鹿と罪人
むかしむかしあるところに
暗い森と霧ばかりの村がありました
恐ろしい森には
願いを叶える白い鹿が住んでいて
ふさわしいものの前にだけ現れると言います
飢えと病で困っていた村を助けるため
ある兄弟は森へ行くことにしました
兄は強い子で弟は賢い子でした
森の中でふたりは力を合わせて
勇気と知恵で危機をのりこえます
すると白い鹿がどこからともなく現れました
――勇気と知恵のある兄弟よ
――願いを叶えましょう
ふたりはひざまずいて願いました
――どうかこの地に豊かな実りと安らぎをください
すると泉がわきあがり畑は息を吹きかえし
村に笑顔がもどりました
白い鹿は兄に告げます
――お前は民を守り導きなさい
兄は民を導く王になりました
白い鹿は弟に告げます
――お前は兄の誓いを支え広めなさい
弟は神殿をつくり長になりました
白い鹿はふたりに告げます
――愚かものや怠けものに恵みは与えられません
――民が勇気と知恵そして真心をもつ限り
――この地は恵みに満たされるでしょう
王と長は白い鹿と交わした約束をずっと守りつづけました
人々は白い鹿への感謝と祈りをこめて神殿の灯を絶やさぬようにしました
こうして村は森の恵みを授かる国ハンティントンになりました
白い鹿は今もどこかでハンティントンの民を見守っているのです
✧ ✧ ✧
「あれが本物の聖獣……!? 白い鹿は本当に存在したってこと……?」
ハンティントン王国の建国神話では、白い鹿に認められた兄弟の兄が王になり、その子孫がハンティントン王家だと言い伝えられている。王国では伝説の白い鹿を聖獣として信仰してきた。
激しく動揺するルシナを見て、シャノンはうすく笑った。
「聖獣と誓った一族の末裔なのに、その存在を信じていなかったのですか?」
咎めるような含みを感じ、ルシナはドキリとした。
「いえ……そういうわけでは。今、私にも見える形だとは思っていませんでした。神話で語られているのは、ずっと昔に人と森が調和していた頃の出来事で、人の暮らしが森から離れたことや人の信仰のゆらぎで、聖獣との絆は目に見えなくなってしまったと解釈しています」
――なんだか神学の授業みたいだわ。この人……。
ルシナの中にある確信がもたげてきたが、言葉にする前にシャノンが口をひらいた。
「目に見えないのではなく隠してきたのです。はじまりの兄弟の子孫……王と大神官が代々、この地下の聖域で神体を密かに祀っていたのですよ」
「シャノン様、貴方……なぜそんなことまで知っているの?」
シャノンがルシナをじっと見据えた。ルシナは鈍く痛むこめかみを押さえた。
式典でも馬車の中でもうまく頭が働かなかったし、まだ気が散るけれど、今はハッキリわかる。この人もこんな状況もおかしい。
身をすくませるルシナの耳に、複数の足音が届いた。神殿から降りてくるための階段からだ。
「安心して。私たちの仲間です」
淡々としたシャノンの声と同時に、集団が姿を現した。
「お待ちしておりました、王女殿下」
彼らの祭服が地下の風にはためく。尖った形の頭巾をかぶった身なりは、ルシナにとって見慣れたものだった。
「神官!? 仲間って……貴方、ハンティントンの神官だったんですか!?」
学者だって言ったのは嘘だったの? どうして――違う。まずい。ギブス家を消したのが陛下と大神官だと知った今、コーネリアスの政敵はアストニア内部の話じゃなく、目の前にいる彼らだと想像がつく。
ルシナの視線を受けたシャノンは曖昧な笑みを浮かべた。高速でピースを繋げだす頭とは別に、ルシナの口からはピントのぼけたつぶやきが勝手にこぼれた。
「戦争で神官も討たれたはずじゃ……」
「全員ではありませんよ」
神官の生き残りが信仰を破壊したコーネリアスに報復をつづけていて、コーネリアスも残党を探していたんだ。ジェーンを拷問したのも彼らを追うため。ジェーンが――手引きしていた誘拐は残党の計画ってこと? 他に実行犯もいたみたいだった。私に近づこうとする残党はきっとたくさんいて、コーネリアスは当然知っていて密かに排除してたんだわ。
「そ、そうですか。その……辺境軍は無慈悲だと聞くから……少しでも生きていてくださってよかったわ」
まずい。毒を盛られたときの黒幕もこの人たち。報復の対象は――信仰を捨てて敵将に嫁いで生きのびた王女。彼らにそう見えても仕方がないわ。ここにいたら絶対だめ。シャノン様。協力者のフリで私を連れ出した。2回も。なんで付いてきちゃったの。コーネリアスのところに戻らなきゃ。
暴走する思考に振り回されるルシナは、緊張のあまり引きつった笑みを神官に向けた。
「私、アストニアに嫁いで……それきりだったから、力になれなくて申し訳――」
