ゆれるアシュフォード邸
「毒を盛った者がいるならすみやかに申し出ろ。今なら見逃してやる」
アシュフォード邸の使用人は、まだ働いていた者も寝に入っていた者も集められ、コーネリアスの自室の壁に張りついていた。
「……」
真っ青な顔で黙りこむ一同に、コーネリアスが威圧的に告げた。
「事が済むまで俺の目の届くところでじっとしていろ。小細工も隠蔽も出来ると思うな。この中に犯人がいるなら覚悟しろ」
彼らに背を向けたコーネリアスは、ベッドの端に膝をついた。寝かせられたルシナは浅く呼吸をくり返し脂汗を流している。コーネリアスは彼女の手を持ちあげた。
――爪がさっきより黒いな。
ルシナの服をゆるめながら、コーネリアスは使用人に問いかける。
「今日ルシナが口にしたものは」
「……旦那様と使用人と同じだよ、だいたい」
普段は男勝りなシェフがおどおど答える。
「間食も?」
「それは……あたしには……」
「怠慢だな」
忌々しげに口にすると、コーネリアスはあらわにしたルシナの肌を調べはじめた。視線を落としたまままた問いかける。
「……お茶は誰が用意した。ルシナの部屋にあった。セリーナか」
セリーナはガタガタ震えながら小さく返事した。
「……私です」
「あとでお前にも飲んでもらう」
「……っ」
「日頃のルシナの行動で思い当たるところは。指を切ったとか、庭で草にふれたとか」
「い、いえ……私……っ」
「侍女のくせにわからないのか!」
ビリッと壁に声が反響して使用人たちが飛びあがる。
「もっ、申し訳ございませんっ!」
苛立つ顔のコーネリアスだが、ルシナの体のある一点で手をとめた。
――斑点?
「ぅ……」
うめき声があがり、彼は顔をハッとあげた。
「ルシナ……! 気がついたか」
そう声をかけても、ひらいたルシナの目は焦点が合わず朦朧としている。彼女の耳には外野の声は届かず、今日までアストニアで浴びた言葉や視線の数々が泡のように浮かんでは消えた。
✧ ✧ ✧
「世紀の結婚ですものね」
「お気の毒だわ」
「アシュフォード家を辱めるようなマネをして」
「捕虜のくせに生意気だ。この家を乗っ取る気だよ」
「お高くとまるなよ。もう王族でもないくせに」
「よく公爵夫人の前に顔を出せたものね」
「面の皮が厚いんじゃないの?」
――……そんなつもりじゃないのに。私だってどうしようもないのに。
「王家への恨みを忘れたことはなかった」
「君もすべて失え」
「じっくり踏みにじってやる」
――……コーニー。
「殺してしまおうか」
✧ ✧ ✧
「ぃ……や」
よわよわしく空を切るルシナの手が、コーネリアスにふれた。くっと押し返そうとしているようだった。
「ルシナ……?」
覗きこむ彼がルシナの目にはぐりゃりと歪んだ姿に見えた。
「ひ、」
全身を震わせてルシナは叫び出した。
「いやっ、いや……っ!」
「ルシナ、大丈夫だ。医者が来るまで辛抱しろ」
暴れる腕をコーネリアスが押さえつけると、ルシナは目を見ひらいて錯乱したように呼吸を乱した。
「ひ、はーっ、は、はーっ」
――彼は私を憎んでいるとあれほど言っていたのに。好きかも、なんて馬鹿なことを考えて嫌なことを見ないフリしてきた。復讐するって。彼からすべてを奪ったから。家族も人生も。殺されるんだ。苦しい……怖い! 痛い!
