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そして鐘が鳴る  作者: 美空 侑李
幕間

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イリスの過去①

 前世で、幼い頃のイリスは、街外れの家で父親と母親と家族三人で暮らしていた。親は毎日一緒に遊んでくれて、たくさん頭を撫でてくれた。ごく普通の平和な家だった。


 しかしイリスが五歳の時、父が突然自死した。


その日はよく晴れていて、とてものどかな時間が流れていた。父は仕事が休みで、イリスは母と街で買い物をしていた。「ただいま!」と父のもとへ帰ったら、父は首を吊っていた。

いつも父は笑っていた。あまりに突然だった。


「なぜ?」 と何度考えても答えが分からない。

ただ、父の自死はイリスに「"自分で"死んではいけない」という思想を強く、植え付けた。



 結婚前はシスターをしていた母が復職し、ともに孤児を受け入れている教会に移り住むことになった。

優しかった母は、父の死後、イリスへの態度が一変した。


毎日毎日、とにかくイリスを叩く、暴言を吐く。全身痣だらけで腫れていた。

どうでも良いような言いがかりをつけられては叱られ、こちらから話しかけても無視された。

たしかに受けていたはずの愛情は消え、冷たい目と歪んだ唇の酷い顔をした母に、どうして良いのか分からなかった。


神父や他の孤児たちは、気の毒そうにしながらもその事実を無視していた。あるいは、母に便乗してイリスに意地悪をしてきた子もいた。少し大きくなると体に触ってくる男子もいた。

皆で教典を読む時間だけが平和で、後はまた叩かれるのではないかと、常に母に怯える日々だった。

「なぜ?」 と何度も考えるも、やはり理由は分からなかった。


 国は隣国との戦争が始まり、多くの軍人を必要としていた。十二歳以上で入隊でき、訓練ののちに正式に軍人となる。軍人になれば安定したお金が入ってくるし、母から逃げられる。

母はとても怖く、理不尽だった。けれど、どうしても嫌いにはなれなかった。


雨漏りを修理できず、食事は非常に簡素だった教会に余裕がないのは分かっていたし、日々を必死に生きている孤児の皆の不幸を願っていたわけでもない。お金を稼いで教会に寄付しよう。敵軍の攻撃から皆を守ろう。

