握手
ベルガ殿下の執務室に戻り、ヘルンさんに本を渡した。「ありがと!」とヘルンさんとチャーミーさんが研究所に戻っていったのを見送った。
「……」
「おー。イリス、憂い顔じゃん」
「憂いてませんよ。大丈夫です」
顔には出していないつもりだったのに、ダイさんは目敏く気づいて近寄ってきた。周りにいる補佐仲間を気にしているようで、彼にしては声が小さめだ。すぐに笑顔を作ったが、あまり自然にできてないと思う
「リュカ様だろ? めっちゃ心配そうにしてたもんなぁ」
「はい。でも仕事なので見回りもやりますよ」
「まぁそうなんだけどさ」
ダイさんはひげを掻きながら「何かなー」とぼやいている。イリスもこの人くらい、見た目からして強そうに見える人だったら、リュカ様にあんなに心配させなかっただろう。
しかし、イリスの体はどうにも筋肉がつきにくい。鶏肉とか食べるようにしてるんだけどな。でも弱く見えることで相手を油断させられる良さはあるんだよなぁ。
「おぉ……イリスがかつてなく俺を見てくれてる。ベルガ、俺、今モテてるよ!」
「多分そいつは筋肉のことを考えている。イリス、お前は今日は通常業務だ。指示するからこっち来い」
ベルガ殿下が意外とイリスのこと分かってることに驚きつつ、夜は仕事に奔走した。
翌朝、リュカ様の執務室に行こうとしたら、今日も溌剌とした様子のダイさんが近づいてきた。彼の茶髪が、いつも以上に無造作な気がする。
「俺も一緒に行ってあげるよ」
「こっちは大丈夫なのですか?」
「今日はもう仕事終わりだから平気! んじゃ、ベルガ、また夜ねー」
「わっ、行ってきます」
ダイさんに背中を軽く押されて一緒に執務室を出た。ベルガ殿下は無言で軽く手を上げてこちらを見送っていた。
リュカ様とは別にケンカした訳でもないが、今日は会うのが少し気まずいとは思っていた。ダイさんはきっと、そのことを察してくれたのだろう。結構よく気がつく人だなと思った。
「リュカ様、おはよ! 昨晩エシェカの森に行ってきたけど、怪物はいなかったぜ!」
入室して扉を閉めて早々、ダイさんはすごく元気な報告をした。リュカ様はその勢いに少しびっくりしているし、真横からのいきなりの大声にイリスも驚いている。
というか、さっそく森の見回りに行っていたのか。だから彼の髪がいつもより野性味が強いのだな、と納得した。
「……おはようございます。無事で何よりです」
「ふふん、心配してくれてるかなって。まぁ今日は、あとテオの顔でも見たら帰るわ」
フンフンと鼻歌を歌いながら奥のリュカ様のところに近づくダイさんにイリスも続いて、しっかりと目を合わせて彼と挨拶した。リュカ様のいつも通りの冷静な様子を見て、こっそりと胸を撫で下ろした。
「昨晩はチャーミーが怪物に会った辺りを中心に見て回ったんだけどさ。ラシュハの樹って最長五メートルくらいって書いてあったじゃん? でも周りの樹はもっと高さがあって、普通そこにラシュハの樹があるのはおかしいだろって場所でさ。やっぱ樹が動いてるんだなー」
「なるほど。暗くてよく見えなかったかもですが、樹の足跡のようなものなどはなかったですか?」
「ランプの明かりで見た感じ、足跡は人型のものだけだったな。樹の足跡がどんなもんか知らないが、目立った特徴のものはなかったぜ」
「所員の彼が『樹は足が早かった』と言っていたので、やはり人間のような足と体重をしているようですね」
「樹に足って何だって感じだけど、まぁそうなんだろうな。体はでかいはずだが、どうなってんだろうなぁ」
イリスは二人の会話を、ふむふむと聞いていた。
それなら樹の脚を斬るなりできれば、足止めが可能になる。樹が人間のような体重なら、脚の太さも同じくらいのはず。ただ、樹の足がすごく早いと言う点と、暴れる枝をどうかわすかが問題だ。怪物の目をくぐれれば……いや、目とかあるのか? そもそも、どうやってこちらを認識してくるんだ。
そこで思考が途切れた。同時に、二人の視線を感じた。
「……どうしましたか?」
「いえ。何も」
「美人は考える顔も綺麗だね!」
「ふふっ、変なこと言いますね。多分、間抜けな顔してたんでしょう?」
