愚かな初恋
「きゃ~~~~♡」
ハンティントン王宮の一角から聞こえる可愛らしい声が寒空の闇に吸いこまれる。城のまわりの池はうすく氷が張り、白いモヤがただよっている。
小さな王女ルシナは、暖炉を消したばかりのあたたかい自室で寝る前、といった恰好だ。ふかふかのベッドに腰かけて足をじたばたさせている。
「〝お砂糖みたいに甘くて可愛いルー〟だって……♡」
宝物のように両手で包んだ便箋で、にやける口元をおさえる。
「コーニーったら、へへ……」
真っ赤な顔でめろめろのルシナは、何度も何度も手紙を読み返しては、途中でたまらなくなってもだえる。大げさで照れくさい愛の言葉も、背伸びした口説き文句も、孤独な少女の心にはきゅんと刺さった。
コーニーと出会って季節は2回めぐり、その間ルシナの元には彼から3日と空けず手紙が送られてきた。そのうち特に気に入ったものを読み返すのが、あの夏のプロポーズから夜の習慣になっている。
子供のやりとりでも、年頃の婚約者顔負けのロマンチックな関係がルシナとコーニーの間にはあった。それは彼らが王族貴族の子女だから、という範疇をこえて、並はずれて聡明な品格をもっているがゆえ。ふたりは不思議と学や嗜みが一致していた。
ルシナはごろんとシーツに身を投げだして、ふにゃんと目じりをさげる。
「どうしてこんなに優しいの」
ここにはいない彼に、便箋ごしに問いかける。けれどルシナの顔が、ふと曇った。
月日が経ち、より思慮深くなった彼女にはわかるようになったのだ。末の王女と結婚しても、相手が得る財産は多くないし後ろ盾も弱い。ましてや病弱な娘を妻に迎えれば、面倒なうえに跡継ぎにも影響する。
なのに、どうして彼は――……。
ふいに、ルシナは心臓を冷たい手でなでられるように感じた。
どうして、なんてわかってるでしょ。上位貴族なら逃げる私との結婚に前のめりなのは、どんなに細くても王家とのコネが欲しい下位貴族くらいよ――野心家のギブス子爵家みたいな。
ルシナの中でもうひとりの自分がささやく。負けじと声に出して言い返す。
「野心家って。ギブス子爵は働き者の補佐官だって聞いたよ」
補佐なら大臣の座を狙っててもおかしくないわね。
「~~~~っうるさい!」
バフっと布団を乱暴にかぶり、意地悪な影をシャットアウトする。それでも不安はじわりとにじみだす。
今思えば、温室で初めて会ったときからコーニーは妙にやさしかった。向こうは婚約のこと知ってたんだよね。
彼がギブス家の方針にしたがって縁談を逃さないようにしているのは明らかだったが、ルシナは目をそらそうと必死に努めてきた。それに、王女ならいつかは王室の決めた相手と政略結婚する身だ。好いた人が婚約者だなんてこの上ない幸運なのだ。このまま何年か過ぎれば、望んだ相手と夫婦になれるのだから、余計な詮索はしないのがルシナにとって一番いい。
「……コーニー」
私の退屈な話に耳をかたむけて、とろけるような笑顔を向けて、愛してるとささやいてくれる――ひょっとしたらコーニーも私のことが本当に好きなんじゃないかな? 出会いは仕向けられたものでも、ぴったり気が合うって向こうもそう思っているはず。2年も嘘をつき続けていたらボロが出るに決まってる。彼の初恋は私だって書いてくれたし。コーニーの心の中を知る方法があれば確かなのに――だめだめ、欲ばったらバチが当たるわ。彼が見せてくれるのがすべて夢なら、その甘い夢の中にずっとひたっていたい。
「……片想いでも、いいもん」
言い聞かせるようにつぶやき、握りしめたままだった手紙をしまおうとルシナは布団を抜け出した。ぺた、と力なく絨毯の上に降りる小さな足。そこへ、ザワザワと騒がしい声が聞こえてくる。窓の外だ。
「ギブス子爵家が粛清されるぞ!」
ルシナはどきりと目を見開き、窓にかけよる。3階下の地上からの声を盗み聞くと、話しているのは警備の近衛騎士らしかった。
「ホントか!?」
「神殿献金を着服したらしい」
「そんな重罪を!?」
聖獣信仰を重んじるハンティントン王国でそんなことをしたら、とルシナも耳を疑った。
「国政を牛耳ろうと目論む野心家だと噂はあるが、神殿に手を出すとは」
「他にも家ぐるみで王と神殿を欺いていたんだとか。神聖隊がギブス子爵家を悪魔憑きの一家として処刑しに向かった」
彼らの声は窓辺のルシナにとって、どこかはるか遠くから響くように感じた。
✧ ✧ ✧
静かな廊下にすすり泣きの声がもれる。
やっぱり嘘だった。あのやさしい手も甘い言葉もぜんぶ嘘だった。
真っ暗な部屋でルシナは布団にくるまりながらボロボロ涙を流していた。わかっていたことでも、直視しなければならないと辛かった。好きな人が自分を好きじゃなかった。好きな人に利用されていた。それに、想像していたよりもっと酷い。王女にとっての生きる意味――王国や民や信仰が、彼にとっては取るに足らないものだった。悩み、迷いながらもルシナが大事にしていたものを彼は踏みにじった。
コーニー。きっともう、この世にいないよね。罪は罪でもどうしたらよかったの。
頬をぬらす涙はとめどなく、眠れそうになかったが、泣き疲れたルシナはやがてまぶたを重たく閉じた。
✧ ✧ ✧
ふわり、と髪をなでられる感覚。知っている手つき。
「……?」
ルシナは泣き腫らした赤い目を、もったりとひらく。すると、暗闇の中でベッドサイドに座る人影をとらえた。
「コーニー……!?」
ぶわ、と全身の血の気がひき、ルシナは跳ね起きた。確かに、あのコーニーがベッドに腰かけている。顔に煤をつけて疲れきった様子の彼が。
「ルー」
そう言って、またルシナの髪をなでる彼の手は氷のように冷たかった。
✦ つづく ✦




