ぬくもりの記憶
――どこかの国の王子様かと思った。
「ギブス子爵家より参りました、コーネリアスと申します」
花の香りに包まれた温室で、少年は小さな王女の前で跪いた。
「お目にかかれて光栄です、ルシナ王女殿下」
ごく自然な仕草でルシナの手にキスを落とした彼。
え! キス……!?
ルシナはかぁっと顔を赤くして戸惑った。
たまにお母様のお知り合いの家からやってくる子息はいたけど、こんな風に挨拶されるなんて。みんな口ごもって目をそらすのに。きっと出来損ないの病弱王女の遊び相手なんてしたくないんだわ。なのに――
彼がニコっとこちらを見あげて黙っているので、ルシナはハッと我に返った。見惚れて返事をしてなかったことに気づいたのだ。
「……っ、こちらこそっ、お会いできてうれし――」
ふわり、と白い蝶が2匹、目の前に舞ってきてルシナは言いよどんだ。
「お、お会いでき……あぅ……」
蝶はルシナの髪にとまったり、鼻先をいったりきたり。まるで彼女にじゃれついているよう。ルシナは焦って空いている手を口元できゅっと握った。
「あわ、うれし……ぁっ」
ついに3匹めがやってきて、ルシナの丸めた手にとまった。少年のくすくす笑う声がしてルシナは恥ずかしくて泣きそうだった。すい、と少年の指が蝶の脚をすくった。
「蝶がお花と間違えても仕方ありませんね。こんなに可憐な貴女なら」
彼が蝶を自分に移らせながらそんなことを言うものだから、ルシナは首まで真っ赤になった。
きゃ~~~~!! なんなの!! この人!!
ルシナの心が大暴走している間にも、立ち上がった少年は蝶をつついて冗談めかす。
「こら、妬くなよ。ぽっと出の男に挨拶もさせたくないのかな?」
「もう、コーネリアス様ったら……」
ルシナは緊張が少しとけて、丁寧にお辞儀しなおした。
「改めまして……お会いできてうれしく思います」
「恐れ入ります。それにしても、見事な温室ですね」
「チューリップがゲストに人気だそうですよ。めずらしい柄が――……」
近くの花壇を示す手をとめるルシナ。
年上のお兄さんはお花に興味がないかも。男の子なら体を動かすほうが好きなのかな。
「……ブランコお好きですか? 外にあるのですが、木陰が心地いいですよ。いっしょに乗りませんか?」
彼は一瞬固まったように見えたが、また目を細めて笑った。
「お気遣いありがとうございます。ぜひ」
「ご案内しますね。あちらに――」
そこで、なぜか少年がしれっと手を重ねてきた。ルシナの手を軽く引き、彼はのんびり歩き出す。
「あちらですか。ゆっくり参りましょう」
「……っ」
挨拶でもないのに殿方の手にふれるなんて……!
バクンバクン心臓が鳴り、火がついたように体が熱くなる。見るからにパニくるルシナをよそに、彼は余裕そうにおしゃべりをつづけた。
「ルシナ王女はどのお花がお好きですか」
「え、と……これ……?」
ルシナは落ち着かず、白い花弁がピンクで縁取られたチューリップをそわそわと指さした。彼の口が楽しげにひらく。
「上品で愛らしくてルシナ王女にそっくりですね」
「へ」
ぽかんとするルシナ。その隙に、彼がつないだ手をそのままきゅっと包みこむ。
「ほら、指先もピンク色で……そっくり。お花の妖精みたい」
「あ、ありがとう、ございます……っ、精進します」
ひー! 精進って何言ってるの!?
