モフモフ
朝日が目に染みる朝、まだ人がかなり少ない城の廊下をゆっくりと歩く。
最後に男から聞き出した内容に嘘はなかった。
イリスは全速力で地下牢の長い階段を昇り、騎士と共にもう二箇所に設置されていた爆弾を回収した。
安全に回収した後、イリスは再び海の近くの地下牢に行き、聴取係が聞き出した内容も教えてもらってベルガ殿下に報告することをまとめた。
イリスから男に聞き出したことは最低限で、聴取係の彼はあれからさらに根掘り葉掘り話を聞いていたらしく、聴取内容を書いた紙はぎっしりと文字で埋まっていた。優しげな顔をしている人だったが、仕事はきっちりこなしていた。
地下牢のオレンジ色の明かりの下で、あの元貴族の個人情報や逆恨みの経緯などを書き記したそのすべてに目を通したが、もう目が痛い。しぱしぱする。
出来るだけ太陽光を避けながらベルガ殿下の執務室に戻った。
「……おはようございます。殿下、早起きですね」
「おはよう。早起きは昔から得意だからな。いつもこんなもんだ」
「あぁ、そうでしたね。いつも私とヘルンさんは起こしてもらってましたね」
「お前らは寝る時は本当によく寝るからな」
朝早すぎてまだ執務室の鍵は開いてないのではと思ったが、ベルガ殿下が一人、窓からの光を浴びながら部屋の真ん中でストレッチをしていた。
健康的な人だ。前世で、慢性的に寝不足を極めていたイリスとヘルンさんは、早朝の仕事は馬車などでよく寝ていた。目的地に到着しても御者の声に気がつかないので、ベルガ殿下が起こしてくれていたのを思い出した。
それにしても、足を伸ばす殿下の動きが、若い。前世よりぐっと年齢差の縮まって、まだイリスより少し年上くらいなのは知っていたが、もともとが若く見える人だった。見た目は昔とさほど変わらないと思っていたが、こうして見ると、さすがに記憶より体の動きが滑らかな気がする。
「机仕事をされている姿をよく見てましたが、運動もされていたのですね」
「次から次に仕事が来るからあまり出来てねぇ。体動かそうにも、せいぜい朝のランニングと夜の筋トレくらいだ」
「殿下のことなので、十キロくらいすごい速さで走っていそうです」
「十二キロだ」
「運動量は充分すぎますね」
剣を振る時間は取れてないようだが、普通に動いている方だろう。この人の場合、運動よりも寝不足なのではないかとそっちの方が心配だ。
殿下がストレッチを終えていつもの机に向かっていったので、そちらに近寄って、昨日からの仕事の報告をした。
「ご苦労。リュカの方も手伝って良いぞ。まぁ今日はまだ出てこねぇだろうから、復帰次第だがな」
「リュカ殿下……? あ、はい、そうでしたね。私から頼みましたね、すみませんちょっとテロで頭がいっぱいだったんです、びゃっ」
パチーン! と鋭い音とともに指で弾かれた額を、手で押さえる。額から煙が出てそうだが、これで鏡を見ても傷一つないのがこの人の凄いところだ。
「ったく。リュカにも言ったが、丸一日あっちに貸すのは無理だから半日ずつだ。あいつのところにいる時間でも俺が呼べばこっちが優先。分かったな」
「了解です。ありがとうございます!」
テロに集中し過ぎていたが、リュカ殿下の手伝いをさせてもらえることになった。今の口ぶりからして、リュカ殿下にも話は通っているらしい。後でテオにも報告しようと、額を擦りながら決める。
「今日は俺に茶を淹れたら休憩しろ。そしてまた働け」
「了解です」
「あっちに調理場があるからそこ使え」と言われ、執務室の右側の扉を開けると、小さめながら本当に調理場があった。
置いてあった紅茶などを使わせてもらい、殿下と、ついでに自分にもお茶を淹れた。執務机に紅茶だけ置くのも変かと思い、ソファの方に腰掛けた。
喉が渇いているのに、熱くてあまり飲めない。息で冷ますがほんの少しずつしか飲めない。もはや湯気を飲んでいる。