イリスは母から逃れるかわりに、教会の皆を守ることを決めた。


 しかし、軍に入隊してすぐ隣国の敵軍からの攻撃を受けた。真っ先に攻撃されたのは、イリスのいた教会のある地域だった。

まだ訓練の身だったイリスは武器や食料の補充、負傷者の看病に走り回っていた。


休戦した後にすぐに母たちの元へ行ったが、見慣れた教会は屋根が崩れ落ちていた。辺り一帯の死体が転がる惨状に、母たちは死んだと分かった。

守りたいものは、早々になくなってしまった。


もともと入隊したのは、国のためとか崇高な理由はなかった。軍人になった意味を失い、生きる理由も失った。

早く死にたいと思っていたが、脳裏に焼きついた父の自死がどうしてもそうはさせてくれない。目の前の仕事に集中して、必死にその考えから意識を逸らした。


それでもやはり、二十一歳で殉職するまで、ただ死を待っていた人生だった。



 気がついたら転生していた。

やはりのどかな街外れで、父親と母親と家族三人で平和に暮らしていた。

イリスが五歳のとき、父は首を吊って自死した。


同じ親。同じ死。

その光景を見た瞬間、イリスは前世を思い出した。 

父の死と、前世の情報で数日間は混乱した。


母はやはりシスターとして復職し、イリスとともに教会に移り住み、暴力を振るった。


「その髪も顔も見たくない。私の前で見せないで!」


母がひどく嫌悪する父似の髪と顔は、深くフードを被って隠して過ごした。歪な親子関係をやはり周囲は無視をした。


たしかに前とは違うはずの世界で、イリスは同じことを繰り返していた。両親が突然変化した理由はやはり分からない。

前世の記憶がある今世なら言葉でも武力でも母に勝てただろうが、それはできず毎日理不尽に耐えた。


「イリス。教会の資金のためにあんたは明日からダオース男爵家の子になりなさい」


違ったのは、イリスが六歳のある日、母から貴族に売りに出されたことだった。

教会の資金のためのパトロンを得る。その条件が、妻子のいないその男爵にイリスが引き取られることだった。


「母に捨てられる」と思ったときの衝撃は大きかったが、抵抗はしなかった。たとえこのまま教会に残っても、母にはもう二度と愛されないと分かっていた。



 翌日、馬車で母と共にダオース男爵家に向かった。道中はずっと無言だった。


月のない暗い夜、男爵家に到着すると、門まで男爵が迎えに来た。馬車とは別人のように愛想よく話す母と喋るダオース男爵は、喋りながらもニヤニヤとイリスを見ていた。


男爵の小太りの体はジャケットを丸っこく押し上げ、首に着けた蝶ネクタイと相まって、いかにもな道化者に見えた。


母との会話が一区切りした男爵は、突然しゃがんで、黙って観察していたイリスの脇の下に手を差し込んでぐっと自分の目線まで持ち上げた。


「イリス。今日から私が家族だよ」


間近で見た男爵の黒い瞳には、明かりのない中で異常な光を宿していた。その瞳を見た瞬間、頭に強い警鐘が鳴った。


――小児愛好の犯罪者だ。


急激に心臓が冷え、頭の警鐘は逃げろと鳴り響き、イリスは暴れて男爵の手から必死に降りた。

突然抵抗したイリスに男爵はひどく怒った。


「話が違うではないか! もういい、この話は無しだ! 帰ってくれ!」


焦った母が説得しようとするも、男爵家の門は閉められ、使用人に追い出された。


イリスは一息つくも、母は激高していた。


「何やってんのよ! あんたが暴れたせいでせっかくの話が流れたじゃない!」


怒りのままに鋭く頬を叩かれたイリスは地面に倒れ込んだ。口の中に血が滲んだ。母は暗闇でも目立つ明るい茶髪を振り乱し、息を荒くしていた。


母の怒りは収まらず、男爵家の塀に置いてあった虫除け液を手に取ると、イリスの右目を目がけて振り撒いた。さすがに予想外だったことに反応が出来なかった。

右目がひどく熱くなり、のた打ちまわるイリスに母は暴言を吐いていたが、もはや聞こえなかった。


プツリ、とイリスの何かが切れた。


「もう、いい」


イリスは熱く痛い右目を押さえながら母に背中を向け、どこへ向かうともなく歩き出した。

六歳でも前世の記憶がある分、前よりはずっと大人になっていた。

けれど、その時ばかりは右目からも左目からも涙が溢れ、心は迷子になった。


 ようやくほのかに空が明るくなってきた頃、飲水として使える川を見つけて目を洗ったが、もう右目はほとんど何も見えなくなった。


生きる希望はなくても、「"自分で"死んではいけない」から、とりあえず仕事を見つけよう。

大量の果物を籠に入れて歩いている人が通りがかった。きっと街に売りに行くのだろう。街に行けば、何か仕事が見つかるかもしれない。そう思い、イリスはその人について行くと、早朝の賑わいのある街に到着した。


肉屋、果物屋、カーペット屋。太陽の眩しさに目を細めながら、人で賑わう店の間を、仕事を探してふらふらと歩いていた。



「そこのあんた。仕事を探しているのか?」


 前方から聞こえた愛想のない声の主は、白髪混じりの金髪と髭をきっちりと整えた初老の男性だった。深い青色の瞳はじっとイリスを観察していた。


「はい、そうです」

「右目が悪いのか? 左側ばかりに気を取られてたな」


いつからこちらを見ていたのか、目のことはすぐに気付かれた。

虫除け液を浴びたことを話すと、「こっち来い」と言われて連れて行かれたのはごく狭い通路の奥にある店だった。扉の中に入ると、紙や本などが散乱した床に、天井からいくつもぶら下げられたランプがオレンジ色の光を放っていた。


「目を診てやる。そこに寝転びな」


そこと男が指さしたのは床に適当に置かれた、渋い赤色の使い込まれたクッションだった。


医療室には見えないここで目を診てくれるというこの人は何者なんだろうか?

ダオース男爵のような気持ち悪さはないので着いてきたが、大丈夫だろうか。


骨ばった指で目元を触られ、体は強張った。

右目を男が診ている間、何をされているのか分からず、唇を引き締めて不安にひたすら耐えた。多分、悪いようにはならないだろう。その直感だけが頼りだった。


「こりゃあ、右目はもう治らないな」


男が淡々と言った。半ば諦めていたことだが、人からはっきりと言われて、ただでさえ重かった胸はさらに重くなった。


「そうですか……」


男はイリスの右目に早々に見切りをつけ、「起き上がりな」と言った。


「あんた仕事を探していると言ったな。俺が仕事をやる。ただし文句は言わないこと。どうする? やるか?」

「どんな仕事ですか?」

「いろいろさ」


何とも曖昧な返事だった。だが目を診てもらうときも感じたが、何故かこの男に着いていって、悪いようにはならないと直感的に思った。


「よろしくお願いします」

「よし。俺はドルバ。あんたは?」

「イリス・シュパールです」

「イリスな。精々よく働けよ」


ドルバは頭の良さそうな顔でニヤリと笑った。


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