犬と鈴蘭
「お見事ですね。こんなにきれいに会の趣旨を汚せる方は珍しい」
いつかのバザーで出会った青年、テオ・シャノンの姿に驚くルシナ。シャノンはヴィヴィアンを静かな怒りを宿した目で見つめた。
「ここは施しの場で、貴女の見栄の舞台ではない。それとも貴族の間では流行っているのですか? ホルム公爵家と慈善を軽んじるのが」
眉を寄せたヴィヴィアンがもごもごと口をひらく。
「な、何よ……貴方」
不満げでもヴィヴィアンとその取り巻きは、シャノンの端麗な出で立ちに少しどころでなく浮足立った。ペールグリーンの衣装に透けるような金の髪が現実離れした印象を放つ。色めく令嬢たちを気にもとめず、青年は淡々とつづけた。
「それでも貴女には真にご立派なところがあります。無礼を働いて名乗りもせず逃げ帰る者と違って――」
シャノンの声が一段低くなった。
「貴女自身の名で今夜の行いに責任をとるおつもりのようですね、ヴィヴィアン・ナリクレスト伯爵令嬢」
「なっ……!」
カァァっと顔を赤くしたヴィヴィアンは、プルプル震えてうつむいたが、すぐに踵を返した。
「ご、ごめんあそばせ……っ」
小走りで去っていくヴィヴィアンの後を、取り巻きは慌てて追いかけた。
✧ ✧ ✧
「落ちませんね……せめて白ワインならよかったものを……」
シャノンが白い生地の染みを叩きながらぼやく。ホールを出た回廊。革張りのソファに浅く腰かけたルシナは、顔や胸元のワインをぬぐった。シャノンが付き添い、染み抜きを手伝ってくれている。彼はハンカチを持つ手元に視線を落としたまま、ぽつりと漏らした。
「申し訳ありません。結局、貴婦人に言い寄る男という形は避けられませんでした」
「そんな……シャノン様には助けられてばかりですね。ここでお会いするとは思いませんでした」
「以前お会いしたバザーで、我々の支援団体がホルム公爵夫人の目に留まり、ご招待いただいたしだいです」
「そうでしたか。お顔を拝見するのはあのときぶりですが、お手紙をありがとうございました。ご紹介いただいたサロンと読書会に顔を出すことにしましたよ」
「お役に立てて光栄です」
ルシナに微笑みを見せたシャノンは、少し間を置いて切りだした。
「……異国の歴史にご興味が?」
「え? ええ……」
「ハンティントン王国のことをお調べしたいのでは?」
彼の色素の薄い瞳と目が合い、どきりとするルシナ。なんでも見透かされるような気分になり表情が固まる。シャノンははにかんで、また染み抜きに戻った。
「失礼……無粋でしたね。探している集まりからそのような気がしたので」
「い、いいえ……実は自国のことながら浅学なもので。今さらですがこうして細々とハンティントン家としてのアイデンティティを模索しているところです」
「ああ、だから大佐閣下から隠れるように……」
またどきり。動揺を悟らせないようにルシナはゆっくりと話した。
「夫には許しをいただいております。軍人の妻が堂々とできることは限られておりますので。誤解を招かないためのちょっとした工夫ですわ」
「そうでしたか……しかし――」
彼は手をとめハンカチをたたみながら、なにげない調子で言った。
「〝許し〟という言葉が出る時点で……監視への順応では」
「……」
「踏みこみすぎましたね」
シャノンは明るい声音に戻してつづけた。
「恐れながら、アシュフォード夫人にはどうしても親近感を覚えてしまうのです」
「?」
「貴女には私の秘密をお話ししましょう。今はこうしてアストニアに身を置いていますが……」
彼はぐっと声を落とした。
「戦争に入る少し前までハンティントンで学者をしておりました」
「シャノン様はハンティントンの民だったのですか!?」
思わず叫んでしまったルシナは慌てて口を押さえた。
「いいえ、私は流れ者で。異国の史学には少しばかり通じております。それで――」
