昇る煙、沈む澱
――貴方だって心の奥底では魔女の死を望んでるのよ!
「……」
アシュフォード邸で唯一の出窓はルシナの私室にある。彼女は窓台に腰掛けて夜の早い時間の風をあびていた。エリーの言葉が胸で何度も渦巻く。
彼女は異常だったけれどあれが――真実なんじゃないかしら。
「私、彼に憎まれていること認めたくないんだわ。馬鹿みたい」
コーネリアスが見せる気まぐれで些細な面影から、都合がいいように考えてばかりいた。そうじゃない根拠を集めても、彼にとって私は――仇で道具。
細く長くため息をつくと、パタンと隣の窓があいた。
「あ……」
窓枠から身を乗り出したコーネリアスと視線がぶつかる。彼も目を丸くしていた。指で挟んだ細いクレイパイプから紫煙が立ち昇る。
吸うんだ。気がつかなかったわ。はじめてみた。
「お、おやすみなさい。ゆっくりして」
我に返ってルシナが場所をゆずろうとすると、声が追いかけてくる。
「なぜ避ける」
なぜ、って……。
迷っていると、コーネリアスは勝手に話しはじめた。
「あの針子は暗示にかかっていたのがわかった。のこのこトドメを刺しに来るくらいまともな頭じゃなさそうだったし、案の定誰かに洗脳されたんだろう」
「誰かに……」
「俺には敵が多いからな。そのうちのどれかに使い捨てられただけだ」
「……そう」
沈んだ顔のルシナをちらりと見やるコーネリアス。
「戯言を真に受けるなよ」
「……?」
「あの女の元からの気質も多少あるが、あやつられて言ったことだ」
慰めてくれているの?……また都合のいいように考えてしまう。
「……わかっています」
「よそに気を許すからそうなる。俺だけ見てればいい」
ほら、前もそんなこと言って怒ってたし。だけど、今は声がなんだかやさしくて――。
パイプに口をつける彼から視線を反らしたルシナは、ガウンをはおりなおした。
「……エリーのことじゃなくて。貴方のことを考えてた」
涼しい風にルシナの髪がなびく。日が暮れたばかりの夏の空を見あげる彼女の表情はコーネリアスからは見えなかった。
「『私が消えれば貴方は自由になる』って真実だと思った」
「違うな」
間を置かずに言われ、ルシナは彼を振り返った。
「殺したところできっと自由になれない」
空が仄暗いせいか、コーネリアスはやわらかく笑っているようにも哀しそうにも見えた。
「だから死なせない。死んでも君は俺の中からいなくならないから。くだらないことを考えるのはやめろ」
トクン、とルシナの胸はどうしようもなくときめく。
だめだってば。認めないと。彼は……。
「……私を憎んでいるのに?」
「そうだ」
「……」
ときめきに鈍い痛みがからみついてルシナの胸は重たくなった。
「わからないだろうな。俺は……君のせいで何もかも変わった」
ふわりとパイプから煙が立つ。立派な屋敷に不釣り合いな素朴で庶民的なクレイパイプ。空に吸いこまれていく煙をながめると、ルシナには彼の空白の10年がどんよりと透けるように思えた。
✧ ✧ ✧
同じころ、アストニア城へつながる大通りから一本はずれた裏手――商人区に建つ古い民家の前には馬が停めてあった。
「主人より預かっております」
件の老医師夫婦の元に訪ねてきたのはアシュフォード家の従者だった。老医師はそれ――ずしりと重い巾着袋を受けとりはしたものの戸惑っている。
「治療代はもらってるけどねぇ」
「今後のご足労のぶんです」
「は、はぁ」
老医師は老婆と「こんなに?」と目くばせしあったが黙っておくことにした。従者は「では」と礼をするなりあっさり馬に乗っていってしまい、ふたりは閉じた玄関の前でぽかんとなった。おもむろに口をひらく老医師。
「かかりつけにするってことかね。驚いた。お前が旦那様をぶったりしたのに。経過観察でも睨むからヒヤヒヤしたよ」
「あんたもヘタレなじじいだねぇ。あんなの奥様のことで神経質になってるだけだよぉ。可愛げあるじゃない」
老婆はやれやれと内階段に向かった。診療所の上には住居がある。
「ウチが都合いいんだよ、秘密にしてほしいこともあるし」
毒におかされたルシナを手当てした夜が、彼女の頭をよぎって気を沈ませた。
✧ ✧ ✧
コーネリアスに運ばせたルシナを浴室に転がした老婆は、毒抜きにとりかかろうと体をまさぐった。ぐったりしたルシナはされるがままになっていて、コーネリアスは大人しく見守っている。
「あら」
せわしなく動く手をとめた老婆に、ピクリとコーネリアスが反応する。
「悪いけど赤ん坊はあきらめて」
「は」
「身ごもって間もないのね」
わずかに瞳をゆらすコーネリアス。その顔を見ずに、老婆は彼の肩を少しだけさすった。
「毒下し使っていいね。まずは奥様を助けないと」
「はい……頼みます」
消え入りそうな声。
「……妻には聞かせないでくれ」
✦ 2部1章おわり ✦
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