こちらの初日
「リュカが今日から出てくる。半日そっちで働いたら戻ってこい」
「了解です」
リュカ殿下が熱を出してから三日が経ち、ついに手伝いに行く日が来た。
補佐仲間の皆はもう事情を知っているため、「頑張ってね!」と送り出してくれた。あれから猛然と働き、グレイさん、ダイさん以外の人たちとも話す機会があって、ようやく補佐全員の顔と名前を覚えられた。
ダイさんがことあるごとに補佐仲間に「この子すんっごい方向音痴だから、知らない場所で一人にしないであげて!」と言い回ったおかげで、イリスは完全に「方向音痴極まりない人」として認識された。ありがたいが、ダイさんの背中にはパンチしておいた。
ベルガ殿下の執務室を出て、目を瞑って一呼吸をする。どうしてもリュカ殿下を放っておけなくて、勢いもあって自分から手伝いたいと申し出たは良いものの、役に立てるだろうかと少々不安もあった。
イリスが得意なのは基本的には戦闘と、先日のテロ阻止みたいな自分が直接動くような任務だ。だがおそらく、リュカ殿下のところではこういう得意分野のことは出てこない。
せめて、リュカ殿下の邪魔にはならないようにしたい。とにかくできることをやろう。そう決めて足を動かした。
リュカ殿下の執務室までのまっすぐの道を歩いていたら、宰相室の前でテオが立っていた。こちらに気づき、「よっ」と手を挙げてくれた。
「今からリュカ殿下のところに行くだろ。一緒に行こうぜ」
「待っててくれたの?」
「あぁ。ちょっとまだ殿下と二人きりになるのは気まずくなる気がした」
彼はイリスとは別の心配をしていたらしい。やはり人生二回目でも、緊張するときはするのだ。少し眉を下げたテオと並んでリュカ殿下の執務室に向かった。
「私は半日経ったらベルガ殿下の方に戻るんだけど、テオは?」
「俺は調整してもらったから、もっといられるぞ」
「じゃあやっぱり二人になる時間はあるね。今日のうちにリュカ殿下と馴染めると良いね」
「う、結局そうなるな。頑張るぜ」
「いざとなったら好きなパンの話をしよう」などと話していたらリュカ殿下の執務室に着き、先日同様にノックして入室した。
三日前と変わらない光景だ。奥の作業机の前に座るリュカ殿下の元まで寄る。
「おはようございます、殿下。よろしくお願いします」
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」
そう言うリュカ殿下の顔色は良い。うん、ちゃんと元気そうだ。熱を出しても変化が分かりにくかったが、こうして見ると違いは分かるものだ。
「座ってください」と言われ、作業机を囲むように置かれた椅子に座った。大きな机には本が山積みに置かれ、リュカ殿下の前にはいくらかの書類も見える。
「二人とも、この間は医務室に連れて行っていただいてありがとうございました」
「いえっ、全然!」
「回復されて何よりです」
「イリス、すみません。思い切りあなたに倒れかかってしまいましたが怪我はしてませんか」
「大丈夫ですよ。完全に無傷です」
ぺこりと素直に礼を言った殿下は、そんなことも気にしてくれていた。一緒に倒れこんだわけでもなく、眼鏡がぶつかったとかもないので、怪我などまったくしてない。もっと自分に筋肉があればちゃんと支えられたなぁ、とは思ったけど。
じっとイリスを見る殿下に、にこりと笑いかけたら、「それなら良かったです」と視線は外れた。
「それと、言うタイミングが掴めなかったのですが、私はあまり王子というのを前に出したくないのです。呼び方を変えていただきたいです」
「あ、では俺らもダイさんと同じように、リュカ様と呼ばせていただきますね」
「はい、それで良いです。ダイとあなたたちで不統一なのも変な感じでしたので」
了解です、とイリスも頷いた。リュカ様は今日も普通の貴族男性の私服みたいな格好だし、ダイさんやイリスの王子に対する無礼も特に咎めなかった。変に距離を取らなくても良さそうなのは薄々分かっていたので、今後は遠慮なくリュカ様と呼ばせていただこう。
「では、さっそくですが黒体病の方の話をします」
