勝敗の行方
「公爵夫人のクイーンが♘に獲られてしまったわ」
ルシナが退場させた黒い♛にギャラリーの視線が集まる。
「でも、♘は♜で取り返すから……アシュフォード夫人の♕を消せれば公爵夫人に勝ち目があるわよ」
貴婦人たちがささやきあう中、黒い♜が♕の進路をふさいだ。ここからは強い駒の取り合いになる。ゲームの終わりが近い。ルシナは♕を守るために♜の射程から逃れた。
「ちょっと待って、白い♖の道もひらいてた! 前線に加勢に来られる位置だわ。アシュフォード夫人、いつの間に……?」
と、その貴婦人は言葉を切って考えこむ。盛りあげる力がルシナにあることは観戦する彼女にもわかった。
――さっきの♗を捨てた挑発はやりすぎかもしれないけど、これはうまい接待だわ。
その間にも公爵夫人が♜を進める。
「え、♜が♕の射程に入った!? アシュフォード夫人に獲られちゃうんじゃない!?」
「あの♜は餌よ。♕が食いつけば♚に食い返されてアシュフォード夫人は攻撃の要を失うわ。この終盤でそれは出来ない」
「そうか、公爵夫人は♚のサポートがあるから♜を突っこませていいのね」
対峙するふたりはテキパキと駒を進めていく。お互い先が読めているようだった。ルシナの♖が一直線に走った。
「♖が加勢に来た!」
「ルーク対決ね。えーと……この順番だと……」
いつの間にか離れて座っていた貴婦人たちまでテーブルのまわりに集まっている。
「あ、結局白も黒もルークをなくすのね」
「終盤は思いきって強い駒を相討ちにしたりするのよ」
ルシナと公爵夫人が交互に指すとルーク同士は盤から消えた。
「公爵夫人、相手の♕の味方を削ったのね」
「そう。♕が単独で攻めてくるけど、♚は射程圏外。残った♟も守備にいるから逃げきれるわ。アシュフォード夫人は一度さがって立て直すか、引き分け――」
解説していた彼女は急に口をつぐんだ。
「!?」
スッと白い駒が斜線を走る。
「ビ、ビショップ……?」
ルシナのもう一体の♗がチェック。
「……」
公爵夫人は長いため息をついた。が、それには笑みが含まれている。
「はぁー……、♗……見えていなかったわ」
「司教も大事にしていますよ。作戦もなくタダで獲らせたりなんてしません」
「こんな意地が悪い子はじめてよ」
そう言いつつも公爵夫人は笑っている。ルシナもはにかんだ。ふたりの様子と対照的にギャラリーはざわつき、動揺している。ずっと前かがみになっていた背を伸ばしながら、公爵夫人は――
「私の負けね」
投了した。これ以上指しても無駄だと認めたのだ。
「こんなにボコボコにされたのは久しぶりよ、ふふふ」
「すみません……手を抜きたくなくて……公爵夫人は勝ちを譲られて喜ぶ方ではないと思いまして」
それに、本人もわかっているでしょうが――お上手とは言え、とても夜会で紳士たちをバッタバタ倒せる腕前とは思えなかった。いつもは忖度されていることが伺えるわ。
公爵夫人はニヤニヤしはじめた。
「へぇぇ、余裕の勝利ってこと?」
「いえいえ、公爵夫人のおかげで刺激的なゲームにできました。強い方相手でないとああは行きませんから」
「まったく嫌味ねぇ。この子、度胸あるわ。あんなにイジめたのに」
ルシナは恥ずかしそうにティーカップに口をつけた。このお茶会でようやくまともにお茶を飲めた瞬間だった。
アシュフォード家が公爵家と対立していて、私の好感度が最悪だと知っても――弱気になっていてはダメ。縁を作るチャンスは今日しかないのだから。それに冷静に考えたら、彼女は多少の無礼を許してくれる度量がありそうだったし。
公爵夫人のチェスの豪胆なスタイルがルシナにそう思わせた。楽しそうにゲームの終わった盤をきょろきょろとながめる公爵夫人を見て、ルシナは自分の読みが当たったとホッとした。ゆっくりお茶を流しこむルシナの耳に、公爵夫人のつぶやきが入りこむ。
「私はどこで間違えたのかしら」
「感想戦をしましょうか?」
「棋譜を覚えているのね。やりましょやりましょ」
✧ ✧ ✧
教会の脇道は馬車寄せになっていてバザーから引きあげる人でごった返していた。馬車を待つ紳士淑女の中にルシナの姿もある。彼女は今日の出来事を思い返していた。
「公爵家のサロンに今度いらっしゃいな。また指しましょう」
公爵夫人はそう言ってくださった。次の外出の機会――しかも社交界の大物からの招待が期待できる。よかった。サロンは読書会かしら。調べものがはかどるといいけれど――
「きゃああああ!」
興奮した叫び声が往来を突き破った。
「な、なに?」
騒動の起点らしきほうにルシナが目を向ける。視線の先で白い紙が舞っていた。
「ゴーストよ!」
「私にもちょうだい!」
「ちょっと! 踏まないでくださいませ!」
わけのわからない悲鳴やら怒声やらが広がり、ルシナの並ぶところまで人のうねりが一瞬でやってきた。息苦しい人波に押され、ルシナはもみくちゃにされる。
「きゃっ」
よろけた勢いのまま、石畳が彼女の目の前に迫った。
――転ぶ!
けれど、ルシナの体はふわっと浮かんだ。
「また会いましたね、アシュフォード婦人」
「貴方は……」
透けるような輝きの青年がルシナを支えていた。
✦ つづく ✦




