深まる
「よっ。やってんねぇ」
リュカ様の手伝いを始めてから数日が経ち、お互いに慣れてきた頃。楽しそうな顔をしたダイさんが執務室に来た。大股で歩く彼はこちらまで来ると、「どっこいしょ」とテオとイリスの間の空いている椅子に座った。
「何か用ですか?」
「俺もちょっと手伝っちゃおうかなって」
「……そうですか」
パチーンッとウインクをかますダイさんに、リュカ様は何か言うのは諦めたらしい。イリスとしては、ベルガ殿下のところはいいのか? と思うがまぁ大丈夫だから来たのだろう。テオは思い切り「え? いいの?」みたいな顔をしているけど。
「このメンバーの始まりは俺じゃん? 俺も出来るときは参加すべきじゃん? やるわ」
「ではこの本をお願いします」
「おうよ!」
何かやかましいダイさんに、リュカ様は積んでいた本を手渡しさっさと手伝わせた。いつからリュカ様とダイさんの交流があるのか知らないが、完全に扱いに慣れている。まぁいいかと、仕事に戻るため本を手に取った。
ダイさんの奥で何かツッコミたそうにしているテオと目が合い、ちょっとだけ笑いかけた。それに肩をすくめて見せた彼も本を手に取り、黙々と四人で本を読み進めた。
昼前に読んだ内容を伝え合った。今日イリスが読んでいた本は、大昔はラシュハの怪物が人間を襲っていたという民話だった。呪いやら怪物やら、昔はいろんな話があるので読んでいて飽きない。
ダイさんは黒体病の流行時の人々の模様を書いた本を読んでいて、「ブドウとタダの実の見分けがつかないのは分かってんだから、もうブドウも食うなよ! ブドウ美味いけど!」とキレていた。それはそう、と珍しく全員賛同した。
「そろそろ昼食に行きますか」
「あれ。リュカ様、今日は食堂の曜日だっけ?」
「二人が来てくれている時は、できるだけ私も食堂に行くようにしています」
「おー、仲良くなってんねぇ」
「良いじゃねぇか!」とダイさんは何だか嬉しそうに、立ち上がったリュカ様の背中を叩いた。この人は、一人で過ごすことが多かったリュカ様を見守っていたのかもしれない。リュカ様も苦手なはずのスキンシップだが、ほんの少し眉を寄せるだけで、大人しく受け入れていた。
だが昼食中にリュカ様に持ちかけた恋バナは普通にあしらわれていた。結局ダイさんの話はテオが聞き、リュカ様とイリスはのんびり食事をとった。
話を聞き終わったテオは「頑張りましょうね!」とオレンジ色の目をキラキラさせてダイさんを応援していたので、彼らは彼らで楽しんでいたらしい。
帰り口で食堂の職員にグーサインを送るのがもうお決まりになりつつあるので、今日もしっかりジェスチャーでやり取りを交わした。
食堂を出て、リュカ様の後ろを三人でついて執務室に戻る。このメンバーでいるのは初めてではないが、やはりすれ違う人たちは興味深そうにこちらを見ていた。
廊下で、青紫色の丸い果実を詰めた籠を運ぶ調理服の人がいた。通り過ぎる際に近くで見たらそれはブルーベリーだったが、遠目からだとブドウにも見え、タダの実を連想した。
そう思ったのはイリスだけではなかったらしく、同じくそちらに目を向けていたダイさんも「あれ見てタダの実を思い出すようになったなぁ」と呟いていた。
「俺がさっき読んだ本で、昔の人めっちゃタダの実で死んでたけど、一粒でも駄目なんかなー」
「私たちが読んだ本だと、同じ樹から採れた実を食べても、死んだ人と死ななかった人がいたようなのですよね……」
そこでリュカ様は顎に手を当て、足を止めてじっと考え込みはじめた。
皆で足を止めて待つが、リュカ様は動く気配がない。せっかく考えを巡らせているのを妨げたくないが、ここで……?
