10年間ずっと
あんな人でなしだとわかっても、どうしてコーネリアスを憎めないんだろう。ギブス家が罪を犯したのは確かなのに。
ルシナはいまだにベッドの上で考えをめぐらせていた。
あれが夢じゃないなら、彼はあの夜、私を地獄に連れていこうとしたわけではなかったのかしら。弁明に来たとか?
「コーニー、なんて言ってたっけ……覚えてないや」
ルシナづてに恩赦を求める、交渉のための人質にする、など理由はいくつか思い浮かんだが、どれも馬鹿馬鹿しく思えた。
そもそも、私は事件のことよく知らないのよね。
10年前のルシナは処刑を知ったことで、どうせ手遅れと思いこんでいた。もちろん後日談が耳に入ることもあったが、事件を忘れようと努めていた。理想の王子様に夢中になって、つつしみを忘れていた自分を恥じたのだ。それからはいっそう勤勉であろうと、教養や社交の勉強に精を出した。失恋の痛みがうすらぐにつれて、虚弱な体も人並み程度に良くなっていった。
ふいにしたノックの音が、ルシナの回顧をさえぎる。
「奥様、お支度にあがりました」
昨日ルシナの世話をした若い方の侍女であろう声がして、ルシナはドアを見やる。
奥様。私のことか。嫁いだんだものね。
「あっ、え、と……気分がすぐれないので、ひとりにしてください」
「かしこまりました。では後ほど」
去っていく足音を聞きながら、ルシナはほっと胸をなでおろした。
✧ ✧ ✧
昼すぎのアシュフォード邸のキッチン。調理場の奥の休憩スペースでは、数名の使用人が散り散りに食後休みをとっていた。
「旦那様は何を考えているんだか。捕虜を妻に迎えるなんてアシュフォード家を辱めるようなマネをして」
誰に話しかけるでもなく口にしたのは、古株の侍女長だ。飲みきったティーカップをじかにテーブルに置く彼女は、初日にルシナの世話をした侍女のうちのひとりで、今は目の前に書き物を広げているが、はかどっていない。侍女長の前に座る若侍女は、自分が相手をするべきか迷ったが、別の声がさしこんだ。
「決まってんだろ」
ふくよかな女がぶっきらぼうに応える。彼女は侍女長の後ろの作業台に腰かけ、豆のさやをむき続けている。
「大旦那様が死んだのをいいことに、この家を乗っ取る気だよ。たいした野郎だね」
ボウルの中にはすでに緑色の山ができあがっていた。彼女はこの家で唯一の調理担当だ。
「あたしは前から気に入らなかったけど、大旦那様への恩を仇で返すとは思わなかった」
「見ていられないですわ」
侍女長とシェフの視線は自然と同じ方向にそそがれる。テーブルのすみでただ静かに目を閉じている初老の男。アシュフォード家に長年仕える家令が、事態をどう見ているのか女たちはまだ聞いていなかった。
「それが屋敷に仕えると言うことですよ。といっても、君たちの気持ちまでは否定しません。今まで事件はあれど、こういったことは初めて。私も少々驚いています」
家令は少し肩に力が入ったように見えた。内心ハラハラと見守る若侍女のほかに、この会話に耳をそばだてる人影があった。
✧ ✧ ✧
――気まずいところに出くわしてしまったわ。
ルシナはキッチンの出入口から近い廊下で、壁に背をあずけていた。結局、侍女が再度訪ねてくることはなく、困った彼女は食事を求めて階下へやってきたところだった。ベルで呼ぼうかとも考えたが、侍女の目のないうちに屋敷を見てみたいと思ったのだ。
使用人たちもコーネリアスに協力して私を冷遇するつもりだと勘違いしていたわ。聞くかぎりでは、彼と私の過去は誰も知らないみたい。どっちにしても私の味方じゃないのは確かだけれど。
キッチンの中で人が動き出す気配がする。ルシナは慌てて来た道を引き返そうと、ガウンの裾をひるがえした。食べ物はあとにするのが良さそうだ。
✧ ✧ ✧
