囚われて
「助ける? 私を?……ここは……」
シャノンを見つめるルシナは、戸惑って考えをめぐらせていたが、ふいにゾッと青ざめる。
「だめっ! あの人のところに戻らないと! 帰して!」
走っている馬車から降りようと腰をあげるルシナを、シャノンがぐっと肩を押しつけて座らせる。
「アシュフォード夫人! 気を確かに!」
「放して……っ! コーニーといないと、私……っ」
「ふじ――ルシナ王女殿下!!」
シャノンの大きな声でさえぎられ、ビクッと瞳をゆらすルシナ。彼はルシナの手に金属のスキットルを握らせた。中で液体が跳ねる音がする。
「飲んで。気分がすっきりします」
そう言って、シャノンは半ば無理にルシナの唇に飲み口をふれさせた。ハーブの香りがスッと立ち昇る。ルシナは素直に飲みくだした。
「……」
「落ち着いたでしょう」
「……すみません、私」
ルシナの放心した表情を見て、シャノンもほっとして切りだす。
「大佐閣下はアストニア王を手にかけ、貴女を黒幕に仕立てあげるつもりだったようです。暗殺は防がれましたが、彼のそばにいては危険です」
「コーネリアスがアストニア王を殺そうと……!? ど、どうして」
「王族というものを見境なく憎んでいるのでしょう。アストニア王もルシナ王女のことも。彼――コーネリアス・ギブスはずっと前から正気を失っています。家名を奪われた恨みで」
ギブス。その名を口にしたシャノンに、ルシナは衝撃を受けた。
「シャノン様、どうしてそれを……?」
「わかりますよ。旧領に行った際、貴女はくわしくは言わなかったけれど、学者根性とでも言うのでしょうか……つい、気になってしまい。私も10年前ハンティントン王国で起きたことを知ったのです」
「そう、ですか。でも……悪いのは王国でしょう。コーネリアスを変えてしまったのは私だわ」
――あの人はやさしく笑っているときも、憎しみを抱えていた。あの人は壊れてしまった。私が家も家族も失った幼い彼にひどい仕打ちをしたから。当然だわ。
「……私は許されないの」
暗い目でうつむくルシナ。シャノンは席を隣に移して彼女の背を支えた。
「貴女の罪は許されます。ほら……飲んで」
スキレットを持つ手ごと彼に包まれ、ルシナが顔をあげると、浅い翠緑の瞳がこちらをじっと見ていた。吸いこまれそうに美しくみずみずしい色。不思議な力に導かれるように、ルシナはスキレットを飲み干した。
「貴女はきっと救われる。私が案内します」
ここが洞窟の中かと錯覚するほど、ぼぅっと響くシャノンの声。ルシナは心地良い馬車のゆれに身をゆだね、目を閉じた。
本当かな。許してもらえるの。
「真の赦しを与えられるのは聖獣だけでしょう?」
「……はい」
私の罪が許されるなら――。
✧ ✧ ✧
「アシュフォードめ、やはり敵国の姫に魅入られて余の命を狙っておった! 女の次は王座か! 欲深い奴め!」
感謝祭の大混乱からアストニア城に戻ったカール王は、怒りが冷めやらないままドスドスと長い廊下を歩く。その後ろを付き従うソキントン枢密顧問。ソキントンは、「大佐が暴走し陛下に刃を向けた」と聞かされたときは耳を疑ったが、どうやらそれが本当らしいと知ると、普段は内心呆れていた国王の癇癪も当然だと思った。
「ご無事で何よりでございます陛下」
「明日にでも処刑じゃ! あの場で首を斬り落としてやってよかったものを! 奴が生きたままでは恐ろしくて夜も眠れぬわ!」
「アシュフォードは独房に拘禁しております。ご安心くださいませ」
「奴は丈夫だからの。存分に弱らせておけ! 逃げた王女も即刻捕らえて牢に入れよ!」
「はい。仰せのままに」
控えの間まで付き添ったソキントンは、私室へ向かう国王の背を見送りながら考えをめぐらせる。
――事件を目の当たりにした民は、「王権の転覆を目論む軍部のクーデターだ」なんて騒いでいるらしい。何かと恐れられるアストニア軍といえど、こんな強引なクーデターを仕組むはずはない。
「……あのアシュフォード閣下が乱心したのか。本当に?」
王女も消えたとなると、〝大佐の反逆〟は真実なんだろうが信じられないな。司令官の暴挙と投獄に対する軍部の反応も気になる。当然、軍部はアシュフォードひとりを切り捨てるだろうけど。
「……」
ソキントンはふとひらめき、顎をなではじめた。
「〝大佐の反逆〟――使えるぞ」
軍部の不祥事を利用すれば、このところ力を増すばかりだった軍をコントロールして、王室の権威を回復できるかもしれない! バカ王なのは確かでも、あんまりナメられちゃたまらないからな!
