幻想の祝祭日
ひんやりした秋の風に温かい蜜蝋とスパイスの香りが混じる。庁舎通りは、各ギルドを示す旗や垂れ幕に加え、宙に張りめぐらされたキャンドル細工で華やかに彩られていた。そこかしこでグツグツと煮立つ大鍋のエールに、肉とチーズを切り分ける屋台。
「さあ! 寄った寄った! 帝国イチのパイだよ!」
「投票忘れないでくれよ!」
客寄せの声が行きかうのは、ミートパイの模擬店ブース。各地から王都へやって来た店主が自慢の腕を振るい〝今年の一皿〟を競う。
ひらけたスペースでは丸太を押し合う若人の力比べ。一方、露店の片隅では子供たちが玉転がしでビンを倒す遊びに興じる。曲芸を繰り広げる大道芸人。陽気な音楽とダンス。
通りを横切る陸橋の上からは黄色い歓声がする。キャンドルを差しだす若い娘。その恋人らしき男が受けとり、代わりに花束を渡していた。
――キャンドル。甘い匂い。何か忘れてるような……。
通りすぎた陸橋をぼんやりと振り返るルシナの目は虚ろだった。彼女はコーネリアスに腰を抱かれ、混雑の中を歩いていた。人の熱気がルシナの肌をじっとりと焼き、キャンドル細工の独特な甘い香りは視界を狭めるほどしつこい。極彩色がルシナの脳に直接流れこんでくる。
「……ぅ」
ふらついたルシナに気づき、コーネリアスが足を止めた。
「もう限界か?」
「匂いで、くらくらす、る……」
「庁舎まで頑張れるか。抱えられるのは君も嫌だろう」
「……ん」
「――今からでも帰ろうか」
コーネリアスが軽くルシナを抱き寄せ、周囲の視界をさえぎる。
「ううん……行かないと、式典……」
「そうか。えらいな」
真っ白い顔のルシナは腕を引かれ、露店と露店の間に転がっている木箱に座らされた。
「座ってろ。気付けに何か飲む物を取ってくる」
コーネリアスはすぐ前にあるエールの屋台に向かおうとしたが、その袖にすごい力でルシナがすがりつく。
「……ッだめ!! 行かないで……!!」
怯えた彼女の表情に、コーネリアスは面食らった。
「一緒にいないと……っ」
ぎゅっとコーネリアスの腕を抱きこむルシナ。彼は慈しむように笑い、彼女を包みこんだ。
「大丈夫だよ、ルー。ずっと一緒にいるから」
✧ ✧ ✧
王都市庁舎前広場には、その年の収穫量を示す樽や穀物袋の展示が見える。集まった市民たちの興味は展示ではなく、庁舎の2階から張り出したバルコニーに向けられていた。感謝祭のために天蓋がもうけられている。そこに続々とやってくるのは勤労感謝式典に出席する代表市民で、誰かが姿を見せるたびに見物人から声があがる。
「見ろ! うちの親方だ! 帝国イチの鍛冶だぞ!」
「親方ー! 褒賞、ちゃんと弟子にも回せよー!」
「酒おごれよー!」
「あれ、俺んトコのおやっさん!」
「靴屋ならウチに敵う店はねぇ!」
「おい、今の、王室献上酒のメーカーじゃないか!」
「バカ王より先に俺たちに飲ませろー!」
式典では勘定締めをお披露目したのち、パン焼きから船大工まで各ギルドにアストニア王室から褒賞や記念章が贈られる。バルコニーには表彰を受ける庶民に加えて、要人や王侯貴族の姿も増えつつあった。
「あれ、銀匙賞の料理人だ!」
「おめでとうー! 次は王室料理長かぁー?」
「きゃ~~! 今年叙任された騎士様だわ!」
「王室近衛の花形よ! こっち向いて~~♡」
「あの方、港を丸ごと持ってる伯爵様だよ」
「あっちは北の大領主だってさ。上背があるねぇ」
「今来たの、東部の侯爵様だ!」
「ねぇ、見て! 社交界のクイーンよ! 公爵夫人ー!」
目下の者を待たせる貴族の慣習よろしく、おおよそ爵位順にゆっくり現れる貴族たち。バルコニーの中央近くに着席したホルム公爵夫人は、夫である公爵の隣で会場の様子をながめた。彼女は扇子で首元をあおぎながらムッとした表情になる。
「なんだかキャンドルの匂いがキツいわね。毎年こんなものだったかしら」