隣に目を向けるとテオは「え、これどうしよう」という顔をしていた。ダイさんはうろうろと、いろんな方向からリュカ様を興味深そうに見ている。
『…………』
この状況にどうしたら良いか分からず、全員黙った。廊下のざわめきだけが聞こえる。ダイさんは大きな体を曲げてリュカ様の顔を覗き込んだりしていて、この人だけ楽しそうだ。
「うわっおわ、虫!」
「え?」
突然、テオが叫んだ。彼の視線を辿ると、斜め前方から彼に向かって大きめの虫が飛んできている。テオはすでに仰け反る体勢に入っているが、彼の後ろは壁だ。
「ちょっとテオ、後ろ――」
「虫は無理! ぎゃっ」
「くっ、こいつ今の顔めっちゃおもしろ! ぶははは!」
「……テオ、大丈夫?」
危ないよ、と言う前にテオは後ろに勢いよく飛び退き、壁に頭を激突させた。彼に向かっていた虫は、勢い良くそのまま飛び去った。テオはきゅうと倒れ、ダイさんは大笑いしている。リュカ様は依然として思考に耽ってこの状況に気が付いていない。すごい集中力だ。一瞬にして起きた悲劇に、イリスは唖然とした。
そしてテオが伸びてしまった。医務室に連れて行くべきかとテオの側にしゃがみ込むと、リュカ様の前で笑っていたダイさんもこちらに来た。
「はーっ! こいつはまったく。ほら、起きろー」
「ちょっとダイさん、叩くにしても力が強いです。テオにたんこぶができちゃいますよ」
「これでも軽めだぞ。つか起きねぇな。しょうがねぇ、医務室に運んでやるか。あらよっと」
そう言ってダイさんは軽々とテオを肩に担いで歩き出した。ふんふんと楽しげに医務室に向かって行くが、未だ動かないリュカ様も放っておけない。イリスはとりあえずリュカ様の側で、彼が思考の海から戻ってくるのを持った。
「……」
「リュカ様、大丈夫ですか?」
「……え」
目の前に見えていた、お手本みたいな白い雲が移動して柱で見えなくなった頃、リュカ様が顔を上げた。ようやくこちらに戻ってきた。声を掛けるとびっくりした顔をして、周りを見回した。
「すごく考え込んでましたね」
「……えぇと、私、廊下で長考してたのですか。テオたちは?」
「虫に驚いたテオが壁に頭をぶつけで伸びたので、ダイさんが医務室に連れていきました」
「え、私その状況で気付かなかったのですか」
リュカ様はあり得ない、みたいな顔で自分に引いている。いつもこういうことがあるわけではないらしい。初めて見る動揺したリュカ様の様子が面白く、笑わないように必死だ。
数秒の後、状況を飲み込んだらしいリュカ様は指で眼鏡を押し上げながら、こちらを見た。
「イリスはそのまま私を待っててくれたのですか」
「はい。思考の邪魔するのも悪いかと思いまして。廊下の端なので通行人の妨げにもならないですし」
「それは……すみませんでした」
「大丈夫ですよ」
通り過ぎる人から不思議そうな声で「え、あれ何してるんだ?」みたいな声は何度も聞こえてきたけど、皆構わないでおいてくれた。少しバツの悪そうなリュカ様に安心してもらうべく小さく笑いかけ、「行きましょうか」と促す。
ようやく歩き出したが、これまでリュカ様と二人になることはなかったので新鮮な気持ちだ。
「普段はこんなことないのですが……気が抜けていたようです」
「ふふ。リュカ様の気が抜けるほど安心してもらえる仲になれたなら良かったです」
「否定しません」
好意的解釈に、斜め前を歩くリュカ様はこくりと頷いた。この人は意外と素直だ。思えば初対面のときもダイさんに対してわりと率直な言動を取っていた。無表情なことは多いが、いろいろと分かりやすい人なのかもしれない。
何か、猫みたいだ。そういえばあの丸い猫は元気だろうか。ダイさんと見に行った時以来だ。あの猫と会ったあそこは裏庭らしいが、人も少なくて落ち着く良い所だった。何より猫がいるのが良い。
「私と二人になると、だいたいは気を遣って何か話しかけるか、緊張して喋れないという人が多いのですが。イリスは一人で楽しそうにしてますね」
「あ、すみません。ちょっと猫のこと考えてました」
「……私のことを猫のようだ、とか考えていたのですか」
「んふふ」
「否定しないのですね。まったく」
イリスも歩きながら考え込んでしまっていた。前を歩くリュカ様がこちらを振り返っていたことに、気が付かなかった。
「別に猫のようだと思われるのは良いのですが。どうせなら一人で考えてないで、私にも喋ってください」
