。いつもならすぐに了解です、と言うところだが、全員唖然として、反応を返せなかった。いや、というか二人は無事なのか……?
「……ダイとグレイは無事だ。数時間経っても体は黒くなってない。怪我もしてない。今は休ませている」
『あ、良かったです』
ベルガ殿下が珍しく、こちらの心配を察してフォローしてくれた。本当に良かった。身が無事が一番大事だ。イリスだけではなく全員、胸を撫で下ろした。
「ただ、一緒に見回りしていた騎士三人は怪物に殺された」
一瞬肩の力が抜けていたが、やや伏し目がちに言われた殿下のその言葉に、また緊張が戻った。ついダイさんたち二人に心配が寄ってしまったが、やはりただでは済んでいなかった。
「この話はリュカにもいってる。イリスはそっちと一緒に来い。俺らは先に研究所に向かう」
「了解です」
ついに、怪物に会うのか。まだ現実味のないことに、どこかふわふわした感覚のまま、足早にリュカ様の執務室へ向かった。
部屋に入ってすぐ、リュカ様とテオが立ち上がった。挨拶を交わしながらお互いに歩み寄った。
「イリス、話は聞きましたね? 植物研究所へ行きますよ」
「はい」
リュカ様が眼鏡を押し上げて前を歩き出した。その足取りは、いつも通り落ち着いている。年下なのに彼の冷静さが頼もしい。横を歩くテオは全身から緊張が滲んでいる。気持ちは分かるよ、と心の中で共感した。
初めて通る道を歩いて行くと、別棟に入った。人が少なく静かな廊下を進み、階段を降りたところで、白い扉の前に着いた。扉の上のプレートには「植物研究所」と書かれている。
ノックしてすぐに、弱々しい微笑みを浮かべたチャーミーさんが扉まで出迎えた。彼の後ろには本や書類、標本などが雑多に置かれた机が並んでいる。
「怪物は奥の部屋にいます。こちらです」
植物研究所らしく窓辺にぎっしりといろんな植物が置かれたその部屋を通り、奥から繋がっている隣室に案内してもらった。チャーミーさんが扉を開けて押さえてくれたが、入る前からがさがさと音が聞こえてきた。
薄暗いその広い部屋の中には、白衣のヘルンさんと所員の方たち、ベルガ殿下、補佐仲間たちの背中が見えた。
彼らがこちらに気づいて顔を振り向けると、その隙間から葉っぱが動くのが見えた。
「皆様も、どうぞこちらへ」
チャーミーさんの誘導で、その樹が見える位置に立たせてもらった。
目の前には、ばらばらにされた黒い木が、二本分、縄でしっかりと固く縛られた状態で、床の上に置かれていた。
その黒い木は、枝をすべて切られ、さらに幹を何等分にも切られていた。太い根は綺麗に二本に裂かれていて、先の方は人間の足に似た大きさと形で、今にも歩き出しそうだ。
枝の方は縄でいくつかの束にまとめられているが、ビクビクとせわしなく動いていて、葉の擦れる音が鳴り止まない。
大きな葉の部分には、片方には本で書かれていた通り、まさにブドウのよう丸々とした紫色のタダの実がなっている。
もう片方に実るタダの実は黄色。それらは枝の振動でゆさゆさと揺れていて、今にも落ちそうだった。
怪物のことを知らなくても直感的に分かる。たしかに、これはまだ生きていた。
その危険な存在を目の前に、怪物は縛られているものの、リュカ様たちに何かあってはいけないと、密かに警戒心を強めた。
右隣に立つリュカ様は、じっと静かに怪物を観察している。
左隣に立つベルガ殿下は、腕を組んで鋭い視線を怪物に送っている。藍色の瞳に宿るその眼光は、殿下が敵に向ける目だ。
「これはダイとグレイが捕らえてくれました。根の形も普通の植物と違いますが、何より異常なのは、明らかに自発的に動いていることです。切られた枝の攻撃力はほぼない状態ではありますが、動きが止まらないので接触する際は注意が必要です」
端に立つヘルンさんの、大声ではないのに怪物の音に負けない、通った声に耳を傾ける。
「先ほど、ひとまず乾燥している数本の枝に火をつけてみたのですが、どうやっても燃えませんでした。今は密閉して、空気や日光を当てなければ弱るのか別室で検証中です」
行動が早い。もう研究を始めていた。思わずヘルンさんに顔を向けると、この状態とはいえ相手は怪物なのに、怯むどころかむしろ好奇心いっぱいの顔をしていた。