夫人は公爵にだけ聞こえるようにつぶやいた。公爵は小声で応じる。
「君もそう思うかい? 甘いを通りこして、ちょっとなぁ。歳のせいで鼻が馬鹿になったかと思ったよ」
「やぁね。見てごらんなさい、他の貴婦人方も思うところアリって感じよ」
バルコニーの貴族たちは涼しい顔を心がけていても、甘ったるい匂いから逃れようと鼻をほんのりしかめていた。式典会場である庁舎前広場は、庁舎通りのどこよりも豪華にキャンドルの装飾がほどこされているせいだ。
「今年からチーフのチャンドラーが違うのかし――……」
公爵夫人が言いかけたところで、広場にピリッとした緊張が走るのがわかった。見物人の唇がヒソヒソと動く。公爵夫人の目に映るのは、まだちらほらと残っている空席。誰が来たのだろうと、出入り口のほうを振り返った夫人は納得した。案内されてくるのはアシュフォード大佐夫妻だ。コーネリアス・アシュフォードの表情は硬い。公爵夫人は、パーティーで会ったときの彼を思い返した。今日の彼の雰囲気では見物人が縮こまるのも無理ない。
――元々、愛想がいいほうではないだろうけれど、あからさまね。
式典は、その年良く働いた者を王がねぎらう趣旨のため、重大な戦勝に関わるコーネリアスは優遇されるはずだ。公爵夫人は自身と同じく上座に近い空席は、アシュフォード夫妻のためのものだと察した。
大佐は貴族の見栄に巻き込まれるのは好まないから、機嫌が悪いのでしょう。それでも夫人なら――。
公爵夫人が見つめる先で、コーネリアスに寄り添うルシナは、青白い顔で浮世離れしたたたずまいだった。ぽつりとこぼす公爵夫人。
「……アシュフォード夫人は、まだお加減が優れないのかしら」
「君が最近ご執心のハンティントンの王女かな」
「ご執心って……。彼女とはすっかりご無沙汰よ。サロンにもいらっしゃらないの」
「ずいぶん気に入られているね、そりゃあ」
「意地悪ねぇ」
軽口を叩くホルム公爵夫妻。バルコニー中央に向かってくるルシナと公爵夫人の視線がふいにぶつかる。ルシナは、ハッと一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにコーネリアスの陰に隠れてしまった。
「……?」
妙に感じる公爵夫人。公爵は妻の戸惑いに気づかず、鼻先を歪めて広場の見物人を見おろした。
「はぁ、この素敵な空気のおかげで僕まで元気いっぱいだよ」
公爵のぼやきを聞き流した夫人は、コーネリアスとルシナが着席するのを確かめてから正面に向き直った。
――なんだか変だわ。式典が終わったら声をかけてみようかしら。
✧ ✧ ✧
金管の華々しい音が響いた。ロイヤルファミリー登場の合図に大きな歓声が沸く。姿を現したアストニア王カール4世は、深紅の分厚いローブの裾を引きずり、まっすぐに演台に向かった。見物人から「陛下ー!」「いいぞー!」と野次が飛ぶと、国王は満足げに手を振る。それから演台の前に立ち、仰々しく口をひらいた。
「皆の者、この年もご苦労であった。アストニアの豊かな実りに感謝する……さて、長々しい挨拶はナシだ。ボッといくかのぅ」
国王の横から典礼官が灯火を差しだす。灯火を手にした国王は、いそいそとバルコニーの柵まで進み出た。
「働くすべての者に祝福を!」
開会を宣言する言葉とともに、宙から吊り下がった芯に点灯すると、広場にぐるりと張りめぐらされたキャンドル細工が国王の手元から連鎖して明かりがつく。ぶわり、とさらに濃く匂い立つ蜜蝋の香り。喝采や口笛にまじって、会場のそこかしこから咳払いが聞こえる。
「煙、立ちすぎじゃないか!?」
「真っ白! 何も見えないよ!」
「ちょっと、押さないで!」
ただでさえ大勢がひしめく広場は、煙に包まれて軽いパニックになった。甘い煙はバルコニーまで昇り、澄ましていた貴族もついに大げさに手であおぎはじめた。
「これ、ひどいわ!」
「誰だ今年のチャンドラーは!」
――パァン!!