「猫みたいなのは良いのですね」
「猫はまぁ嫌いではないので」
「なら今度、裏庭にいる丸い猫を見に行きましょう。本当にすっごく丸いんですよ」
「丸い猫? というか裏庭はあまり用がないと思うのですが、いつの間に行ったのですか」
「ベルガ殿下の方での休憩時間に、緑が恋しくなって――」
リュカ様とのんびり猫や裏庭の話をしながら執務室に戻ると、すぐにダイさんとテオも帰ってきて、午後も四人で仕事に励んだ。
久しぶりにあまり遅くならずにベルガ殿下のところの勤務も終えて帰宅した。ローブとジャケットを脱いでシャツの袖を捲り、夕食を作ろうとしたタイミングでヘルンさんが家に来た。
「夕食これから? 何作るの?」
「グラタンにしようかなと」
「良いねぇ! 私待ってていい?」
「もちろんです」
所属の違うヘルンさんとは城内で会っていなかったので、勤務初日の朝以来だ。特に変わった様子はなく、ソファで「ふーっ」と寛いでいる。私服でズボンを履く、令嬢としては珍しいヘルンさんは、その長い脚をのびのびと伸ばしている。
グラタンとスープを同時並行で作り、オーブンに入れて焼く間にサラダや水も準備して、テーブルに運んだ。
「いい匂いがしてきてるよぉ」
「もうすぐ焼けますからね」
盛大にお腹を鳴らしたヘルンさんは待ちきれないといった様子だ。オーブンの焼けた音と同時に取り出してそれもテーブルに並べた。焼き目のついたグラタンにフォークを入れると、熱い湯気がぶわりと漂う。
「あちー! うめー!」
「グラタンは寒い時期じゃなくても美味しいですよね。……そんな勢いで食べてやけどしないですか?」
「へーひー!」
焼き立てで絶対熱いのにヘルンさんはどんどん食べ進める。この人もベルガ殿下と同じく、前世よりぐっとイリスと年齢差が縮まって、記憶より若い。そんな彼女が頬を赤くしてはふはふと頬張る姿は幼く見えて、不思議な感覚だった。
イリスも先にサラダを食べたりして少し冷ましつつ、一緒にグラタンを頬張った。
食後に一緒にハーブティーを飲んでソファで寛いだ。
「今日は昼食とれてなくてさぁ。やっとお腹いっぱいになったわ」
「そうだったんですか。ラシュハの樹の件ですか?」
「そー。ほんっとに全然見つかんないんだけど、何あれ」
やはり植物研究所の方でも頑張っているらしい。ヘルンさんは疲れ切った様子でソファの背もたれに体重を預けている。
リュカ様のところで黒体病関連の本を読みまくって、ラシュハの樹は何度も出てきているが、その見た目の特徴はほぼ同じようにしか書かれていない。
二〜五メートルほどの黒い樹で、ブドウのような見た目のタダの実をつける。たまにタダの実の色が紫ではなく黄色とかピンクとかの記載もあるが、違いはそれくらいだ。ブドウとは違って蔦がなく、リンゴのような実のつけ方をするらしい。
この件にラシュハの樹は関係ないのだろうか、などと考えていたら、突然ヘルンさんがガバッと身を起こした。
「ってか、イリス! ちょっと会ってないうちに面白いことになってるじゃん!」
「面白いこと?」
「リュカ様とめっちゃ仲良くなったんでしょ? 最近研究室でもよく聞くよ! 今日もあの人見知り王子と二人でふわふわ歩いていたって聞いてるよ」
何かと思えばリュカ様だ。そう言えばそのことはヘルンさんに話していなかった。目の前の彼女はニヤリとした顔で好奇心たっぷりの瞳を向けてくる。
「ふわふわなんて綿毛みたいな歩き方はしてないのですが」
「仲良い二人の雰囲気だよ! リュカ様にイリスが付き添っていたとか、笑い合って楽しげにしていたとか」
「それはまぁ。猫の話とかしてました」
「ほらー! 城内でめっちゃ噂されてるよ! 連れ立ってるのはダイとかもだけどさ、イリスは特に女の子だし」
「え。それは、まずそうなやつですか?」
女の子だし、というのはイリスはともかく立場のあるリュカ様にとって良くない方面の噂かもしれない。仲良くなれたところだが、距離を考えた方が良いだろうかと少し焦った。
「いんや? 温かく見守られてるよ?」
「あ、そうなんですか」
「それはもう、すこぶる好意的に見られてるよ!」
カラッとそう言うヘルンさんはグーサインまで向けてくる。すこぶる好意的というのは謎だが、まぁリュカ様に仲良い人ができて良かったね的なことか。なら良いかと、ほっと息をついた。
のんびりお茶を飲むイリスに、その後もヘルンさんはニヤニヤとしていた。