その言葉に、イリスとテオは改めて姿勢を伸ばした。リュカ様は指で眼鏡を押し上げて、黒い前髪が少しその縁に掛かっている。目線は机に向いていて、すでに話に集中し始めている様子だ。
「亡くなった三人の補佐ですが、王立病院の方で遺体の確認をしてもらいましたが……どうも状況が謎なんですよね」
「謎、ですか?」
「三人とも体は黒くなっていたのですが、一人は強い打撲、二人は何かに体を突かれた跡があったそうです。何故か三人とも物理的な衝撃も受けていた、ということです」
突然の物理的な怪我の話に、ぽかんとしてしまった。てっきりラシュハの樹とかタダの実の話が出てくると思っていた。予想外の話に一瞬止まった頭を何とか動かし、別件で何かあったということかと思い立った。
「怪我をするほど強敵と戦ったとか、何かしら事故があった、ということですね」
「えぇ。しかし兄上に直近の三人の仕事の報告書を読ませてもらいましたが、戦闘はしていたものの、『怪我や異常なし』と書かれていました。亡くなった当日も戦闘任務はさせていなかったようです」
リュカ様は目の前の、先日イリスが届けた書類を見ながらそう言った。前日までは無傷だったというのが嘘の報告だったという可能性もあるだろうが、それは考えすぎな気がする。ならば事故だろうか。不思議な話の展開に、黙って話を聞いているテオも首を捻っている。
「三人は当日、王立美術館の企画展関連の作業後、エシェカの森を通って帰城している途中だったようです」
「あ、エシェカの森には行っていたのですね」
「はい。遺体もそこで見つかってます。ただそこまで場所を特定できても、植物研究所の所員が探しているにも関わらず、ラシュハの樹は見つかってないそうです」
ラシュハの樹を見つけるのは植物の専門家でもそんなに難しいものなのか。我々は何百年も前に焼かれたその樹の実物は見たことがなく、本でしか知らない。実物は本で書かれている特徴と違う見た目をしていて、見ても分からないとかあるのかもしれない。
「ラシュハの樹が見つからないとなると、黒体病とは別の病気などの可能性もあるのでそれはそれで問題ですが。今時点では黒体病の対策を考えておくに越したことはありません」
そう言ってリュカ様は立ち上がり、机に積まれた山から数冊の本を取り出してイリスとテオに渡した。
「私も手を付け始めたばかりなので、まずは何でも情報が欲しいのです。黒体病の記載のあるところを読んで、後で簡単にで良いので内容を教えてください。中身の理解まではしなくて良いです。専門的で読むのが難しいとかあればそれは後で私が読みますので、置いておいてください」
『了解です』
とにかく内容をさらっておきたいというだ。渡された本は、先日イリスが図書室で探しているときに少しだけ読んだ民話の本だった。これなら初心者でも読みやすそうだ。
イリスは顔にかかる髪を耳に掛け、さっそく本を読み始めた。
「――というわけで、ずっと昔は肌が真っ黒になるのが病気ではなく、呪いだと認識されていました。祈祷やら魔術で悪魔祓いみたいなこともしていた、というのがこの本の内容でした」
昼前に、いったんそこまで読んだ内容をリュカ様に伝えた。先ほどイリスが読んだ本はラシュハの樹が原因と分かるより前の話だった。黒く塗りつぶされた人間が杖で叩かれていたり、魔法陣の上で横たわっていたりする図が、本を閉じた今も頭に残っている。
「なるほど。ここは魔法はない世界ですが、昔は大真面目にそういったこともやっていたようですからね。他の病気とかでも度々ある話です」
リュカ様はふむ、と頷いた。これはさすがに役に立たない情報かもしれないと思ったが、こういった話も真面目に聞いてくれていた。
同様にテオの読んでいた歴史の話も聞いた。
「――で、黒体病の初めての死者は二百年と書いてありました。さっきの本には七百年前とも書いてあったので、かなり幅がありますね……」
「私も歴史関連はすでに何冊か読みましたが、やはり幅はありました。タダの実とよく似たブドウが神話にも出てくるほど昔からあるものですし、歴史の中で話が混じっているのかもしれません」
黒体病は昔の話なので、何とも曖昧な記載が多いようだ。流行したのは約二百年前だが、最初の死者が出た年ははっきりしない。加えてラシュハの樹自体がいつからあるのかも今時点では分かってない。