「我々は王女殿下にも大佐にも感謝申しあげたいくらいですよ。あの戦争があってよかった」
「は」
「邪魔な上級神官を一掃してくださったのですから」
さえぎった壮年の男の言葉に固まるルシナ。彼はルシナとシャノンの元に歩み寄りながらつづけた。
「信仰は二の次で、血統を守ることに腐心する上級神官ども。地位を世襲で縛り、内輪で利権をむさぼってばかりだ。しかし戦争で彼らは消えた」
男は大ぶりな神官杖を引きずって来る。装具からして残党を率いているのは彼らしかった。カツン、とルシナの足元に杖先が落とされる。男は彼女の目の前で聖職者然として諭すように言った。
「大神官に代わり、我々が王女殿下の贖罪の力になります。罪の子よ」
「罪の子……」
私の罪……コーネリアスのこと? でもなんなの、この雰囲気。異様だわ。
いつの間にかルシナを囲むように立つ他の神官たちは、明らかに侮蔑のまなざしを彼女に向けていた。四方から見えない針で刺された気になったルシナは、思わず後ずさったが、背が何かにぶつかって振り返る。立っていたのはシャノンだった。
「……っ、シャノン様。私、償いなら彼がいないと――」
「彼? ああ、大佐閣下ですか。ご心配なく」
シャノンは震えるルシナの耳元でなにげなくささやく。
「ギブス事件は貴女と私だけの秘密ですから」
「じゃあ……」
戸惑うルシナを置いて、シャノンは男の前に進み出た。
「次席、王女殿下はまだ知らないのです。ハンティントン兄弟が秘匿した本当の〝誓約〟について」
「!!」
ルシナはガツンと殴られたように息を詰まらせた。ぐにゃりと歪んだ視界に、王の私室で隠された指南書を手にした忌まわしい記憶がちらつく。
「せ、誓約……っ、誓約って何? みんな何を知ってるの?」
「なんだ。話していなかったのか。ならば聞かせてさしあげろ――教義を偽り、御神も教徒も愚弄したハンティントン王家の真実を」
次席と呼ばれた神官はシャノンには不遜な態度だった。そんなことを気にかける余裕もないルシナの血の気が失せた頬。彼女の瞳に、シャノンの唇がゆっくりと動くのが映った。
「ルシナ王女、『白い鹿の約束』で語られた出来事は真実ではありません――……」
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むかしむかしあるところに
暗い森と霧ばかりの貧しい村がありました
森には願いを叶える白い鹿が住んでいて
ふさわしいものの前にだけ現れると言います
話を聞いた若くたくましい兄弟は
森へ行くことにしました
ふたりは狩りの腕に自信があったのです
森の奥で兄弟は美しく真っ白な鹿を見つけました
――いたぞ
――あの鹿に違いない
けれど白い鹿は丈夫な脚で軽々と逃げだしました
――待て
――捕まえてやる
ふたりは得意の弓で力を合わせて
白い鹿の行く手をさえぎりました
追いかけるうちに白い鹿の脚は鈍っていきます
ついに兄の力強い弓から放たれた矢が
白い鹿の首を射抜きました
――やった仕留めたぞ
――見たか首が吹っ飛んだ
兄弟は胴から離れて転がる白い鹿の首に喜びました
――せっかくだから願いごとをしよう
――立派な土地を俺たちふたりで治めたいな
すると白い鹿の首から真っ赤な血が流れだし
あたり一面が血の池になりました
兄弟は恐ろしさに震えあがりました
白い鹿は目をぎょろりとひらきました
――私を傷つけた恐れ知らずの若者よ
――願いを叶えましょう
すると泉がわきあがり畑は息を吹きかえし
貧しい村は見違えるほど豊かになりました
白い鹿は兄に告げます
――代わりにお前の子の血肉を捧げなさい
兄は心から願いました
――生まれたばかりの憐れで小さな子です
――どうか勘弁してください
白い鹿は応えます
――願いを叶えましょう
――お前の子が立派に大きくなるまで
――見守りましょう
兄弟に笑顔が戻りました
白い鹿は兄に告げます
――憐れみをかける代わりに
――私が望むときにお前の子の血肉を捧げなさい
――その血が絶えるまで永遠に
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しびれた手の感覚にふと気づいたルシナは、この奇妙な聖域も、目の前で禍々しい物語をつむぐ美しい青年も、すべてが現実だと悟った。
「聖獣に認められたと伝えられる兄弟――ハンティントン王家と大神官たる血筋の始祖が、聖獣から与えられたのは祝福ではありません。御神の神体を奪った彼らに与えられたのは〝誓約〟でした」
シャノンはルシナと初めて会ったときから変わりない穏やかな口調だった。茫然と立ち尽くすルシナは、彼の背後にある泉――その祭壇から目が離せなかった。こちらを見返す鹿の瞳。白い首からしたたる鮮やかな赤。
✦ つづく ✦