「おぉ。これ本気で言ってるのか」
イリスは教会で周りの子どもたちから散々「ブス」と言われていたので、美人ではないのは知っている。
適当なことを言うダイさんは放ってリュカ様の方を向くと、彼は珍しく机に肘をついて、その手で額を押さえていた。ものすごく微妙な顔をしているが、悩み事でもあるのだろうか。
「ん? でも最初に俺が可愛いねって言ったときはめっちゃ冷たい目で『ナンパ野郎』って言われたけど、今日は笑ってくれたな! 俺ら仲良くなったな!」
「わっ、ひげ、痛っ、うざいー!」
「うざいって! 泣くよ!?」
「ダイ。さすがにイリスに近すぎます。離れてください」
「リュカ様めっちゃ睨むじゃん! ちょっと近かっただけじゃんー」
「距離感くらい測れるでしょう」
テンションの上がったダイさんが、嬉しそうな顔で立ち上がりイリスの肩を組んできたが、こちらは座ったままのため、頭の距離が近くなった。頭に当たったひげの感触にぞわっとした。すごいジョリっとした。
身を離したダイさんの顔を見上げると、顎に整えられてないオレンジ色の短いひげがある。こいつが元凶か。
「イリスはイリスでめっちゃひげ見てくるし。何、珍しいの? 触ってみる?」
「え? ……では失礼します」
「え、触るのですか?」
横でリュカ様が驚いた声を上げているが、ひげには触ったことがなかったので少し興味が湧いた。
ダイさんの顎ひげを指でそっと触ってみたが、毛が硬くてチクチクして、すごく微妙だった。あとダイさんの顔も気になる。お礼を言ってすぐに指を離した。
「……もう良いの?」
「はい。ダイさんの顔が、握手したときと同じだったので」
「気持ち悪かったですね」
「ちょっと!? リュカ様、俺も傷つくよ!? ってかそれイリスと握手したときにベルガにも同じこと言われたんだけど! どこで兄弟発揮してんの!」
「んははっ、本当ですね」
「イリスはここで笑うの!?」
「おはようございます……え、何これ」
殿下たちの思わぬ兄弟感に笑っていたら、テオが来た。いつもの彼の椅子に座りながら、「めっちゃ楽しそうですね?」と少し拗ねてる様子だ。
「テオ聞いてよ。イリスが俺のひげ触ったんだけど、そのときの俺の顔が不評なんだわ」
「だって何か、べにょっとしてたんですもん」
「鼻の下が伸びて腑抜けた顔でした」
「ほら、すごい言われようでしょ!? テオからも言ってやってよ!」
「いや俺、見てませんし。ってか、ひげ?」
話を知らないテオは困惑している。ダイさんが説明すると、「どこにツッコめばいいんだ?」と手を額に当てていた。どこって、ダイさんの顔一択なのだが。
「というか握手って何ですか?」
「あ、リュカ様そこにも引っかかるの? 初対面のときに仲良くしようぜの握手をしたんだよ。な、イリス」
「はい。普通に握手です。テオともしました」
「……」
「イリス、リュカ様とはしてないんじゃない? しとけば? ほら」
「え、わっ」
何故か握手の件で、少しムスッとしたリュカ様の方に、座ったまま体ごと向かされた。いや、握手と言われても。
「いえ、リュカ様はスキンシップが苦手なのでしょう? あまり触るのは嫌なのでは」
「大丈夫です。どうぞ」
リュカ様はさらっと手を出してきた。リュカ様はスキンシップが苦手ってダイさんが言ってなかったか? 熱で倒れたときは例外として、それ以外は指一本触れないように気をつけていたのだが。
まぁ本人が大丈夫と言うならと、差し出されたその薄い手を、そっと握り返した。
『……』
「よし、ダチ成立だな。テオも握っておけば?」
「俺も? えっと、では」
手は離したが、改めて握手したのは不思議な気持ちだった。リュカ様は、立ち上がって近寄ったテオとも握手をした。彼らも手を離すと、テオがくるりとダイさんの方を向いた。
「あ。俺、ダイさんとも握手してなかったです」
「え? いる?」
テオが至極真面目にダイさんにも手を差し出した。ダイさんは太い眉毛をこれでもかと下げた、情けない感じの顔でその握手に応じた。これはイリスも、「そこの握手、いる?」とは思った。そこの二人は前世でも関わりあったのに、今さら……?