手近な出口から、庭へ退散したルシナは木陰に向かって歩いた。王都にあるアシュフォード邸の庭はこじんまりとしている。コーネリアスが辺境軍を率いているのなら、この屋敷はおそらく王都に仮住まいするためのものだろうとルシナは考えた。
使用人が少なくて、お屋敷が静かなのもそのせいね。
新緑の下でひと息つくと、ついさっき盗み聞いたことが気になりだす。
「大旦那様は最近亡くなったのかな」
ルシナが事前にアシュフォード家について知っていたのは、傭兵団をまとめあげた功績により、平民階級ながら軍部や国政にまで発言権のある家門だということだった。
「今はコーネリアスがこの家の主人ということは……」
亡命してから傭兵になったと言っていたし、きっと傭兵団で故アシュフォード卿と出会ったんだ。それでどういうわけか彼の後継になった。アストニア帝国で孤児も同然のコーネリアスがあの若さで、一部のエリアとはいえ司令官になれたのは、たぶん有力な後見人がいたから。それが故卿なのでしょうね。
「すべてハンティントン侵攻のために計画していたの? 10年間ずっとひとりで?」
ぞわっと寒気がした。昨夜コーネリアスからぶつけられた王家に対する歪んだ復讐心が、ルシナの頭に思い返される。ふと、顔を上げると――
「!」
視界のはしに男の姿をとらえた。屋敷から庭に向かって歩いてくるコーネリアス。ルシナはとっさに生垣に逃げこむ。
思わず隠れちゃったけれど、しばらくこうしていよう。今は彼と顔を合わせたくないし。
しゃがみこんで膝に顔を埋めるルシナに影がさした。
「引きこもっていると聞いていたが」
案の定、コーネリアスはルシナを目ざとく見つけ、まっすぐやってきたらしい。立ちはだかる彼を見あげて、ルシナは何か言おうとするがさえぎられた。
「それとも仮病を使って逃げる機会をうかがっているのか?」
「な……部屋から出るくらいで……」
「言い訳を聞く必要はない。部屋に戻れ」
「……」
ルシナは不満だったが、仕方がないので立ち上がろうとした。が、ガウンの裾を踏んづけていたのに気づかず、つんのめった。
「わ」
ぽす、とルシナを胸で受け止めたコーネリアスはまったく動じていない。
「っごめんなさい……あの……っ」
この人、壁みたい。鼻ぶつけちゃった。そそっかしいと思われたかも。
恥ずかしさと畏れでパニックになっているルシナを見おろすコーネリアスは、無言でぐっと彼女の肩を押して立たせた。
「歩け」
あまりに淡々とした彼の態度にうろたえながらも、ルシナは芝に足を踏みだした。
✧ ✧ ✧
コツコツとふたり分の足音が響く。私室に続く廊下を歩くルシナ。その後ろをコーネリアスがぴたりとついていく。
こんなの、まるで囚人を移送しているみたい。彼にとってはそうなのかもしれないけど。
ドアに手をかけたところで、ようやく緊張がゆるむ。何も言わないのも変だろうと、ルシナは「じゃあ……」などと声を出した。すると、コーネリアスが後ろからドアを押してあける。
「?」
そこまでしなくても、ちゃんと部屋に戻るってば。
ルシナが怪訝に思いながら踏みこむと、彼はまだついてくる。
「??」
部屋まで入ってきて、何?
「……あ」
そうか。昨日も言っていたものね。夫が部屋を訪ねてきたら、とかなんとか。
窓から差し込むまだ明るい日差しが、ルシナをいっそう惨めな気持ちにさせたが、彼女はネグリジェの肩口に手をかけた。はらり、と胸のふくらみをさらしてやるせなく振り向く。
「……は?」
コーネリアスがぎょっと声をあげた。
「何、をしてるんだ、君は……さっさとしまえ」
ぶつぶつ口ごもりながら、慌てた手つきでルシナの服を直す。彼はひどく戸惑った目をして、ルシナを驚かせた。
「なんなんだ、本当に……」
✦ つづく ✦




