血塗られた王冠
「聖獣が望むときに兄の血を受け継ぐ子を捧げれば、彼らの願い――権力と繫栄はもたらされる。そして彼らのもうひとつの願いにもとづき、供物として捧げられるのは成人した子に限られました」
「それが誓約……?」
「ええ。聖獣は兄にこの誓約を結ばせ、弟をその証人に指名したのです」
シャノンの語りを聞くルシナは完全に青ざめて、かろうじて立っていられる状態だった。
「神体を手にかけた兄弟は畏れ多くも『聖獣に選ばれし者』を自称したのです。ふたりはそれぞれ王と神官になり、600年以上に渡り民を欺いてきたのですよ」
「ハンティントン王国は……はじまりからすべて嘘だったの……?」
シャノンは肯定を意味してうすく笑った。
「……皮肉なことに、誓約によって王宮と神殿は互いを監視しあい、聖獣を殺めた秘密を隠すことによって結束を強めました。さらに、いつ望まれても供物を捧げられるように後継を残した結果、国を堅実に治めることができた……これが兄弟の願いが叶った形なのでしょうね」
――なんてことなの。
祭壇の鹿の首からは絶えず血が流れ落ちる。水音にあわせてルシナの心臓がドクドクと脈打った。
「神聖なる王権の証は、神殺しの罰だったとは王女殿下も驚きでしょう」
口を挟んだ次席神官は、いまだに落ち着いた態度だったが、それがルシナをいっそう恐ろしくさせた。
「なにしろ王族だろうと継承者でなければ知らぬこと」
「では……陛下だけが秘密を抱えて……」
「大神官とふたりでですよ。世襲の上級神官一族も同じく、大神官になってはじめてこの真実にふれる。我々のような一般の神官にとっては一生ふれることもない……戦争が起こる前までは」
次席の口調に興奮が混じりはじめた。ルシナはいよいよフラッと姿勢を崩したが、その背をシャノンが支える。
「……っ」
見あげたシャノンの顔は何かを伝えようとしているように見えた。
なに? この違和感。
ルシナが慎重に考えをめぐらせる間も、次席は語りをやめなかった。
「大神官はアストニア辺境軍に破滅させられる恐怖で、次席神官である私に秘密を明かしたのです。『誓約を果たせなかったから国が滅びる』と。くわしく聞き出すと、私は怒りに震えました。神を冒涜して英雄を騙った一族の手伝いをさせられていたなんて」
「神を冒涜した一族の生き残りが……私……」
「恥に思うのももっともです。御神を愚弄した血だけが、神聖な誓約を果たせるのは不快ですが……貴女が最後の一人ならば、役目を果たすことでその罪を雪ぎましょう」
「……」
シャノンの放つ違和感と反対に、次席が何を言おうとしているのかは、ルシナにとって簡単に予想できた。
神官たちの目的は――いいえ、誓約の正体がわかった今、私がハンティントン家に生まれた意味は。
「なに、元から聖獣の供物になるはずだったのですから。本来の形に戻ったと考え、身を捧げればよろしい」
黙っているルシナを見て、シャノンが後ろからささやいた。
「……ルシナ王女殿下、お父上としての陛下を恨むことはありません」
「どういう、こと……でしょう」
「聖獣に捧げられるために、ご自分の誕生から仕組まれていたとお考えでしょう」
「……」
「聖獣がいつ供物を求めるかに決まりはないのです。しかし……貴女が幼い頃、陛下が神託を受けてしまった。『血肉を捧げよ。誓約を果たすときだ』なんてね。陛下にとっても苦渋の決断だったのです」
「どうだかな」
次席は忌々しげに割って入り、すっかり下卑た笑みを浮かべていた。
「病弱な第四王女……貴女ほど生贄にふさわしい者はいない」
「生贄なんて言い方、御神の前で……」
シャノンが眉をひそめたが、次席はつらつらとつづけた。
「たしかに記録によると、100年以上も聖獣が沈黙していたこともあれば、たった数年で次の神託がくだったこともある。陛下のお立場にも少しは同情しましょう。王位を継承すれば一大事だ。その血が背負う禍々しい秘密を託され、生贄にする子をもうけて成人させなければ国が傾くかもしれない……と知らされるのだから」
次席はルシナを支えるシャノンの手を払いのけ、自らの手を彼女の肩にかけた。
「実際に神託を受けた陛下は、ルシナ王女殿下を生贄にすると決めたのでしょう」
「……っ」
ぐいっとルシナの肩を引き寄せた次席は、彼女を無理やり歩かせるように引きずった。
「男児は継承者として優先するとて、神託を受けてからすぐ、成人していた第二王女あたりを惜しまずに捧げれば、戦争で国が滅びることもなかったでしょうね。統治者としての器が当代の王にはなかったようだ」
「……っなんてことを言うの」
抵抗するルシナだが、足は祭壇に向かわされる。
「しかし、聖獣との誓約はまだ生きている。王女殿下をここへ導くのには苦労したが、我々は成し遂げた。御神は貴女を望んでいる!」
次席に背を強く押され、ルシナはつんのめるように弾かれた。
「きゃ……」
倒れこんだ先で、縁石に手をつくルシナ。ふと顔をあげると、泉の中心からルシナを見つめる鹿の瞳。ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
なんて。なんて、美しいの。目が反らせない――。
ルシナの背後に立った次席は、そばに控えていた神官が差しだす――重厚な鉾を神官杖と持ち替えた。次席のむき出しの歯が金属の光を映す。
「……王も大神官も亡き今こそ、信仰を取り戻すときだ」
含むようにつぶやいた次席は、鹿の首に向き直る。鉾を胸の前でかまえ、深く息を吸った。
「聖獣よ! 最後の血を捧げよう! ハンティントンの血はここに絶える! 御神は罪人との誓約から解放される!」
響く声が耳に届いているのに、へたりこんだルシナは凍りついたように動けなかった。
「我々は新たな誓約を望む! これこそが〝ふさわしい者による白い鹿との約束〟だ!」
次席は鉾を振りかぶった。空を切る音。
「正統な誓約により! この私が! 真の指導者となる!」
――ああ。私、ここで死ぬんだわ。コーニー。
ゴッ、と鈍い音とともにルシナのスカートに血が飛んだ。ほんの少し遅れて、ドサッと何かが脇に落ちる。
「……え?」
腕だった。意匠をこらした鉾を握る腕。
私……斬られて……ない?
ルシナは自分の首元を確かめるように手でふれ、ゆっくりと振り返った。
「……シャ、ノン様」
目の前に転がる腕を刎ね落としたのは、シャノンが手にもつ細剣らしかった。真新しい血が刀身を伝う。
「ルシナ王女殿下……」
ルシナの元にひざまずいたシャノンは、澄んだ翠緑でまっすぐに彼女を見つめた。
「貴女を供物にはさせません」
✦ つづく ✦