リュカ様は黒体病の症例の本を読んでいたが、あまり具体的な情報は掴めていないらしい。「地道に頑張りましょう」と言う冷静なリュカ様に、イリスたちも頷いた。
キリが良いところで昼食のため三人で食堂へ行った。今日は鶏肉のソテーを食べてみたが、これも食感がしっとりしててとても美味しい。ナイフで鶏肉を切るイリスを、隣に座るテオが不思議そうに見てきた。
「イリスって食べ方が綺麗で貴族みたいだよな。俺、他にも平民の友だちいるけどそんなじゃないぞ」
「私も思っていました。どこかで教育を受けたのですか?」
「身近に食事のマナーに厳しい人がいたのですよ。その人も平民なのですが、そこは妙にこだわる人だったのです」
昔の雇用主を思い出す。あの人はその辺に物を置くずぼらな性格なのに、何故か食べ方は綺麗で、イリスにもその辺は徹底してきた。「このくらい当たり前だ」と言われてたが、別にそうでもなかったようで、これまでも度々、食べ方は褒められてきた。
あの日々がもう懐かしい。あのクソジジイは元気だろうか。まぁ元気なんだろうな。へばっている姿が想像できない。
「遠い目をしてますね」
「お前、親……いや、何でもない。ほら冷めるぞ。あ、俺の豚肉も少しやるよ。食え食え」
「え、ありがとう。じゃあ鶏肉もどうぞ」
親の教育でないことから何かを察したらしいテオが気を遣ってくれたので、流れでお肉を少し交換した。豚肉は生姜で炒められてて、これも美味しい。
「仲良いですね」
「リュカ様も鶏肉どうですか? 美味しいですよ」
「では、交換しましょう」
「あ、リュカ様、俺のもどうぞ!」
リュカ様の白身魚も皆で交換して、いろいろ食べられたイリスは大満足だった。帰り口でこの間の食堂の職員がチラチラとこちらを見ていたので、「どれも美味しかったです!」とグーサインをしておいた。それを見た彼らはまたガッツポーズをしていたので、伝わったようだ。
午後も再び本を読んで内容を伝え合い、用意してもらったマグカップにコーヒーを淹れて休憩した。
「ふふ。カップ、ありがとうございます」
「いえ……」
リュカ様はぷいと視線を合わせない。テオとこっそり笑い合った。全員ミルクあり、砂糖なしで同じ味のコーヒーを飲む。ベルガ殿下の方だと一日走っていることが多いが、こういう時間も良いものだなと思う。
「イリス、コーヒー淹れるの上手いですね。自分で淹れるのと味が違います」
「そうですか? 昔、カフェでアルバイトをしてて、マスターに淹れ方を教えてもらったからですかね」
「あー、アルバイトって俺、地味に憧れなんだよな。まかないとか食ってみたい」
「貴族は基本的にアルバイトはしませんからね」
「そんなんですよ。個人的には飲食系はやってみたかったんですけどね」
貴族として王族への敬意などを叩き込まれているテオは朝まで緊張気味だったが、もとは親しみやすい人だ。他愛もない話をしているうちに自然体になっている。穏やかに話す彼らを見て、二人になっても大丈夫そうだと思った。
マグカップを片付けた頃、リュカ様が自身の時計を見た。
「そろそろ半日ですね。イリス、兄上のところに戻って良いですよ」
「あ、はい。ではまた明日!」
「お疲れー」
まだ夕日も出ていない時間だが、早くも半日が経っていた。本や椅子を軽く片付けて扉の方に行くと、二人が軽く手を振ってくれたので、イリスも振り返してリュカ様の執務室を退室した。
廊下を歩く足取りは軽い。リュカ様は、人見知り、天才などと言われる人だが、会って三回目だからか、普通に話しやすかった。雑談にしろ手を振るにしろ、以前よりも歩み寄ってくれてるのを感じる。
先ほどまでの時間を思い出しながら歩いていると、いつもより歩く速度がゆっくりになっている気がした。リュカ様のところでの穏やかで優しい時間につられてしまったようだ。
リュカ様を手伝うことでベルガ殿下の方で迷惑をかけることがないように、夕方から仕事を詰めてもらっている。さっさと動き始めるべく、歩く足を早めた。
「戻りました」
「イリス、このクソ野郎共をとっ捕まえてこい」
「了解です」
こちらに戻った途端、リュカ様のところと凄まじい温度差の任務を駆け抜けた。




