めまい
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失われたプリンセスへ
冷やかしなら断る。
貴殿が真にルシナ・ハンティントンならば、
我々に要求する前に情報を提供しろ。
亡国姫の噂はもう十分。新鮮なものを求む。
我々は貴殿のドレスの色まで知っている。
半端なネタならもう遣いはやらない。
紙とインクを割く価値を示せ。
期限は七日。
承諾するなら署名をカササギに持たせろ。
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大げさな言い回しと皮肉はあのゴシップビラのそれらしい。
「ゴースト……!」
――まさか、うまくいくなんて。
バザー帰りの混雑の中、ルシナはビラを撒く子どもに手間賃を握らせていた。匿名ゴシップライターにコンタクトをとるため「私の頼みを聞いてくれるならネタを提供する」と手紙を託したのだ。ばら撒きの親元まで辿れれば都合がいいが賭けでもあった。が、こうしてゴーストらしき人物からメッセージが届いた。
「どうしよう」
とっておきのネタといえば、「コーネリアスはハンティントン王国の貴族で幼い頃はルシナの婚約者だった」というものだが、早々に手札を見せればゴーストにネタを持ち逃げされてしまう可能性もある。
コーネリアスの過去が知れ渡れば政治争いの火種になるかも。アストニア帝国で私の知らないことはまだ多いし……。それに、アシュフォード家を不用意に危うくするのは望むところではないわ。急所を避けて、かつゴーストの餌になるようなちょうどいいネタを手に入れないと。
「とりあえず、サイン……」
本人証明ということだろう。蝋燭を消してしまったルシナは月明かりを頼りにペンを探した。
「……」
ぴた、と手が止まった。
ここまでするべき? コーネリアスに隠しごとなんてさらに怒りを買うに決まってる。あの悪魔みたいな男にもう見切りをつけていいじゃない。どうせ最初から最低な心根の人間なのよ。「殺す」とまで言われたし。でも――
大人しくしていたカササギが机に舞い降りてルシナの指を甘噛みした。黙って撫でてあげると頭を擦りつけてくる。
――彼、私をハンティントンの象徴として見ているというより、私自身として見ているような……私を好き、なの……かな? でも、私から彼を好きだと言えば嘘だと決めつけて怒るし。
「……ッだめだめ、私までブレちゃ。こんなの昔と同じじゃない」
かぶりを振って、えいっとリボンにサインしてしまった。
決めたんだから。事実をこの目で確かめて過去を清算して――それから彼との関係を考えよう。
「お仕事頑張ってね」
カササギの足元にリボンを結わえると、彼か彼女かわからないそれは窓から夜空へ飛び立った。
「……ぅ」
微笑ましく見送ったルシナの頭がズキッと痛む。
考えごとと寝不足で疲れてるのかな。いいかげん寝ないと。
ルシナの足はベッドに向かった。
✧ ✧ ✧
外は雨。
「湿気が強いから糸が言うこと聞きませんねぇ」
ドレッシングルームでは、今日もルシナのドレスの仕立てが行われていた。その日は針子のエリーが一人で訪ねてきた。テーラーの腕が必要な工程は終わったようで、ルシナは仮縫いしたドレスを着てじっと立たせられている。エリーはレースの配置を決めるためにルシナに近づいたり遠くから見たりせわしなく動き回っていた。それでもエリーの口は休みなく動く。劇場通いの話題だ。
「役者の小さい似顔絵刷りが売られはじめたんですけど、開演前に売り切れるんです。しかも! 私はまだ一枚も買えてないのに、あくどい奴が買い占めて高値で売りつけることもあって!」
「そもそもの疑問なんだけど、似顔絵がほしいものなんですか? なんていうか結局は絵だし……すごく精巧なのかしら?」
「う。言われてみればそんなに……。もちろん芝居を観られれば一番ですけど、私の贔屓に需要があると示せば、次もいい役がもらえるかもしれないじゃないですか!」
「そうなの?」
「貴族は太客でも、数が多いのは圧倒的にこっちですからね。庶民にそっぽを向かれるような役者は先が短いですよ。劇作家もそう考えるでしょう」
「なるほど、かしこいわ。エリーが熱をあげる彼はどれくらいハンサムなんでしょう。似顔絵が手に入ったら私も拝んでみた……とっ」
ふいにフラッとするルシナ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっとめまいがしただけ。平気です。私にかまわず進めてください」
そんなに疲れていないつもりだったのに。ドレスの完成もそろそろだし、頑張って立っていないと。