冷静に話していたと思ったが、目はギラギラとしている。彼女がこんなに研究者気質だったことは、前世の軍人時代では知らなかったことだ。
それにしても、樹が燃えないとは思わなかった。唯一の分かりやすく即効性のある弱点だと思っていたのだが。
「殺せなかったから、結果的に生け捕り状態にできたんだ。ヘルン、こいつの弱点を最優先で探せ。だが突っ走るなよ。怪我したら死ぬぞ」
「もちろんだよっ! 安全第一に、ね!」
「……チャーミー、こいつは話を聞かない。お前が抑えろ」
「了解です!」
ヘルンさんの顔に説得力がなさすぎた。爛々とした様子の彼女は、研究にのめり込んで、うっかり樹に突っ込んで行きかねない。現にチャーミーさんをはじめ、所員の皆さんが力強く頷いている。ヘルンさんの命は彼らだよりだ。
「王立病院の研究室の方でも分析したいので、樹と実をこちらにも分けていただけますか?」
「もちろんです! 一応、病院とは別でリュカ様の方にも置いておきますか?」
「では、予備を兼ねて少しいただきます」
「部屋に置くにはもっと安全に、小さくしておいた方が良いですよね。ついでに研究所にも細かくしたの欲しいし……イリスー、これもっと刻んでー!」
「了解です。ラミーさん、縄解くの手伝ってほしいです」
「はいはい。ってか俺もちょっと刻んでみたいなぁ」
「ふんっ、僕も手伝ってあげても良いですよ! リッタもやりますよ!」
「はいっ、やります!」
それぞれ携帯していた手袋をはめて、怪物の一部の縄を解いた。イリスは細剣を抜き、包丁で食材を切るように、枝を小さく切った。
「おぉ……細剣が通って良かった……チーズみたいな切り心地です」
「この枝、小さくしても動くのねぇ。どこまで刻んだら死ぬのかしら」
「ねえさんは包丁使うのは下手なのに、こういうのは得意ですからね……。ナイフと何がそんなに違うんだ……」
マリッサさんのナイフを借りて、未だに動く枝は端の方を丸く処理しておき、攻撃力はさらになくなった。これならうっかり手袋なしで触っても怪我はしないだろう。
ラーナス様たちも枝と幹の方を刻み、あっという間に細かくなった怪物は、頑丈な硬い袋に入れた。
それを、念のため手袋をしたイリスが執務室まで運んだ。部屋に戻ってすぐに、リュカ様は自分たちの分の手袋を手配した。
「イリス、ありがとうございます。こっちの袋はそこに置いてください。手袋が届いたら、もう一袋の方は王立病院に持っていきます。黒体病になった騎士たちも今そこにいるので、状態も見たいですし」
「了解です」
リュカ様は、黒体病の予防薬の案を考えるのを進めていた。イリスとテオも、その時のリュカ様の欲しい情報をピンポイントで探すようになっていた。図書室に頻繁に通い、最初は覚えられなかった『医療』の本棚の場所も今は迷いなく行ける。今回の件で、こちらの研究も大幅に進みそうだ。
手袋が届き、テオが樹の入った袋を持って、護衛たちと共に城の馬車に乗り込んだ。
リュカ様は、同乗した、いつも部屋の前にいる護衛たち三人には見るからに人見知りをしているという感じでもないが、会話が少ない。
その護衛たちは、不自然に葉っぱの音が聞こえてくる袋を、気味悪げにちらちらと見ていた。
ぎこちない空間だったが、テオが上手く彼らとも会話をして、だんだんと空気は和らいだので、彼の社交性や人柄が本当にすごいなと思う。
馬車が止まり、護衛たち、その後にリュカ様が降りた。袋を持つテオに「大丈夫だから、先に降りろ」と言われて出ると、リュカ様が無表情のまま、手を差し伸べてくれた。周りの護衛たちが揃ってリュカ様に視線を向けた。
イリスもリュカ様がエスコートしてくれるとは思っていなかったので驚いたが、その綺麗な手を取って馬車を降りた。
「ありがとうございます」
「いえ」
リュカ様が照れ隠しのように目を逸らして、続いて降りてきたテオの方を見た。イリスもそちらに目を向けるが、彼は「よいしょ!」と袋を持って元気に降りてきていた。
リュカ様が「行きましょう」と歩き出した。目の前は白い大きな建物だった。王立病院は初めて来たが、さすがに立派だ。
青々した芝生を歩いて中に入ると、中も清潔感のある白い空間が広がっている。外観は少し城と印象は似ていたが、中はいかにも病院といった様子だ。
リュカ様の合図を受けた護衛騎士が受付に話を通すと、さして間を置かずに壮年の男性がこちらに向かって来た。
