――蜂に刺される
カラン、と水差しが床につく。
「――そろそろ答える気になったか」
ジェーンが頭にかぶせられている薄い布袋からしずくが落ちる。彼女の首の後ろで濡れた布がすぼむように掴んでいたコーネリアスは、その手をゆるめた。
「っひゅ、ゴフッ」
ぴたりと顔に張りついていた布から解放され、ジェーンは必死に息を吸う。
✧ ✧ ✧
壁ごしに水責めの音を聞いていたルシナは、根が生えたように動けなかった。
――ジェーン。私に会いに来たのは誘拐するため? ゴシップのためじゃなかったの? 彼女の正体がゴーストだという秘密を明かしてまで近づいたのに……それが、そもそも油断させるためだったのかな。私の調べ物に協力したのも懐柔するためで、脅しまがいに様子を伺いに来たのもコーネリアスに密告しないか確かめるため。
「ハァ……ハァ、見当違い……だよ、この、マヌケ……」
疲弊しきったジェーンの声がして、ルシナはぎゅっと胸を押さえた。
辻褄があう――けど、彼女が言ったように、ジェーンならもっとスマートな方法を使えたんじゃないかしら。コーネリアスの目を盗んで文通する仲なのだから、ジェーンが私をこっそり連れ出すのは簡単なのに。私は――彼女とのやりとりを好ましく思っていたから。
ルシナの頭に、以前ドレスの仕立てに来ていた針子のことがよぎる。
私、人の本心を見抜くことはできないんだわ。だって――
「貴重な休憩だ。悪態をついている暇があるのか」
コーネリアスの平然とした声が、ルシナの耳には重たくこだました。
さっきやさしく「おやすみ」と言いにきた彼が、その足で地下に向かったんだ。こんな残酷なことをする素振りを少しも見せないで。
✧ ✧ ✧
コーネリアスは、空になった水差しに樽から中身をつぎたしていた。ワイン樽に見えても中身は水らしい。ぐったりと椅子にもたれるジェーン。布袋の下から声を絞りだす。
「そんなに……っ王女様が心配なら、あの子を手放してただの捕虜にしてあげれば。あんたを倒せないから身内を狙うんだよ。妻帯なんてわかりやすい弱点作って……」
「口をひらくなら別のことを話せ」
コーネリアスは注ぎ口をきゅっと閉めた。
「金を積まれているなら倍額出す」
「馬鹿に……すんな」
「……まぁいい。次は10秒追加しよう」
コツ、とジェーンのほうに足を進めるコーネリアス。その足音にジェーンはビクッと体をゆらした。
「……やめっ」
「小娘には酷だろう。早めに音をあげてくれると俺も助かる。お仲間はもう少し頑張っていたがな」
グッと、コーネリアスの手が布袋の口をまとめて掴んだ。ジェーンの頭の形がハッキリと浮かぶ。
「~~~~ッ」
縛られた手足をジタバタさせるジェーン。
「息が吸えないと記憶が壊れることもあるらしい。飛ばすなら日常の些末な記憶にしてくれ」
つぶやいたコーネリアスは、冷めた顔で水差しを傾けた。
✧ ✧ ✧
ビシャビシャと水が床にはねる音。もがく物音。こもった呻き。ルシナは真っ青な顔で震える身を抱きしめた。
こんなの聞いてられない。早く終わって。ジェーン、お願いだから早く口を割って。いいえ、やめさせないと。でも、ここにいるのがコーネリアスにバレたら?
ぐるぐると想いが駆けめぐるが、ルシナはふいにハッと目を見開いた。
ジェーン、私との秘密の協力関係を明かせばいいのに。潔白の証明にはならないけど、詰めの甘い誘拐計画を立てる必要がないことは示せるかも。
ちょうど、カランと金属の音がする。水責めが終わったらしい。
「……どうだ。気は変わったか」
お願いジェーン。無実なら何か言って。そうなったら私は道連れだけど、かまわない。
「……ゲホッ、けほ、ゲホッゲホッ、はっ、は」
ゴシップライターだとバレても罪じゃないし、死にかけるよりはいいわ。拷問されても言わないのは――言っても無駄だと彼女自身に心当たりがあるから? やっぱりジェーンはコーネリアスの敵なの? コーネリアスの〝仕事〟を台無しにしちゃったら……どうしよう、確信が持てない。
ルシナの足が震えて、膝同士がぶつかる。小さな音でも彼女にはつんざくように聞こえた。
「クソ……クソ野郎が」
朦朧としたジェーンの声。
「ゲホッ、あんたじゃ王女様を護れない。戦鬼だって……? ハァ、ただの人殺しのくせに王子様気取り」
「……命が惜しくないようだ」
「ハッ、あんたは生き汚いね。ハァ、10年前に死ねばよかったのに――」
「もういい。望み通り――」
カチャ、と重たい金属を引きずる音。
――!? 剣の音!? だめ!! 間違っていても、ジェーンは――
「死ね」
ガキン、と鋭い音と地下に反響する衝撃。少しして、ドサッと何かが倒れる鈍い音が追いつく。
ルシナは悲鳴がでかけた口を押さえて凍りついた。
✧ ✧ ✧
しん、としたワイン庫でコーネリアスは肩で息をつく。目の前に転がる女は、四肢を投げだして動かない。
――何か……声がしたか?
出入口になっている石壁のアーチに視線がとまる。のそりと歩いていき、そっと薄暗い通路をのぞくコーネリアス。ほこりっぽい空気が舞っているだけだった。
「……気のせいか」
✧ ✧ ✧
――私は彼のことを何もわかっていなかった。
地下からベッドに忍び戻ったルシナは、シーツをかぶってガタガタ震えていた。
結婚したばかりのころのようなコーネリアスの残忍な一面。昔みたいにやさしいコーニーに戻ってくれるかもと思っていたのに。
「10年も離れてたんだし、別人になっていてもおかしくない……のかな」
アストニアに亡命して傭兵から軍まで渡り歩くのは過酷な日々だったはず。今だに周りは敵だらけみたいだし。最近の穏やかな態度もお芝居なの?
「別人……じゃないわ。はじめからそうだった」
コーニー。甘い言葉で、やさしい笑顔で。裏では悪いことをしていた。今夜は――
「……ジェーン」
見殺しにしてしまった。彼女はたしかに怪しかったけれど。私が止めに入ればよかったのに……!
ふと、ルシナの目は私室の机に注がれた。
「……」
そっとラグに足をおろすルシナ。ベッドを抜け出した彼女はフラフラと机に向かった。
何もわからないから、迷って、それで何もできない。
「私もずっと変わらないじゃない」
いつも傷ついたときは、それ以上傷つくのが嫌で逃げ出してしまう。逃げた結果が今の私。過去を清算せずに今の彼と向き合おうなんて無理だったんだ。
引き出しの取っ手にルシナの震える指がふれた。
――コーネリアスのこと、知りたい。
✦ つづく ✦