喧騒を裂くように大きな破裂音が響いた。
「!?」
瞬間、息を呑む一同。静まりかえったところに、パン、パンと弾ける音が連続する。
「火薬玉だ! 爆発するぞ!」
誰かの叫びをきっかけに恐怖の渦が広がる。群衆はでたらめに逃げまどうせいで、完全に統制を失った。
「熱ッ! 蝋が落ちてきた! 俺の髪が燃えてる! 水をくれ!」
「お、おい! 角の生えた化け物がいるぞ! 悪魔だ! 来るな!」
「向こうに母ちゃんが立ってる! 行っちまうよ! 捕まえといてくれ! あれ、俺の死んだ母ちゃんなんだ!」
一方、バルコニーの出席者たちは、庁舎の屋内へ戻ろうと押し合いへし合いをはじめた。
「早く中に入れろ! こっちは伯爵だぞ! 平民は譲れ!」
「蛇よ! 足元に蛇! 蛇だらけよ! 体中に這ってくる! 取って! 取ってよぉ!」
大混乱の中、コーネリアスはルシナの頭を抱きこみ、その場に伏せて鋭く視線を走らせる。
――なんだこの異様な興奮は。ただのパニックじゃない……幻覚?
バン!!
爆音とともにバルコニーの柵の一部が吹き飛ぶ。コーネリアスはビクッと肩をゆらした。
「鉄砲の音じゃないか!? 撃ち殺される! 早く通してくれ!」
誰かが喚いたのは、まさしくコーネリアスの頭をよぎったことだった。
――本当に発砲? 遠射攻撃か? どこから撃った?
射線をたどるように庁舎の対面を睨んだコーネリアスは、すぐに天蓋を乱暴に破りおろして目隠しを作った。その最中もぐるぐると考えが頭をめぐる。
マスケットで遠射? 命中するはずがない。いったい何が狙い――
「ひぇぇ……余を守ってくれぇ……」
「陛下! 今、参ります!」
足がすくんで動けないらしいカール王が近衛騎士団に保護されるのが、コーネリアスの目に映る。そのうち一人の騎士がさりげなく剣に手をかけた。ゆっくりと現れる鋭い刀身。振りあげられる鈍色。
「ッ陛下!」
甘ったるい煙を貫いて、コーネリアスは国王の元へ駆けつける。反射的に抜いた剣で逆臣の刃を跳ね飛ばした――つもりが、からぶった感覚が彼の手に残った。
「……!?」
虚を突かれて、コーネリアスの体がこわばる。
「な、な、な」
泡を食ってうろたえる国王の怯えた顔が刃先にあった。
「な、何をする……っ、アシュフォード……!!」
「……」
どんよりと引いていく煙。舞台の真ん中で披露されたのは、コーネリアス・アシュフォードがアストニア王に剣を向けている場面だった。
「み、見たか! 大佐が余の命を狙った!」
半狂乱になる国王に対し、コーネリアスは茫然と立ち尽くした。冷えた汗が背を伝う。
「はっ、反逆者を捕らえよっ!!」
国王の声で、今度こそ本物の近衛騎士がコーネリアスを背後から組み伏せて制圧した。
「クソッ、放せ……っ」
もがくコーネリアスを、数人がかりで押さえこむ騎士。広場の見物人は散々な格好だったが、煙が晴れたことで落ち着きを取り戻しつつあり、バルコニーに注目していた。群衆のどこからか声があがる。
「クーデターだ! 亡国の姫が戦鬼を唆したんだ!」
――亡国の姫。
地面に顔を押しつけられたコーネリアスは、ゾッと青ざめて目だけ動かす。
「ルシナ……ッ!!」
視線の先にいるはずの彼女は、跡形もなく消えていた。
✧ ✧ ✧
――目が回る。気持ち悪い。
ルシナは、朦朧とした意識をなんとか持ちあげた。それとほとんど同時に、ドサッとどこかに投げ出される。誰かに抱えて運びこまれたらしい。
「う……」
なに、ここ。木の板。馬の匂い。馬車? 屋敷に帰れるんだ。よかった。さっきまでひどい臭いだったもの。
「――アシュフォード夫人」
何よ。ゆすらないで。気持ち悪いんだから。
「夫人、アシュフォード夫人。しっかり」
しつこく肩を叩かれ、ルシナはようやくまぶたをひらいた。
「……?」
白っぽい布に包まれた人の形が見える。ルシナの肩に添えられた長くしなやかな指。淡い金の髪が車輪の回転にあわせて小さく跳ねた。
「しっかりしてください、アシュフォード夫人」
古びた馬車の中。ルシナを真剣に見つめるテオ・シャノンの姿があった。
「……うそ。どうして」
「貴女を助けに」
✦ つづく ✦




