噂のゴースト
「また会いましたね、アシュフォード婦人」
ルシナを支えたのは、今日のはじめに貴族令息から庇ってくれた青年だった。
「ありがと……」
礼を言いかけたルシナの顔にふぁさっと白い紙が張りつく。
「……ぶっ」
馬車寄せの空には風に煽られた紙が舞っていた。
「これは一体……ビラ?」
顔からひっぺがした紙を手に戸惑うルシナ。見出しが目に飛びこんでくる。
「『王都一の歌姫、深夜の発声練習は誰と?』『拍手喝采の舞台袖で交わされたふたりきりの熱いアンコール』『パトロン████侯爵は歌姫の大胆な裏切りにも気づかず客席で――』……」
「熱愛の相手は新進気鋭の劇作家のようですね」
無意識に読みあげてしまったルシナは、青年の声にハッと我に返った。彼もビラを手にしている。
「やだ、私ったら……これはなんでしょう。みなさん興奮していらっしゃるけれど、ただのゴシップビラでは?」
「ただのゴシップと言えばそうですが、王都では貴族から平民まで夢中ですよ。ネタが独自なうえに、どこよりも早い。芸人の熱愛から貴族の悪事、スキャンダラスな縁談……」
「!」
「と、失礼。口が滑りました」
「……」
「お気になさらず。『戦鬼と亡国姫』も今は下火ですから」
このゴシップのせいで、みんな下衆の勘ぐりをしてきたのね。
ルシナは恨めしく思ってぼやいた。
「どこの新聞屋が……」
「そこが肝心で。発行者が匿名だそうです」
「あら」
「謎のゴシップライターの正体も興味をひき、貴婦人たちには絶大な人気ですよ、ほら……」
青年が視線を流す先で、若い令嬢たちが顔を突きあわせている。
「〝ゴースト〟の正体は宮廷の下働きじゃないかしら。王室の情報まで手に入れられるんだから」
「うんと貴い身分の方じゃない? 無償でこんな愉快なことをするんだもの。いっそ王族とか!」
「王族がどうやって世俗のことまでわかるのよ。パン屋のご主人は? 以前、そんな噂あったわよね」
彼女たちの声を聞きながら、ルシナはビラに視線を戻す。
「『Ghost Whisper』……」
「ライター名も明かされていませんが、タイトルから巷では〝ゴースト〟と呼ばれているみたいですね」
ルシナは黙って考えこんだ。
早さと希少性が大事なネタをコンスタントに集められる人物。調べものの協力者にぴったりだわ。それに向こうは素性を知られたくないだろうし、コーネリアスや屋敷の人間にも内緒で調べられるかも。問題はそんな人物とどうやってコンタクトをとるか。
「ビラの出どころはいつも往来なのでしょうか?」
「市場や酒場にもバラまかれることがありますし、夜な夜な掲示板に貼られたり、人知れず乗合馬車に忍ばせたり……」
「馬車……」
考えることはみんな一緒ね。
公爵夫人に返事を出したときのことが頭をよぎる。
「今回は浮浪児がバラまいたようです」
青年がそう言うので、ルシナが人混みのすき間から脇道を見れば、それらしき子どもがビラを投げていた。
複雑な気分だけど私のプライベートの情報は価値がある。でもそれは日に日に目減りしていくわ。行動を起こすなら今。ネタの提供と引き換えに〝ゴースト〟にハンティントン王国の資料を集めてもらえないかしら。ダメ元で子どもたちに伝言を頼もうかな。
ルシナは浮浪児を目で追うが、その様子を見ていた青年がつぶやいた。
「……意外ですね。ゴシップにご興味が?」
「えっ、いいえ……その、はい」
指摘されてルシナは恥ずかしくなったが、この外出の機会にできることはすべてやろうと開き直ることにした。
なんだか今日一日でたくましくなった気分。公爵夫人のおかげかしら。