清潔感のある白衣をひらめかせて近づいた彼のその瞳に、イリスは釘付けになった。
「お久しぶりです、リュカ殿下。お連れ様は、はじめましてですね。私は院長の、マーク・ハイターと申します。研究室にご案内致しますので、こちらへどうぞ」
灰色の髪をしたその人は、渋い声で穏和そうに微笑み、先を歩き出した。
皆で院長について行くが、イリスは一気に強まった警戒心を抑えるのに必死だった。
彼の瞳は、"悪人"だった。
隣を歩くテオに視線を向けると、彼はすぐに気づいた。
目で「どうした?」と聞いてきたので、そっと自分の剣を指で突いて見せた。
それだけで伝わったらしく、彼は眉を寄せて小さく頷いた。
瞳が悪人なだけで、殺気は纏っていない院長に、護衛たちはあまり警戒していないだろう。何かあればイリスが対応しなければ、と気を引き締めた。
患者のいない白い廊下を進み、一室の前で足を止めた院長は、害のなさそうな笑顔を浮かべた。
「こちらです。どうぞ」
扉を抑えてくれる院長をじろじろ見るのも怪しまれるので普通に入室すると、中は白衣を来た人が四人、互いに背を向けるようにして、机に向かって座っていた。彼らの机に積まれた本や書類はもはや雪崩れている。
リュカ様に気付くと、彼らはすぐさま立ち上がって、緊張した顔で畏まった挨拶した。
「……前々からやり取りしていた、黒体病の原因となるラシュハの樹とタダの実を持ってきました。これを分析し、黒体病の予防薬を作りたいです。ご協力願います」
『承知いたしました!』
無表情にリュカ様はそう言い、樹の入った袋と手袋を彼らの机の一つに置かせた。
「これはご覧の通り動いていますので、触る際は必ず手袋をつけてください」
「ほほー! ラシュハの樹なんて大昔の、幻のような存在だったのに。まさか実物を見れるとは」
緊張など見せない院長が、少し腰を屈めて、興味深そうに袋を見ている。
「えぇ。いろいろと話さないといけないことがあるのですが……少し、外しても?」
「え? はい、もちろん構いませんよ」
「危ないので、まだ袋には触らないようにしてください。イリス、テオ、行きますよ」
突然、リュカ様が退室を申し出て、扉に向かって歩き出した。それに少し驚きつつも、呼ばれたイリスたちもついて行く。
リュカ様は部屋から少し離れた、人のいない廊下で立ち止まり、こちらを振り返った。
「イリス、何かありましたか? やけに院長を警戒してましたね」
「え、気付いていたのですか」
「えぇ。歩きながら、普段と違うのは感じていました。院長の方は気付いていないようでしたが」
院長と一歩前を歩いていたリュカ様は、まっすぐに前を向いていた。イリスも警戒心を外に出さないようにしていたので、気付かれているとは思わなかった。
まだ何も証拠のない話をリュカ様に伝えるべきか迷う。でも、言わずに何かあってはいけない。
じっとイリスの言葉を待つリュカ様の目を見た。
「……院長は、"悪人"だと思います。彼の瞳を見て、そう感じました。どんな悪事を働いているのかまでは、分からないのですが」
「……そう、でしたか」
静かな廊下では、話し声が響く。ごく小さな声でそう伝えると、リュカ様は顎に手を当てて、同じく小声で返した。
リュカ様は、直感でしかないこの言葉をどう感じるだろう。もし院長に厚い信頼を寄せていたのだとしたら、今の言葉は不快に思われるだろう。
反応が気になって落ち着かないイリスに、テオが「大丈夫だよ」と目で伝えてくれた。その信頼に、少し微笑んで返した。
「では、予防薬の話は進めつつ、院長の悪事の捉え、その内容によって彼は退任なりさせることにしましょう。彼の存在が必須という訳でもありませんので」
リュカ様は顔を上げ、落ち着いてそう言った。イリスの突然の話を受け止めつつ、冷静な判断をしてくれた。肩の力が抜け、小さく頷いた。
「イリス。他に悪人を見つけたら後で教えてください。どうせなら一緒に叩いた方が良いので」
「了解です」
研究室に戻りつつ、こちらのやり取りを見守っていたテオが「ほら、大丈夫だったろ?」と、少し眉を上げた笑顔で伝えてくれた。
本当に、いてくれるだけで頼もしい人だ。小声で「ありがとう」と伝え、その肩をぽすっと軽く叩いた。