そして、いったん座ると眠くなる。休憩時間は寝よう。寝るのに良い場所……学生時代に学校の中庭の木の上で寝ていたのを思い出した。あれは人目を避けれるし、風が通り抜けて心地良かった。あんな感じの場所を探そう。
熱い紅茶を息で冷まして強引に飲み干し、カップを綺麗に片付けて「行ってきます」と執務室を出た。
城の庭の場所はまだ知らないが、この間、食堂と図書室の間にそれっぽい緑を見た。とりあえずあそこに行こうと足を進める。
食堂の場所はちゃんと覚えていた。迷いなく歩き、記憶にあった緑を見つけた。この間は通りすがりに見ただけだったが、ちゃんと緑までの道が出来ているし、少し進むとわさわさと木が増えていった。
一面、深い緑色だ。陽は当たっているが木のおかげで日陰も多く涼しい。
木が多いからか空気が潤っていて、ほんのり冷たい風が肌に触れて、とても気持ちの良い場所だ。
さらに歩くと池も見えて、覗き込むと魚が悠々と泳いでいた。とても庭っぽい。
しかし来たは良いものの、勝手に城の木に登るのはまずい気がする。この辺で休めるところを探そう周りを見ると、池の正面に木のベンチがあったので、そこに腰を掛けた。
大きな木の真下にあるので木の陰で眩しくもないし、城の鐘の下の大時計も見える。
歩いている内に冒険気分になって目は冴えてしまったが、使いすぎた目を休めるため瞼を閉じた。他に人のいないここは、風で葉がさわさわと擦れる音しかしない。
しばらくそうしていたら、葉の音の中に、ギシッと木の歪む音がした。瞼を開ける前にずしりと膝が重くなった。
「え、丸っ……猫?」
「にゃっ」
慌てて目を開けると、ものすごく丸い猫が膝に乗っていた。ちょっと、信じられないくらい本当に丸い。
目をぱちぱちさせるイリスに、その猫は春の花のような黄色の瞳を向けてくる。
この国では珍しい白と黒のハチワレ猫。ハチワレ部分が黒だから、体積の大きいこの子は白の面積が圧倒的に多い。
キラキラした瞳を細めて黒くて短い尻尾を揺らしている。その姿は、とても……
「可愛い……っ」
「にゃふ」
可愛いの意味を知ってるのか、膝の上でふふんとふんぞり返るその姿はますます可愛い。イリスは俄然、テンションが上がった。
「モフって良いですか?」
「にー?」
「お願い」
「フンッ」
鼻息で返されたが大丈夫そうだ。丸い体にそっと触ると、モフりとその白い毛に手が埋まる。ふわふわした触り心地に、一瞬で虜になった。
「あー……最高」
地下牢だの爆弾だのテロリストだのと、可愛くないものばかりに触れていた手と心が大いに癒やされる。
夢中で撫でていたら、猫が膝の上で丸くなってきた。この子の休憩スポットに認めてもらえたらしい。すでに眠気はどこかに消えたため、膝に重さと温かさを感じつつ、そのまま好きなだけ猫を眺めてモフった。
◇◇◇
ベルガ殿下の執務室の扉から少し離れたところでイリスを待っていたら、よく知る元上司が今日も堂々とした足取りで出勤してきた。
「はよっす、テオ。何してんの?」
「おはようございます、ダイさん。イリスを待ってました」
「リュカ様の手伝いの件?」
「はい。俺の方は宰相様に許可いただけたのですが、イリスの方はどうだったかなと」
「あいつは夜中のテロを阻止できたら許可するって言われてたぞ」
あっさりと言われた内容に、一瞬固まった。
ここの人たちがそういう案件を対応しているのは知っている。
ベルガ殿下の補佐は内勤職ではありながらも、実はかなり現場で動き、あらゆる問題を直接解決しに行っている。
これだけ補佐が帯剣しているのはここだけだ。むしろ机仕事だけを行う補佐は二人しかいないはず。それは、宰相様の側で二年間働いていて知っていた。
「あー……ハリア国の若き隊長、でしたね。もうその印象が消えてました」