そう思った瞬間、バタンとドレッシングルームの扉がひらく。
「口より手を動かしたらどうだ」
「!」
コーネリアスが入ってきた。ピリッとした空気が走る。
「今日の調整を終えたら本縫いに入れますわ。今の段階でなるべく調整しておきたいので……」
エリーが愛想よく答えるが、コーネリアスは不機嫌丸出しで戸口にもたれた。
「女の服は特別時間がかかるのか? 男のドレスローブと似たようなものだろう。力不足でないなら早く仕上げろ」
「……っ私の体調にあわせてゆっくりしていただいているのですから問題ありません」
ルシナが慌てて割って入るが、コーネリアスはぴしゃりと吐き捨てた。
「体調不良ならお喋りに付きあわず黙っていたらどうだ」
言うなり出ていく彼と、閉まる扉を茫然と見送るルシナ。
「……気にしないでくださいね。ああいう人なんです」
気まずく笑いかけると、エリーはなぜかはにかんでいた。
「私と奥様の楽しげな声につられていらっしゃったのかも」
「そんなわけないでしょう。あんなに刺々しくって」
「思ってたんですけど、大佐閣下はトリスタンに雰囲気が似てます」
「トリスタン??」
「贔屓が今やってる役ですよ。町娘と恋に落ちる白騎士なんですけど、惚れ薬で魔女にあやつられて黒騎士になってしまうんです。最後は魔女を倒して心を取り戻すんですけど、白も黒も結局町娘に一途でかっこよくてぇ♡♡」
「へぇぇ」
「で、軍のパレードで大佐閣下をお見かけして、そのときは遠目だったんですが、今日拝見してますます確信しました! 黒トリスタンにそっくり! いいなぁ、あんなハンサムな旦那様」
興奮したエリーに戸惑うルシナ。
たしかに整った顔立ちだけど、それ以上にいろいろあるし……。
ルシナの表情を見たエリーは勝手に納得して、気まずそうな顔でピン打ちに戻った。革手袋をした手が器用に働く。
「身分があると想い人と一緒になれるわけじゃないですもんね、すみません」
「い、いいえ」
「奥様はどんな男性に憧れますか?」
「ええっ! そんな、私は結婚してますし」
「浮気じゃないですよ! ロマンス小説だとでも思って私にも教えてくださいよ!」
ルシナの頭の中には自然とコーニーの姿が思い浮かんだ。
昔は彼が大人になったら、知的で物腰柔らかで背が高くて……身のこなしも軽やかな紳士になると想像を膨らませていた。今のコーネリアスは……。
傭兵あがりの分厚い胸板が想像に差しこまれ、ルシナはぼっと赤面した。
男らしい彼も悪くないのかも――って! きゃー! ちょっと! 何考えてるの! あの人は悪魔だから!
「奥様? どうしました?」
「はいっ!? ぜんぜん大丈夫! なに?」
けしからん妄想を必死にごまかしながらも、ルシナはぐるぐる考えた。
私、やっぱり彼のことが特別なんだわ。自分でも呆れてしまうけど。こんな気持ちを振り切るためにも、やっぱりゴーストから情報を得ないと。
✧ ✧ ✧
あいかわらず手紙の返事に追われながらの夜。ルシナは自室で侍女のセリーナに運んでもらったハーブティーを飲んで胃をさすった。
なんだかおなかが重い。夕食もあまり食べられなかったし。最近、社交に仕立てに……と無理をしたから風邪でもひいたのかしら。
ため息をつくと、ノックの音がする。
「セリーナ? どうぞ?」
何か忘れものかしら。
「まだ起きているのか」
キィ、と静かにひらいた扉からコーネリアスが顔を覗かせた。
「……!」
ルシナはわずかに身がまえた。コーネリアスはズカズカ部屋に入ってくる。
体はだるいけど、相手ができないほどではない。でも、昼間にエリーを庇ったのを怒ってないかな。
「寝ろ」
「……はい」
気が重いものの、蝋燭を消して立ち上がろうとするとルシナの体はぐらついた。ガタッと机に手をつくのとほとんど同時にコーネリアスが彼女を支えた。
「ご、ごめんなさい」
「夜なべもいいかげんにしろ。君が眠るまで見張る」
思いのほかやさしい声で言われ、ルシナは彼の腕の中でドキドキ胸が鳴った。コーネリアスがルシナの手をとる。彼の手はひんやりとして心地よく、ルシナはぼぅっとした。
ふれられるだけでまどろむなんて、なんかへん。すごくドキドキする――
「おい」
「……」
「どうした。手、震えて――」
コーネリアスは言葉を切った。彼女の指先がいつもよりずっと浅黒く見えたから。
「ルシ――」
「……ぅっ」
呼びかけをさえぎって、ルシナは激しく咳きこんだ。
「ぐ、カハっ、ゲホッ……」
絨毯に濃い色のしぶきが飛ぶ。月に照らされたそれは――赤黒い血。
「ルシナ!!」
ぐったりとコーネリアスの腕からすりぬけるルシナの体。抱きとめて叫ぶ彼の声が夜のアシュフォード邸に響いた。
✦ つづく ✦