ルシナがひとりでタジタジになっていると彼がくすっと笑うので、小さな王女はボンと茹であがってしまった。
「ふふ、それ以上可愛くなってどうなさるんですか? 蝶にひとりじめされたらたまりませんよ。今日は私が王女殿下のお時間をいただいているのですから」
彼からとろけるように笑いかけられれば、ぽーっと夢心地になる。流れるような口説き文句もお世辞だとわかっているのに、ルシナは馬鹿みたいにどぎまぎした。
――やさしく包んでくれる手。コーニーの手。病床でプロポーズされたときも。いつでも。あたたかくて愛おしかった。
✧ ✧ ✧
「……ん」
ぱち、とルシナのまぶたがひらく。
あれ……私、夜に倒れて……。
ぼんやり天井が見えて、ベッドに寝かせられていることを把握した。明るい陽が部屋に差しこんでいる。ふと、手元に視線だけ落とすと、誰かがルシナの手を握っていた。
「ルシナ」
コーネリアスが視界に入りこんできた。疲れた目をしている。
――ずっと起きててくれたのかな。
「つらくないか?」
彼の掠れた声。
「……はい」
「医者を起こそう」
ひとりごとをつぶやいてコーネリアスは腰をあげた。
「あ……」
手が離れちゃう。まだ――
「まだ」
パッとコーネリアスがルシナを見る。力なく彼の手にすがるルシナ。
「いっしょにいて」
「……」
するり、と手がぬけて彼は背を向けた。ルシナはしょんぼりと天井に視線を移した。
✧ ✧ ✧
事件から二日が経ったその日、自室で安静にしていたルシナにコーネリアスが声をかけた。
「その恰好でいい。来い」
「え」
あっさりした態度にルシナは戸惑いながらもナイトガウンをはおると、彼につづいて廊下に出た。体はすっかり軽い。コーネリアスが先を歩き、ある扉をあけた。
「? ここ……」
ドレッシングルーム……ということは。
「奥様! ご無事だったんですね!」
部屋の中から針子のエリーが、ぱぁっと笑顔を向けてきた。
私が倒れてから屋敷中大変で、すっかり忘れていたけど今日は仕立ての予定だったわ。
「エリー、ご苦労さまです。お待たせしまし……え」
中に踏み入ろうとするルシナをコーネリアスが腕で制した。つんのめるルシナをよそに、コーネリアスはひとりでズカズカ部屋に入っていく。
「今日は何をするんだ。作業が遅れていたように記憶しているが」
「ご心配なさらなくても大丈夫ですって」
裁縫道具をセットしながら答えるエリー。ルシナは内心「戦鬼に動じないなんて心臓が強いな」などとエリーを見ていた。コーネリアスは作業台に置かれたドレスに手をつけた。
「まだ仮縫いか。前と変わっていないように見えるな」
「お言葉ですが素人目にはそう見えるだけでしょう? 先にレースを縫いつけてから本体を仕上げたほうがいいんですぅ」
エリーは拗ねた顔でドレスに手をのばす。が、コーネリアスが振り払うようにドレスを奪った。
「仕上げる気など到底ないだろう」
「ちょっと返して……」
「コーネリアス、エリーに乱暴は……!」
ルシナの止める声も届かず、ドレスを握りしめる彼の手に筋が浮かぶ。
「夜会に間に合わなくても――」
ビリッとドレスは派手に裂かれた。
「――これを着る人物がいなくなると知っているから」
「!!」
ルシナは息をのんだ。ドレスの裏地がむき出しになる。
「っ何するんですか!?」
そう言ってエリーは後ずさる。コーネリアスの視線は、彼女がしている革の手袋に刺さった。ふたたびドレスをよく見れば、裏地の縫い目についている――淡い緑の染み、細かい粉末。
「……」
コーネリアスは縫い目を爪でなぞって――唐突にエリーの口にその親指を押しこんだ。
「な」
目を見ひらいたエリーは「カハッ」と唾を吐き出し、左右にすばやく目を走らせると、部屋の角のサイドテーブルに飛びついた。
「エリー!?」
備えつけの陶器の水差しをひっつかんだエリーは、容器からそのまま水を口に流しこんだ。
「エリー……?」
ルシナがハラハラ見つめる中、べしゃっと水を吐き出したエリー。彼女はうつむいたまま。顎から伝う水滴が床を打つ。
「お前が毒を仕込んだな」
コーネリアスの声でのそりと顔をあげたエリーは、真っ暗な眼をしていた。
✦ つづく ✦




