最後の夜
冷えた空気が肌にふれたルシナは、窓があいているのかな、とぼんやり感じたが、その視線は目の前にいるコーニーに釘付けだった。
「はは……びっくりさせましたね」
ごまかすように空元気のコーニー。ルシナは、思わず身を引いた。
処刑されたんじゃないの? どうして私の部屋に? 何をしに来たの?
黙ったままのルシナの心の内を察してか、コーニーは自虐的な笑みでつぶやいた。
「耳にしてますよね、ギブス家のこと」
なによ。もう知ってるに決まってる。ギブス子爵は王国を思い通りにしようとたくらみ、神殿の財に手を付ける禁忌まで犯していた。コーニーも父親の忠実な駒だった。だから、私に取り入ろうと必死に口説いていただけ。本当はずっと前から私だってわかってたのに。今さらなんなの。
ルシナの目は雄弁に語る。それを見てコーニーのなけなしの笑顔はだんだんと失せていった。
「……それでも」
やっとしぼりだした言葉と共に、コーニーは手を差しのべた。
「一緒に来て、ルー」
まっすぐな彼の目にルシナは戸惑う。
どうして?
「ここから逃げよう、ね」
どこへ?
どく、どく、と脈がだんだん大きくなるのを感じるルシナ。固まった彼女にしびれを切らしたのか、コーニーはルシナの手にふれた。すがるように。
「いやっ」
その手のあまりの冷たさに、ルシナは反射的に払いのけた。
なんて冷たい手なの。氷のよう。死人みたい――そう、彼は死んだの。私の部屋にいるわけがない。これは悪夢だ。
そう考えると、コーニーがルシナをどこへ連れていこうというのかは、おのずと明らかだ。ゾッとルシナの肌が粟立った。
「やめて。私は行きません」
コーニーは、払いのけられたポーズのまま茫然としている。
「どうして夢にまで出てきて私をたぶらかそうとするの。もう十分でしょう。もう、もう……消えてよ」
一度言葉をはきだしてしまえば、あとは止めようもない。
「貴方の計画なんて最初からわかっていました。ちっとも傷ついてない。私だって貴方を好きじゃなかったから!」
ぎゅっとつぶるルシナの両目から涙が伝う。しん、と部屋は静まり返った。
「ルシナ王女殿下」
沈黙をやぶった声に、ルシナが目をひらく。いつの間にか、コーニーがあいた窓辺に腰かけている。まるで外へ飛び降りようとしているように。
――さよなら。
そう形作った彼の口は、切ないような笑みを残して月明かりの夜に消えた。
✧ ✧ ✧
10年前の夜、私の部屋に現れたコーニー。あれは夢じゃなかったのかしら。ともかく、彼は生きて今ここに――私の目の前にいる。
おおいいかぶさるコーネリアスから逃れようとルシナが身をひねると、ベッドがやけに大きな音で軋み、それが彼女をいっそう焦らせた。
「……本当に貴方なの」
ルシナの背けた青い顔を、コーネリアスの指がぐっと戻させる。逃げ場もなく見おろされて、ルシナは体中がじっとり汗ばんだ。
「どうして生きているの。ギ、ギブス子爵家は……」
「家の者は死んだ。屋敷に火がつけられて」
炎に包まれたギブス邸の話は知っている。王宮にいれば耳に入るから。聖獣信仰を穢したギブス子爵の罪は重く、家門ごと――使用人まで処刑された。なら、彼はどうして。
「俺はひとりだけ逃げのびて、アストニアで身分を隠し軍人になった。12歳で家も家族も失ったんだ」
過酷な身の上を話しているのに、コーネリアスはなぜか笑っているように見える。ルシナは余計に恐ろしく思った。
「身寄りのない国で、末端の傭兵としてあがく日々で――」
ついに彼の顔から笑顔が抜け落ちた。同時に、ルシナの顔をグッと片手で掴む。
「王家への恨みを忘れたことはなかった」
「やめて……っ」
反射的に突き放すと、思いのほかあっさりコーネリアスの体は退いた。ルシナは、半身を起こして肩で息をつく。
「家族を亡くしたのも、異国で苦労したのも気の毒に思います。でも……」
王家の末裔として恐怖に屈してはいけないわ。
「ギブス家が破滅したのは、犯した罪のせいでしょう。逆恨みよ」
精一杯強い目でコーネリアスを睨むと、今度は彼がルシナを見なくなった。
「復讐だなんて、王家だけでなく聖獣も冒涜するようなものですよ。それに……それに、民の信仰を踏みにじったことを省みないのですか」
「…………」
正論を言っても彼を怒らせるだけで、ろくなことにならないだろうが、ルシナは様子を見守った。
「……そうか」
視線を外したままだが、やっとコーネリアスの口がひらいた。
「君は礼儀やしきたりに熱心だったな」
瞬間、彼の腕がのび、いきなりルシナを引き寄せる。堅い腕の中に囲いこまれ、小さく悲鳴をあげるルシナ。コーネリアスは彼女を見おろし口元をゆがませた。
「そのくせに初夜の作法を習わなかったのか」
ルシナは言葉につまった。コーネリアスの心底あざけった視線に、妖艶な挑発がからまる。そしてルシナの胸元のリネン地に、彼が指を引っかけた。
「夫が部屋を訪ねてきたら自分から服を脱げ」
✦ つづく ✦
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