「ひゅっ、ハッ、ハッ、ハッ」
「ルー」
コーネリアスがルシナに唇を重ねた。
「旦那様……っ! 毒が……っ」
見ていた家令が焦った声をあげる。それでもコーネリアスはルシナの頭をそっと支え、ゆっくり唇を離した。
「ほら、吸って」
「ひゅ、は」
もう一度、キスでふさぐ。しばらくしてルシナの体から力がぬけた。
「落ち着いたか。ゆっくり息しろ」
「はー……」
「俺が死なせないから。ルー、大丈夫だよ。大丈夫」
コーネリアスがなだめるように手を握ると、ルシナはうとうとまぶたをとじた。ぽろっと涙が目じりを伝う。
「ゆるして……ごめ……なさ……」
ルシナの小さい呼吸にうわ言がまじる。何度もくり返される言葉に、コーネリアスはいたたまれない顔をして握った手をさすった。
「お医者様到着されました!」
バタバタと入りこんできたコーネリアスの従者に、しばしの静寂は破られた。従者の後ろから小柄な老夫婦が顔を出すと、コーネリアスはルシナの元をのっそりと離れ、扉に向かった。
「先に言っておく。妻に妙なことをしてみろ」
近づいてくるコーネリアスのすごみに老医師の顔が引きつった。
「誰かに強要されたのであろうと容赦はしない。この場で斬る」
「閣下、やっと見つかったお医者様ですよ」
見かねて従者が割って入るが、コーネリアスは彼を押しのけた。
「誰でも信用するものか。屋敷の人間もこの様なのに」
部屋のすみで固まっている使用人に視線を流す。
「お前も向こうに立っていろ。旧知の仲だろうと――」
パン、とコーネリアスの頬がぶたれた。小さな老婆が振りあげた平手に、ぎょっと皆の視線が集まる。
「お、お前ぇ……っ」
老医師が青ざめるが、老婆はさらに一歩コーネリアスの前に出た。
「しっかりなさい。奥様が心配なのはわかるから」
「……」
コーネリアスはしばらく茫然としていたが、毒気が抜かれたようでぼそりと口にした。
「……はい、すみません。見苦しいところを」
手を出した老婆が動じないのに対して、激しく動揺していた老医師は、ほっと息をつき引きつった笑顔で切りだした。
「じゃ、じゃあ旦那様、触診するから奥様を見せてね」
ベッドに足を進める老医師にコーネリスは黙ってついていき診察を見守る。
「血を吐いたって聞いたけど経口毒かな……。痙攣はない、と」
「食事は同じものを取っています。間食や飲み物までは把握できません。ただここに赤みが」
「うーん毒気が肌から入ったのかな。毒針を刺されたらさすがに気づくよね。まぁ経路はあとで。明らかに病じゃないから早く解毒させよう。僕は薬を煎じるから……」
ふたりの後ろからルシナを覗いていた老婆が言葉を引き継ぐ。
「旦那様は奥様を浴室に運んで。老体にはきついから。水の巡りを良くするのを手伝って。さ、行くわよ」
彼女は診療補助役らしい。老婆はコーネリアスの肩を叩くと、部屋のすみに向かって声を荒げた。
「ちょっと! お屋敷の子たち! お湯でも沸かして! あときれいな布! 動いて動いて!」
糸が切れたように使用人たちもバタバタ動きはじめた。
✧ ✧ ✧
屋敷のあちこちから喧騒がする中、老医師は乳鉢の中で薬草をすりつぶしていた。炭と泥と乳をあわせて練りあげ糊のようなものができあがっていく。部屋とつながった浴室からは、うめき声と吐き戻す水音が断片的に聞こえていた。
――吐く元気があれば大丈夫だろう。
老医師は口元をゆるめた。
✧ ✧ ✧
紺色の空の地平線が薄明るいオレンジに変わるころ。アシュフォード邸の廊下では使用人たちが崩れるように仮眠をとっていた。老夫婦はソファで疲れ果てて眠っている。
ベッドの横の椅子に腰かけるコーネリアスは、真っ白い顔で目を閉じるルシナの髪を撫でていた。もう片方の手は彼女の手をとり、ときどき思い出したかのようにさする。
「――……」
ぴくり、とルシナの手が跳ねた。
「ルシナ……?」
コーネリアスは目をあけない彼女を見つめ、また黙って手を握る。一方――ルシナは眠ったままでも細い糸をたどるように意識がひかれていた。
――……この手、知ってる。私が好きな手。
✦ つづく ✦