✧ ✧ ✧
「足元に気をつけて」
シャノンがルシナの手を引く。爆発の影響を受けたハンティントン王宮は一部が焼け跡になり、以前よりさらに荒廃していた。そのぶん視界はひらけ、かえって歩きやすくもあったが、ルシナは彼の手を借りて導きのままに付いていった。
「神殿は燃えていなくてよかった」
王宮神殿に踏みこむシャノンが、ぽつりと口にした。
「聖獣が護ってくださったのでしょう……御神の力はまだ消えていない」
ルシナはシャノンの横顔を不思議そうに見あげた。彼の言葉にぼんやりとした疑問が頭をかすめるが、水路に挟まれた石畳を進む足は止まらない。たどりついた祭壇を通りこして、シャノンは一番奥の壁に手の平をそっとふれさせた。小さな砂埃がわずかに舞う。壁面に刻まれた鹿のレリーフ。ルシナにとっては幼い頃から親しみのあるはずのそれが、なぜか新鮮に映った。シャノンはおもむろに、胸元から銀に光るナイフを取りだした。
「王女殿下、失礼します」
ルシナの親指に刃を添えたシャノンは、スッとうすく傷をつけた。あまりに自然にそうするものだから、ルシナはぷくりとにじんだ血を見てはじめて反応した。
「え」
戸惑うルシナにかまわず、彼女の指をレリーフのくぼみに押しつけるシャノン。いつもの涼しい顔に高揚が浮かんだ。ゆっくりと指をスライドさせれば赤い跡がつき、彫りこまれた聖句があらわになった。
『我らは約束を違えず』
瞬間、ゴゴゴ……と地鳴りがして神殿がゆれた。目の前の石壁が地表に飲みこまれるように下がっていく。
「何が――」
ぽっかりと姿を現した空間に、ルシナは唖然として言葉を切った。地下へつづくらしき階段が伸びている。冷えた空気が肌にふれた。シャノンは目を細めて感激の声を漏らす。
「ああ、王家の血だけが聖域をひらく鍵になる……美しいですね」
「聖域……?」
「参りましょう。貴女に赦しが与えられますよ」
「……」
――私の罪が許されるなら。
おぼろげな視線を石階段に戻したルシナは、自分からふらりと足を踏みだした。シャノンが後からつづき、カツカツと足音が反響する。ぐるりと回るようにステップを降りると、急にひらけた景色が顔を出す。
そこは小さな神殿だった。地上の王宮神殿と揃えた造りらしく、白い石柱に囲まれた中心にある泉が、澄んだ水音を立てていた。ルシナの目はある一点に吸い寄せられる。
「……!」
泉の中央に祀られている――白い鹿の首。
――あれは、まさか。
彫像ではないと直感でわかった。首の断面から絶えずあふれている生々しい血。祭壇を濡らす鮮血は静かに泉へ流れ落ちるが、水面は不思議と透きとおっている。常識では考えられない光景に、霞がかっていたルシナの思考は急に晴れた。
「あれは……『白い鹿の約束』の……?」
ドクンと痛いくらいに心臓が脈打ち、ルシナは叫びだしそうな口元を押さえた。
「あれが本物の聖獣……!?」
✦ つづく ✦




