コーニー
12年前。湖畔に浮かぶこじんまりした城はハンティントン王宮。快晴のもと、夏恒例のロイヤルガーデンパーティーが催されていた。
花ひらく庭園から離れた王宮の一室で、熱にうなされている幼い少女――5歳を迎えたハンティントン王国の末の王女・ルシナは、ぼんやりとした意識の中で、部屋から出ていく侍女たちの気配を感じている。
「ルシナ様、もう10日も寝込んでるね」
「仕方がないわよ。無用なお世話は焼かず静養していただきましょう」
小さな声は遠ざかりルシナには聞こえなくなった。反対に部屋の外。静かな廊下を歩くふたり――幼い王女付き侍女のうら若い少女たちは、交換するシーツや汚れ物を洗濯室のメイドに渡しに行く、といった様子で布を抱えて並んで歩いている。ひとりが、おもむろに口をひらいた。
「侍女長にも言われたの。『あまり過保護にしないように』って」
もうひとりの侍女は、ルシナの部屋のほうを後ろ目で気にしながら、声を落として応えた。
「王妃様のご意向ってこと?」
「どうかしら。でも、指示があるならありがたいわ」
彼女は冷めた表情で淡々と続けた。
「継承順位の低い末姫様なうえに、あんなにか弱い方じゃ……。張り切ってお仕えしても出世は見込めないもの」
そんな閑職についている意識のあるふたりは、自虐めいた視線をかわす。同時に「ワアアアア」と城の外から歓声が聞こえる。侍女たちはビクッと肩をゆらし、それからやれやれと顔を見合わせた。
「庭園は盛り上がってるみたいね」
「ルシナ様がお元気だったら、私たちもパーティーをのぞけたのに」
ふたりはこの廊下の窓から見えるはずのない庭園でのパーティーを想った。
「あとでキッチンにお邪魔してみましょう。珍しいお菓子がつまめるかも」
空元気で励ましあい、角を曲がる侍女たち――その背中を密かに見ている小さな人影があった。
✧ ✧ ✧
真っ赤な顔でベッドに横たわっている王女ルシナは、いまだ苦しく息を続けている。頭の中では、その頼りなく幼い姿とかけ離れた大人びた考えがとりとめなく浮かんでは消えた。
王家はみんなに元気な姿を見せなきゃいけないのに。お父様もお母様も呆れてるよね。パーティーにいなかったと民にも知られるわ……いえ、病弱王女のことなんて今さら話題にもならないかも。お世話をしてくれる侍女も私に関心がないもの。いっそハッキリと意地悪をされたらどんなに楽だろう。王家を、民を、侍女を――王国のすべてを憎めるのに――……ああ、そうだ。彼がパーティーに来ているはず。
この前、遊び相手として紹介されたギブス子爵家のご令息……あの彼も来てるよね……礼儀正しくてきれいな男の子。温室を散歩して……ブランコに乗って……大人っぽくてやさしいお兄さん。手にキスまでされた。挨拶だけど。あんなに私にやさしい人はそういないわ。お見舞いの手紙までくれた……けど、返事もできてない。手紙も書かずにパーティーもさぼる王女だって、呆れられるんだわ。また会いたいけど、きっともう遊んでくれないよね……。
じわ、と涙があふれる目をうっすらひらくと――驚いた。ルシナのぼやけた視界には誰かの膝が見える。ベッドサイドの椅子に座っている正装の少年。膝の上で器用に書き物をしているスラリとした手元。羽ペンが紙を走る。
「ぎぶ、す、ししゃく」
ぼんやりつぶやいたルシナを、彼の視線がとらえた。
「起こしてしまいましたか」
その恥ずかしそうな微笑みは、10歳の齢に似合わず洗練されていた。彼は書き物の手を止め、サイドボードに紙とペンを戻しながら続けた。
「お休み中でしたので、書き置きでも残そうかと」
ルシナは彼の仕草をぼうっと見つめている。
お見舞いに来てくれたの? これは夢?
「お手紙……お返事できなくてごめんなさい」
こぼれたルシナの言葉に彼が向き直る。
「どうぞお気になさらず」
「パーティーでお詫びできたらよかったのですが……」
窓からは緑の匂いの初夏の風が吹きこむ。それは庭園でのパーティーを想わせるのに十分だった。
「公務も休んでしまい情けないです……私が手厚く治療を受けられるのは国を支えてくれる民がいてこそなのに。厚意に報いる機会を逃してばかり」
うわ言のように言葉がこぼれる。彼にこんなことを聞かせたいわけではないのに、熱に浮かされたルシナはとまれなかった。
「はやく、はやく立派にならないと……ひとりぼっち」
ついにぐすぐす泣き出したルシナを、少年はやりきれない顔で見守っていたが、その手は内ポケットを探る。
「ルシナ王女殿下」
彼がそっと押しあてたハンカチがルシナの涙を吸う。
「私の心はいつも貴女のそばにあります。貴女のことを考えるたびに証として手紙を送ります」
彼の言葉にルシナは我に返って泣き止み、そして熱ではない理由でほんのり顔を赤くした。
「返事はいりません。私が何通でも送りますから。それに――」
彼はベッドのはしに腰かけて、ルシナに身を寄せた。
「ひとりぼっちにはなりませんよ」
ルシナの手に少年の手が重なる。彼の手はルシナのよりずっと大きく力強い。
「貴女は私の妻になるのだから」
「つ、つま……?」
かぁっと首まで真っ赤に染まるルシナに、彼はただやさしく微笑んだ。
つま。妻。妻?
「そう、なんですか?」
まぬけな声をもらすと、彼はきゅっと手に力をこめた。
「信じていただけますか」
「…………はい」
もじもじ戸惑ってやっと返事をしたルシナは、噛みしめるように付け足した。
「コーネリアス様」
ルシナはさっきまでの苦しさを忘れて、あたたかいときめきで胸がいっぱいになる。小さく手を握り返した指先はほんのり朱に染まった。コーネリアスは、甘ったるく目じりを細めてみせた。
「はは、敬称なんてやめてください。将来も見すえて気軽に呼んでいただけませんか」
✧ ✧ ✧
「コーニー……?」
明かりの落ちたアシュフォード邸の一室にぽつりと響く声。幼い日の記憶がよみがえったルシナは、目の前のコーネリアス・アシュフォードとあの子爵令息を重ねる。この男の黄金色の瞳。少年の黄金色。
「どうして……」
だって、コーニーは。コーネリアス・ギブスは――……。
「死んでなかったのかって?」
ルシナの心を見透かしたかのように、コーネリアスが応えた。
✦ つづく ✦




