ふたりきり
ルシナの足が芝の上に降ろされた。グレートホールの蝋燭の灯りが窓の向こうからにじむ。公爵邸の庭園の入口でふたりは向き合っていた。花の香りがしっとりと立ち昇る低い生垣に、コーネリアスがルシナに着せていたコートを放る。
「服のことは気にするな」
黒いグローブに包まれたルシナの右手を、彼が正面からとる。戸惑いの表情を浮かべるルシナ。
「どうせ向こうからは見えない」
ぐっと引き寄せられ、大きな手が背中を支えた。ホールから漏れるゆるやかな四拍子に合わせて、コーネリアスの足が踏みだす。
「……へぁ」
ルシナは慌てて彼の腕に手を添えた。ふたりきりのダンスがゆったりとはじまる。彼のリードで足は自然と運ばれ、体は羽のように軽い。近づいたり離れたり、くるくる回ったり――ルシナが見あげるコーネリアスの顔は、淡い月影と邸宅の明かりで複雑に照らされた。
――どうして。帰ると言ったのに。
彼のまなざしがやけに甘ったるく見えて、ルシナはどんどん混乱した。ぴたりとホールドされれば、ドキドキ心臓が脈打つのが自分でもわかった。
「……っ」
コーニー。何度かいっしょに踊ったよね。あの頃も抱きしめられてるみたいでどきどきしたな。子どもだったけど、大人の恋人同士みたいで。
「よっぽど悔しかったのか」
「……?」
彼の言葉で、ルシナはこぼれる涙に気がついた。
「あ、え……」
コーネリアスのリードがとまる。
「……転んで痛くしたのか」
「ううん……うれしくて。それで泣いたの。昔を思い出して……」
――……ああ、怒らせちゃうかな。
「なら、いい」
――いいの?
あたたかい指がルシナの涙をすくう。ぼんやりと彼がつぶやいた。
「踊るのが好きだったな」
「……ううん」
音楽がやむ。
「ダンスじゃなくて、貴方が好きだった」
コーネリアスの瞳がわずかにゆれる。それから彼はそろりと身を屈めた。ルシナと鼻先がゆっくりふれあう。きゅ、とおろした手をからめあい、まぶたが落ち――どちらからともなく唇を重ねた。
「ん……」
やさしく唇を離し、静かに目をあける。
「……あの男が言ったのは嘘だ」
コーネリアスはルシナの手を離さず、哀しいようにも拗ねたようにも見える顔でぼそりとつぶやいた。
「あいつ、俺を女狂いみたいに」
「……」
「ぜんぶデタラメだ。何も知らないくせに。君を俺から奪っていい気になって」
「……わかってますから、怒らないで」
ルシナは彼の顔をそっと包んだ。
「女の人にワインをかけられたけど、私はただの言いがかりだとわかってましたよ」
「……」
「復讐を遂げるために必死だったでしょう。10年も。他ならぬ私だけはわかっていますから。よそ見する暇はなかったって」
「違う」
コーネリアスがルシナの腰を引いて口づけた。
「ふ」
軽くふれるだけで離れる。
「違う。暇があったって俺は違う。他の女を見たりしない。わかっているのか」
「ん、わか――」
また唇がふさがれる。ちゅ、ちゅ、と短いキスが休みなく降りそそぐ。だんだんと息があがるごとに、ルシナの顔は朱に染まっていく。
「……は、ぁ」
「――ルシナ」
間近で見たコーネリアスの目元も熱っぽく、ルシナはきゅんとして胸がいっぱいになる。
「俺は君だけを見てる。昔からずっと――」
また落とされるやわらかいキス。唇を割って熱い舌が差しこまれる。
「ん……♡ふ♡」
ルシナはいつの間にかコーネリアスの首にまわした腕で、彼をもっと引き寄せた。
✧ ✧ ✧
グレートホールの壁にその男は背を預けていた。はじまったばかりのダンスをながめながら、参加するタイミングを探る。このグラスを空にしてから……と酒を喉に流しこむ。彼は何の気なしに窓の外を見た。自分の影が差せば、明るい室内からも外の様子がうっすら望める。ホールは庭園と隣りあっているから夜露をおびた薔薇が見えるかもしれない。
しかし、彼の目は動くものを捉えた。パーティーを抜け出したらしき男女が抱き合っているのだ。若いな、と呆れつつも野次馬根性で観察していると、ふたりはキスしはじめた。
「おぉ……」
はじめは軽いいちゃつきに見えたが、だんだん女のほうの腰が反り、深い口づけに変わっていく。しまいには腰が抜けて立っていられなくなったのか、ずるっと落ちる彼女の体を男のほうが支えた。
――人前でしていいキスじゃないだろ!
やれやれ、と思いつつカップルの男の顔を見た彼はぎょっとした。
コーネリアス・アシュフォードだ!! 噂の辺境軍司令官! 相手は――当然、新妻の元王女らしい。暗闇とはいえあんな堂々と……。あのふたりそんなロマンチックな関係だったのか!? そういえばご婦人方が何か騒いでいたような。
その男がびったりと窓に張りついて見ている間に、コーネリアス・アシュフォードは妻をひょいと抱きかかえると庭園から離れていってしまった。
✧ ✧ ✧
「ふ♡ん♡……は♡」
ふたりがなだれこんだアシュフォード家の馬車。ルシナはコーネリアスのキスを受けながらしがみつくのがやっとで、ぽぅっと頬を染めていた。
「ん……」
彼がルシナのひらいた胸元に顔をうめた。
このままここでしちゃうのかな……。
「こ、コーネリアス……あの、ここじゃ……」
彼が顔をあげる。匂い立つ欲がルシナの息を詰まらせる。
――まるで、ほんとうに私を欲しがるような。
「~~~~っ」
ルシナは突然ぽろぽろ泣き出した。コーネリアスはサッと身を引き、膝に乗せた彼女と向かい合った。
「どうし――」
「私だってわかってるのに、どうしてそんなにほんとうっぽく見せるの」
「……なにを」
――違うのに。
「どうしてやさしくするの。どうして期待させるの。どうせ突き放すのに」
「ルシナ……」
「わかってるのに。そうやって私をめちゃくちゃにするのが貴方の復讐なんでしょう。それならもう十分混乱してる。だからもうやめて」
ついにルシナはしゃくりをあげて顔をおおった。
「うっ……ぅう……憎んでいるならいっそ酷くしてほしい」
「ルシナ」
「最初からぜんぶ嘘? 私はギブス家のために達成する目標なだけ? 昔からずっと?」
知りたかったけど、知りたくないのに。
「ぅ……コーニー、私を好きだったことあるの」
「……」
コーネリアスがルシナの手をどかせた。真っ赤な泣き顔が涼しい空気に晒される。ルシナの嗚咽はとまらず彼が背中をなでてくる。それから――抱きしめられて厚い胸板に顔がうずまった。閉じこめる腕が夜風と反対にあたたかくてやさしい。
「ルシナ。君と出逢ったのが俺の人生の枷だ。君が憎くてうとましくて――」
ぎゅっと腕が力強くなった。
「君が好きだ」
✦ つづく ✦