✧ ✧ ✧
ハッと息が切れる。ホールを飛び出したコーネリアスは、左右に視線を走らせた。
「……っ」
回廊の奥にルシナと――跪いて彼女と談笑する男の姿が見えた。ツカツカと早足で近づけば、ルシナの汚れたドレスが目に入る。ルシナもこちらに気がつき、サッと顔を青くした。
「お前」
声と同時にグイっと男の肩を掴んで、力任せに立たせる。
「俺の妻に何をした」
「……っこの方は手を貸してくださっただけです」
ルシナが慌てて腰をあげて止めに入る。
「私が粗相をしてしまって……」
「ならもう用は済んだな。向こうに戻るといい」
解放した男――シャノンを雑に押しやるコーネリアス。
「……っと、ずいぶんな礼の仕方ですね」
そう言ってシャノンは乱れた服を整えた。彼は戦鬼に迫られた直後にもかかわらず、穏やかに口をひらいた。
「庇護者の口ぶりだけは達者だ。肝心な時に彼女のそばにいないくせに」
「なんだ。部外者は黙っていろ」
コーネリアスの苛立ちがふつふつと高まるのを察し、ルシナはおろおろした。
シャノン様、なに言ってるの……っ。彼を刺激するなんて。
「ふふ……たしかに。貴方の女性関係の不始末は私の知らぬところですね」
「? 何の話だ」
「無関係なのは奥様も同じでしょうに。この通り彼女が泥をかぶったんだ。少しはわきまえたらどうです?」
「くだらない作り話で俺の妻に言い寄るな!!!!」
怒号が回廊をビリッとゆらした。
「ふたりきりで話せて満足か!? さっさと失せろ! でないと二度と口が利けないようにしてやる!」
詰め寄るコーネリアスにシャノンはなぜか一歩も引かない。それどころか口の端を持ちあげて鼻で笑った。
「好きなだけ遊びまわって吠えるだけの方が簡単ですからね。軍部の手綱を握っているとの評判でしたが、実際はただの犬でしたか」
「黙――」
「もうやめてっ」
コーネリアスの握ったこぶしが震えた瞬間、腕にすがりつくルシナ。だが、反動ではじきとばされた。
「きゃ」
ぺしゃっと尻もちをつくルシナに、コーネリアスの血の気が引いた。
「――ル」
「夫人!」
シャノンのほうが早かった。倒れたルシナを助け起こす。彼はコーネリアスに背を向けたまま静かにつぶやいた。
「……手をあげるなら私に。奥様に向けたなら、貴方が失うのは体面だけではない」
コーネリアスは青筋を浮かべてじっと動かなかった。ルシナがよろよろ立ちあがったのを見届けたシャノンはさっと腰をあげた。
「失礼しますね。アシュフォード夫人、またどこかで」
残されたふたりは気まずく立ち尽くした。コーネリアスはおもむろに上着を脱ぎ、黙ってルシナの肩にかける。それからルシナのグローブに包まれた両の手をとる。彼のその手は震えていた。
「……違う」
やっと呟く。うつむいたまま。
「……何を吹きこまれたのか知らないが全部デタラメだ。俺は他の……」
さえぎるように、ホールから流れる音楽が大きくなった。
「あ……」
ダンスタイムのはじまりを意味している。
「……」
「帰りましょう、か」
ルシナは小さく言った。
「……公爵夫人にこの格好を見られたら、きっとご自分の屋敷での騒ぎを気に病まれるでしょうし……せっかく用意していただいたのにがっかりさせたくない。貴方の用が済んでいるなら……お屋敷に帰りたい……です」
「…………そうだな」
コーネリアスがルシナの手を弱く引いて歩きだす。大人しくついていくルシナ。うつむくと赤く染まったスカートが嫌でも目に入る。
きれいな瞬間は彼の目にたいして映らなかったし、結局怒らせてしまったし、最悪だわ。変に浮かれていたからバチがあたったのかな。
聞こえる音楽は気持ちと反対に優雅で、楽しげな喧騒といっしょに遠ざかる。じわ……とルシナの視界がにじんだ。
瞬間、ふわりと体が宙に浮く。
「え」
コーネリアスがルシナを抱きかかえていた。
✦ つづく ✦