「分かるぜ。あいつ話すとふわふわしてるからな」
そうだった。あいつは、凄い奴だった。
いつしか、ハリア国の軍人が大幅に減って主戦力がいない今が好機と、こちらの国が襲撃を仕掛けたことがある。
しかし突然就任した見るからに若い女の隊長にうちの国は大打撃を受けた。
完全勝利ができるほど余裕があったはずの戦況は、それまでノーマークだった彼女がこちらの主戦力を猛然と削ったことで相当苦しいものになり、結果撤退したのだ。
その戦いで、もともと小国同士だった国の戦力はほぼ同格になった。その後もイリスに立ち向かう仲間は全員殺されていった。彼女を突破するための隊形は意図を読まれて何度も無意味となった。自分と同じくらいの歳なのに部下も大勢いて、それも上手く統率を取っていて、本当に完璧な奴だと思っていた。
そんな奴だから、テロを防ぐくらいは出来るのだろう。
でも、今世では二回しか会ってないのに、テオにとってイリスはすっかり"普通の友だち"になっていた。
料理の美味さに目を輝かせていたり、とんだ方向音痴だったり、自分の必死の格好をケラケラ笑っていたり、リュカ殿下を心配したり。
昔よりずっと近い存在になって、普通の人間らしいところを見ていたから、あいつがテロなんて物騒な対応をしているというのにピンとこなかった。
というかテロって。今はわりと安定した治世だが、広い国内にはいろんな奴がいるものだとぞっとする。
「テロの方はまぁ無事に片付いてそうだが、もう直接聞こうぜ!」
「え、わ、ちょっと」
ダイさんがずんずんとベルガ殿下の執務室に入っていった。俺はここに入るのは心構えが必要なんですけど、と訴える暇もないまま自分も入室した。
「はよーっす。ベルガ、テロは?」
「おはよう。解決した」
「じゃあイリス、リュカ様の手伝い決定じゃーん!」
「お前、何でそんなにイリスをリュカのところに行かせたがる?」
「面白そうだから」
「おい」
ベルガ殿下は目つき悪くダイさんを睨む。その顔は影が入っていて結構怖いのだが、ダイさんは気にもしてない。「俺もたまには手伝いに行っちゃおー」とるんるんしている。
「ってかイリスはどこ?」
「休憩だ。茶を飲んでどっか行った」
「行き先聞いとけよ! あの子は迷子になりやすいんだから」
「道に迷えば誰かに聞くだろ」
「っかー! 気にしてあげろよ気が利かねぇな、そういうのはモテねぇぞ」
「うるせぇ。てめぇはさっさと働け」
ダイさんは遠慮なくベルガ殿下に文句を言うし、殿下も普通に怒って凄みが出まくっててすごく心臓に悪い。
ただでさえ先日、前世で俺がイリスを殺したと言った時のベルガ殿下はめちゃくちゃ怖かった。何も言われなかったが、俺はベルガ殿下からの印象は絶対に悪いので、ここにいるだけでもかなり落ち着かない。
もう自分は部屋を出ても良いだろうか。そしてイリスを探そう。そんなことを考えていたら、そのイリスが部屋に入ってきた。徹夜明けのはずなのに疲れた様子はまったくない。むしろ艶々としていた。
「戻りました。あ、テオ」
「イリス、うまくいったんだな!」
「うん!」
ぱっと笑顔を向けて腕を伸ばしてきたイリスと、パチンッとハイタッチをしたら、先ほどまでの気分は一気に払拭されて、自分の胸も弾けた。本格的に仲間になれた。それを見たダイさんがすかさず「俺も!」と混じってきたので、もう一度、三人でハイタッチを交わした。
「ってかイリスの制服、何か白い毛が付いてね?」
「ふふ。さっきまで、ものすごく丸い猫をモフってまして! 本当に丸くて可愛いんですよ!」
「何それ俺も気になる。後で見に行こうぜ!」
「はい!」
何故か猫の話で二人はまたハイタッチしている。
この先、何回この自由な人たちに振り回されるんだろうな、と少しだけ遠い目になった。