リュカ様と黙って彼らの握手を見守った。
普段通りに仕事をこなし、ひと休憩後の深夜。イリスは夜から出勤してきたダイさんと、騎士三名とともに、エシェカの森の見回りに来た。
ダイさん曰く、「いっそイリスは早めに森に行って、リュカ様に慣れてもらおうぜ」とのことだ。それは良い案だと納得した。
普段は移動手段として誰でも通るこの森も、夜はさすがに人はいない。夜鳥の鳴き声と羽根の音、それとイリスたちの草を掻き分ける音が響く。
リュカ様の忠告通り手袋をしてきているが、これがラシュハの樹への対策だけでなく、草やその辺の樹に触れるにも手を守るのに良かった。
「暗くて前がよく見えないですね……」
「ランプはあるけど、今晩は月が欠けてるからなぁ。これでいきなり怪物が来たら、まぁしんどいな。ってかイリス、ここでは本気ではぐれんなよ」
「ダイさん、常に存在感を出しておいてください」
「俺が頑張るの!?」
補佐の黒い制服も、騎士隊の赤い制服も、暗闇に溶ける。各々の手に持つランプの明かりも、広い森の中では心もとない明るさだ。森に慣れている騎士の先導に続くが、彼らは歩く速度が早い。遅れないように、イリスも気合を入れて足を動かした。
「怪物もですが、普通に蛇とかも危ないですね」
「そうなんだよ。俺らブーツで良かったわ」
「あ、ダイさんの頭上に蜘蛛の巣がありますよ」
「うわ、くそっ、俺の背が高いばかりにちょっと引っかかったんだが! え、頭に蜘蛛付いてない?」
「暗くてよく見えませんが、多分大丈夫です」
「……補佐のお二人、仲良いですね。おかげで夜道が怖くありません」
腰を曲げて向けられた彼のオレンジ色の強い茶髪を見ていたら、騎士の一人にそんなことを言われた。そう言えば、ずっと喋っているのはイリスとダイさんだけで、騎士の皆さんは黙り通していた。
「喋った方が良いだろ。戦闘にも普段の関わり合いが活きるし。あとお化けとかも出なそうじゃん。お前らも何か喋りなよ」
「そうですね。では……」
話し掛けてきた騎士はそう言って、彼の後ろについて来ている騎士仲間とボソボソと喋り始めた。細々と聞こえる彼らの会話は業務の話で、真面目な人たちだなと思った。
そのまま果樹などの低木が多い地帯を中心に数時間歩き、何事もなく夜の見回りを終えて帰城したが、騎士の人たちとは、ほぼ話さなかった。門をくぐったところで彼らとは解散し、朝日の眩しい中、ダイさんと二人で廊下を歩く。
「騎士の方々、すごく真面目でしたね」
「つーか、あいつら妙に遠慮があるんだよ。ほら、俺ら騎士を差し置いて戦闘任務いっぱいやるじゃん。それは俺らの方が強いし、ベルガの信頼も厚いってのが大きい理由だからな。引け目があるのか、ちょっと距離が置かれてんだよ」
「え、そうなのですか。当たり前に戦闘任務があるので、そういうものだと思っていました」
「騎士は大所帯だからな。ちゃんと強い奴も多いんだけど、一般人に囲まれて負けるような奴もいるんだよなぁ。まぁ別に遠慮してこない騎士もいるし、俺らは普通に接したら良いんだよ」
任務を共にした時、新人であるイリスの指示にもすごく従順だなとは思っていたが、そういう理由があったのか。
「特に俺はベルガと対等に戦えるからな! この間テオにも話したんだけどさ――」
ダイさんが子ども時代に訓練場に乱入した話を聞きながら、のんびり執務室へと戻った。