「恥ずかしながら俗世にうといので新鮮で……。それに、王都になじめるように勉強をしたいのです。読書サロンや歴史の勉強会などご存知ですか?」
「私は貴族ではないので……でも、居住区の関わりのある貴族を訪ねてお調べしましょうか?」
「ほんとうですか」
「お気に召しそうなサロンをひらいている方がいらっしゃるかもしれません。言ってはなんですが、あなたに興味がある貴族はたくさんいるのですぐご友人ができますよ。平民もまざる集まりでよければ私も紹介してみましょう」
「ありがとうございます。今日は貴方に助けられてばかりで……失礼、お名前も聞いてませんでしたね」
彼は胸に手をあててさらりとお辞儀した。
「テオ・シャノン――旧市街で支援団体に属しています。今日は代表で参りました。以後お見知りおきを、ルシナ・アシュフォード夫人」
「こちらこそ、シャノン様」
改めての挨拶に笑いあうふたりの間に往来から声が飛びこんできた。
「アシュフォード夫人!」
見れば、馬車の中から声をかけてきたのはホルム公爵夫人だった。爵位の高い者は先に馬車を回せるのだ。
「アシュフォード夫人、サロンはもちろんだけど夜会にいらっしゃらない?」
「はい……?」
「貴女のために開くわ。貴族ばかりでないチャリティーパーティーよ。大佐とぜひいらして」
コーネリアス目当てか。ちょっと怖いわ。というかどうやってあの人を引っ張りだそう。
警戒したルシナの顔が見えたのか、公爵夫人は笑い出した。
「いやぁね、大佐にはお株を奪われたけど、私はあなたが好きよ。招待状送るわ。今度は早く返事ちょうだいね」
「はい……! 楽しみにしています」
公爵夫人がサッと日よけをしめると、公爵家の立派な馬車は混雑した道を巧みにかきわけて見えなくなった。
✧ ✧ ✧
「……イジめすぎたかしら」
馬車の中でひとりごとのようにつぶやく公爵夫人。同乗している侍女がわずかに反応する。公爵夫人は手持ちぶさたに扇子をあおぎながら今日を振り返った。
大佐が王女に私情を持つなら、彼女こそが軍部を理屈以外で牽制できる駒だった。軍部の独占から少しでも彼女を公爵家に取りこめれば……と思っていたのに。結局何も聞き出せなかった。彼女を取りこむどころか――
「計画が台無しよ。まったくめんどうな子」
ゆるりと口角を上げた公爵夫人を盗み見て、侍女は応接間でのお茶会を思い出す。存在感を消していても侍女はすべてを記憶しているものだ。
奥様は勢いまかせで享楽的なところがある。この一面を持ちつつ調整役として国政に深く関わっているから、ホルム公爵夫人は底が知れないのだろう。でも、今日はその豪胆さが奥様にとっては裏目に出たらしい――まんざらでもなさそうだけれど。
✧ ✧ ✧
「ただいま戻りました」
アシュフォード邸の玄関ホールにぽつりと響くルシナの声。働きまわる人の気配はするが出迎えはなかった。
すっかり嫌われちゃったみたい。
会場ではひとりだったものの、侍女も馬車で待機していたのだが屋敷につくなり彼女はそそくさと下がってしまった。
でも……今日は私、やりきったわ。夕食まで何をしようかしら。
自然と笑みがこぼれ、軽い足取りで階段を上がり廊下を進む。
「~~♪」
バタ、とすぐ横で扉がひらいた。
「!」
腕がのびてきてルシナを内へ引きこむ。ルシナの部屋の手前――コーネリアスの部屋。強く抱きしめられ、彼と閉じた扉の間に挟まれる。
「コーネリアス……?」
ぎゅ、とさらに腕の力が強くなった。
「……ッ」
「機嫌が良さそうだな」
そう言う彼の声は冷たく重い。コーネリアスはルシナの頭の上で深くゆっくり息を吸った。
「……よその臭いがする」
✦ つづく ✦




